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ゼトラマックス

小夜子は午後の講義を終えて家に帰ると、自分のノートパソコンをインターネットに接続し、東西新聞社のホームページにアクセスした。森川光三郎と南製薬のことを調べるためである。トップページを見てみると、東光大学病院での一連の事件はしっかり報道されていた。

「黒木さんのところ、奴らの圧力に負けてないわね」

 小夜子はつぶやいた。

「でも、そのためにまた誰かが狙われなければいいけど」

 小夜子は記事のサーチを始めた。そしてしばらく検索を続けるうちに、ある記事を見つけ出した。

「これは…」

 小夜子は思わず声を上げた。その記事は四年前に書かれたものだが、見出しが次のようになっていた。


「ZAT101 トラブル続きの中「ゼトラマックス」の名で認可の謎」


 小夜子は記事を読み進めていくうちに、ゼトラマックスが臨床試験の段階からトラブル続きだったことを突き止めた。そして当時、ゼトラマックスの開発に携わった研究者たちが、次々と謎の死を遂げていることを知った。その死因については大半が自殺と病死ということになっているのだが、その真相については、ほとんどのケースがまったくわからずに謎のままになっていたのだ。

「絶対に怪しいわ、これ。何かとんでもない裏がありそう」

 小夜子はすぐさま誠の携帯電話の番号をプッシュした。

「もしもし」

 二回呼び出し音が鳴った後、誠の声が入ってきた。

「あ、お父さん?」

「小夜子か、今家からかけているのか?」

「うん、一つ頼みたいことがあるの」

「今仕事中なんだ。また事件なんだ」

「えっ!あ、それならごめん。邪魔しちゃったね」

「ちょっと待って!お前の方でつかんだことがあるのか」

「だから電話したのに!…あのね、南製薬が出した薬のことで調べてみたんだけど、黒木さんの会社のホームページを見てみたら気になる記事があったの。なんか素人から見ても引っかかるところがあってね」

「その記事の見出しを教えてくれないか。哲ちゃんにそのことで問い合わせてみるから」

「『ZAT101 トラブル続きの中『ゼトラマックス』の名で認可の謎』という見出しよ。二〇〇四年七月二十一日の記事だけど、ゼトラマックスの開発に関わった人の謎の死についても触れているわ」

「よし、わかった。すぐに哲ちゃんに連絡してみる」

「ところで、その黒木さんはどうしたの?」

 誠が答えたところで小夜子が思い出したように聞くと、

「竜治や兄さんと一緒に一時間ほど前に取材に出かけていったよ」

 と誠が答えた。

「わかったわ、危ない目に遭わなきゃいいけれど。お父さんも気をつけてね」

 小夜子はそう言ってから、

「じゃあね」

 と電話を切った。


 その頃一郎は、高校時代からの友人でもある東光大学病院の内科医・南原隆行の家で、哲夫・竜治と合流し、取材に入っていた。誠から連絡を受けた哲夫が中心になってゼトラマックスのことを調べてみることになったのである。

「久しぶりだな、黒田」

 南原は気さくに声をかけてきた。一郎は哲夫と竜治を紹介した。、そして、

「南原、お前の方でゼトラマックスの処方箋を書いたことはあるか?」

と話を切り出した。すると、

「数回出したことがある。でも今はまったく使っていないんだ」

 と南原が答えた。

「といいますと?」

 哲夫が聞くと、

「あの薬は、本来抗がん剤として認可されたのは、黒木さん、あなたもご存知だと思います。ですが、あの薬にはおかしな特性があるんです」

 と南原が言った。

「おかしな特性?」

「黒木さん、あの薬を使うと、それまでまったく心臓に異常がない人まで心臓発作を起こすことがまれにあります。抗がん剤の役目はちゃんと果たしているのですが、その副作用で亡くなった人もいます」

「南原、そのことをちゃんと院長先生には言ったのか?」

「ああ、院長には言ったし、院長を通じて、あるいは俺自身で南製薬や中央薬事審議会にも問い合わせてみた。でも、南製薬の一般社員のところには確かに苦情は届いていたみたいだったが、中央薬事審議会にはそんな報告はないって相手にされなかったよ。一郎」

 南原は答えた。その言葉の端々には、厚生労働省と中央薬事審議会の方針に対する強い不信感が感じられる。

「南製薬の方はどうだったんだ?」

「その時電話をかけた女性社員も上司に報告したらしいが、クレームのことについては知らん振りだったらしい。中央薬事審議会にも問い合わせたらしいが、『ガセネタでしょう』って相手にされなかったそうだ」

「ひどい話じゃないか」

「ということは、ゼトラマックスの副作用のことを、南製薬が隠していることを中央薬事審議会は公表していない可能性があるんですね」

「ええ黒木さん、院長がクレームをつけた後に中央薬事審議会にも報告したのですが、なぜかそのことについては『問題なし』の所見が出ていたんです。それで、おかしいと思っていろいろ調べてみたところ、とんでもない事がわかったんです」

「何ですか?」

「ゼトラマックスの認可当時に厚生大臣だった森川光三郎が、ある医療カルテル機関を強力にバックアップしていたことです。確か南製薬もその傘下に入っていると思いますが、そのグループの名前は…メディカといいます」

「メディカ?その名前、俺も聞いたことあるぜ」

 その時竜治が口をはさんだ。すると、

「黒沢さん、メディカの傘下に入っている聖ホーリー医大病院をご存知ですか?そこが中心になって、ゼトラマックスの臨床試験をしていたんですが、その試験の中で出た遺体を廃棄処分にしていたらしいんです」

と南原が衝撃の事実を口にした。

「廃棄処分!?」

一同は驚きの声を上げる。

「さらに調べて見たところ、ゼトラマックスの臨床試験に関わったメンバーのほとんどが、謎の死を遂げていたんです。私は法医学の勉強もしていたので、その方面に詳しい友人に協力してもらって調査したんですが、死んだメンバーはいずれも毒物を注射された形跡があったんです。多分それば筋弛緩剤だと思います」

「南製薬の社員の人はどうだったんですか?」

「南製薬サイドでも、実は謎の死を遂げた人がいるらしいんですよ。黒木さん」

「わかりました。調べてみましょう」

 哲夫はしっかりとした口調で言った。

「そういえば、この写真のことでお聞きしたいのですが、部屋の燃やされ方が普通じゃないんですよ。私は見た限り何かナトリウムのような薬を使っている気がするんですが、何かわかりますか?」

 竜治は件の写真を南原に見せた。南原は、

「この燃え方からすると…相手はニトロを改良した薬に火をつけたんじゃないかと思います」

 と答えた。

「そうか、森川がゼトラマックスに絡んでいるとなると、東光大学病院の事件も、裏で森川とそのメディカが絡んでいる可能性があるな」

 哲夫が言うと、

「そうなったら、メディカの殺し屋が黒幕に命令されて、お前を狙ってくるかもしれないぜ。お前はしばらく行動に注意した方がいい」

 と一郎が言葉を続けた。

「ああ」

 南原はこっくりうなずいた。すると哲夫が、

「竜治、一郎、俺は一度会社に戻って四年前の事をもう一度調べ直してみる。南原さんのことを頼むぞ」

 と言った。竜治は、

「よし、わかった。あ、黒木、写真持っていけよ」

 と哲夫に例の写真を渡した。その時、哲夫は何かひらめいたのか、

「もし何かあった時のためにこれをしておけよ。殺し屋が動いている可能性があるなら、何があるかわからないから。いざというときの通信機代わりさ」

 と小さなネクタイピンを竜治と一郎、そして南原に渡した。

「えっ!?…そうか、わかった」

 竜治は一瞬怪訝そうな表情を見せたが、すぐに納得したのか軽くうなずいた。三人はそれを落ちないようにしっかりとネクタイにはさんで止めた。

 哲夫は南原の自宅を出て、黒のヘルメットをかぶった。そしてシャドーアクセプターの通信レーダーシステムを作動させ、東西新聞社へと戻っていった。


 その夜、誠は急いで仕事を切り上げ、家に帰ってきた。

「小夜子、ただいま」

「お帰り、お父さん。ご飯出来てるよ」

 小夜子はにっこり微笑んだ。

「小夜子、今日の事件、やっぱり盗聴器がしかけられていた」

「えっ!」

 小夜子は一瞬絶句した。

「奴らの目的も実体もまだはっきりわからない…怖いわね」

「でも、お父さんは負けないからな」

 誠はそう言ってビールをごくっと飲んだ。小夜子が父親の仕事を誇りに思っているのをよく知っているだけに、父親として、一人の刑事として小夜子の思いを裏切ることはしたくないと思っているのである。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」

 小夜子がドアホンを取ると、

「黒木です。お父さんは帰っているかな?」

 と哲夫の声が入ってきた。小夜子は、

「ちょうどいいところだったわ。どうぞ」

 と言って哲夫を案内した。そして、

「ちょっと待っていて下さいね!今コーヒーを出しますから」

と言ってキッチンに走り、コーヒーを哲夫の席に持って行った。小夜子が誠とかおりと住んでいるこの家のLDKは落ち着いたクリーム色を基調としたこじんまりした作りになっており、丸みを帯びたテーブルに椅子四つが並んでいる。

「誠も毎日大変だな。体は大丈夫か」

 哲夫がさりげなく気づかうと、

「今日はこれでもまだ早いほうなんだ。ひどい時には、小夜子とかおりが寝た後に帰る事だってザラなんだから」

 と誠が言った。小夜子は、

「お父さんも黒木さんも早く食べなきゃ。冷めちゃうわよ」

と少し怒ったふりをして言った。誠は、

「じゃ、食べながら話を進めるとするか…。南原さんから聞き出せたことはどのくらいあったかな」

 と切り出した。哲夫は、

「ゼトラマックスのことだが、あの薬は抗がん剤としての役目はちゃんと果たしているらしいんだが、心臓発作に似た症状を起こすことがごくまれにあるらしいんだ」

 と言った。

「なんだって!」

「しかもそれまでまったく心臓に異常のなかった人に、その副作用で亡くなった人がいるみたいなんだ」

「そんなことがわかっているなら、何で厚生労働省と中央薬事審議会が黙っているんだ」

「そうよ、絶対おかしいわ!」

 哲夫の言葉に誠が疑問をぶつけ、小夜子も続いた。

「しかも、南原さんが南製薬にクレームをつけたところ、上司がまったく対応しなかったらしい。中央薬事審議会もガセネタとしか言わなかったそうだ。それと…もう一つ新しいことがわかった。誠、ゼトラマックスが認可された頃に、森川光三郎がある医療カルテルを強力にバックアップしていたらしい」

「えっ!森川光三郎が!?…そのカルテルの名前はわかるか?」

「メディカって言っていたぞ」

「メディカか…。実はなぁ…そこに関する胡散臭い話があって、今本庁でも捜査を進めているんだ」

「そのメディカの実体が怪しいと言うのね。お父さん」

「ああ、表向きにはガンやエイズの治療のための研究をしていることになっているけど、変な噂が絶えないんだ」

「そういえば、大事なことを忘れてた。誠、南原さんが言ってたが、聖ホーリー医大病院が中心になってゼトラマックスの臨床試験をしたらしいんだが、その試験の中で出た遺体を廃棄処分にしていたらしいぞ。しかもその病院はメディカの傘下に入っている」

「ええっ!」

 小夜子と誠は、哲夫の言葉に思わずすっとんきょうな声を上げた後、お互いの顔を見合わせた。

「それだけじゃない。ゼトラマックスの臨床試験に関わった人や、南製薬の社員にも謎の死を遂げた人がいるんだ。しかも皆筋弛緩剤を注射された形跡があるそうだ」

「お父さん、その変死した人のこと、もっと調べてみたらどうかしら。絶対に怪しいよ。そのメディカというところ」

「もう少し証拠が集まれば、お父さんのところでも詳しい捜査ができるのになぁ。ちくしょう!かおりのこともあるっていうのに!」

 誠は悔しそうに唇をかみしめた。捜査を必死になってやっているにもかかわらず、事件の手がかりはつかめても、そこから先に進まないもどかしさを誠は感じていたのである。

「誠、あせることはないさ…今下手に動いたら、かえって犠牲者が増えるだけだ」

「変死した人のこと、私たちで調べてみようよ。うまくいけば森川の悪事だって暴けるわ。今くよくよしても仕方ないじゃん。お父さんらしくないわ。あきらめちゃダメよ!」

 小夜子も言った。小夜子はこういう時になると強気になることが多い。

「そうだな、やるだけやってみるか」

 誠は気を取り直して言った。

「じゃあそうしたら、メディカの本部は何とか特定出来ているから、森川と白石とメディカのつながりを調べるだけだな」

 その時、

「うわーっ!」

 と竜治の悲鳴が、哲夫のシャドーアクセプターに入ってきた。

「竜治、どうした!」

 哲夫が呼びかけると、

「奴らが出やがった!南原さんをマークしていたらしい」

 と竜治が息を切らしながら答えてきた。

「なんだって!」

「さっき、南原さんとお茶を飲んだ後に、南原さんが急に眠くなったらしくって、部屋で休もうとリビングを出て行ったら、奴らがその向こうの部屋のガラスを割って襲ってきたんだ」

「俺たちも抵抗したんだが、そのお茶自体に何か入っていたらしくって、思うように動けないんだ」

 と竜治の言葉に間髪入れずに一郎も答えてきた。

「ちくしょう、奴らに先手を打たれたか!」

 誠はそれを聞いて悔しそうにテーブルをたたいたが、すぐに

「兄さん、竜治、慌てるな!南原さんをガードして!」

 と冷静になって言った。その時、哲夫のシャドーアクセプターに、

「うわっ!ちくしょう…覚えていろ。森川と南製薬の邪魔をする奴は絶対抹殺してやる」

 と殺し屋らしき男の声が入ってきた。そして通信もここで途絶えた。しかし哲夫は、

「誠、大丈夫だ。竜治と一郎は無事だ。もちろん南原さんも大丈夫。それに奴らは俺が竜治たちに渡したネクタイピンに気づいてない」

 とシャドーアクセプターを見ながら言った。

「えっ?哲ちゃん、どうしてわかるんだ」

「誠、実はあれは、小型通信機であると同時に小型発信機でもあるんだよ。南原さんの家のあるところをレーダーで調べれば、竜治たちがどうなっているかすぐわかるのさ。もし殺し屋たちに竜治たちがそれを奪われても、俺のこのアクセプターでちゃんとわかる」

「やるじゃん、黒木さん!」

 小夜子が言った。

その時、リビングの電話が鳴った。誠が受話器を取り、

「はい、黒田です」

 と言うと、

「津上です。例のことですが、メディカと国が中心になったあるプロジェクトに森川と南製薬の白石社長が共同出資していたことがわかりました。南製薬の社員の人に聴取してわかったんです。」

と誠の後輩の警部補・津上圭一郎が答えてきた。

「本当か!やったじゃないか」

「それで、よくよく話を聞いてみると、どうも目的はそれなりにしっかりしているんだけど、実体が怪しいみたいなんですよ。それがゼトラマックスの事とも絡んでいるらしいんです」

「なんだって!ゼトラマックスと絡んでいるだと?わかった。それより南原隆行さんの家が襲われた。至急向かってくれないか」

「わかりました」

 圭一郎はしっかりとした口調で答えて電話を切った。

 誠はリビングの方に戻ると、

「哲ちゃん、メディカと国が中心になったプロジェクトで何か思い当たるのはないかな」

 と哲夫に聞いた。すると、

「うーん、コードネームがシグマというものだったらはっきり聞いたことがある。確かそのプロジェクトが完了した直後にゼトラマックスが認可されたんじゃないかな。取材したことあるぜ」

 と哲夫が答えた。

「ええっ!」

 小夜子が驚いてスープをこぼしそうになった。あわててそのスープを一口すする小夜子だが、スープは少しさめて冷たくなりかけていた。

「確か遺伝子工学を応用した難病治療のための研究だったと思う」

哲夫が更に言葉を続けた。

「でもさぁ、抗がん剤として認可されたゼトラマックスで、ここ数日死亡事故が起きているでしょう?それに、プロジェクトが完了した直後にゼトラマックスが認可されているなんて、なんか不自然よ。ね、お父さん」

「そうだな。おまけに臨床試験の中で出た遺体を廃棄処分にしていたなんて、下手したら死体遺棄で逮捕だよ。なんかやっぱり怪しいぜ。哲ちゃん」

「俺も実はそのことが引っかかって、今までいろいろ調べてきたんだけどね。でもこれで、メディカと森川、白石のつながりがはっきりしたぜ。君と小夜ちゃん、そして一郎・竜治・高浜さん・南原さんを狙ったのはきっとメディカの殺し屋だ。かおりちゃんを誘拐したのもね」

「ええっ!」

「なんだって!」

 小夜子と誠が驚いて顔を見合わせた。

「黒木さん、どうしてメディカがそんなことまでやる必要があるの?」

「おそらくメディカの黒幕の命令だろうな。マスコミや警察関係の人間を狙った殺人事件も奴らが絡んでいると思うから」

「だとしたら、奴らの狙いはゼトラマックスの秘密を知り、それを告発しようとする者を抹殺することか。何とか食い止めなくては」

 誠が言った。かおりを助けなくてはという父親としての思いと、メディカの陰謀を何としても阻止しなければという刑事としての思い、その思いが誠を真剣な目つきにさせていた。

 その時リビングの電話が再び鳴った。

「はい、黒田です」

 誠が受話器を取ると、

「結城です。課長、女性の遺体が日比谷公園で見つかりました」

 と部下の一人である結城ありさが報告してきた。

「なんだって!わかった、すぐ行く」

 誠はそれだけ言うと電話を切り、リビングに戻ると、

「小夜子、また事件だ。ご飯先に食べて寝てなさい」

 と言って支度を始めた。

「ええっ、また事件?あーあ、せっかく久しぶりにご飯一緒に食べられると思ったのに」

 小夜子ががっかりしたように言った。

「誠、どうしたんだ」

「哲ちゃん、日比谷公園で女性の遺体が見つかったらしいんだ。すまないが小夜子のことガードしてやってくれないか。殺し屋が動いているとしたらこの家が狙われてもおかしくないから」

「よし、わかった」

 哲夫はうなずきながら答えた。小夜子は、

「よかった、一人じゃやっぱり心細いもん」

 と言った。



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