第2話 どう生きるか
「カムイ……カムイ……助けて……!」
頭蓋骨から目玉と脳が垂れ下がった、黒い人影がそう叫んでいる。
「なんだ……ここは……?」
カムイは混濁した意識の中で、辺りを見回した。
「カムイ……! カムイ……!」
生気を失い、人の形を保っている者たちが、彼を取り囲む。
「なぜ……なぜ、俺たちを助けてくれなかったんだ!」
「カムイ!」
怒りと悲しみが入り混じった叫び声が、耳の奥に焼きつく。-カムイが最後に聞いたのは、自分の名を呼ぶ声だった。
「はっ……!?」
カムイは飛び起きた。目を開けると、そこは木材でできた質素な小屋の中だった。額に浮かぶ冷や汗を拭いながら、荒い呼吸のまま頭を抱える。
「俺は……今まで、何をしてたんだ……?」
混乱と恐怖が胸を締めつける。
「起きたようだな。大丈夫か?」
不意に声がして、カムイは反射的にその方へ振り返った。台所に立つ一人の中年男性が、こちらを見ていた。紅林や植田と似た和装の衣をまとっている。
「やっと目を覚ましたか。気分はどうだ?」
穏やかな声と表情に、カムイの荒れた呼吸が徐々に落ち着いていった。
「おっさん……あんた、誰だ? その格好、どう見ても侍にしか見えねえが……」
カムイが警戒心を滲ませながら声をかける。
「おっと、自己紹介が遅れたな」
男は穏やかに笑い、口を開いた。
「私は榊原永徳。かつては侍だったが、今はこの森の小屋で静かに暮らしている」
「そうか……俺はカムイ。助けてくれて、ありがとな」
礼を述べると、カムイは力強く布団から起き上がり、ゆっくりと小屋の外へと足を踏み出した。眩しい陽光が肌を照らし、鳥たちのさえずりが森の奥まで響いている。平穏な朝だった。
「随分と元気になったようだな」
背後から榊原の声がする。
「体はもう大丈夫そうだが……あのうなされていた様子を見るに、心の傷は癒えていないようだな」
「……っ!?」
その一言が、カムイの記憶を抉った。三日前の、あの惨劇を。
村が妖怪に襲われ、誰一人として生き残らなかったこと。
紅林も、植田も、無惨に命を落としたこと。
カムイはその場に膝をつき、頭を抱えた。
「あっ……ああっ……!? 紅林……! 植田……!」
名前を口にするたび、涙が頬を伝い、体が小刻みに震える。
榊原はそんなカムイをそっと見つめると、静かに告げた。
「いつでも、ここにいていい。……何か決めたら、私に知らせなさい」
そう言い残し、小屋の中へと戻っていった。
カムイはそれから、夜になるまでただ一人、外で思い悩んでいた。
自分はどう生きるのか。妖怪への憎しみと、それをぶつける術のなさに、心が千々に乱れていた。
(俺は分かってる……あんだけ強かった紅林と植田が勝てなかった相手に、俺が敵うはずなんて……)
そう自問自答していたとき、不意に脳裏にあの言葉が蘇る。
――カムイ、お前は、健やかに生きろ。
植田が死に際に残した、最後の言葉。
カムイは心にある決意を抱きかけた。
(おっ...俺は...)
その瞬間だった。
――ガサガサ。
「……?」
隣の草むらが不自然に揺れた。目を向けると、そこから何かが飛び出してくる。
「ヴァァァァァ!!!」
現れたのは、獣のような姿をした妖怪。唸り声と共に、カムイへと猛然と飛びかかってきた。
「クソッ、妖怪か!?」
カムイは咄嗟に腕を構えて防御する。だが次の瞬間、獣の鋭い牙がその腕に食い込んだ。
――グチャッ。グシャッ。
「ヴッ……!? このっ、離れろッ!」
必死で手にした石を妖怪の頭部に叩きつける。しかし――
石は、まるで空気を打つように妖怪をすり抜けた。
「またかよッ……! 一体どうやったら倒せるんだ……!?」
妖怪はますます興奮し、さらに牙に力を込め、カムイの腕を引きちぎろうとする。
――グシャッ。グシャッ。
「ウガァァァァァ!!!」
血が噴き出し、カムイの視界がにじむ。全身の力が抜け、意識が遠のいていく。
(ダメだ……血を流しすぎた……意識が……)
その時だった。
-ドスッ!!!
激しい衝撃音とともに、妖怪の体が吹き飛ぶ。カムイの腕から牙が外れ、獣の姿は草むらの向こうへと転がっていった。
その一撃の正体――それは、榊原が獣の妖怪の頭を渾身の蹴りで吹き飛ばしたものだった。
「おっさん……!?」
驚くカムイに、榊原は涼しい顔で言う。
「夜は妖怪が出やすい。家に籠もれって、教わらなかったか?」
そう言って、榊原は腰の脇差を引き抜いた。
「刀を握るのも、随分と久しぶりだ。ここは任せなさい」
その瞬間、蹴り飛ばされていた獣の妖怪が、再び榊原めがけて牙を剥き、唸り声と共に跳びかかってくる。
「ヴッ……ヴァァァァァァ!!」
「――遅い」
榊原は低くつぶやくと、閃光のような動きで刀を妖怪の首元へと振り上げ、そのまま背後へと身を翻した。
シュン――。
妖怪の首が宙を舞い、地面に転がる。体も数歩よろけると、力尽きて倒れた。
――ガサガサ。
草むらが騒がしい。榊原は即座に気配を察知し、振り返る。
「まだいるな。ざっと五体……か」
その言葉通り、草原の茂みから獣や蟲の姿をした妖怪たちが次々と姿を現す。唸り声を上げながら、一斉に榊原へと襲いかかってきた。
「キシャァァァ!!!」
「グルガガガガ!!!」
カムイは後ずさりながら立ち尽くし、萎縮していた。しかし、榊原は表情一つ変えない。
榊原が再び刀を構えると、右腕の筋肉が隆起し、力が漲る。
――ブンッ!!!
放たれた横薙ぎの一閃が、2体の妖怪を真っ二つに切り裂いた。妖怪たちは断末魔も上げる暇なく、即死した。
ギロッ。
榊原の鋭い視線が、残る3体の妖怪に向けられる。目が合った妖怪たちは、野生の本能で恐怖を感じたのか、尻尾を巻いて逃げ出そうとする。
「おい……どこへ行く?」
榊原は静かに呟くと、刀を両手で握り直し、全身の気を刀身へと注ぎ込んだ。
「風刃斬!」
――ブンッ!!!
刀が振るわれた瞬間、巻き起こる風圧が鋭い刃と化し、逃げる3体の妖怪を一瞬で切り裂く。断ち切られた体は塵と化し、風に溶けるように消えていった。
カムイはその光景を、ただ呆然と見つめていた。
「……つっ、強ぇ……」
あまりの強さに、ただ感嘆の声を漏らすしかなかった。
そして、カムイは妖怪たちを斬り伏せた榊原の背中をじっと見つめた。
(そうか……そうだ......)
榊原の堂々たる姿に、心の中で何かが弾ける。
(妖怪に怯えて暮らして……なにが“健やかに生きろ”だ……)
カムイは立ち上がり、拳を握りしめる。そして、憎しみと勇気を込めて榊原に叫んだ。
「おっさん! 俺に……俺に、剣術を教えてくれ!」
榊原はその声に応えることなく、しばらく無言のまま佇んでいた。
やがて静かに振り返ると、ゆっくりとカムイに歩み寄り、その右肩に手を置いた。
「――今日から“おっさん”じゃない。師匠って呼びなさい」
その言葉を聞いたカムイは、思わず目を見開き、そして――嬉しそうに笑った。
こうして、二人は再び小屋へと戻っていった。
未来に待ち受ける戦いも知らぬまま、
けれど確かな一歩を、今、踏み出したのだった。
第三話はまだ未完成です。2週間ほどかかると思いますのでしばらくお待ちください。