5-16(破) 堕ちる、堕ちる
上尾宗大⦅あげおむねひろ⦆は、なんの取り柄のない少年だった。強いて言えば、合唱団に所属していたため歌が少し上手くらいだったが、中学一年の夏頃から画像や動画に編集関心を持ち始めた。クリエイティブな分野に、自己表現の場を見つけたわけではない。自分をコケにして虐げた、吹奏楽部の部員たちへの復讐だった。
適当なアダルト画像や動画に盗撮した部員たちの顔を貼る。クオリティはどうでもよかった。捏造写真があるという事実だけで、疑心暗鬼を煽るのは十分だ。さらにSNSの裏アカウントもばらまくと、あとは自動的に崩れていく。厳しい練習やいびつな人間関係で雁字搦めになっていた精神的に未熟な彼女たちは、宗大のしかけた罠に面白いくらいに引っかかった。仲良しごっこの裏で互いに貶し合い、ありもしない捏造写真をばら撒いたのはお前だと何も知らない部員が吊るし上げられる。醜悪な女たちの姿は、滑稽を通り越して哀れですらあった。
吹奏楽部の女たちを目の当たりにしたことで、自分に手を差し伸べてくれた真本空音への歪んだ慕情はさらに積もっていく。さらに、彼女にふさわしい人間になろうと自分を磨き始めた。毎日のトレーニングや勉強の甲斐もあり、宗大の存在感は徐々に大きくなっていった。いつの間にか彼の周りには人が集まるようになる。二年の秋には生徒会役員に任命され、クリスマス前には女子に告白されることもあった。クラスでも人気のある、かわいらしい子だった。もっとも、彼は運命の出会いを裏切ることができず、丁重にお断りしたのだが、少しだけ揺らぎかけたのは内緒だ。
しかし、一瞬だけの気持ちの揺らぎを、運命は許してくれなかった。彼が恋した真本空音は、なに一つ取り柄のない幼馴染と恋仲になってしまったのだ。繁華街で仲睦まじく手をつなぎ、自分に見せたことのない笑顔を浮かべる彼女を見て負けを認めてしまった。
真本空音が自分の通う高校に転校してきたのは、青天の霹靂だった。だが、教卓前に立った彼女は、あの頃の空音とは違っていた。相変わらず表情筋は動かないが、瞳の奥に深い悲しみと闇が見えたのだ。同じタイミングで、彼女が幼馴染の彼氏を裏切り浮気したことで手痛い反撃を受けたことも知った。
彼女が合唱団の指導者や、吹奏楽部の愚かな女たちと同じわけがない。噂に流されることなく宗大は独自に調べることにした。しかしその結果明かされたことは、彼女が愚かな女であった事実。聖女や天使、そんな陳腐な言葉で崇拝していた彼女はどこにもいない。
しかし彼にとって真本空音は特別になりすぎた。彼女がどん底に堕ちた原因は周りにあると決めつけて、自分が光のあたる場所に連れて行ってみせると正義という妄執にとりつかれてしまう。宗大は彼女を呼び出し告白した。『あの日からずっと、君のことが好きだ。昔の俺とは違う、頼れる男になったと思う。だから、付き合って欲しい』と。彼女の隣に立つにふさわしい男になることができたと、長い月日を経て育ててきた思いを受け入れてくれると、確信していた。
なのに、そうはいかなかった。
『ごめんなさい……どこかで、会ったことがあるのでしょうか?』
『は?』
空音は、宗大のことを憶えていなかった。宗大にとって特別な存在でも、空音にとってはその他大勢の一人に過ぎなかった。合唱団のメンバーも、全員記憶していたわけじゃない。飴を配っただけの相手を忘れないほど記憶力は良くなかったのだ。名字も変わり、男らしく成長して別人のようになってしまったことも一因だろう。皮肉なことに、変わろうとしたことで余計に誰だか分からなくなってしまったのだ。
こんなの、間違っている――宗大のネジは、外れてしまった。彼女に振り向いて貰うために、彼はあえて追い詰めるという手段を選んだ。今いる居場所が特定できるストーカーアプリを空音のスマホに仕込み、彼女の動向を監視することにした。スマホにはロックが掛かっていたが、四桁の数字なんて大抵誕生日だ。空音の誕生日を入力すると、あっさりとロックは解除されて、アプリをインストールして画面から隠す。欠点として、充電の減りが早くなるというものがあるが、空音が今使っているスマホは、二年近くの付き合いで機種も劣化しているため、急にバッテリーの持ちが悪くなっても、さほど疑問には思わなかった。
彼女を取り巻く噂が日に日にエスカレートしたのも、追い風だった。転校したばかりの頃は彼女に声をかける生徒も多かったが、火傷することを嫌がり今は近づく者もいない。ゆっくりと追い詰めて、彼女を救うヒーローになる。そうすることで、認めてもらおうと考えたのだ。
偶然にも空音と同じクラスになった若田部肇は、特に動きを見せない。お互い気を遣っているのか、不自然なほどに会話をしようとする様子もなかった。それはそれで好都合だ。昔の彼も、空音に好意を抱いていたことを知っていたからだ。親友と呼んでもいい彼のことを、排除する必要がなくてホッとした。
しかし、予想外の出来事が起きてしまう。空音の噂を知った上でも、交流をしようとする生徒が現れたのだ。
どことなく、彼は幸田竜麿に似ていた。これといって取り柄がない、学年一の人気者横尾聖にくっつく小判鮫。それが小宮海智に対する評価だった。
当然、空音の隣にはふさわしくない。宗大はそう考えて鼻で笑った。しかし、なぜか空音は海智のことを拒絶しない。それどころか、一緒に帰ってスーパーに買い物に行く始末。そのまま、海智の家まで空音は入っていった。
「クソッ……! 俺のほうが、ずっと前から好きだったのに……!」
嫉妬に狂った宗大は、更なる狂気を研ぎ澄ましていた。正々堂々なんて四文字は、彼の中には存在していない。