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01:目覚め

 トクン――と心臓がかすかに鼓動を始めた。

 深い闇に落ちていた意識が、徐々に浮かび始める。


「ぅ……」


 背中に感じる無機質な冷たさが、触覚の復帰を示していた。しかし身体は自分のものでは無いかのように言う事を聞いてくれない。どうやって身体を動かせば良いのか、まるで分からなかった。

 それでも窒息する寸前で、ようやく呼吸の仕方を思いだす。


「かはっ…」


 空っぽだった肺に、久方ぶりに送られる空気。完全に目覚めぬ意識の中で、それでも身体は生命活動に必要なものを貪欲に求めていた。


「はぁ、はぁっ…」


 息苦しさに釣られて、シルヴィアは鉛のように重たい瞼をこじ開ける。ぼやけた視界が焦点を合わせるのに、少しばかり時間がかかった。

 やがて瞳は明瞭な景色――暗闇の中でかすかに見える石造りの天井を映し出す。その頃には息は整い、嗅覚と聴覚も戻る。最後に、乾ききった口内を走る苦味を感じ取った。

 五感が復活したのをきっかけに、シルヴィアは身体を起こそうと試みる。全身の筋肉がさび付いたように鈍く、それでも確実に動き出した。半身を起こし、ぐらつく頭で辺りを見回す。


「ここは…」

 

 不自然に広大な石室だった。広さは王宮の小ホールほどはあるだろうか。暗闇でおぼろげながらに見える程度でも、諸所の精巧な意匠が見て取れる。

 シルヴィアが寝ていた石台は部屋の中央に配置されていた。それを取り囲むように幾重にも魔術陣が広がり、淡い光を放っている。

 五芒星の頂点に配置された魔力水晶が、魔力を供給し続けていたのだろう。しかしその内4つが既に砕けて輝きを失っていた。残る1つは、最後の力をふり絞っているかのように点滅している。

 まだ動きの鈍い頭だが、魔導士であるシルヴィアは、この部屋全体がある種の封印装置として機能していることを理解した。


「一体…」


 どうして自分はこんなところにいるのだろうか。

 そう思ったシルヴィアの脳裏に、最後の記憶が蘇る。

 燃え盛る王宮。積み上がる死体。夜空に浮かぶ巨大な魔術陣。

 心臓を貫いた冷たい感触。意識を失う直前に聞こえた声――


(…私は、死んだはず……)


 それは、確かにシルヴィア・ヴィア・ヴェリダナにとっての終焉だった。

 国を滅ぼし、自分を滅ぼし、その先に未来を託した。

 そのはずだった。


「どうして……」


 かすれた声が口から零れた。

 迷子のように戸惑いのまま感情を言葉として紡ぐ。


「どうして私は生きているの……?」


 その問いに答える者は誰も居ない。暗い静寂だけが、シルヴィアを包んでいる。


(いや、生きていると決まった訳でもないか)


 ここが死後の世界とやらである可能性も無くはない。そんな現実逃避気味な思考に捉われる。

 ふと、所在なく彷徨っていた視線が石室の扉を捉える。


 ここがどこなのか。何故、自分はここに居るのか――


 それを確かめようと、シルヴィアは石台から降りた。震える脚は、華奢な身体を支えることすらも心細い。

 よろけながらも、壁伝いに進んでいく。やがて扉まで辿り着き、体重をかけてゆっくりと開いた。

 すると目の前に、上へと続く螺旋階段が現れる。その先の出口は何かで蓋をされていて、隙間から微かな光が漏れ出していた。


(…地下?)


 浮かんだ疑問と共に、シルヴィアは部屋から一歩踏み出す。

 その瞬間、最後の魔法水晶が砕け散った。魔力の供給が途絶えた魔術陣は光を失い、やがて完全に停止する。

 それに呼応するかのように、直上で唸り声のような重い音が響く。

 その刹那、シルヴィアは光に包まれた。あまりの眩しさに、反射的に手で目元を覆う。


「あそこが…」


 シルヴィアはふらつく身体を壁に擦るようにしながら、ゆっくりと階段を登っていった。

 早々に息が上がり、心臓が激しく脈打つ。その感覚に、シルヴィアは否が応でも生を実感してしまう。自分が“世界に存在している”という事実を、否応なく突きつけられる。


(……私は死を選ぶはずだった)


 自分は生きていて良い存在では無い。

 戦場で多くの敵兵を殺した。勝利のためにと自軍の兵を切り捨てたこともあった。

 クーデターを起こした夜は、家臣にすら刃を向けた。未来のためにと、全てを壊した。

 多くの悲しみを築いた。沢山の血を流した。

 ――その結果が、あの夜の最後となるはずだった。


(…皮肉なものだ)


 かつて自分が殺した者たちの中に、死を望んでいた者はいなかっただろう。彼らはその命が途絶える瞬間まで、明日を迎えることを信じていたに違いない。それなのに、死ぬはずだった自分は生きている。

 

(これは、罰なのだろうか…)


 死にたい訳ではないが、さりとて生きたい訳でも無かった。死すべき存在であると、自らを定義していた。死んで罪を償えるわけではない。だが、生きているところで自分に何が為せるというのか。天が気まぐれに与えた、人生の続きが祝福に満ちているとは考えづらかった。


 階段は思ったよりも長かった。途中、息を整える為にシルヴィアは壁にもたれ掛かる。座り込んでしまえば、次に身体を動かせる気はしない。

 ――それでもシルヴィアは、再び進み始める。

 これが、既に終わった自分が最後に見ている、うたかたの夢なのだとしても。命を賭してまで築こうとした未来がそこにあることを、確かめたかった。


(あと、少し…)


 ついにシルヴィアは、最後の一段を踏みしめた。


 ――目の前に現れたのは聖堂だった。

 部屋の大きさからみて小規模な教会だろう。装飾品の類は最低限、調度品も質素なものだ。しかし、掃き清められた床や曇りなく磨かれた燭台が、この教会が誰かの手によって大切に守られていることを物語っていた。

 後ろを振り返ると、聖母の像が静かに佇んでいる。多くの国家が国教として定める、ごく普遍的な宗教の、ごくありふれたものだ。

 ゴトリ、と音を立てて聖母像がひとりでに動き始め、階段の入口を完全にふさぐ位置で静止する。

 それを見届けたシルヴィアは、更に先へと歩き出した。整然と並ぶ木製の長椅子の背もたれに手を掛けながら、聖堂の出口を静かくぐる。


 外の世界は、想像よりも穏やかだった。

 扉を開けた先には小さな中庭があり、苔むした石畳が朝露に濡れて静かに光を反射している。背の低い塀の向こうには、緩やかに傾く草の斜面が広がっていた。

 シルヴィアは教会の裏手へと出る。そこは小高い丘になっており、開けた視界の先には一つの集落が広がっていた。

 屋根は赤茶けた瓦、建物の大半は木造で二階建てと平屋が混在している。土の道が縦横に走り、朝の光の中で村人たちの気配がちらほらと見える。

 洗濯物を干す女性、鶏を追いかける子ども、薪を担ぐ青年。

 煙突からは細く白い煙が立ちのぼり、朝餉の支度が始まっていることを知らせていた。

 ――それは、どこにでもある、ごく普通の、王国の村の風景だった。


「……変わって、いない」


 シルヴィアの唇が、震えながら言葉をこぼした。

 自分が壊したはずの国。

 未来を託したはずの時代。

 その終わりの先で、何も変わらずに続いているものが、ここにはあった。

 それが、どうしようもなく嬉しかった。そして、どうしようもなく悲しかった。


「何も、変えられなかったというの……?」


 この国の未来を守りたかった。それは、壊すことでしか成せないと思っていた。

 だから、多くを切り捨てた。この手を血で染め上げた。

 

 ――それなのに。 


 あの時と変わらない日常がここにはあった。


「…ぅ、あ……」


 胸の奥から、突き上げるような嗚咽が漏れる。しかし、声にはならなかった。呼吸が浅くなる。足元がふらつき、膝から崩れ落ちた。

 ついに身体が限界を迎えたようだった。地面に手をついた瞬間、頭がゆさぶられるような感覚がしてきて吐き気を覚える。

 誰かの足音が聞こえたのは、それとほぼ同時だった。


「…誰だ?」


 低く、警戒を含んだ男の声。そちらを振り向くも、視界は歪んで不鮮明な映像を映すだけだ。

 そのまま幕を降ろすかのように、シルヴィアの意識は黒く染まっていった。

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