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5-14 歌姫降臨

 神部の繁華街は、あちらこちらにカラオケ店が点在している。駅から少し離れたところならば、週末のお昼でも意外とスムーズに部屋に案内してもらえたりするのだ。聖と繁華街に遊びに行くときは、いつもこの店舗を利用している。どこかの部屋には機械の裏に御札が貼られており、幽霊が出るなんて噂もあるが、今のところ遭遇したことはない。


「カラオケに来るのも久しぶりだなぁ」


 テニス部が休みになった日に聖と行こうって話になったが、こはるちゃんの告白や真本さんの襲来で結局おじゃんになったので、カラオケ自体半年ぶりくらいかもしれない。部屋に案内されて最初にやることは、履歴の確認だ。画面いっぱいに、失恋ソングのタイトルがズラッと並んでいる。前にここで歌っていた人は、つらい失恋をしてしまったのだろう。眺めるだけで悲しい気持ちになってくる。真本さんは受付で借りた充電器をコンセントに差し、スマホを充電している。


「ドリンク、入れてきましょうか?」


 失恋歌謡祭から続くアニソン大会を見ていると、真本さんが外に出ようとしていた。「僕が入れてくるよ」と言おうとしたが、行かせるにせよ待たせるにせよ、一人にさせるのはまずいよね。「僕も行く」と言うと、こちらの意図を汲み取ってくれたのか軽く頷いた。


「真本さんって、リンゴジュースが好きなの?」


 シュワシュワするコーラをグラスに注ぐ横で、リンゴの芳醇な香りが広がる。「好きっていうより、喉にいいから飲んでいるんです」とは彼女の談。元合唱団ということもあり、喉に刺激の強い炭酸ジュースは苦手なんだそうだ。


「合唱団時代は、のど飴が手放せませんでした。いつも舐めていたので、口に何も入っていないと物足りなくなって。そうして、妖怪飴女は生まれました」

「それ、結構根に持っている?」

「そんな風に呼ばれたのは、生まれて初めてですから。大阪のおばちゃんって呼ばれることはありましたが」

「飴配っているからでしょ」


 大阪のおばちゃんという生き物は、なぜか飴ちゃんを持ち歩き配りたがるという。もし、萌波やこはるちゃんが大阪に引っ越したとして、順調に年齢を重ねていくとあんな感じになるのかな。


「私はただ、まだら模様の服が好きなだけなのに」

「大阪のおばちゃんだぁ」

「なーんて。イッツア冗談ですよ」


 ここに来るまではずっとだんまりで、思いつめたような表情をしていた。そんな風に冗談交じりに話せるようになっただけ、少しは落ち着いたみたいだ。


「私、曲を入れるのに時間がかかってしまうので、お先にどうぞ」

「ええ? 僕もそうだけどな……」


 消極的な二人だけのカラオケは、まず曲を入れるところでつまずく。ここに聖と萌波がいるならば、四曲目まで決めてリモコンを触るのに、僕はというと履歴をさかのぼって曲を選ぶのに手間取っていた。あの二人がいたら、大抵の曲は盛り上がる。君が代すらノリノリで歌うのだから、根っからの陽キャだ。

 真本さんが知らない曲を入れたとしたら、微妙な空気になってしまう。彼女がヘッドホンでどんな曲を聴いているのか、聞いておくべきだったかもしれない。知っている曲といえば、音漏れしていた合唱曲くらい。僕が歌えば、確実に火傷してしまう。

 しかも相手は合唱団出身。下手な歌は聞かせられない。知名度、難易度、盛り上げ度。それらを総合的に判断して、車のCMの曲で一躍有名になったフォーピースバンドの、三番目くらいに有名な曲。確か深夜の時間帯にやっていたドラマのエンディング曲だ。テレビやラジオでも流れていたので、真本さんでも知っていると思う。サビまで聞くとあの曲か、ってなるはずだ。


「えっと、一番小宮海智、歌います」


 つい聖たちとカラオケに行くときのノリになってしまう。ゴリゴリのイントロの中、滑ったかもと思って真本さんをチラ見するが、リモコンとにらめっこをしていて、僕の方に視線を向けていない。これはどう判断すべきなのだろう。とりあえず、歌詞が流れてきたから歌おう。


「けほっ」


 歌いだしから咳き込んでしまった。Aメロを思うように歌えず、一度出てしまった咳は連続してしまう。「大丈夫ですか?」と立ち上がった真本さんが、僕の背中をさすってくれた。高校生のカラオケデートであっていい光景じゃない。「お気遣いなく」と喉に残る違和感をコーラで流し込んで、気を取り直してサビから歌う。音程が合っているとは思わないが、真本さんは小さくリズムを刻んでくれていた。


「どうぞ」

「ありがとう……のど飴も常備していたんだね」


 はちみつレモン味ののど飴を口の中で転がすと、マイルドな味がゆっくりと口の中に広がる。


「すみません、曲を決めるのが遅くて」


 歌い終わってからも、曲は決めあぐねていたみたいで、少しの間両隣の歌を聞く時間が生まれた。歌声というより、がなり声で叫んでいると表現するしかない。でも、あれほどさらけ出して歌えたら気分がいいだろうな。


「決めました。私も久しぶりに歌うので、あまり期待しないでくださいね」


 そう言ってリモコンを操作する。彼女が入れた曲は、動画サイト出身の歌手が一般層にも認知されるきっかけになった、アップチューンな曲だ。毒々しい色合いの女の子が歌詞を叫ぶMVの総再生数は一億回を超え、ティーン女子に圧倒的な支持を受けている。未だに歌い手の顔が表に出ていないミステリアスさも、人気の理由の一つらしい。


「二番、真本空音。歌います」


 真本さんにどこか神秘的で物静かな印象を抱いていたから、意外な選曲だなというのが感想だった。合唱団のイメージもあって、バラードのようなゆったりとした曲を歌うものかと思っていた。


 普段の淡々とした彼女は、マイクを持った途端に消えた。透き通った歌声が、ゴリゴリのバンドサウンドに負けないくらいに、力強く、激しく、それでいて繊細に、僕の心を揺さぶる。伸びやかな歌声とは、彼女の声を指すのだろう。嵐の後には虹がかかるというが、真本さんは嵐の中でも虹がかかるように、動と静をたくみに使いこなす。剥き出しの感情なのに、痛々しさはなく心地よく爽快だ。手に持ったタンバリンも、振る余裕なんてなかった。


「ふぅ……」


 最後まで歌いきった彼女は、頬を紅潮させて一礼をする。言葉も出ない、拍手もできない。歌声で人を魅了し、海の底へと引きずり込むセイレーンのようだ。僕は魂を抜かれたみたいに動けなかった。


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