告発
それから一時間ほど経った頃、哲夫は黒のゼファーを走らせ、自由が丘三丁目にある二LDKのマンションにいた。このマンションの一〇一号室に高浜めぐみが住んでいる。
哲夫が静かにチャイムを押し、
「東西新聞の黒木ですが」
と名乗る。するとしばらくして、
「どうぞ」
と、すらっとした体形の四十代前半の女性がドアを開けた。
高浜めぐみ…彼女は大学卒業後旧厚生省に十年勤務したのち、森川公三郎の秘書になった女性で、英語・フランス語に堪能な一面を持つ。ふんわりと優しげなパーマヘアに色白の顔と上品なボルドーの口紅を塗った口元からは、気品の良さがあふれている。
哲夫は薄めのパステルピンクをベースに可愛らしくも上品なインテリアの部屋に通された。小さめのリビングには白いソファーとガラス板のテーブルが置いてある。めぐみはまだ森川の秘書を辞めたばかりだが、月に二十五万の収入で部屋の家賃は八万。独身のせいかかなりリッチな暮らしをしているようだ。
やがてオーディオラックの上から優しい花の香りが漂ってきた。
「いい香りですね」
哲夫が笑顔を見せると、
「ラベンダーです。アロマテラピーに最近凝っているんですよ」
と言いながら、めぐみがロイヤルミルクティーを出してきた。「あ、ちゃんとリクエストを聞かないでごめんなさいね。大丈夫ですか?」
「気にしないでいいですよ。めぐみさんがどんな好みか僕も知りたかったから」哲夫は優しくフォローすると、ゆっくりとロイヤルミルクティーを一口味わった。そして、
「早速ですが、森川代議士のことで、あなたが内部告発しようとしたことは何かきいてもよろしいですか?」
と切り出した。
「森川のことですか。本当は私は秘書だったのでこの話は口外するのはタブーなのですが、いいでしょう、お話します」
めぐみはソファーに腰掛けると、ロイヤルミルクティーを一口飲んだ。その様子をさりげなく見ていた哲夫は、彼女が思慮深く正直な女性であることを見抜いていた。
「私は森川の秘書を八年間務めてきたのですが、森川には以前政治献金をめぐるスキャンダルがあったというのは黒木さんもご存じだと思いますが、私が今回お話しすることは命の危険にさらされるかもしれないことを承知での話です」
めぐみはそう言うと静かに話を切り出した。
「森川は私が秘書をしていた当時から、南製薬の白石健太郎社長とリベートのやり取りをしておりました。新薬認可をめぐって南製薬に便宜を図っていたこともあるんです」
「新薬?もしかして今ニュースになっている東光大学病院の事件とも関係があるのですか」
「そうです。今の段階ではまだマスコミに公表されてないようですが、一つ抗がん剤として流通している南製薬の製品で森川が認可のためにひそかに動いていたものがあるんです」
「圧力をかけたということですか?」
哲夫は聞いた。
「ええ」めぐみは頷いて続ける。「実はその薬は二〇〇四年の認可当時からも副作用のトラブルが続いていたんです。それを東光大学病院などの大学病院ではすでに把握していて、問題になりかけたんです」
「ではなぜ今までその薬がずっと出回っているのですか?」
「南製薬がクレームをひた隠しにしていたんです。それに内部告発をしようとした社員の首切りもあったようで。実はその薬は治験の段階からいろいろ問題があったんです」
「おかしいですね。薬事法では重大な副作用があったら必ず報告しなければいけないはずでは?」
「それで私もおかしいと思いまして、自分の出来る中でいろいろ調べてみたんです。そうしたら森川と白石がリベートのやり取りをしていたことを突き止めたんです。私はそれを知って森川の秘書を辞め、いろいろと考えた末にそちらと警察にお知らせしたんです。こんなことがはびこってたら日本は良くなりませんから」
めぐみは何としても森川の悪事を暴きたい思いからか、身を乗り出すようにして話していた。美しい表情の中、めぐみの瞳は真剣な思いからか、強い光を放っていた。
「わかりました。僕のほうでも詳しく調べてみますが、何か思い出したことがあればまた連絡して下さい」
哲夫はしっかりうなずいた。
と、次の瞬間、めぐみの部屋に向けて何者かが石を投げ込んだのを哲夫の目がとらえた。窓ガラスがめちゃくちゃに割れ、
「きゃあっ」
とめぐみが突然襲い掛かった恐怖に怯え、身をすくませる。
「ここは僕に任せて早くチェーンをかけて!それから安全な部屋に隠れて!」
哲夫は元刑事らしく落ち着いていた。めぐみに的確に指示を出すとシャドーアクセプターを起動させ盗聴電波が出ていないかを調べ始める。するとある周波数に達した瞬間ハウリング音が鳴った。
もしかして俺を狙っている奴がいるのか…。いやそうでなければめぐみさんが狙われている。哲夫がそう感じた次の瞬間、目の前でマシンガンの連射音が炸裂し、粉々にガラスが砕け散った。砕け散るガラスと襲いかかるマシンガンの弾丸を哲夫は素早い身のこなしでかわしていく。そして一瞬マシンガンの連射音が止まった。
間違いない、奴らはめぐみさんを狙っている。そうなるとここにいる俺も狙われるな。そう感じた哲夫は静かに精神を集中させ体を低く構えた。
とその時、ベランダから窓を蹴り破るように黒のサングラスに黒のポロシャツ、白のパンツ姿の男が哲夫に襲いかかってきた。その右手にはきらりと光るものがある。哲夫はそれを振りおろそうとする男の右手首をつかんで投げ飛ばすと、右ひじの関節を締め上げた。
「うあっ」
男が必死に反撃しようとするが、哲夫は光るものを取り上げると、
「お前たちの狙いは高浜めぐみだな」とドスをきかせた。「さては森川光三郎の回しものか!」
「南製薬を告発しようとするものはすべて死んでもらう。それだけだ」
「無駄だったな」哲夫は言い放つ。「すでに彼女は警察にも告発しているんだ。いずれ警察から調べは入るはず」
「くそっ!」
男はその場に座り込んでしまった。そこへ
「黒木さん、大丈夫ですか」
とめぐみが現れた。哲夫は男を押さえ込みながら、
「無事でよかった。それより警察を呼びましょう。僕が独自に調べたんですがさっきの僕らの会話が盗聴されている可能性がある」
とほっとしたもののすぐ厳しい表情に戻って言った。
「はい」
めぐみはうなずいて深呼吸したあと一一〇番通報した。そして哲夫は自分の携帯電話を取り出して、誠の携帯電話の番号をプッシュした。
三回呼び出し音が鳴った後、
「もしもし」
と誠の声が聞こえてきた。
「誠か、俺だ。高浜さんの家が奴らにやられた!俺が何とか一人確保したし、高浜さんも無事だが、奴らはベランダから逃げたからどこへ向かったかわからないんだ。部屋もかなりめちゃくちゃにされた。至急来てくれないか。そっちが片付いてからでいいから」
「なんだって!そんなにあせってしゃべることないぜ、哲ちゃん」
「念のために一一〇番通報しておいたが、目黒署の人に盗聴器がないか調べるように言ってくれないか」
「任せとけ!こっちの方から手は打っておく。じゃあな」
誠はそう言って電話を切った。が、その時、立て続けに哲夫の携帯電話の着信音が鳴った。
「もしもし」
哲夫が再び呼びかけると、
「哲ちゃんか、俺だ。今俺も用事を済ませて友人の家に向かっている。竜治から写真をもらってきたぜ」
と一郎の声が入ってきた。
「何かわかったことはあったか?」
「誠の方を通して科警研でも調べてもらったが、あれはおそらく液体火薬かナトリウムが使われたと思う。二枚焼いてもらった。そっちの方はどうなってる?」
「大変なことになったよ。非常事態だ」
一郎の問いに、哲夫は少し早口で答えた。
「なんだって!まさか、高浜さんが奴らに!?」
「そのまさかが起きてしまったんだ。高浜さんは無事だったが、家のリビングをめちゃくちゃにされた。俺が何とか追い払ったけどな。あんまり警察が表立って動くとまずいかもしれないが、念の為に一一〇番通報してから、誠にも連絡しておいた」
「高浜さんが無事だったらよかった」でも、奴らは自分たちのことは言わなかったのか?」
「南製薬を告発しようとする奴は、全て死んでもらうと言ってたが…」
「とにかくこのことは、そっちへ行ってからだ」
「ああ、また後でな」
哲夫は一郎にそう言って電話を切った。




