2-2 隠し味
思い返してみれば、真本さんはヘビースモーカーみたいに飴を咥えているが、他の食べ物を口にしているところを見たことがない。ここ数日のお昼も、僕がお弁当を食べている間、飴を舐めながらスマホを触ったり、トレードマークの眼鏡を拭いたりしているだけで、箸すら手に持っていなかった。
「あ、ああ。昼は飴だけって、ダイエットしているんだよね? 無理に痩せる必要、なさそうですけども」
お年頃の女子は体重が気になるもので、ダイエット中だとお昼ご飯を抜く子もクラスにはいた。しかし、真本さんはスタイルがよく、ダイエットの五文字とは今のところ無縁なように見える。むしろ、もう少し肉をつけてもいい気がするくらいだ。
「それとも、お昼を節約しているとか?」
もう一つ、昼ごはんを飴で過ごす理由があるとすれば。なにか欲しいものがあるものの、高校生のお小遣いでは厳しいので、食費を浮かせて貯金している説だ。学食のメニューは大体五百円で買えるが、それを一ヶ月我慢するならば、少なくとも一万円は浮くもんね。
「私、自炊できなくて。元々少食だし、お金ももったいないから、三食飴ちゃん生活をしているんです。十分生命活動できていますので。ご心配なく」
「緩やかに死に向かっていないかな、それ」
「安心してください。ちゃんと味にバリエーションはありますし、エナドリよりかはましです」
表情に乏しいものの、やや得意げに見えた。いや、自慢できるものじゃないでしょそれ。エナドリよりマシっていっても、五十歩百歩もいいところだ。
「その顔、五十歩百歩と言いたげですね。でも考えてみてください。二倍も差があるんですよ、そのまま歩いていくと百歩二百歩、五百歩千歩と差は広がります。差は歴然ですよ」
「屁理屈述べても、身体に悪いことには変わりないからね」
反論した気になっているが、本来あの言葉は『戦において、五十歩逃げた兵士と百歩逃げた兵士は、逃げたという点では大差がない。大事なのは逃げずに戦うかどうかだ』という意味だ。いちいち突っ込むと国語教師ですかとツッコミを入れられそうなので、あえて黙っておく。
「って自炊? もしかして、一人暮らしを」
「ええ。実は親に絶縁食らいまして。今は近くのアパートで一人暮らしをしています」
「え、ちょ、絶縁?」
イッツア冗談と言って、ぼくをからかっていたものだと思いたいのに、真本さんは左手の中指で眼鏡のブリッジを押しながら「いろいろやらかしたもので」と付け加えた。絶縁を言い渡されるなんて、余程のことじゃないか。
「絶縁といっても、法的効力はありません。この学校に転入するための手続きをしてくれたし、毎月きちんと仕送りを送ってくれる。でも、お墓参りはさせてくれないでしょう」
「食べてください」
「え?」
弁当箱を強引に真本さんに押し付ける。昨日の夕食の残りや、お弁当用の冷凍食品をチンしたものがほとんどだ。それでも棒付き飴で空腹を誤魔化すよりかはよっぽどマシだし、栄養もある。
「いや、それじゃあ小宮くんが」
「僕は大丈夫。一日くらい、お昼抜きでも死なないよ。さっき飴も貰ったからね、それで誤魔化します。でも、真本さんは食べるべきだよ!」
「は、はい……」
お腹の虫がグゥと鳴って恥をかく僕と、不健康極まりない飴生活のせいで倒れてしまう真本さん。これほど悩む必要のないトロッコ問題もありゃしない。
「そうやって見られると、食べにくいのですが」
「すみません、でも見届けなくちゃいけないんだ。僕のことはいないものと思って、どうぞどうぞ」
はぁ、と観念したように大きなため息をついた真本さんは、両手を合わせて「いただきます」と言った。箸の持ち方は綺麗で、難癖付けが趣味なマナー講師すらアッパレと褒めるであろう箸使いだ。卵焼き一つ口に運ぶだけでも、金髪の不良スタイルということを忘れさせるくらいの品の良さをうかがわせる。絶縁されたと真本さんは自嘲していたが、少なくともそれまではきちんと育てられたのだろう。
「どうでしょうか」
「……こんなに美味しい卵焼き、初めて食べたかも」
「ありがとうございます」
グラタンやクリームコロッケは、レンジでチンするタイプのお弁当用の冷凍食品だが、卵焼きだけはメイドイン僕。朝起きて、フライパンで焼いたものだ。卵を焼いただけの簡単な料理と思われがちだが、シンプルさゆえに奥深く、作り手の腕が試される。寿司屋に行く時は、まずは卵焼きを頼むとその店の腕前が分かると言われるほどだ。各家庭によって味付けも異なり、これだという正解はない。レシピサイトを見て回ると、ヨーグルトやマヨネーズを混ぜると美味しくなる、という意見もある。小宮家の卵焼きも、意外なものを入れて隠し味にしていた。そうだ。せっかくだし、クイズにしてみよう。
「実はこの卵焼き、あるものを隠し味に入れているんだ。なんだと思います?」
「ええ? 急に言われても……エナドリ?」
「三日くらい徹夜してきた?」
真っ先にそんなマッドな解答に至った真本さんの健康状態が心配になってしまう。やっぱり飴だけの生活は無理があったのだ。
「ヒントがないとわからないです」
「そうですね……お正月に飲むものです」
ヒントを通り越して、答えを言っているようなものだ。真本さんもすぐに意外なものの正体に思い至ったようで、大きく目を見開いた。
「お正月……まさかとは思いますが、甘酒?」
「ピンポーン、正解でーす」
クイズ番組ならば、客席から『おーっ』って声が聞こえそうな反応だった。最近になって、卵焼きに甘酒を混ぜるといいですよと言う人が増えてきたが、小宮家は昔から卵焼きのお供に甘酒の麹を使っていた。そうすることで、しっとりとした卵焼きが出来上がるのだ。
「私、未成年ですが……大丈夫なの、これ」
「安心して、甘酒にはアルコールは入っていないよ。お酒じゃないからね」
さっきよりも大きく、瞳の闇が広がった。甘酒を隠し味にしたことよりも、実は酒詐欺だったことにビックリしている様子だ。
「ごちそうさまでした」
少食だからとさっきは言っていたが、いざお弁当を渡すとページを捲るのと同じくらいの速さで、箸を口まで運んでいった。やはり身体はちゃんとしたご飯を求めていたのだ。この機会に、飴ちゃん生活から卒業してほしいな。
「お粗末さまでし……あれ、卵焼き残っているよ?」
全部食べ終わったのかと思ったが、卵焼きが一つ残っている。関西人風に言うと、遠慮のかたまりと呼ばれるものだ。
「夢中で食べちゃいましたので。これしか残っていませんが、小宮くんの分です」
「ええ? そんな気を遣わなくても。僕は大丈夫なのに」
卵焼きは自信作でもあるので、是非とも食べて欲しいおかずだった。しかし真本さんは、箸で卵焼きを掴むと僕の口元に持っていく。小宮家の晩餐で、萌波が聖によくやっている、あれと同じ構図だ。
「これをやる側は恥ずかしいんだから。早く食べてください。ほら、あーん」
「あ、あーん……」
萌波みたいなあざとさはなく、マニュアルを読み上げているような「あーん」だ。
「よくできました。えらいえらい」
「むぅ、あんまり僕をからかわないでよ」
子供扱いされたみたいで、むっとしてしまう。でも、彼女のはちみつ色の髪からちらりと見える耳が、ほんのりと赤くなっていたのを、僕は見逃さなかった。