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嫁が君  幼馴染みは白蛇の妖怪  作者: 日向あおい(妹の方)
5/5

5.ついに来た! 早季様が本を閉じる時。

修正

先見さきみ ⇒先詠さきよみ

火刈ひがり⇒炎刈ほがり

刀守かたなもり⇒姿見すがたみ

 


 ふっと瞼を開いた。どうやら意識を失っていたらしい。

 けして寝ていたわけではない。力尽きて、気を失っていたのだ。そう、これは一種の気絶だ。

 光線を感じて見上げると、カーテンのついていない窓から朝日が差し込んできていた。

 友香はやっとの思いで身じろいだ。体の関節が錆びたブリキ人形みたいに軋んで、ひどく痛む。一晩中、クッションの上で膝を抱えて体を縮めていたのだから仕方がない。ゆっくりと体を起こし、友香は辺りを見渡した。

 白いワンピースの女の姿はない。まず、そのことにホッと胸を撫でおろす。

 だが、すぐに部屋の惨状に驚き、ゾッとした。

 窓ガラスはヒビだらけ。ベッドの布団は切り刻まれ、ローテーブルは真ん中で真っ二つに折れていた。そして、ハム太のゲージはぺしゃんこだ。まるで巨人の足に踏み潰されたかのように上からの圧で押し潰されている。

 壁には鋭い刃物で上から下に切り裂いたような跡があちらこちらに走り、天井を見上げると、錐のように尖ったつららがいくつもぶら下がっている。つららの先端からぽたぽたと水が滴り落ちて、床に水溜まりを作っていた。

(壮太さん、この部屋ヤバイよ。家主になんて説明するんだろう? 修繕費とかどんだけ……)

 壮太の姿を探したが、見えなかった。けれど、近くに気配を感じるので壮太も無事だ。

 胸に抱いていた赤い巾着袋をそっと開いて中を覗き込んだ。白い毛並みの火鼠が丸くなって瞳を閉じている。その小さな体はとても温かい。この子がいなかったら、間違いなく凍死していた。

 ありがとうと呟いて、友香は巾着ごと火鼠を抱き締め、再び巾着の口を閉めると、それを腰に下げた。

 友香は白蛇を首に巻き付け、蛇に被せるようにマフラーを首に巻く。

 夢月の手袋と耳当てを拾い上げると身に着け、夢月の服を搔き集め、羽織っていたもこもこの上着と一緒に両腕に抱えた。

 よろけながらも立ち上がり、そこでハッとする。結界として自分の周りに撒いた生米が黒ずんでいるではないか。

 まるで役目を終えたことを主張するかのように黒い。結界のおかげで、友香たちは最後まで女に見付からずに済んだのだ。友香はお米に対してもお礼を言いたい気分だった。

 壮太には悪いが、一刻も早くこの部屋から逃げたい。部屋の惨状も生米もそのままにして、友香は壮太の部屋から出た。

 冬の朝にも関わらず、外が暖かいと息をついてしまうほど壮太の部屋は寒かった。靴の中で足の指が冷たすぎて痛い。霜焼けになっていないと良いが。

 友香はヨロヨロしながら歩き出す。何度か夢月に呼び掛けたがまったく返事がなかった。

 ということは、先詠神社の石段と長い参道を自力で通らなければならないということだ。先詠神社に着くまでに夢月が目覚めることを祈ったが、その祈りは誰にも届かなかったらしい。友香は首に白蛇を巻き付けて石段を上った。

「ただいま戻りました」

 夢月の家の玄関の引き戸を開きながら、家の奥に向かって声を掛けると、程なくして、おかえりと声が返ってきた。早季の声だ。

 居間を覗くと、早季が定位置で本を読んでいる。朝霧の姿はない。昨日から早季の父親に呼ばれて、そちらの方に付き添っているのだと聞いた。

 友香に気付き、早季が本から顔を上げた。

「憑いている」

「……うん」

「寒そうだ。ストーブにあたるといい」

「うん、ありがとう」

 居間の中に入り、ストーブをつけると、友香はその前にしゃがみ込んだ。

 早季は友香に憑いている壮太を見て、事が解決しなかったことを察したようだ。

「夢月はどうした?」

「これ」

 首から白蛇を取って両手に持ち直すと、早季に見えるように掲げた。

「役に立たない」

(そう! そうなの、早季ちゃん!!)

 友香が昨夜から言いたくて、ずっと悶々としていたことを早季様がずばり言ってくれた。

(役に立たない。ほんと、そう。それだよ! 肝心な時に蛇になっちゃって、ほんと役立たず!)

 確かに壮太のを縛るロープとしては使えたけれど、そうじゃない。ロープになって欲しいなんて望んでない。

(しかも、寝ちゃうし! 蛇でもせめて意識があったら、また違ったのに! ほんとに、もうっ!)

 友香は、早季が放った核心をついたひと言に全身の力が抜けていくようだった。そして、目頭が熱くなり、じわじわと涙が溢れてくる。

 昨夜のことを思い出すと、改めて怖かったのだと思う。

 意識のない夢月と操られそうになっている壮太を抱えて、ひとりで耐えたのだ。

 結界だって自分で作った。素人の自分が作った結界がどれほどの強度があるのか、まったく信用できなくて、いつ破られるのか、いつ見つかってしまうのかと、ずっとずっとビクビクとしていた。

 あの髪の長い女が友香の周りを何度も何度もうろつき、友香の方を見ているような、見えているような気がして、正気を失いそうだった。

 女と何回か目が合った気がする。女の目には色がなく、瞳孔の黒がやたらはっきりと見えた。とても人間のものとは思えなかった。

 怖かった。そう、怖かった。一晩中ずっと怖かった。

 友香は手の甲で溢れてくる涙を拭った。だけど、拭っても拭っても涙は泉のように溢れ出てきた。

「よしっ!」

 突然、早季が大きな声を出した。驚いて早季に振り向くと、早季は両手に持った本をぱたんと閉じた。

「読み終わった。短槍使いの主人公が格好良かった! 憧れる! 私もああいう風に戦いたい」

「……は?」

 茫然と見やると、早季は彼女にしては珍しく瞳を輝かせて尚も語る。

「なんと言っても物語の世界観が素晴らしい。人間の目に見える人間の世界と人間の目には見えない精霊の世界が、同じ場所に重なり合うように存在しているという。この二つの世界に同時に存在してしまう稀な子供がいて、その子を護らなければならないという事態に陥って物語が始まる。おもしろい!」

 ……あ、なんか涙が止まったわ。

 しかも、その話、知ってる。その本ね、私も読んだよ。

「この話の世界観は、私たち一族の考え方にも通じるものがある。つまり、生きている者の世界と死者の世界だ。これらは同じ場所に重なり合うように存在していて、普段は交わることがないのだが、何かの拍子に交わってしまい、怪奇現象というものが起こるんだ。さらに友香のような人間は、この重なり合う二つの世界に同時に存在してしまう稀な人間で、本来、死者の世界にいるはずの霊が友香を見付けてしまい、こちらの世界にやって来てしまう。これを『友香のお持ち帰り』という」

「そ、そうなんだ……」

(でもね、早希様。今その解説はいらないかも)

 どうして自分がお持ち帰りしてしまうのかを、二つの重なり合った世界で説明されても、はぁ…へぇ…という感じだ。

 友香の表情を見て、その気持ちを察したのか、早季は本をソファの上に置いて立ち上がった。

 友香の前にやって来て、片膝を着く。

「昨夜の話を聞こう。私は夢月とは違うぞ」

 そう頼もしく言われて、友香がまず話したことは兎にも角にも部屋が寒かったことだ。これ以上のことがあるだろうか。髪の長い女が現れてからは更に室温が下がり、火鼠の助けがなかったら凍死していただろうことも話した。

 早季は友香の話を聞き終えると、大きく頷いて言った。

「その女は、雪女だ」

「雪女? 雪女って、日本昔話によく出てくる雪女?」

「雪女は雪の妖怪だ。室町時代にはその存在が記録されている。新潟や山形、青森など雪国で現れることが多いが、愛媛や和歌山、鳥取などでも現れたという話がある。つまり、雪が降る場所であればどこにでも出没する。東京では青梅市に現れたという伝承がある」

「ええっ⁉ 雪女って、東京にも出てくるの⁉」

「遭遇率で言えば、火鼠より高い。なぜなら、雪女は雪女一族だからだ」

「雪女一族?」

 何それ? 聞いたことがないんだけど?

 怪訝な表情を浮かべれば、早季は蛇になった夢月を両手で掴み上げ、ストーブの熱気に当てながら言った。

「雪女はひとりの女ではない。ひとりの女と考えるには、各地で伝わっている話それぞれで雪女の性格が違い過ぎる。非常に冷酷だったり、情に厚かったり、母性的だったり。正体がバレて溶けて水になった雪女もいる。やはり雪女は複数いると考えることが妥当だ。おそらく始まりは一人の女だったのだろう。人間の男との間に娘をつくり、その娘が雪女となり、さらに人間の男との間に娘をつくり、その娘もまた雪女となった」

「そして、雪女一族になったのね。――ねぇ、さっき雪女は火鼠より遭遇率が高いって言ってたけど、火鼠に会えるのって、レアなの?」

「レアだな。火鼠は数こそ多いが、なにぶん棲んでいる場所が火山の炎の中にあるとかいう木の中だ。こちらから会いに行くのは不可能。彼らもめったに巣から出て来ない」

「それはレアだね」

 そんなにレアだとは知らずに腰から下げて半日以上過ごしてしまった。

 ……というか、火山の炎の中に木があるわけ? その木こそがレアな存在だと思う。

「火鼠はさほど力の強い妖怪ではない。対して、雪女は人間の精気を吸い取り、命を奪うような力のある妖怪だ。火鼠が雪女に立ち向かおうとしていたのかと思うと、胸が熱い。それも壮太とかいう冴えない人間のために」

「ちょっと早季ちゃん、冴えないはひどい。素朴とか、純朴とか、純真とか、他にも言い方が……」

「食事のためか、子孫を残そうとしてのかは分からないが、いずれにしても雪女はああいう壮太のような冴えない男が好みだ。しかも壮太は上京してから友人ができず、土地にも馴染めず、孤独だ。雪女は人間の男の孤独に付け込む」

「おかずのお裾分けアピールされて、コロッとなっちゃったもんね。うん、付け込まれてる」

 早季は白蛇を見下ろして眉を寄せた。そろそろ温まっている頃なのに未だ夢月は冬眠状態だ。まだまだ目覚める気配がない。

「友香は風呂に入ってひと眠りするといい。また行くとしても、夜だ」

「うん、ありがとう」

 早季が珍しく気遣ってくれている。そのことを嬉しく思いながら夢月を受け取ろうと、両手を差し出した。

 だが、早季は白蛇を両手で握ったまま動かなかった。

「夢月は当分目覚めない。友香はゆっくり休め」

「……う、うん」

 貸して……いや、返して?

 どんな言葉を使っても違和感しかない。だけど、このまま夢月を早季の手の中に残すのはもっと違和感がある。

 幼少期からずっと白蛇になってしまった夢月の世話を焼いてきたのは、友香だからだ。

 自分の手に夢月がいなくて、他の人の手の中にいることが、何やら胸をモヤつかせる。

「ええっと……」

「ん? どうした?」

 早季が小首を傾げる。

「ええっと……」

 だけど、早季は夢月の従妹で、許嫁で、友香よりも夢月や妖怪のことに詳しい。早季に任せてしまう方が正解である気がしてきた。

(だけど……)

 このモヤモヤを言い表す言葉を友香はまだ知らない。結局、友香は夢月を早季に任せて居間を去った。




 ▽▲  ▽▲




 再び夕暮れがやって来た。

 夢月が目覚めたのは、ほんの少し前のことだった。目覚めた瞬間に人型に戻り、飛び跳ねるように起き上がると、友香の名前を呼んだ。

「友香、ごめんっ!」

 そのひと言で、友香のこんがらがった気持ちがほぐれた気がした。

「本当にごめん! 無事? 怪我してない? 大丈夫だった?」

「夢月、ひどいよ」

「ごめん、ごめん。本当に寒くてさ」

 友香は腰に下げた赤い巾着袋を手に取って言った。

「これ、夢月が持っていたら?」

「それはダメ。食べたくなるから」

「……そっか」

 それなら仕方がない。

 ハム太もきっと夢月の腰に下げられたら生きた心地がしないだろう。

 すっかり出かける支度を済ませた早季が眉間にしわを寄せて夢月を見やる。

「早く服を着ろ。出かける」

「え、早季ちゃんも一緒に来てくれるの?」

「行く」

「へぇ、それは助かる。私とは相性が良くない相手みたいだからさ」

「ただ寒いだけだろう」

「そうとも言う」

 夢月の支度を待って三人で玄関に向かう。

 華月と美月の二人は昨日から本家に行ったままだ。おそらく年が明けてもしばらくは帰って来られないだろう。その代わり、年越しの前までには夢月たち三兄妹の父親が帰ってくる予定だという。

「今日は大晦日か」

「雪女退治で年越しだね」

「いや、年を越さずに退治する」

 頼もしく言い切った早季は土間で靴を履き終えると、二人に手を差し伸べた。右手を夢月が、左手を友香が握ると、早季は瞼を閉ざした。

 そして、それは一瞬だった。友香は驚いて辺りを見渡した。

「えっ、どうして? だって、早季ちゃん、ここに来たことないじゃない。一度も来たことがない場所には行けないって」

 目の前に壮太のアパートがある。早季が二人を連れて瞬間移動したのだ。

「私は華月とは違う。異なる制約を課せられている。だから、できる」

「早季ちゃんは、なんていうか、次元が違うんだよ。本家の力っていうの? 従えている式神のレベルが違うからね」

 早季は壮太の部屋の玄関に視線を向けると、どんどんと歩き進み、壮太の部屋に入って行く。友香と夢月も慌てて後を追い壮太の部屋に入ると、そこは変わらず冷凍庫のような寒さだった。

 夢月は部屋の惨状を見て、口をあんぐりと開けた。これほどまでひどいとは予想していなかったのだろう。

「友香、本当にごめんね?」

「……うん」

 三人で部屋の中央――生米が散らかっている辺りに立ち、玄関の方を見つめる。

 あっ、もちろん部屋には靴のまま上がらせて貰った。壮太には後日、謝罪をしよう。他にもいろいろいっぱい。

「さあ、早く来い」

「早季ちゃん、やる気まんまんだね」

「今日の私は短槍使いだ」

「うん、ちょっと意味が分からないかな」

 待ち構えること数十分。もうとっくに日が暮れているはずだ。壮太の部屋もいよいよ凍り付く寒さだ。

 そして、待ち人は現れた。


 びーん、ぽーん。


 昨夜の再現のような玄関の呼び鈴に三人は視線を交わらせた。

 すかさず、早季が玄関の方に歩いていく。止める間もない。早季は躊躇いなく玄関の扉を開いた。


 ゴオオオオオオ。


 凄まじい冷気が吹き込んでくる。その風圧に押されるように早季が後退りして、友香たちのもとに戻ってくる。

『壮太さん……』

 女の声だ。細く高い、媚びるような声。

『やっと開けてくれたのね、壮太さん』

 長い黒髪を左右に揺らしながら、白いワンピースの女が玄関の中に、ゆっくり、ゆっくり入ってくる。

 そして、女は歩みを止めて、体ごとこちらを向く。前髪が長くて顔が見えないが、女が友香たちに視線を向けたことは分かった。

『…壮太さん……じゃない…』

 腹の底に響くような低い声だった。明らかな怒気を感じる。

『お前たちは誰だ!』

 女は声を荒げた。と同時に女を中心に吹雪が縦横無尽に吹き荒れる。

 重たい雪は高速球のように友香の体にぶつかって来た。痛い。冷たい。痛い。夢月が庇うように覆い被さってくれたが、いや、待て。夢月の方が心配だから!

 友香は腰から赤い巾着袋を取ると、それを両手に包み込んで、両手ごと夢月の胸に押し当てた。

(ハム太、お願い。力を貸して!)

 祈るように心の中で願うと、巾着袋が温かい光を放ち始めた。これで夢月は大丈夫。たぶん!

 早季が横目で友香たちを見ながら言った。

「そうか、部屋が寒すぎるのか。ならば、暖めればいい」

 そうだよ! 寒すぎるよ! ずっと言ってるじゃんか! 何を今さら的なことを言ったかと思えば、早季は何もない空間に向かって叫んだ。

火刈ほがり!」

 友香の家からは遠いが、早季の親族が管理する神社に炎刈神社というものがある。ということは――。

 早季の言葉に応えるように、吹雪く雪の動きに変化が生まれ、ぽっかりと雪のない空間ができたかと思うと、そこに少年の姿が現れた。

 その格好は、平安時代の若様みたいな格好だ。牛若丸っぽい。

 先詠と同じ水干という格好なのだけど、おそらく先詠よりも布地の質が良さそうだ。気崩したりせず、きちんと着ているところも若様っぽく見える要因だ。

 こんな格好で、しかも何もない空間から突然現れるということは、もちろん人間ではない。そして、神社の名前を呼び名としている。ということは間違いなく、少年は妖狼だ。

『姫、お呼びで』

「炎刈、この部屋を暖めろ。思いっきり」

『承知』

 短く答えた少年は両手にそれぞれ炎を出現させると、それらを振り回すように体を回転させる。

 炎は炎刈の動きに合わせて弧を描いて大きく長く伸び上がって、次々に霜を溶かし、雪を溶かし、部屋を暖めていく。それに従って部屋全体が炎の赤で染まっていくようだった。

 夢月が首からマフラーを外し、もこもこの上着を脱ぐほどに部屋が暖まった頃、雪女がたじろぎながら荒々しい声を張り上げた。

『私の邪魔をするなぁーっ‼』

 左右に扇のように広がった女の髪が一瞬にして銀色に変わった。色のない虹彩と黒々とした瞳孔。肌の白さはとても血の通っている生き物のようには見えなかった。

 再びの吹雪。直線を描いて早季に向かっていく。

 だが、それが早季に届くことはなかった。間に立ち塞がった炎刈が炎で壁を作って完全に防いだのだ。

「相手が悪かったな。――姿見すがたみ!」

 雪女から目を離さず早季はもう一匹の妖狼を呼ぶ。すぅっと早季の影から現れたのは、小袿姿の少女だった。妖狼なので正確な年齢は分からないが、見た目だけなら友香たちと同じくらいの歳に見える。

 小袿姿というのは、平安時代のお姫様の日常用または準正装の格好だ。白小袖に濃色の袴を穿き、ひとえを着て、うちぎと呼ばれる衣を五枚ほど重ねて着た上に、袿よりも丈の短い小袿こうちきを着た格好がそれだ。

『ここに』

 落ち着いた声音で答えた姿見は、早季が片手を差し出すと、すぅっと瞼を閉ざした。

 と次の瞬間、彼女の姿が白い光の塊になった。そして、それはまるで粘土を両手で捏ねて伸ばすように細く細く長く長く形を変え、形が定まると、差し出された早季の手の中へ飛び込んだ。

 早季がそれを握り閉めると、ふっと白い光は消え、早季の手の中に一振りの刀が現れる。

「……短槍ではない」

(そうだね、それは日本刀だね)

 ぽつんと残念そうに呟いた早季様だった。

 一方その頃には炎刈の炎は水浸しになったフローリングの床や天井、壁の水分を蒸発させて乾燥させている。素晴らしい! 壮太が喜ぶこと間違いなし。

 部屋の空気が乾燥してくるにつれて、雪女の姿が心なしか小さく縮んでいるように見える。

『壮太さん……』

 その声は怒気を抑え、憐れみを誘うような響きがある。友香の背後で気配が揺れ動いた。

『壮太さん、私たち好き合っているのよ。ずっと一緒にいようと言ってくれたでしょ?』 

「壮太、耳を貸すな」

『壮太さん、こっちに来て。私のところに。私と一緒に幸せになりましょう』

 友香が振り向くと、壮太が虚ろな目をして佇んでいた。壮太の体が前へと傾く。一歩。また一歩。前へと踏み出していく。

「壮太さん!」

 友香は壮太の腕を掴んで引き留めようとした。だけど、壮太は霊体だ。友香の手を擦り抜けてしまう。

 だったら、もう声を掛けるしかない。友香は雪女を指差しながら壮太に向かって声を上げた。

「壮太さん、よく考えて。顔も名前も忘れちゃうような彼女さんだよ! 本当に好きだったの? ほら、よく見て!」

 見たら分かる。彼女さんは人間じゃない。銀髪で、目に色がなくて、恐ろしく色白の妖怪だ。

「百歩譲って、美人かもしれないけれど、あの目、めちゃくちゃ怖いよ! あの白い肌見てよ、絶対生きた人間じゃない。怖いよ!」

 こんだけ言っているのに、壮太はまた一歩前に進んでいく。ぼんやりとした表情でまた一歩。

 明らかに操られているのだ。

「壮太さん!」

 その時だ。友香の両手から小さなものが飛び出した。それは白い毛並みを輝かせて、壮太の顔面に体当たりした。

『ぶっ』

 壮太はその小さなものを顔から引き離し、眉を顰め、それを確かめようと自分の手の中を見やる。

『ハム太!』

 そう。それは意識を取り戻した火鼠だった。

『ハム太、本当に生きていたんだな! 死んじゃったのかと思って寂しかったんだぞ。良かった。本当に良かった!』

 壮太は正気を取り戻し、ハム太を胸に抱き締めると、ハッとして玄関の方に視線を向ける。そして、げっと小さく声を漏らして、腰を抜かして後ろに尻もちをついた。

『なっ、なんだ、あれ⁉』

「なにって、壮太の彼女じゃん」

『えっ。う、うそだ……』

 嘘じゃないです。残念なことに。

 雪女は壮太の様子を見て、己の失敗を察したようだ。悔しさを隠し切れずに表情を醜く歪めている。

 早季は頃合いだと見たようだ。刀の先を雪女に向ける。

「この世は弱肉強食。喰った、喰われたは、世の常だが、ここ――九堂家のお膝元で狩りをしようとは許しがたい。到底見過ごすことはできぬ。九堂家次期当主として、お前を成敗する」

 時代劇か? 短槍使いに拘るのはもうやめたらしい。

 早季は時代劇の見せ場ばりの口調で雪女に向かって言い放つと、刀を構え直す。

 雪女の方も逃げ切れる相手ではないと見て覚悟を決めたようだった。再び冷気が白いもやとなって流れ迫ってくる。

「炎刈」

『承知』

 炎刈が早季よりも一歩前に出ると、ドライアイスのガスが彼の前で割れるように雪女の冷気を寄せ付けない。

 雪女が両腕を振り上げて吹雪を起こしても同様である。炎刈の炎の前ではまるで意味を為さない。

 雪女は焦り、闇雲に氷の刃を叩き付けて来るが、それらも炎刈の前で溶けて水となった。

 早季が右足を一歩前に踏み出す。上体を屈め、両足に力を込める。そして、後ろに構えた刀を、左足を前に踏み込むと同時に力いっぱい振り切った。

「成敗っ!」


 ぎゃああああああああああああああああ。


 冷たい冷たい暴風が荒れ狂う中、雪女の断末魔が響き渡る。

 早季の刀は彼女を両断すると共に彼女を跡形もなく消し去った。

 さすが早季様である。雪女を一撃で倒すとは、格好良すぎる。てか、強い。強すぎる!

 残された断末魔が長く長く後を引き、ようやく聞こえなくなると、辺りはしーんと静まり返った。それは耳が痛いほどの静寂だった。

 玄関の床を見やれば、水たまりができている。すかさず、炎刈が片手を振り上げ炎を飛ばすと、その水たまりさえ跡形もなく消え去った。

「友香、痛いところはない?」

 静寂の中、最初に声を出したのは夢月だった。友香は緩く頭を左右に振る。

「早季ちゃんは?」

「ない」

「壮太は無事? 壮太?」

『……めちゃくちゃ怖かった。何あれ?』

「だから壮太の彼女だよ。壮太の彼女、雪女だったんだ」

『雪女……。俺……」

「火鼠が壮太を逃がさなければ、壮太は雪女に精気を吸われて凍死していたはずだ」

「もしくは、雪女に子供を与えていたかも」

 後者の方がマシかもと思っていると、早季が夢月の言葉に付け加えて言った。

「子供さえ身籠れば、出産のために精気を吸って殺す場合もある」

「どのみち殺されるパターンだね。恐ろしい、恐ろしい」

 夢月がカラカラ笑った。

 まったく笑えないのは壮太だ。顔を青ざめる。まさに霊っぽい表情で心配になる。

「壮太さん、早く体に戻った方がいいんじゃない? 事故から二日が経っているよ」

 夜が明ければ、三日目の朝だ。意識不明の状態が長く続くのは、医学的にもよろしくないと素人にも分かる。

「そうだね。壮太、もう心置きなく体に戻れるだろ。戻った方がいい」

 壮太が入院している病院は華月が調べてくれて、教えて貰っている。ここいらでは大きな病院で、壮太も知っている病院だった。

『だけど、ひとつ分からないことが。俺に逃げてと言った声は女の声だったんだ。俺はてっきり彼女の声かと……』

「壮太、教えてやろう。お前のハム太は、メスだ」

『ええっ!!!』

 はい、今年最後のびっくり頂きました。うん、なんとなくそうじゃないかと思っていた友香さんは驚かないぞ。夢月も驚いた様子はない。

「壮太、目が覚めたらまずハム太の名前を考え直してやって。うちのねえちゃんもめちゃくちゃ気にしてたからさ。それと、エアコン買え」

 夢月がそう言い放った時、ハム太が壮太の両手から抜け出して、友香に向かって大ジャンプをする。

 すかさず友香は両手でハム太を受け止めると、ハム太が言葉を発した。

『大変ご迷惑をお掛けしました』

『は、ハム、ハム太がしゃべった!!!』

 あ、こっちが今年最後のびっくりか。

 驚愕する壮太をよそにハム太は続けた。

『友香様、壮太様をお守りくださり、ありがとうございます。夢月様、ご兄姉の方々にも御礼をお伝えください。そして、九狼くろうの姫君、御手を煩わせてしまい申し訳ございません』

 火鼠は小さい体を折り曲げるようにして精一杯のお辞儀をした。そして、再び友香を見上げて言った。

『友香様の魂は壮太様のように光輝いていていますが、壮太様よりもその輝きはお強い。そのような魂を持って人間の世界で暮らすのは困難が多いことでしょう。わたしの力は微力ですが、友香様のためにお力をお貸し致します』

「すごいじゃん、友香」

「え、でも、良いのかなぁ」

『是非このご恩をお返しさせてください。もちろんわたしの主はあくまで壮太様ですので、主である壮太様に不利益をもたらさない範囲で、友香様かわたしのどちらかの命が尽きる時まで、友香様にお力をお貸し致します。これは誓約でございます』

「誓約……?」

「つまり、友香の式神になるってことだよ。友香、すっご! 式神使いにジョブチェンジしたよ!」

 ジョブチェンジって……そんな…。 え、ちょっとどういういこと? ますます常人から遠ざかった感じ? 噓でしょ。

「日付が変わってしまう」

 ぽつりと早季が言った。わたわたしている友香なんか知ったものかというぶった切りの呟きだ。

「病院まで炎刈に案内させよう。――炎刈、壮太の魂を体に導いてやれ」

『承知』

 短く答えた炎刈が大きく腕を振ると、壮太の体が丸い球に変わる。

 淡い輝きを放つそれを炎刈が両手で抱えると、友香の手の中にいた火鼠も壮太を追いかけて炎刈の手の中に飛び込んだ。

 炎刈は早季に一礼すると、壮太の魂と火鼠を抱えて、すうっと姿を消した。

「一件落着。ぎりぎり大晦日だね」

 夢月が言いながら壮太の部屋から外に出ると、ばぁーんっと大きな音が頭上で鳴り響く。

 友香も早季も外に出て見上げると、黒々とした夜空に大輪の花が咲いていた。

「年越しだ」

 この地では大晦日から元旦に日付を跨ぐ時に、まず朝霧神社から一発の花火が上がる。そして、それに応えるように残り八つの神社からも一斉に一発ずつ花火が上がるのである。

 八つの花が同時に空に咲くと、辺りは一瞬、昼間のように明るくなる。

「あけましておめでとう、夢月」

「おめでとう、友香」

「早季ちゃんも、おめでとう」

「ああ」

 そういえば、と早季が言った。

「正月の三が日の間、鼠のことを『よめきみ』と呼ぶらしい」

「え、なんで?」

「知らん」

「ぶっ」

 きっぱり答えた早季に吹き出す夢月。

 読書家で雑学知識いっぱいな早季様が知らないと言うってことは、きっとその由来には所説いろいろあってはっきりしていないんだなぁ、と友香は察した。

「ともあれ、あの火鼠に相応しい響きの呼び名ではないか。この先、あの火鼠が壮太のために人型になりたいと望んだら協力してやることだ」

 早季は夢月に向かってニヤリと笑みを浮かべた。それを見て夢月も笑みを浮かべる。

「良いとも。近い将来そうなりそうな気がするね」








[おわり]



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