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第一章「砂漠の巨獣」3

 その恐怖は今も鮮明に覚えている。五年前のこと。満点の星々が空を埋め尽くした夜だった。オゼインシェルター越しでも天の川がとても綺麗に見える夜。家族団欒の後、星空をレオンと一緒に見ようと家を出た。


 黒髪でつぶらな瞳を持った線の細い少年と都市間鉄道の駅前で待ち合わせをして、彼の運転するバイクに二人乗り。山林の中にある丘へ行った。


 その場所は元々夜景が綺麗なスポットで、デートスポットとしても人気だった。星々のようなか細い街の明かり。人々が集中しないおかげで都会ほどの明かりはない。星を見るには十分だった。


 だから、この日も多くのカップルがいた。手を繋いで、お互いの熱が伝わるほどの距離感で空の光芒を眺めている。毎年お約束の光景。お約束で変わり映えはしないけど……、だけど、そんな景色がクレハは好きだった。


 恋人の気分を味わえたから。


 いくら恋に焦がれても、きっと毎年のようにその気持ちを伝えられなくて心打たれるんだろうな。そう思うと、胸が苦しくなって、今すぐ思いをすべて伝えたくなってしまう。


「ねえ、レオン」


「何?」


 その優しい口調。棘がどこにもなくて柔らかな雰囲気の彼は、きっと自分のことを友達としか思っていない。幼い頃からずっと一緒にいるから。いるのが当たり前の存在だから、自分に恋い焦れない。


 だが、クレハはその当たり前が永遠であってほしいと思っていた。伝えたい思いとは裏腹に喉がきゅーっと詰まって言葉が出ない。今すぐ伝えたいのに、喉の奥で言葉が突っかかっている。いまの関係が壊れてしまうのが怖いから、言葉に出すことをためらってしまっているんだ。


「なんでもない。星綺麗だね」


 結局、伝えられなかった。また恥ずかしさに負けて俯く。


「本当だな。毎年変わらず。綺麗だな」


 しばらくの沈黙。その静寂が気まずくて何か話そうと思って口を開いた時、レオンが先に言葉を発した。


「なあ、クレハ。俺、やっぱ軍に入ろうと思う」


 クレハは、息を呑んだ。いやだと思う反面、クレハはレオンが空に焦がれていることを知っていたから、複雑な思いが込み上げてくる。


「どうしてもそれじゃないといけないの? ほら他にいろいろあるじゃん。環境系の研究者とかも、空を取り戻すには重要なポジションだよ」


「それで、機械獣を誰かが消しさってくれるまで待てっていうの? そんなの無理だよ」


 返ってきた言葉は核心をついていた。クレハは、言い返せず俯く。


「空を取り戻すには上空に酸素を送り届ける必要がある。だけど酸素の詰まったロケットを打ち上げる施設をシェルター内には作れない。つまり機械獣のいるシェルターの外側に作らないといけないんだ。そんな危険なプロジェクト政府は容認しないよ」


 つまり、機械獣を滅ぼさない限り、空を取り戻すことはできない。機械獣と戦う軍人の生存率はかなり低い。そんな世界にレオンが一人で行ってしまうことに、クレハは我慢できなかった。


「だったら、私も軍に入る」


「はあ~⁉ おまえは普通に進学しろよ」


「別にいいじゃない。女性が軍人になっちゃいけないわけじゃないんだし」


「いいから進学しとけ」


「なんで? レオンは私についてこられるのが嫌なの?」


「別にそういうわけじゃないけど……」


「じゃあ、べつにいいじゃん」


 レオンは俯く。何か言いたげな表情をして見つめてくる。いったいなにが不満なのだろう。もしかして、友達の関係が続くことで、なにか不都合が生じるのだろうか。


「ねえ、もしかして迷惑?」


「いや、別にそういうわけじゃない」


 また、はぐらかしている。レオンは何か伝えたそうな表情しているのに、彼の答えにはその真意がこもっていない。


「ちゃんと、言って欲しいな」


 横目でちらっと見てから言った。


 レオンが軍人に入りたい理由は、クレハも理解している。だけど自分のことを爪弾きにする理由が全く分からない。せめてそれだけでも聞きたい。


 並んで至っていたレオンが突然こちらを向く。何かを言おうと口を開きかけたその時、地面が揺れた気がした。


 いや、確実にゆれている。地鳴りもしている。


「地震?」


「にしては音の割に揺れが少ないような」


 突如、巨大な破砕音が響いた。


 何が起こったのか一瞬わからなかった。動揺する声があちこちで聞こえてくる。


 音のした方は南だ。暗くてよく見えないけど、巨大な陰が遠くの方で蠢くのが見えた。


 よく見ると、空にひびが入っていた。ガラスが割れるようにミシミシと音をたてる。ひびの入った部分が下の方から砕け散った。


 巨大な陰が体をうねらせて街に入ってくる。そこにある建物を下敷きに、蛇のように這って進む。


 様子からして機械獣なのは間違いない。だけど、ここは前線区域ではなかったはず。いきなり街を襲いにくるなんて全く想像に及ばなかった。そこにいた人々が、エーデルに住んでる人々は平穏が続くことを信じていたのに。


 その光景があまりに唐突で悲惨で丘にいる誰しもが動けなかった。


 機械獣は咆哮を轟かす。途端に背中から花火のように何かが多量に打ち上がる。巨体のせいで礫サイズにしか見えないそれが、地表に接触した瞬間、機械獣の周りを煙火が覆った。


 クレハは身体を硬直させたまま、その様子を眺めていることしかできなかった。自分が生まれ育った街が焼かれ潰され蹂躙されていく光景を。


 いきなり手をつかまれる。


「突っ立っている場合じゃない。逃げるぞ!」


「でも、どこに……」


「駅に行く。学校で教わったろ」


 そうだった。機械獣が襲いにきた時にとるべき行動は、すぐに街の駅に向かうことだ。地下を通る列車は機械獣の攻撃を掻い潜って逃げることができる。そこが唯一の逃げ道なのだ。


 レオンはこんな緊迫した状況でも冷静だった。突如現れた機械獣に状況を飲み込めずに動けないでいる人がほとんどなのに、真っ先に誘導してくれてバイクを運転する。


 バイクを走らせて一〇分。駅に戻ってくると、避難をしに来た人たちが地下の駅の地下ホームへ続々と降りていくのが見えた。


 その中にはクレハの両親もいた。


「お母さん! お父さん!」


 大声で叫んだけど聞こえなかったみたいで、二人は下の方へ降りて行ってしまった。


 レオンがバイクを路肩へとめる。


「親が避難してきてたのか。よかったじゃん。俺んとこもちゃんと避難できたかな」


「わからないよ。行って早く探したほうがいいよ」


「そうだな」


 レオンは他人事みたいに返すと、ヘルメットをとった。バイクの近くに適当に置いて、駅のほうへと速足で歩いていく。クレハも跡をついていった。駅の階段を降りて構内を見渡す。


 地下の駅は人でごった返していた。けれどそのおかげか、クレハの両親は奥の方まで進めてず立ち往生していた。クレハは二人の背中に声をかける。彼女の母親が振り返ると安堵したように表情が綻んだ。


「クレハ、よかった無事だったのね」


 近づいた途端、母に抱きしめられてホッとした。けれど、その様子をレオンに見られて少し気恥ずかしい。


 クレハが母の胸から解放されレオンの方に目を向けた。彼はキョロキョロと周りを見回して両親を探していた。レオンとはご近所さんだから、声を掛け合って出てきているはずなのに、レオンの両親は姿が全く見えない。


「ねえ、お母さん。レオンの家にも声をかけたの?」


 訊くと母は首を振った。クレハに対して、レオンに対して、ご愁傷様と言うように。


「それが留守だったの。何度もベルを鳴らしたんだけど出なくて……。どこか出かける話とかしてなかった?」


 母の問いにレオンは青ざめて答える。


「弟が熱を出してたんだ。それで母さん、夕方、弟を病院に……。まだ帰ってきてないと思う」


 聞いた途端、身体中を戦慄が疾った。レオンの家の近くの病院はいま機械獣がいる南の方。家は外周からは多少の距離があるけど、病院は外周に限りなく近い。家にいなかったということは……、まだ病院にいる。


 もう手遅れだ。もうすでに機械獣が撒き散らした炎にやられたか、巨体の下敷きになったかのどちらかしかない。


「探しに行ってくる……」


 レオンが駆け出した。


「待ってレオン!」


 クレハはレオンを追いかける。 


 レオンは思いっきり人にぶつかりながらも人波の中を走っていく。彼は何も見えていない。家族が死んでしまうという恐怖で思考が塗りつぶされてしまっている。


「おい! いてえなあ!!」


 レオンにぶつかられた男性が声を上げた。レオンは振り向きもしないで走り続ける。クレハもその男性のスレスレを走り、レオンを追う。


「誰か止めてください!」


 叫んだ声は誰にも届かない。地下に絶え間なく入ってくる人たちは不審な目を向けてくるだけで、誰も介入しようとしなかった。


 階段を登っても、まるで川の流れのように人は降りてくる。隙間を縫って登ってもレオンとどんどん離されていく。


 クレハもなんとか追った。人とぶつかって押し返されそうになっても懸命に追った。それでも、どんどん背中が遠くなる。彼は、もう出口まで来てしまっていた。


 ——行ってしまう。


 懸命に階段を上り切って、クレハは膝に手をついた。呼吸を落ち着かせようとしながらも顔を上げた。


 レオンは立ち止まっていた。レヴィンスがレオンを通さないようにと両腕を広げ、立ちふさがっている。その隣には弟のテオが不安な目をして、やり取りを見ている。


「どうしたんだよ、レオン。一旦落ち着けって」


「退いてくれ。急がないと間に合わなくなる……」


 レオンの声は震えていた。きっと、自分でもわかっているんだと思う。もう駄目なのだと。それでも、レオンは行きたいのだと言っている。


 行かせるわけにはいかない。


 クレハは、レオンの肩に手を置いて囁くように言った。


「レオン。下に戻ろう。早くしないと避難列車に乗れなくなっちゃう……」


「だとよ。死にたくなきゃ、早く下に行くんだ」


 レヴィンスがぐっとレオンに詰め寄る。レオンの進路を塞ぐように。どう動こうと捕まえられるように腕を開いたまま。


「俺の家族はまだなんだ……」


 レオンがレヴィンスを押しのけ駆け出そうとした。


 レヴィンスはよろめきながらも踏みとどまった。手が届かなくなるその前に、レオンの腕をがっしりと掴む。


「もう無理だ! あっちの方はもう焼けちまっているし、残っている建物もない」


 レオンがピタリと足を止めた。彼の心を壊すには今の言葉で十分すぎた。


「生きてる人なんているわけがない。もう手遅れなんだ。行っても無駄死にするだけなんだよ!」


 レヴィンスの叫ぶような声が響いた。階段の壁に反響しただけなのに、それだけで、心に突き刺さるような鋭さがある。


 レオンの肩が震える。肩だけでなく背中も小刻みに揺れる。


 でも、慰める言葉なんて何も出てこない。レオンの痛みが伝わってくるみたいで、胸が張り裂けそうなほど苦しかった。


「レオン、戻ろう」


 そっと彼の手を握る。レオンの動揺に泳ぐ目から涙がこぼれた。


 ————だめだ、もう我慢できない。


 クレハはレオンを抱きしめた。溢れる嗚咽を抱き抱え、レオンと一緒に崩れ落ちた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。なぜ、レオンの家族が不条理に殺されなくてはならないのだろう。考えても答えの出てこない苦しみ。怒ってもどうしようもない悲しみ。理不尽で冷たくて——そんな世界に奪われてしまった。


 自分では、彼の悲しみをぬぐってやることも、穴の開いてしまった心を埋めてあげることもできない。


 いまの自分には、一緒に悲しむことしかできない。


 それが嫌だった。無力な自分が嫌だった。




 彼の空への渇望が復讐心に塗りつぶされたのはこの頃からだった。一年後、軍大学の試験に合格して真っ先に志願したのは航空隊コース。それは機械獣と直接戦う軍人の育成コースだった。そしてクレハとレヴィンスも生まれた故郷を取り戻したくて軍大学に入学した。


 それが悲劇の始まりだったのかもしれない。レオンが航空隊に入ることを止めていれば、きっと彼はまだ人でいられただろう。

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