5-17 事情聴取
地面に警棒が落ちている。拾ってみると、見た目以上に重くて硬い。こんなもので思いっきり頭を殴られたならば、死ぬまではいかなくとも、気を失ってしまっていただろう。
「それにしてもテニスボールを手にぶつけるって。漫画じゃないんだから」
「そのおかげで助かったんだから、もう少し感謝してくれよ?」
上尾くんを拘束する聖は、二カッと爽やかな笑みを浮かべた。対する上尾くんは相当痛かったようで、苦悶の驚愕が入り混じった表情を浮かべている。もしかするとまだ、自分に何が起きたのか理解していないのかもしれない。
「カラオケの後かけてきた電話を憶えているかな? あの時のやり取りで、君が空音さんに告白して振られた誰かなんだと確信した。そこで空音さんと同じ合唱団にいた若田部くんに聞いたんだ。この中に、合唱団にいた生徒はいるかって。そうしたら、君の名前を教えてくれた。上尾宗大……旧姓平山、だよね」
ここから逃げようと拘束する腕を振りほどこうとするが、見た目よりも筋肉のある聖からは逃れられない。
名字が変わったこと、中学の三年間で身長が伸びたこと。そのため空音さんは、彼が同じ合唱団にいたメンバーの一人だと、気付かなかった。そもそも、彼女と上尾くんはそこまで親しい間柄でもなかったという。だから、彼女の記憶の中に彼の顔はなかった。意地の悪い言い方をすると、彼は彼女の物語において、モブキャラだったのだ。
「ク、ソが……」
上尾くんは血走った瞳で、憎々しげに僕を睨む。目つきだけで人を殺せるならば、ここにいる三人とも血を噴き出して死んでしまうかもしれない。震える僕の後ろで、空音さんが指で文字を書く。『大丈夫』の三文字が、怯えそうな僕の心を奮い立たせた。負けてたまるか。
「とりあえず、僕の家に行こうか」
いつまでも道の上でやり合うわけにもいかない。僕の家はすぐそこだ。取り調べはそこにでやるとしよう。
「おかえりー! やーっと帰ってきた!」
上尾くんを連れて家に帰ると、大きな足音を立てて萌波が聖に飛びついてきた。グリグリと身体を擦り付けて、いちごに似た甘い香水の香りをマーキングする。恋する乙女の目には、聖以外の三人は映っていないのだ。空音さんはもちろん、殺気立っている上尾くんですら虚をつかれて、ポカンとしている。
「萌波ー。ちょっと状況、考えようか」
お花畑状態の萌波を引き離す。「後で好きなだけしていいから」と聖が小声で言うと、二ヘラと蕩ける表情を浮かべた。
「ストーカーさんは初対面だから、ちゃんと挨拶しなきゃだよね。小宮海智の妹、小宮萌波ですっ」
ストーカーさんと呼ばれた上尾くんはギッと睨む。しかし萌波は、まったく気にしていない。我が妹ながら、ダイヤモンド級のメンタルは見習うべきだ。
「都丸さんはリビング?」
「うん。ロンロンと遊んでいるんじゃない?」
上尾くんに物申すことがあるということで、都丸さんも僕の家でスタンバイしていた。萌波とあまり相性が良くないんじゃないかと不安だったが、我が家のアイドル二号ロンロンが間を取り持ってくれたらしい。玄関先で話していても仕方がないということで、リビングに移動する。
「よくも私をハメてくれたわね。その節はどうも、感謝するわ」
ロンロンを抱いた都丸さんは、上尾くんの顔を見るなり大きな舌打ちをして、眉をひそめて露骨に不機嫌な顔をする。それでも撫でる手を止めないあたり、アニマルセラピーは効果があるみたいだ。
「ちょっと待ってね。お茶入れてくるから」
仕方ないとはいえ、リビングの空気は最悪だ。テーブルを囲むようにして、四人が座る。真ん中に麻雀セットを置くと、麻雀牌が飛び交う地獄絵図になってしまいそうだ。このまま悪魔を召喚できそうなまである。
萌波には自分の部屋に戻ってもらい、五人分のお茶とお菓子を用意する。訝しげに僕を睨む上尾くんに、「別に毒なんか入れちゃいないさ」と聖はグラスを交換する。さすがにそこまで疑っているわけではないと思うが、お茶を楽しめる立場ではないのは確かだ。
「で、どうするの? 私としてはこいつをギッタギタのボッコボコのメッタメタにしたくて仕方ないのだけれど」
「まあまあ、落ち着こうや。とりあえず、上尾に聞きたいことがあるんだけどいいかな」
攻撃的な態度の都丸さんを聖が諌める。この場において、一番冷静なのは聖だ。彼がいなかったならば、都丸さんを抑えることはできないだろう。
「海智たちの居場所を、どうやって特定したんだ?」
僕も気になっていたことだ。現行犯で捕まった以上、だんまりを決め込んでも仕方がないと考えたのか、聖の質問への答えにスマホを見せてくれた。地図アプリが、僕の家を示している。
「GPS追跡アプリだ。それを空音のスマホに仕込んだ。……画面には出てないよ。アプリ一覧から非表示にしているからな」
慌ててスマホを見る空音さんがおかしかったのか、小さく笑う。子供の見守りや浮気の監視のためにそういったアプリがあるのは知っていたけれど、まさかここまで本格的なものとは思わなかった。まるでスパイ映画に出てくるガジェットだ。もしかすると、空音さんのスマホの充電の減りが早かったのは、このアプリが原因なのかな。
「そんなもの、いつ仕込んだのよ」
「体育の授業だ。空音のスマホのロックは誕生日だったから、簡単に解除できたよ」
「空音さん。この状況で言うのもあれだけど、ロック解除のパスワード誕生日はよろしくないよ。僕でも解除できるじゃない」
かくいう僕は、萌波の誕生日をパスワードにしている。萌波は逆に、僕の誕生日がパスワードだ。あんまりえらそうに言える立場でもないか。
緊迫した空気の中、空音さんがゆっくりと口を開く。「許してほしいとは言いません。ただ、どうか謝罪だけはさせてください」と頭を下げる。
「自分の身を守るため……あなたが私に振られたことを、話してしまいました。その上、私はあなたのことを憶えておらず、傷つけるような言動を取ってしまいました。本当にごめんなさい」
誠心誠意の謝罪だ。これは予想外だったのか、上尾くんも動揺を隠せずにいた。