5-11 映える
青い光を浴びた大きな球体の水槽の中で、鮮やかな赤が自由自在に泳いでいる。キンギョハナダイとサクラダイ。どちらも金魚が大きくなったみたいだ。できるだけ多くの魚がフレームに映るようにして、シャッターを切る。
「デート中に、スマホをポチポチするのはマナー違反ですよ」
若田部くんに写真を送っていると、右耳に近づいた真本さんが呆れ口調でささやく。
「まさか、他の女の子とやりとりしていたりしませんか? それはマナー違反を通り越して、イッツアギルティですね」
「いや、違うんだ。えっと、若田部くんってわかる? 図書委員の、黒縁眼鏡がトレードマークの」
「いい声伊達眼鏡の肇くん? 彼と仲が良いんですか?」
「肇くんって、真本さん。若田部くんと仲がいいの?」
下の名前で呼んでいたのは意外だった。水槽を眺めながら、「昔、彼と仲が良かったんです」と続けた。昔というのはいつのことだろう。気になったが、真本さんはあまり話したくないのかそれ以上言葉を紡がない。詮索するのも悪いので若田部くんの話題に戻る。
「彼、小説を書いていてさ。参考になるかもしれないから、写真を撮って送ってほしいって頼まれて。ずっと撮っていました」
「ああ、それで……やけに撮っているなと思っていたんです」
一瞬小説を書いていることを隠した方がいいかと思ったが、こはるちゃんも知っていたし、本人もそこまで恥ずかしそうにしていなかったので素直に答えた。真本さんも心当たりがあったらしく、「チラッとネットに投稿しているって話は聞いたことがあります」と答えた。
「どんな話を書いているのでしょうか」
「んー、なにを書いているか聞いてみたけど、そこまでは教えてくれなくて。ペンネームも企業秘密だった。でも、水族館デートの参考にしたいって言っていたし、恋愛ものっぽいかな?」
「異世界ものを書くところは想像できませんしね。かといって、ラブコメって顔でもないですからね」
人を見た目で判断するのは浅慮ではあるものの、書き上げた異世界チートものだとか、エッチなラブコメとかをあのいい声で読み上げて校正している姿はイメージできない。
「それは確かに。純文学の恋愛ものってところかな」
小説を書くことについてはオープンだが、その中身まではトップシークレット。ペンネームすらも教えてもらえなかったので、莫大な量のネット小説から彼の書いた物語を探すのは、広大な砂漠の中に埋まった飴玉を探すようなものだ。『若田部先生の小説を見つけるまで出られない部屋』があるならば、僕は多分ミイラになっている。
「ってあれ、若田部くんって伊達眼鏡なの?」
さらりと言うものだから流していたが、あの黒縁眼鏡は伊達だという。なんというか、眼鏡がよく似合う委員長タイプの人に見えたから、お洒落用の伊達眼鏡とは少し意外だ。
「これでも眼鏡歴が長いので、見たら相手が伊達かどうかわかりますよ。ちょっとした特技です。それに、彼とは古い付き合いですしね」
そう言って真本さんは、館内にいる眼鏡をかけている人を見ては、「本物眼鏡」、「伊達眼鏡」、「……際どいけど伊達眼鏡」と答えていく。僕からするとみんな普通の眼鏡に見える。とはいえ、見知らぬ相手にわざわざ「あなたの眼鏡に度は入っていますか?」と尋ねることもできないので、結局は言ったもの勝ちだ。
「真本さんは、ずっと眼鏡だったの?」
「ええ。小学校に入学した頃からの眼鏡っ子なんです。体育の授業は危ないので外していますが、それ以外はずっとかけています」
「コンタクトはしないんだ」
「目に異物を入れるのが苦手で……一応外しても、体育くらいならできますしね」
目が悪いのに、裸眼のままフットサルで相手の選手を全抜きしてゴールを決めたのか。
「ほら。眼鏡トークはそこまでにして、せっかくです。ツーショットで撮りましょう」
そう言って真本さんは、僕の手を取り球体水槽の前に立つ。
「もう少し近づかないと、写りませんよ」
引っ張られて、コツンと肩がぶつかった。パシャリと、小さなシャッター音が僕たちと丸い海を切り取る。
「変顔写真とは、やりますね」
「なりたくてなったんじゃないよ! 急に引っ張るからビックリしたの!」
表情を変えず横ピースをする真本さんと、素っ頓狂な顔をする僕のツーショット写真だ。「こんな顔の猫の写真ってありましたよね」と言われてしまった。彼女の言うとおり、SNSでよく見る、何か理不尽な出来事があったときに貼られる猫の顔に似ていた。
「この先の階段を登ると、カフェスペースがあるみたいだね。小腹が空いたし、軽く食べていかない?」
カフェスペースは屋上にあり、そこでもカピバラやペンギンの展示があるという。また神部の港町を一望できるので映えスポットとしても人気だとか。甘そうな綿雲と開放的な青空の下、爽やかな潮風が頬をなぞる。カフェからはチーズやカレーの美味しそうな香りが漂って、お腹の虫が元気になってきた。
「あれとか、写真に撮ると映えそうですね」
真本さんの視線は、家族連れのお客さんが持っているポテトフライに向けられている。カップはかわいらしいカワウソの形をしており、確かにSNSで受けそうだ。
「カワウソポテトを二つ……ん? んん?」
カウンターに貼られている、フードメニューを二度見してしまった。カワウソをモチーフにした、あんまんやエクレア。神部の名物である神部ポークを使ったホットサンド。この辺はまあ普通だ。でも、これは誰だって二度見すると思う。
「フライドシャーク……すごいものもありますね」
その名のとおり、シュモクザメの肉を使用したフライドフィッシュだ。何も言われないと、コンビニのホットケースの中に入っているフライドチキンと勘違いするかもしれない。
「美味しそうだけど、ちょっと複雑だね」
水槽の中で泳ぐサメの姿も見ていたので、美味しそうに揚げられたフライの後ろに天使の輪っかがついたサメの幻影が浮かんでいた。
「リアルカワウソもかわいいですね」
つぶらな瞳のカワウソが元気いっぱいに走り回っている。彼らの餌の時間でもあったのか、飼育員さんがエサを持ってくるとみんなで囲む。異国の儀式のような光景だ。
「見てください。若田部くんがいますよ」
「ええ!? ……カピバラ?」
視線の先には黒縁眼鏡の図書委員はおらず、いるのはヌベーっとした顔が愛らしいカピバラだ。でも真本さんの言うとおり、脳内で眼鏡をかけてみると若田部くんそっくりだ。思わず吹き出してしまった。
「上から見れば、神部の街が一望できるんですね。行ってみませんか?」
螺旋階段を登って上の庭園まで向かう。天空に近い場所から見る神部の海と街は絶景で、清々しい気持ちになった。海の向こうには、神部のランドマークである大観覧車が回っている。夜になると街一体がイルミネーションとなり、大観覧車は一際綺麗でカラフルに光る。ここから撮影すると、さぞ映える写真ができることだろう。
「ほら。撮りましょう」
「あ、うん」
ゆっくりと回る大観覧車を背に、パシャリとツーショット。さっきみたいに変顔にはなっていなかったが、顔は青い空や海とは対照的に赤く染まっていた。