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5-16(序) シンメトリーの男

 平山宗大ひらやまむねひろは、なんの取り柄のない少年だった。強いて言えば、名前を構成する四つの漢字全てが、シンメトリーだということくらい。だからなんだと言われるかもしれないが、彼本人は左右対称の名前を気に入っていた。「左右対称は幸せの名前なんだよ」とは、亡くなった彼の祖母の談だ。


 しかし、幸せだと問われると、首は縦に振れない。人見知りな性格と、運動神経に恵まれなかったことで、いじめとまではいかなくとも友達を作ることは苦手だった。学校で誰かと話すこともなく、図書室で本を読んで過ごす毎日を過ごしていた宗大を見かねた母親によって、友人が指導をしている合唱団に入団することとなる。


 最初は乗り気じゃなかった。音楽の授業では、いつも先生にもっと大きな声で歌おうねと言われてしまい、恥ずかしいだけの時間を過ごしていた。そんな僕が合唱なんて――。親にすら嫌だと言うことができず、練習場所の公民館に連れて行かれた彼は、運命の出会いを果たした。


『君、はじめましてだね。緊張しているの? 飴ちゃんを舐めると、気持ちが落ち着くよ。はい、どうぞ』


 知らない人ばかりの環境に置かれてテンパっていた宗大に、はちみつレモン味ののど飴をくれた彼女は、クラスの誰よりも愛らしかった。眼鏡の奥の黒い瞳は、図鑑で見た宇宙の写真を思い出させる。それが宗大の、初恋だ。


 彼女――真本空音は隣町の学校の生徒で、合唱団に入団したのは宗大よりも三ヶ月ほど前のことだという。小学三年生ながら、その歌声は上級生や中学生団員からも一目置かれており、『小さな歌姫』なんて呼ばれていた。音楽に明るくない宗大でも、透き通った歌声はテレビに出る歌手にも負けていないと理解できた。

 彼女と仲良くなりたい――微笑ましいモチベーションが生まれた宗大は、月に二回行われる練習には必ず参加するようになった。相変わらず人見知りが激しく、他の団員と打ち解けるには時間がかかったが、それでも誰よりも高らかに歌う空音をそばにいることができるのならば、練習は苦ではない。


『練習、大変だったね。はい、飴をどうぞ』


 笑顔は見せないが、そこには優しさがあった。自分のことを気にかけてくれているということも理解できた。幼い宗大は、確信した。

 彼女は、僕のことが好きだ――と。


『お前も本が好きなんだな、俺もなんだ。今度俺のおすすめを持っていくよ』


 同じく本好きという共通点で友達もできた。彼の名前は、若田部肇わかたべはじめ。同年齢のはずなのに、随分と声が低い男子だ。見た目も少し大人びていたので、最初は中学生かと思っていた。話してみると、日曜日朝の特撮番組が好きだという年相応の幼さがあり、宗大はホッとしたものだ。彼の親がマイホームを購入し、隣の市に引っ越すまで交友は続いた。

 しかし、同時にライバルもできた。恋した歌姫には、小さな頃からの幼馴染がいたのだ。幸田竜麿こうだたつま――これといって取り柄のない、ごく普通の男子だ。空音のように歌が上手いわけでもないし、肇のように読書家で知識があるわけでもない。ただ、周りよりも空音と過ごしていた時間が長いだけだ。だが、その季節の積み重ねはなによりのアドバンテージだった。

 空音がなんの取り柄もない竜麿に好意を抱いていることは、誰が見ても明らかだ。歌っているとき以外はあまり感情を表に出さない彼女が、幼馴染の話をするときだけは、頬を紅葉の色に染める。竜麿も同様だ。周りに茶化されるたびに、二人ともただの幼馴染だと訂正する。そんな光景が、いつものように繰り広げられる。

 徐々に、徐々に、砂に水が染み込んでいくように、嫉妬が彼の全身を満たしていく。一年、二年、三年と年月は過ぎ、宗大は告白することを決めた。ただ隣にいただけの男にはふさわしくない。彼女がいるべき場所は、自分の隣だと。それは妄執にも似ていた。


 結論から言うと、彼は告白できなかった。中学に上がる前に、彼は合唱団を去ることになったからだ。父親が母の友人である合唱団の指導者と不倫を行ってしまい、そのことが周囲に知られてしまったのだ。指導者はクビになり、宗大も合唱団に居づらくなってしまった。

 両親は離婚し、母親に引き取られたことで名字が変わった。完全なシンメトリーでなくなり、彼は幸福でなくなったのだ。精神的に不安定な状態で中学に進級した彼は、友達もできず孤独な日々に逆戻りしてしまう。もし、合唱部があったならば少しは救われていたかもしれない。しかし、音楽系の部活は吹奏楽部しかなく、それでも運動部よりマシかと入部した彼を待っていたのは、女子が多い部活ゆえのドロドロとした人間関係。ズットモだとか、最高のパートだなんてキラキラしている裏では、足を引っ張り合う醜い性根の女たちがいた。その中で男子一人だった彼は、彼女たちのストレス発散のはけ口にされ、夏頃には退部届けを出した。情けない、頼りない、と彼女たちはあざけ笑う。瞳の奥の、闇に気づくことなく。


 それから数ヶ月後。音楽室いっぱいに部員たちの写真や、SNSの裏アカウントでのつぶやきのスクリーンショット画像がが貼られる事件が起きる。その日、楽器の音は聞こえず女子たちの阿鼻叫喚で埋め尽くされた。


 同時に、吹奏楽部は活動停止となった。

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