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嫁が君  幼馴染みは白蛇の妖怪  作者: 日向あおい(妹の方)
1/5

1.美味しそう、美味しそう、と頻繁に言われます。

姉によるリメイク版(https://ncode.syosetu.com/s0333a/)に倣い、名前を修正しました。

先見さきみ先詠さきよみ


 

 ゴトン。


 振り向けば、一瞬前まで隣を歩いていた友人の姿がない。ああ、またか、またなのか、と路上に散乱した制服の上着とスカート、シャツ、コート、革靴、学生鞄を見下ろした。

「ごめん!」

 いやいや、ごめんって。そんなの口先だけで、本当は悪いだなんて微塵も思っていないでしょ。あーあ。またやっちゃった、テヘペロくらいにしか思っていないはずだ。

「誰かに見られなかったかな」

 周囲を気にするような声が足元で響く。それがもう、いかにもわざとらしく響く。

「まあ、見られたら見られたで仕方がない、っていうか、どうにでもなるから良いんだけど」

 ――ほらね、やっぱりそう。

 声が聞こえた辺りにしゃがみ込み、路上のシャツを指先でつまみ上げると、その襟元からぬるりと一匹の蛇が顔を覗かせた。

 白い蛇だ。胴は人の腕ほどあり、体長は大人の身の丈ほどある。

 この蛇の姿を見る度に思う。夢だったら良かったのに――。

 蛇の腹は新雪のように、ただただ白いが、同じく白い背にはまるで金糸で施した繊細な刺繍のような鱗が隙間なく生えていて、蛇が肢体をうねらせる度に水面の煌めきのようにキラキラと輝いている。

 これを夢で見たのなら……。

(夢で見たら確実に金運が上がる! 間違いない‼)

 白蛇が夢に出てきたら金運がアップするというのは、夢占いではかなり固い。そして、おそらく、今、目の前にいる白蛇のようにキラキラと美しい白蛇であるのなら、金運アップどころか、金運爆上がりするのではないだろうか。うん、絶対そう。爆上がりの億万長者まっしぐらだ。

 しかも夢であるのなら、蛇に触れる必要がない! ただ、夢に見ていればいいのだ。

 ところが、これは現実で、残念なことに友香ともかは、この蛇を持ち帰らなければならなかった。

 白蛇の黄金色の丸い瞳に見つめられながら散らかった衣服を掻き集め、片腕に抱え込むと腰を上げる。

「だって、寒いし!」

「冬だからね」

 他の言葉も、主に文句が喉元まで出かかっていたが、それをぐっと呑み込んで素っ気なく答えてやった。そして、鞄と靴を拾い上げ、忘れ物はないかと見回しながら最後に白蛇を鷲掴みにした。

 ああ、お父さん、お母さん。あなたたちの娘は真顔で蛇を鷲掴みにする娘に成長しましたよ。

 あり得ない。普通に暮らして、普通に成長していたら、十四歳の少女が蛇を鷲掴みにできると思う?

 感触は弾力のあるビニールホース。そう、これはかなり太めのビニールホースなのだと思い込もうとしていた日々は、もはや遥か昔。初めてこの蛇と出会った頃のことである。

 きゃあ、蛇! こわーい‼ などど言っていられたのは初回のみ。その初回すら、やるしかない状況に追い込まれた。つまり、この蛇を鷲掴みにするしかないという状況だ。

 そんでもんって、ついでにマフラーにもしちゃうぞ。――って、心も強く逞しく成長しているのである。

「前はポケットに入るくらいの大きさだったのに」

「すくすく育って、すみませーん」

 首に巻き付いた白蛇がからからと笑う。実際、ポケットに入る大きさだったのは幼稚園に通っていた頃までの話だ。小学校高学年になった頃にはランドセルにも入らなくなり、ずっと手に握りしめているか、腕もしくは首に巻き付けるしかなくなっている。

「商店街に入る前で良かったね。たぶん誰にも見られていないと思う」

 まあ見られたところで……と思いつつ、友香も周囲を気にするようなことを口にして、中学校へと戻る道を振り返り、さらに住宅街を見渡すと、白蛇は頷くように丸い目を瞬かせた。

 住宅街を駅に向かって進むと、こじんまりとした店が並ぶ昔ながらの商店街がある。つい四日前までの商店街は赤と緑の電飾でキラキラ輝いていたのだが、去って行く年に急かされるようにそれら電飾は撤去され、代わって、やってくる年を迎える準備が着実に進んでいる。まるで四日前とは別の場所のようだ。

 そんなことを思いながら商店会の始まりの店――写真屋さんの前を通り、豆腐屋、洋品店、そして、パン屋を過ぎると、オレンジ色の屋根の駅舎が見えてくる。そのすぐ横に踏切があり、駅前の小さなバスロータリーを回り込んで踏切を渡ると、つい数年前にできたコンビニ、その向かい側に交番があり、再び住宅街が始まり、その中に自宅があるのだが、パン屋を過ぎたところで不意に白蛇が頭を起こし前方を睨んだ。

「この道はダメだ。引き返そう」

「引き返す? 踏切を渡ったら、あと少しで家なのに?」

「またお持ち帰りしたいの?」

 うっ、と言葉を詰まらせて歩みを止めると、白蛇がしたり顔になったような気がした。――実際のところ、蛇なので表情は分からない。

「公園まで戻って消防署の方に曲がろう。そんで、トンネルをくぐる」

「ずいぶん遠回りじゃない。それに、あのトンネル、暗くて怖い」

「お持ち帰りよりマシじゃん」

 でも、と口ごもった。トンネルも嫌だが、とにかく早く家に帰りたいのだ。友人が蛇になってしまうほど寒い。自分だって同じくらいに寒い。なれるもんなら、イモリにだって、ヤモリにだってなれちゃうくらいに寒いのだ!。

 日暮れも早く、東の空から広がった藍色はすでに西の空をも染めつくしている。商店街には街灯がつき、商店街を行く人々は皆、足早に帰路を目指していた。

 第一、蛇を首に巻き付けながら長時間うろうろしたくない。――うん、これだ。これが一番の理由だ。蛇から一刻も早く解放されたい。

「ねえ、目を合わせなければ大丈夫じゃない?」

「さあね」

 駅舎を横目にバスロータリーを回り込んで踏切へと歩き進む。

 この踏切に電車が通るのは、朝の通勤通学ラッシュ時であっても十二分に一本だ。駅周辺以外は単線で、四両編成で走っている。利用客もさほど多くなく、常に座って利用できる電車だ。

 そんな電車なので、踏切の方も閉まっている時間よりも開いている時間の方が断然長く、閉まったと思ってもすぐに開き、踏切自体も短く、すぐに渡り終えてしまう。

 だからこそだ。すぐ渡り終えてしまえるのだから大丈夫なのではないかという思いがある。

 さっと渡って、ささっと家に帰ろう。うん、そうしよう。

「どこにいるの?」

 目を合わせてはならないモノの場所さえ教えて貰えれば、それを見ずに済むかもしれない。きっと見なきゃ大丈夫なのだ。

 踏切に入る直前から視線を伏せる。

 そして、そのまま足元だけを見て進もうとした、その時、踏切の脇に転がったスニーカーが友香の視界に飛び込んできた。

 踵を踏み潰したボロボロの黒いスニーカーだ。しまった、と思った時にはすでに遅い! 今朝通った時にはこんなところにスニーカーなんて転がってなかった!


 ゾッ。


 全身の肌が粟立つ。冬の寒さとは異なる冷気を背筋に感じて、再び足が止まった。いや、止まらざる得なかった。

「やばい。やばい。やばい」

「うん、面倒なことになった」

 白蛇の呆れ声が響き、早くも後悔した。

「やっぱり引き返そう」

「ダメだ。もう遅い。こうなったら突き進むしかない。絶対に後ろを振り返るな。あと横も見るな。顔を上げるな。足元だけを見ていろ」

 蛇の言葉に頷いて、一歩また一歩と歩み出した。 三歩、四歩、歩き進めれば、あとは速足で踏切を突っ切る。早く。早く、早く。可能な限り足を大きく踏み出し、可能な限り足を速く動かした。

 あと少し。もう少しで踏切を渡り終えるというところで、両足が浮き立つような、力が抜けていくような感覚に襲われた。


 ――何かいる。


 気配はすぐ隣。擦れ違うような距離だ。

 足元だけを見て突き進んでいるはずなのに、その姿が目の前にパッと浮かび上がった。男だ。

 目で見ているわけではない。脳裏に映像が浮かび上がってきたのだ。若い男がこちらを見ている。

 男は、だぼだぼした黒いズボンに、ファーのついた黒いダウンを着ている。そして、黒いスニーカーをまるでサンダルを履くかのように踵を潰して履いていた。

 ただし、右足だけ。左足は裸足だ。

 ――だよね! だって、あっちに落ちてたもんね!

 男と擦れ違い、踏切を渡り終えるが、速足は止めなかった。その男が後ろから追ってきているからだ。

 振り返っていない。見ていない。すごくすごく振り返りたかったし、目で見てみたかったけれど、直感が告げていた。振り返ってはいけない!

「振り返るなよ」

 白蛇がきつく言う。

「分かってる! でも、もうすぐうちに着くよ」

「友香んちに連れて行くわけにいかない。うちに向かって」

夢月むつきんちに?」

 と聞き返しながら、早く帰りたいと願っていた自宅が宇宙の果てまで遠のいていくイメージが脳裏に浮かぶ。

 だけど、夢月の提案に否はない。なぜなら夢月の家は、神社境内にあるからだ。

 平安の昔から、この地域には九つの神社がある。

 その九つの神社すべてを同族が千年に渡って代々管理しており、夢月はまさにその一族の末裔なのである。

 交番の前を速足で過ぎ、住宅街に入る。自分の家の玄関を恨めしげに見やりながらその前を通り過ぎて、しばらく行くと、住宅街のど真ん中に石造りの大きな鳥居が突如として現れた。夢月の父親が管理している神社――先詠さきよみ神社だ。

 鳥居の先に石段がある。初めに五段。気持ちばかりの踊り場があって十段。さらに十五段。これらを上がり切ると、長い長い参道がある。

 参道の周辺から神社の敷地を囲うように木々が生え、それはまるで結界のように見えた。実際、夢月の話によると、神社には結界が張り巡らされているらしい。

 そうと聞いているから、本当にそう感じるのか、一の鳥居をくぐると、外と内では空気がガラリと変わる。おそらく後ろをつけてくる男は、鳥居をくぐることができないはずだ。

 鳥居さえくぐり抜ければ、男は追って来られない。分かっていても、後を付けられる恐怖から脱け出せないまま石段を駆け上がった。

 呼吸を乱しながら石段を上がり切り、参道を駆ける。手水舎を過ぎると、二の鳥居がある。

 この朱色の鳥居もなかなか大きくて立派な鳥居なのだが、よその土地からこの神社を訪れた人は皆、鳥居の先に佇む左右の狛犬を見て驚く。それが明らかに狛犬ではないからだ。

 狛犬ならば、通常、唐獅子に似た獣の姿をしている。唐獅子はインドライオンをモチーフにしていて、つまり、狛犬は『イヌ』と言いつつ、ネコ科の獣の特徴であるふっくらとした丸みのある体つきをしていることが多いのだ。

 ところが、この神社の狛犬は痩せている。ガリガリと言っても良いほどにほっそりとした体つきで、四肢が長く、鼻面も長い。これはネコ科の獣ではなく、イヌ科の獣の特徴である。というか、はっきり言って、犬にしか見えない。

 そう夢月に言えば、夢月は『犬』ではなく『山犬』、つまり、オオカミなのだと言っていた。

 実は、狛犬がオオカミを模して造られている神社は先詠神社以外にも日本各地にいくつかあって、たとえば関東では、東京都青梅市にある武蔵御嶽神社が有名だ。

 武蔵御嶽神社も先詠神社も大口真神というオオカミの神様を祀っている。だから、狛犬がオオカミなのかと納得のいくところではあるのだか、ここでよその人が訝しむ点がある。この土地にある九つの神社すべてが大口真神を祀っている点だ。どんだけオオカミ信仰の厚い土地なのだと驚く。

 かつてオオカミは畑を荒らす害獣を狩り、畑を守ってくれる聖獣として崇められていた。これがオオカミ信仰であり、やがて神格化され、盗難避けや魔除けの信仰の対象として大口真神が祀られるようになった。

 つまり、この土地は、盗難避け・魔除けの神社が九つも密集してある土地なのである。たしかに不自然と言えば、不自然だし、異常と言えば、異常なのだと思う。よその人が首を傾げる気持ちが分かる。

 二の鳥居をくぐり、石畳の参道をさらにまっすぐ行くと、楼門がある。

 楼門を抜け、外玉垣に囲まれた内側に入ると正面に歴史の重みを感じる立派な拝殿がある。拝殿の左手には雅らかな神楽殿と二階建ての大きな参集殿があるが、そちらには向かわず、拝殿の前を突っ切るように右手の方に進むと、授与所と社務所がある。それらはひとつの屋根で繋がっており、こちらも大きな建物となっている。とくに社務所は冷暖房完備で、給湯室ではガスコンロで湯も沸かせ、電子レンジも冷蔵庫もあり、お手洗いもあるから、ここで暮らそうと思えば暮らせてしまう。ただし、風呂だけはない。

 そんな社務所と渡り廊下で繋がっている建物がある。建物というか、それは純日本家屋で、かなりでかい。先詠神社の敷地の半分を占めているのではないだろうか。いや、それは言い過ぎだが、四分の二くらいはありそうだ。

 今どき、これほど立派な日本家屋など田舎の、それも過疎化が進んでいて地価の安い農村部あたりでしか見られないだろう。大農家で、地主で、うちは本家だと威張り散らしているような家族がこんな家に住んでいるに違いない。――という勝手なイメージである。

 渡り廊下や縁側、どこからでも中に入ることはできたが、建物に沿って砂利道を歩き、きちんと玄関からお邪魔することにした。

 ガラガラと音を立てながら引き戸を開ける。この引き戸の鍵は掛かっていたためしがない。無用心この上ないが、どこからでも入れる家なのに玄関だけ鍵をかける意味はないだろう。

「お邪魔します」

 土間から奥に向かって声をかけ、靴を脱いで上がると、首もとで白蛇が、ただいま、と呟くように言った。そう、ここが夢月の自宅なのである。

 幼い頃から出入りしているため、この家のことは自分の家のように把握している。居間に向かうと、誰の姿もなく、部屋が冷えきっていたので、エアコンと電気ストーブの電源を入れた。

 そして、ストーブの真ん前に白蛇を置く。ようやく首や肩が蛇の重みから解放されて、憑き物が落ちたかのように体が軽くなった。

 白蛇の傍らに座り込んで、しばらく様子を眺めていると、充分に暖を取れたのだろう、白蛇はその輪郭を歪ませ始めた。白蛇になるのも一瞬だが、白蛇から戻るのも一瞬だ。歪んだ輪郭は大きく膨らみ、やがて人の姿になった。

 自分と同じ十四歳の少女だ。いや、少女のはずなのだが、丸みも無駄な肉もない肢体は、少女というより少年っぽく、胸にはまったく膨らみがない。

 では、少年なのかと言うと、少年にしては線が細い。十四歳の少年ならば、個人差はあるにしても筋肉が付き始め、体は硬く、がっちりと大きくなっていくところである。顔立ちも少年にしては優しく、色素の薄い髪が緩く波打って細い首を隠す程度に伸ばされている。

 中性。――そう、まさに中性。少年でもあり、少女でもある。もしくは、少年でも少女でもない無性という言葉が夢月には当てはまっていた。

 そして、瞳は黄金色。白蛇の時と同じ色の瞳で、黄水晶シトリンのように澄んでいる。

 と、その時。階段を降りてくる音が廊下から響き、間もなく女性が声と共に姿を現した。

「友香ちゃん来てるでしょ! またお持ち帰りしてきたの? ――あれ? なんで制服? もう通知表を貰って帰ってきたじゃない? あらあら、うちのムッちゃんは真っ裸だわ。なんで?」

「部活」

「部活?」

 夢月が短く答えると、彼女は小首をかしげる。その弾みでふわりと広がった色素の薄い髪が左右に揺れてから再びふわりと背中を覆い隠す。夢月と同じ黄水晶の瞳がキラリと輝く。陶器のような色の白い肌に、しなやかな肢体は、全体的には細いが女性的な丸みを帯び、膨らむべき部分ははっきりと大きく膨らんでいる。

 夢月と似た整った容貌をしているが、こちらははっきりと女性――それもかなりの美女と分かる。夢月の姉、美月みづきである。

「部活ってね、今日、何日よ? 29日でしょ? そんなギリギリまで部活があるはずがないじゃないの」

「部活だもん」

「何部よ? どんなスパルタ運動部?」

「美術部」

「美術部……。顧問の先生、可哀そう。さてはムッちゃんが無理を言って、やらせたんでしょ? こんな年末ギリギリまで学校に来させるなんて、先生が可愛そうよ」

「だって、友香が部活やりたいって言うから」

「えっ、私?」

 矛先を向けられて、ぎょっとして夢月を見やる。

 だが、美月は友香が何か言う前に夢月を窘めてくれた。

「違うでしょ。ムッちゃんが部活を理由に友香ちゃんと一緒にいたかっただけでしょ」

 そうだったのかと思い返してみる。たしかに、こんな年末まで部活をやるなんておかしいと思った。夢月が顧問に強く言ったに違いない。

「ねー、ねー」

 廊下から声が響き、ゆっくりした足音が近づいてきた。

「もしかして友香ちゃん来てる? お持ち帰りしてきたんじゃないの?」

 歩み同様ゆっくりとした口調だ。ひょっこりと居間に顔を出したのは、夢月とそっくりな顔をした青年だ。青年――と、一目ではっきりと分かる時点で夢月とは異なるが、性別がはっきりしていること以外は、夢月そっくりである。色素の薄い髪は柔らかそうで、目鼻立ちはくっきりとしている。すらりと背が高く、無駄な肉はない。そして、黄水晶の瞳だ。

「なんでうちのムッちゃん、真っ裸なの?」

 彼は夢月の兄、華月かづきなのだが、なぜこの兄姉は夢月が裸であることがそんなにも気になるのか。

 なぜって? 夢月が蛇になったからだよ、と言ってやりたかったが、それよりもこの兄姉が言っていた言葉が気になる。

「あのう。お持ち帰りした人、まだいますか?」

「うん、いるね」

 すぱっと簡潔に華月が即答してくれた。

 ああ、いるのか。やっぱりっていうか、やっぱり過ぎて、がっかり。

「でも、神社には入って来られませんよね?」

「そうだね。入って来られないから、階段の下で立っているね。友香ちゃんが出てくるのを待っているっぽいね」

「今日は泊まっていったら?」

 美月の提案に藁にも縋る思いで頷き、

「あ、でも……」

 即座に顔を曇らせると、勘の良いお姉様はけらけらと笑った。

「大丈夫。今日はお母さんいないから。お父さんと出掛けているの。ちなみに、おじいちゃんとおばあちゃんもいないわ。年末って、年末にしか出てこない妖怪がいて、いろいろ忙しいのよ。年越しの準備もあることだし。ほんと忙しい」

 忙しいを強調されると、言葉通りに泊まって良いものか悩む。そんな思いまで表情に出てしまったらしく、美月は軽く片手を振って笑った。

「良いのよ、遠慮しないで。友香ちゃんは特別。友香ちゃんがいてくれると、夢月はもちろん、華月も私も、あと先詠さきよみも、もうね、うきうきしてきちゃうの。お母さん、帰って来て友香ちゃんが泊まったと聞いたら、悔しがるわよ。自分も友香ちゃんと過ごしたかった、ってね」

 そんなことを言われても、友香には苦笑いを浮かべるしかなかった。

 ――というのも、夢月のお母さんには熱烈に好かれているのは事実なのだが、夢月のお母さんと出くわすと、彼女は喜びを隠しきれない笑顔を浮かべながらぐるぐると友香の周囲を回り続け、くんくんと友香の匂いを嗅ぎ、最後にこう呟くのだ。


『美味しそう』


 ひぃーーー。

 思い出すだけで、命の危機を感じる。

 幼稚園児の頃、初めてこの家で夢月のお母さんと遭遇した時なんぞ実際に食べられ掛けた。

 美味しそうの呟きの直後、彼女の黄水晶の瞳が一段と輝き、爬虫類のそれのようにまるく形を変え、その瞳に意識を吸い寄せられているうちに、彼女の口がみるみると大きく耳まで裂け、赤い赤い口の中に鋭く尖った牙が四本見えて、ああ、死ぬんだ、と思った。

 その時に死なずに済んだのは、異変に気付いた夢月が駆け付けてくれたからだ。

「お母さん! その子は私のだよ! 食べちゃダメ‼」

 夢月のその言葉で金縛りから解けたように脱力して座り込んだ。で、失禁した。仕方がない。四歳児だったからだ。いや、四歳でも十四歳でも違いはない。本当に喰われると思って恐怖したのだから。

 それ以来、夢月のお母さんには可能な限り会いたくないのだ。

 ――美人なお母さんなんだけどね。

 そう、恐ろしいほどの美人で、白糸のような銀髪を腰よりも長く伸ばしている。その髪は恐ろしく真っ直ぐで、おそらく櫛を通そうとすれば、その櫛はそのままストンと上から下まで落ちるに違いない。そして大抵、無地の白い和服を着ている。夜中に柳の木の下に立っていそうな格好だ。

 と、ここまでの説明で分かる通り、夢月たちのお母さんは人間ではない。仮に人間だとしたら、髪の手入れに魂を注ぎつつ、お化け屋敷でバイトをしている人だ。

 いや、むしろお化け屋敷のバイトであって欲しかった。が、夢月のお母さんは人間ではなく、白蛇の妖怪である。かなり昔から生きている大妖怪らしく、妖怪の中では力が強いらしい。うん、喰われそうになれば誰でもその強さが分かる。

 というわけで、華月、美月、夢月の三兄妹も純粋な人間ではない。理解に苦しむところだが、実はこの三兄妹は三つ子である。だから、顔が金太郎飴のごとく同じなのだが、三人とも妖蛇のお母さんが卵で産んだ。それはそれは白玉のように真っ白で、ちょっと楕円形な綺麗な卵だったらしい。

 で、理科の実験かとツッコミたくなる話なのだが、夢月たちのお父さんが、ひとつを日向に、ひとつを日陰に置いたのだという。爬虫類の多くは性染色体ではなく、卵の置かれた温度で雌雄が決まるらしい。カメやワニがその代表だ。蛇では、そのように雌雄が決定する種類は見付かっていないそうだが、そんな理科実験の下で孵化したのが、華月と美月だ。見事に雌雄が分かれてお父さんは喜んだらしい。

 そして、何を思ったのか、残るひとつは冷蔵庫に入れてゆっくりと時間を掛けて孵化させたらしい。それが夢月である。そんな孵化の仕方をしたせいなのか、夢月は卵の中に性別を置いてきてしまったようだ。戸籍上では男にしてあると聞いているけれど、普段は美月のお下がりである女子の制服を着ていることが多かった。

 いやぁ、もう、なんのこっちゃと言ってくれていい。私もよく言う。なんのこっちゃ!

『なぁなぁ。友香、来てるだろ?』

 不意に声が響き、ひょっこりと男が顔を出した。ぼさぼさの赤茶色の長い髪をし、平安時代のような格好をした男だ。言うまでもなく、人間ではない。

『友香がお持ち帰りしてきた男が階段の下でうろうろしてるぞ』

「知ってるー」

「知ってるー」

「みんな知ってるー」

 華月と美月、夢月が男に応えながら順に片手を上げる。男は夢月を見やって言った。

『なんで夢月、マッパなんだ?』

「夢月、早く服を着なさい。パンツはどこなの? パンツは? パンツは自分で履きなさいね。あ、そう、パンツと言えば、下の男。靴を片方、履いてないわよね?」

 パンツを連呼した挙げ句、弟のパンツから『と言えば』で霊の靴に話が飛ぶあたり、さすがです、お姉様。普通ではない。

 散らかった夢月の制服を次々とハンガーに掛け、夢月の部屋着を持ってくると、手厚く着替えを手伝っている。その様子は、もはや姉というより母である。

『あれ、どこで拾って来たんだ?』

 男が言う。先ほど、平安時代のような格好だと表現したので、雛人形の親王様のような格好をイメージしたかもしれない。残念。違うのである。

 水干という格好で、貴族に仕える平民の格好である。分かりやすく雛人形で例えるなら、下段に飾られる靴やら傘やらを持った三人組の格好がそれだ。しかも、それをかなり着崩している。

「踏切。――ほらね、母さんがいなくて友香がいると、先詠さきよみが主屋にやって来る」

『お前らの母親、苦手なんだよ。やり合えば勝てるとは思うんだが、執念深そうだろ? ああいう女、俺はダメだな。それに比べて、友香は良い。なんたって良い匂いがする』

「美味しそう?」 

『美味しそうだな。だけど、それだけじゃなくて、なんていうか、近くにいると、うきうきしてくるっていうかだな』

 先詠は居間の奥まで入ってくると、ストーブの前で座り込んでいる夢月と友香の方へ歩み寄って来た。だが、先詠が一歩、また一歩と歩むたびに、先詠の体の輪郭が歪む。

 まずその頭に三角の大きな耳が生え、お尻からはふさふさした赤茶色の尻尾が生える。二足歩行していた体が前に傾き、気が付くと獣のように四つ足歩行になっている。獣のように? いや、まさに獣だ。それは大きな大きなイヌ科の獣。――狼だ。

 赤茶色のふわふわな毛で覆われた妖狼は、友香の膝元までやってくると、友香に体をこすりつけるようにその周りをぐるりと回ってから、友香の前でごろりと寝転ぶ。

『さあ、友香。俺様のことを撫で回して良いぞ』

「えっ、えぇー」

「先詠、本性まる出しになっているじゃないか」

「本性というよりも犬ね。その姿、犬にしか見えないわ」

『友香の前では大抵の妖怪がこうなるもんなんだよ。無性に友香を食べたくなるか、無性に甘えたくなるか。お前らも半分以上妖怪なんだから分かるだろ?』

 思い至る節が有り有りなのだろう。三兄妹は黙り込む。一方、友香は目の前のふさふさな毛並みに欲望を抑えきれず、妖狼を撫で回し始めていた。

 小型犬のようなふわふわ感はない。どちらかと言うと、硬く、ごわごわした手触りだ。だけど、一度触り始めると、ずっと触っていたくなる手触りで、ぽかぽかと日向の匂いまでしてきて癒されてしまう。

 この妖狼。『先詠』という呼び名を持つ、先詠神社の主である。

 神社の主? っていうことは、神様っていうこと? いやいや、違う。狼の妖怪だ。つまり、先詠神社とは、神ではなく、妖怪を祀っている神社なのだ。

「そう言えば、昼過ぎだったかしら? 踏切の方に向かって救急車が走って行ったわよね?」

「騒がしかったな」

 うんうんと華月が美月の言葉に頷く。

「飛び込みかしら? え、でも、あんな単線で、しかも、特急も来ないような線路で飛び込む?」

「しかも、駅近の踏切で」

「そうよ、駅に近いんだからブレーキの掛かってる状態か、走り初めでスピードの出ていない状態の電車でしょ? 飛び込む?」

「そしたら、飛び込みじゃなくて、単に踏切が待てなかったんじゃない?」

 夢月が口を挟むと、美月が夢月に振り向いて肩を竦める。

「あの踏切、すぐ開くじゃない。せいぜい二分くらいでしょ、閉じてる時間。二分くらい待てるでしょ」

「めちゃくちゃ急いでいたとか?」

 めちゃくちゃ急いでいて、閉じていた踏切内に押し入って電車に跳ねられてしまったのではと夢月が言う。

「もしそうなら、あんなところで不運すぎるわ」

 ちょっと待てば安全に通れるものを、と。

「もしかしたら、自分の身に何が起きたのか分かっていないのかも……」

「有り得るわね」

「で、藁にも縋る思いで友香ちゃんに付いてきたってわけだ」

 白蛇三兄妹の視線が一斉に友香に集まる。

 妖怪には美味しそうと言われる友香だが、霊には暖かで淡い光のように見えるらしい。

 もうこれは生まれ持った体質で、どうすることもできないものなのだが、おかげで幼少期からありとあらゆるモノをお持ち帰りしてきている。

「だとしたら、しつこく待っていそうだよね」

「待ってそう。待ってそう」

「待たれると、友香ちゃん困るよね?」

「喰っちゃう?」

 わざとらしく、ニヤリと笑う兄と弟。

「霊って、食べた後お腹ゴロゴロするよね」

「消化に悪いんじゃない? 私は嫌よ、人の霊は食べない」

 人でなければ食べるんですね、お姉様。

「あのう。とにかく神社の中には入れないんですよね? ここにいたら安全ですよね? 今日は泊まらせて頂いて、明日ももし待たれていたら、その時に考えます」

 喰う喰わないの妖怪ならではトークを妨げて、きっぱりと言うと、そうねと美月が夢月の傍らから立ち上がる。

「夕食、何にしようかしら? 友香ちゃんのために張り切って作っちゃう。華月も手伝ってね」

「おーけー、しすたー。俺、肉が食べたいな」

「鶏? 豚? 牛?」

「鶏かな。皮をカリカリにして焼いて食べたい」

「良いわね」

 双子が台所へと移動しようとしていた時だ。妖狼の耳がピクリと跳ねるように動いた。と同時に三兄妹の動きが一斉にピタリと止まる。

 え? なに? なになになに? 何事?

 彼らの顔を順番に見渡すと、すぐ隣に座る夢月が驚きを隠せない声を漏らす。

「入ってきた」

「え?」

「あいつ、入ってきた!」

 すくりと夢月が立ち上がる。そして、視線を右に左に動かして、目に見えないものの気配を追う。

「あり得ない。あいつ、すごいスピードでここを目指して移動してる」

「どういうこと?」

「分からない」

 明らかに夢月は戸惑っている。

 双子の方を見やれば、双子も訳が分からない様子だ。

『来たぞ』

 妖狼が短く言った時、ガラガラと玄関の引き戸が開けられた。

「邪魔する」

 その声は少女のものだった。聞き覚えがある。

 みんなで顔を見合わせ、まさかと思いながら、ばたばたと玄関に移動すると、皆が皆、予想していた通りの少女が土間に立っていた。

「落ちていた」

 これ、と少女が片手に持ち上げて見せてくれた物は、ボロボロの黒いスニーカーだった。



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[良い点] お持ち帰りという表現が面白いですね! 今後の展開に期待が持てました。
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