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9/22

08:遠い現実

 お昼休みの時間に差し掛かった時、役場の扉が勢いよく開いた。


「パンの訪問販売でーす! 皆さんいかがですかー」


 元気の良い声と共に、背の低いそばかす顔の少年が姿を見せた。いくつかの包みが入った籠を抱えている。


「お、ノエル。良いところに、ちょうど腹が減ってたんだ」


 アルマが机から顔を上げると、ノエルと呼ばれた少年は満面の笑みで紙袋を差し出した。銅貨と引き換えにそれを受け取ろうとしたアルマが、一瞬警戒した表情になる。


「これ、誰が焼いた?」

「僕! 今日のは、多分うまく焼けたと思う!」

「多分って……おい」

「あれ? その人、誰?」


 シルヴィアの姿に気づいたノエルが、首をかしげる。


「シルヴィアさんよ。新しく役場に入った――」


 ミレーネが説明するより早く、ノエルは歩み寄ってきた。


「へえ、昔って感じの名前だね…おばあちゃんみたい」

「お、おばあ、ちゃん…?」


 思いもよらぬ感想に、シルヴィアは絶句する。

 肉体も自認も18歳だが、生まれた年から単純な計算をすれば、今年で68歳。

 ――いやまあ、確かに。

 それはおばあちゃんと呼ばれる年齢なのかもしれないが。

 

「うん。その名前は王国時代――」

 

 鈍い音が聞こえて、思わずシルヴィアは目を瞑った。

 ミレーネがノエルの頭に拳骨を落としていた。


「こら! なんてこと言うのよ!」

「いってぇ! 別に、古風で綺麗な名前だなって思って…王族時代の貴族とかによくあった名前なんだ」

「へえ、そうなんだ、ってじゃあ最初からそう言いなさい!」


 二度目の拳骨。シルヴィアが止める間も無かった。


「ごめんなさい、この子、ちょっと変わってて…こういう失礼なことをよく言うんです。歴史好きで、その知識だけは凄いんですけど…」

「いえ、あの、私は気にしていませんから」


 “おばあちゃん”呼ばわりされた衝撃は、ミレーネの鉄拳制裁のインパクトで上書きされていた。ミレーネをなだめるように手を横に振りながら、シルヴィアは改めてノエルを見る。

 歳はシルヴィアより――シルヴィアの肉体年齢よりも、いくつか下だろうか。その年齢で王国時代の貴族の命名事情を知っているあたり、ミレーネの言う通り歴史には詳しいようだ。


「ほら、自己紹介」


 頭をさすっているノエルが、ミレーネに促されてシルヴィアにぺこりと頭を下げた。


「僕、ノエル・ベッケル。パン屋見習いってところかな。たまに役場の仕事も手伝ってるよ。よろしくね、シルヴィアお姉さん!」


 “おばあちゃん”呼びの罪悪感からか、ミレーネの鉄拳が効いたのか。若干、取ってつけたような“お姉さん”だった。

 事実は事実なので、シルヴィアも気にせずにノエルに向き直る。

 

「よろしくお願いいたします、ノエル――」

「様、は無しですよ」


 思わずまた出そうになった敬称を、ミレーネが遮る。

 たった半日の付き合いなのに、行動が見透かされたような気がして心臓が微かに跳ねた。


「っ……ノエル、さん」

「よろしくね! これ、お姉さんもどう?」

「ええ、是非いただきます」


 そう応じたシルヴィアの声は、柔らかく、無意識に微笑みさえ浮かんでいた。


「そういえばお前、金持ってるのか?」


 細長いパンを行儀悪く齧っていたアルマが、ふと思い出したように言う。言われてみれば、シルヴィアは1枚の金銭も所持していなかった。


「…」


 少しだけ、気まずい沈黙が流れる。ミレーネはどうフォローしたら良いのか分からない様子だが、チラッと彼女の鞄――その中に入っているだろう財布に目が行っていた。

 流石に自分で買うと言い出しておいてミレーネに買わせるわけには、とノエルにどう撤回と謝罪をしようかと悩んでいると、溜め息交じりにアルマが言った。


「今日はおごりだ。ミレーネもな。ノエル、まとめて買うから少しまけてくれ」

「…お気遣い、感謝いたします」

「アルマさん、ご馳走様です!」


――その日昼食に食べたパンは、少し焦げていた。






◇◆◇


 役場での初日を無事に終えたシルヴィアは、アルマに連れられて村の外れへと足を運んだ。役場がある村の中央から遠ざかるにつれて、人の気配もまばらになっていく。


「この辺りは空き家が多くてな。まあ、過疎が進んでる証拠だ」


 アルマの語り口には、微かな寂寥が滲んでいた。

 たどり着いたのは、小さな一軒家だった。壁には蔦が這い、屋根瓦はところどころ歪んでいる。だが、玄関扉は新しい錠前で補強されており、管理の手が入っていることが分かった。


「今役場で管理している物件の中では一番マシな状態だ。最低限の補修はしているから、安心してくれ」


 アルマが扉を開けて中へ入り、シルヴィアも後に続く。

 玄関に踏み込むと、やや古びた木の床が軽く軋んだ。部屋は二間続きの構造で、手前が居間、奥が寝室と思しき空間になっている。簡素な机と椅子、古い本棚、釜土に小さな暖炉と薪、そして壁際には水瓶が備えられていた。


「使い方は……まあ、なんとなく見れば分かると思うが」

「ええ、大丈夫です」


 そう答えたものの、シルヴィアの心は不安に包まれていた。

 ここにあるものは、どれも“見たことは”ある。王宮にも、似たような設備があった。だが、それはあくまで使用人が扱うものだった。

 自分の手で火を起こしたことも、湯を沸かしたこともない。ましてや、薪の組み方すら知らないのだ。

 もっとも、魔術さえ使えばどうにでもなるが――


(今の私は、魔導士では無い)


 ただの、村人として生きてみようと思ったのだ。その生活に魔術を用いることはあり得ない。魔術を使うということは、即ち過去の自分を認める行為だ。

 それに、万が一魔術の使用が露見すればただでは済まないだろう。魔力を有しているというだけで、国の管理下におかれるのがヴェールディアという国だ。通報されでもしたら、すぐさま自分の素性など明らかになってしまうに違いない。ここでの暮らしを送るためには、魔術は封印しなければならない。


「当座の生活費は、初回の給金から多少引いて先払いにしておく。もし足りないようなら相談してくれ。他にも、何か困ったことがあれば、遠慮なく言え」


 何かの欲求が強かったり、こだわりがあったりする訳でもない性質だ。与えられた環境に適応し、その範囲内で生活することは苦ではない。

 食うに困らず、雨風が凌げて眠れる場所があるというのであれば、当分は生きていけるだろう。


「ありがとうございます」


 頭を下げたシルヴィアに、アルマは何かを言おうと迷う素振りを見せたが、結局はそれを飲み込んだようだった。


「……初日、ご苦労だったな。ゆっくり休め」


 アルマはそれだけ言い残して、静かに去っていった。扉が閉まる音が、やけに遠く聞こえる。

 一人残されたシルヴィアは、奥の寝室へ向かう。簡素なベッドに文机、化粧台とクローゼットが並んでいた。

 シルヴィアは化粧台の前に立ち、鏡に映った自分を見る。


(……ミレーネさんに、結んでもらった)


 思い出すと、自然と微笑が漏れた。だがその笑みはすぐに霧散し、現実の重みがのしかかってくる。


(ここで私は、生きていく――)


 瞳を閉じれば、今日の出来事が思い浮かぶ。

 ――ささやかながらも初めての仕事をこなしたこと。

 ミレーネが笑ってくれたこと。アルマが不器用に気遣ってくれたこと。ノエルが焼いたパンを食べたこと。

 それらは確かに、ここにいた自分の時間だったはずだ。それでもどこか、未だ現実には遠いような錯覚を覚える。

 あまりにもかつての生活とはかけ離れていて。

 未だに生を受け入れられない自分もいて。

 それでも、この村で生きてみたいと思ったのは事実だった。


「……私は、今日を“生きた”のだろうか」


 誰にともなく呟いたその声は、静かに溶けていった。

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