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5-18 僕たちの因果応報

 この一連の騒動において、空音さんは完全な被害者だ。名字も見た目も変わった、ただ同じ合唱団にいただけの相手を忘れるなという方が難しいし、恋愛は誰もが幸せになるわけじゃない。彼の告白だって、空音さんは誠意をもって断りを入れたはずだ。告白されたことを話したのも、僕たちが説得したからで、彼女自身は不誠実だと秘密にしたがっていた。


 だから、頭を下げる理由なんてない。むしろ、目の前で下唇を噛む上尾くんに有罪判決を下すことができる立場だ。行動を監視され、悪質な捏造写真で学園内での立場を悪くされた。一発くらい顔面にパンチを喰らわせても構わないくらいの仕打ちをされてきたというのに。悪いのは自分だと自責の念に囚われ、胸の前で肩を丸めている。


「ちょ、ちょっと。どうしてサナが謝るのよ? あなた、こいつに酷いことをされたのよ?」


 都丸さんがビシッと指差す先には、戸惑う上尾くん。パクパクと口を開けるも、形になった言葉は出てこない。怒気も殺意も、霧散していた。


「もとを辿ると、私が全ての原因です」

「違う、そんなこと」


 ない――そう言おうとしたけれど、できなかった。そのセリフを言っていいのは、僕じゃないから。


「あなたが合唱団を去ってから、どんな人生を歩んできたか。私にはわかりません。ただ、私はあなたの逆鱗に触れてしまったことは事実。その結果、アンや……海智くんにも迷惑をかけてしまいました。私も十分、断罪されるべきです。本当に申し訳」

「言うなぁ! それ以上は言うなぁ!」


 力なくそう言うと、上尾くんは泣き崩れる。顔からは血の色が失せて、真っ青だ。痛々しい姿に、都丸さんすら目を逸らしてしまう。


「頼む、これ以上言わないでくれ……」


 絞り出すような声。それを聞いて僕は、彼が自分の犯した過ちに気付いたんだと感じた。これまでにしたことの意味を、やっと理解できたんだ。歪んでしまうほど、空音さんに恋焦がれていた彼にとって、彼女が自分のせいだと謝ることが最悪の断罪だった。空音さんもわざとやったわけじゃないと思う。それがなおさら、上尾くんを追い詰めた。


「こんな展開は、想像していなかった?」


 僕の問いかけに、上尾くんは濡れた目を逸らす。


「自業自得、じゃないかな」


 正直、死体蹴りをするようで、あまりいい気分ではない。上尾くんだって、空音さんの隣にいるだけの僕には、えらそうに言われたくないだろう。でもだからって、空音さんを傷つけたことをなあなあにしちゃいけない。


「空音さんは君を暴走させてしまったことを一生悔やみ続けるし、ふとした拍子に君の狂気を思い出す。もう二度と、君のことを忘れないよ。お望み通りの展開になってよかったね」


 悔しそうに、歯を食いしばる。突き放すように、僕は続けた。


「上尾くんにも、事情があったかもしれない。でもね。幼稚なエゴで人を傷つけた君は、最低最悪だよ……だから僕たちと一緒に……一生苦しんでください」


 言い返す言葉もないのか、うずくまったまま動かない。長い沈黙が支配する。「本当に、ごめんなさい」と涙ながらに漏らしたのは、時計の針が一周した頃だった。


「この話は、もうおしまいです。互いのためにも警察にも通報はしません。ただ……もう、二度と関わらないでください」


 空音さんは震える体を抑えるようにして、最後まで言い切った。


「空音さんがそう言うなら。僕もそれでいいよ」


 上尾くんはもう一度頭を下げて、部屋を出る。これで、終わったんだよね。


「いいの? あいつが今後、サナにちょっかいをかけないって保証、どこにもないのよ? 横尾が止めなきゃ、小宮は怪我してたのよ?」


 都丸さんは納得がいっていないようだ。自分も被害者だからというよりかは、空音さんの今後を心配しているように聞こえた。


「警察の事情聴取って、長いんですよね。それが嫌で」


 監視アプリをアンインストールして、面倒そうに言う。「ああ、確かにそうだね」と、つい同意してしまう。


「サナは甘すぎるんじゃない? なにも謝ること、なかったと思うわよ」

「俺も同感。結果的に、あれが一番上尾に効いたみたいだけど、真本はこれっぽっちも悪かないだろ」


 狂気に取り憑かれた上尾くんの思考回路なんて、理解できない。ただ、一つ想像できることがあると。手段は間違っていたけれど、彼は空音さんに笑ってほしかったんじゃないかな。だから、彼女が自責の念を抱いてしまったことが、なによりも辛かった――いや、外野が勝手に物語を作るのは失礼か。


「謝り癖がついてしまうと、心がしんどいだけだぜ」

「……ごめんなさい」

「だから謝るなって」


 一度染み付いてしまった癖は、そう簡単に抜けやしない。「ごめんなさい」、「私なんか」。そんな後ろ向きな言葉を発する度に、自分の価値を値下げしてしまう。そんなことを繰り返しているうちに、いつしか彼女からは心から笑うことを、忘れてしまったんだ。今だって、彼女は泣いているような笑っているような、曖昧な表情を浮かべていた。僕にできることはなんだろうと少し考えて、「とりあえず、なんか食べましょうか」と提案した。案の定、空音さんはキョトンとした顔をしている。


「それ、このタイミングで言うこと?」

「腹が減ってちゃネガティブ思考にもなるってもんさ。これからのことは、飯食ってから考えてもいいんでないの?」


 呆れる都丸さんに、聖が僕の意見を代弁してくれた。美味しいものでも食べたら、少しは気分も晴れるかと思ったんだ。腕によりをかけて料理を作ること。それが僕にできることだから。

 でも、彼女は優しく笑って「ありがとうございました。でも、もういいんです」と首を横に振った。そのまま泣きそうな顔で、家を出ていく。僕は彼女を追いかけようとして――。


「真本、追いかけないのか?」

「……無理だよ」

「そっか」


 なにもできなかった。彼女の背中を見送るしか、僕にはできなかった。きっと、それはみんな同じこと。手を伸ばせば届くはずなのに、待ってといえば止まってくれたかもしれないのに。誰も彼もが無力だった。


 そして彼女は、僕たちの前から姿を消した。

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