表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/18

02:繋がっていた未来

 ――薪がはぜる音がした。

 かすかに焦げた木の匂いが鼻をくすぐる。温かな毛布と、やわらかな寝台の沈みに包まれている感触が心地良い。このままいつまでも微睡んでいたい気分だった。


「……ん…」


 その誘惑に抗い、シルヴィアはゆっくりと目を開けた。

 痛みはない。ただ、体が妙に重たい。全身の疲労が、目覚めきっていない身体を地面に縫いつけているようだった。


(ここは……)


 壁は白く塗られ、簡素な木製の家具がいくつか置かれている。

 知らない部屋だった。

 しかし、それはあまりにも“平和”で、“日常的”だった。


(…あのまま、倒れて……)


 その後の記憶は曖昧だ。何か声を聞いた気もするし、誰かに抱きかかえられた感覚もあった。だが、それ以上は判然としない。

 そっと身を起こそうとした瞬間、軋むような鈍い痛みが全身を貫く。思わず息を呑み、毛布の上で身じろぐだけに留めると――


「無理に動くな」


 低く落ち着いた声が部屋の入口からかけられた。

 視線を向けると、黒髪の男が一人、扉の脇に寄りかかるようにして立っていた。背は高く、ぼんやりとした光の中でもその整った輪郭が分かる。瑠璃色の瞳を湛える目元にはどこか影があり、それでいてどこか懐かしさを誘うような、柔らかな佇まいだった。


「極度の疲労と緊張のようだな。休めば良くなるだろう。大人しく寝ていろ」


 ぶっきらぼうな物言いだったが、そこに険は含まれていない。ただ、必要なことを伝えているだけ。そんな様子だった。

 シルヴィアは小さく息を整え、少し遅れて声を返した。


「……あなたが助けてくださったのですか?」

「ああ。教会の裏で倒れていた。もう少し見つけるのが遅かったら、今頃あっちの世界だったかもな」


 男はそう言って皮肉気に笑う。

 しかし、すぐにその表情を真剣なものに切り替えると、男はシルヴィアに問いかけた。


「なんであんな所にいた?」

 

 答えようにも、答えられない。自分は既に死んでいるはずだったのだ。こんな所にいる理由など、こちらから聞きたいくらいである。誤魔化そうにも、現実に未だに置いていていない頭では、上手い言い訳など思いつかなかった。

 結果としてシルヴィアの口からは、事実だけが零れた。


「……私自身にもよく分かりません」

「分からない、って、なあ……どこからどう見ても、何かありましたってな感じだが」


 眉をひそめた様子の男に、シルヴィアは少しだけ目を伏せた。

 その様子からして、まさか自分が逆賊の王女だとは夢にも思っていないだろう。何かあったかと言われれば、特大の出来事を経てきたばかりである。とは言え、真実を答えられるはずも無かった。


「……ここは、どこなのでしょうか」


 代わりに返した問いに、男は少し驚いた顔をした。


「フォンテス村だ。北方地域の、まあ地図にも小さく載っているかどうかってな具合の辺境だよ」

「フォンテス……」


 どこか懐かしい響きだった。思い返せば、地図の端の方にそのような名の村があった気がする。確か、3つの貴族領の境界にある、緩衝地帯だったか。王国の北方に位置していたはずであり、王都からは馬を使っても3日はかかる距離だ。一体全体、なぜそんなところで封印されていたのだろうか。

 場所を聞いたところで、謎は深まるばかりだった。


「――ではここは、ヴェールディア王国なのですね」


 相槌変わりに発した言葉に、男はきょとんしている。

 その反応を不思議に思ったシルヴィアは首を傾げた。


「……違うのですか?」

「いや、何というかまあ…ここはヴェールディア“共和国”だが」

「共和、国……?」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと収縮し、何かがこぼれ落ちそうになるのを感じた。

 男は怪訝そうな顔で頷いた。


「ああ。王国だったのは過去の話だ。俺が生まれるより前の、な。今年で建国何年だったか……」


 男の声が、シルヴィアの頭の中を滑っていく。

 それは、かつて自身の姉が語っていた、王国に代わる新たな国家の形。シルヴィアが後に託した、未来への扉だった。


(成し遂げたのですね、お姉様……)


 堰を切ったように、涙が頬を伝って流れ落ちた。


(…良かった……)


 あの夜は、無駄では無かった。

 ヴェールディアという国は変わった。王国は終わりを告げ、共和国となり未来を繋いだ。

 流した血は無駄ではなかった。失われた――いや、自分が奪った命は確かに未来の礎となっていたのだ。

 シルヴィアは袖で目元をそっと拭う。


「…失礼、いたしました」


 男はシルヴィアの様子を、黙って見守っていた。敢えて問いかけるようなことはしない その沈黙に、救われるような思いがした。

 気を取り直して、シルヴィアは再び尋ねる。


「今は何年でしょうか。その、西方暦で」

「西方暦なら……1483年だな」


 ――あれから、50年が経っていた。

 半世紀もの間、未来は紡がれていた。

 指先がわずかに震え、それを抑えるようにシルヴィアはそっとシーツを握りしめる。

 少しだけ上体を起こして、不格好ながらも、頭を下げた。


「……お教えいただき、ありがとうございます」


 男としては、ただ事実を伝えただけに過ぎないだろう。しかしシルヴィアは、この短い問いかけで確かに救われていた。

 男は黙って頷いたようだった。少しの間沈黙が流れる。やがて、男は思い出したように口を開いた。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はアルマ・スペクス。この村の役場で事務長をしている者だ」

「申し遅れました。私は、シルヴィア――」


 一瞬の逡巡。


「――と、申します」


 姓は名乗らなかった。

 嘘はついていない。だが、全てを語ったわけでもない。

 “シルヴィア”という名は、王国の貴族の中では割と良くある名前だった。それだけで自分の真の正体と結びつける根拠にはなり得ない。

 アルマは何も言わなかった。ただ、一つだけ、優しい声で続けた。


「回復するまで、ここにいればいい。大したもてなしは出来ないがね」


 その言葉に、シルヴィアは小さく微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ