5-10 龍にならないで
「私も冗談で蛇を首に巻いたらどうですかとは言いました。それは謝ります、ごめんなさい。でもね、足元にカエルがいるはダメでしょう、禁止カードです、死刑確定です。本当に泣きそうになったんですから」
階段を登った先にある、日本庭園を意識した和風エリアのベンチに座った僕は、真本さんからお説教を受けていた。軽い冗談のつもりでカエルが足元にいると言ったら、思いもよらぬビビりリアクションをとってしまったのだ。
「そんなにカエルがダメなの?」
「……小学生の頃に、幼馴染と一緒に田んぼで捕まえたカエルを、彼の家に持って帰ったんです。しかし、幼馴染のお兄さんが、何を思ったのかカエルを部屋に解き放って。どこに行ったかわからない状況で、何も知らない私は……その、踏んでしまったんです……うぅ、思い出すだけでも寒気がします……」
そんなことがあったなら、誰だってカエルがダメになる。最悪のトラウマ案件だった。知らなかったとはいえ、僕はとんでもないことを言ってしまった。怒ってデート途中で帰られても、何も言えない。
「それ以降、カエルの鳴き声を聞くだけでも寒気がします。あのアパートを選んだ理由も、近くに田んぼがないからですし」
「……本当にごめん。軽率だったよ」
思い返してみると、真本さんは僕の部屋に入るなり悲鳴を上げていた。その理由は黒光りするあいつだと思っていたが、もしかしてカエルのぬいぐるみにビックリしてしまったのではないか。
「この仕打ちにはサナモンポイント全没収もやむなしなのですが……後でエメラルドツリーボアとツーショット写真を撮ることで手打ちにしてあげましょう」
「ええ!? あれと撮るの!?」
「ええ。それで痛み分けです」
ガラスのケースの中にいるとはいえ、あの存在感はなかなかのものだ。蛇ってパワーがあるって聞くし、もしケースから出てきて首を絞めたらどうしようと考えるとゾワッとする。でも、彼女も同じ恐怖を味わったのだ。目には目を、歯には歯を。カエルには蛇を。
「わかったよ。それで許してもらえるなら」
「よろしい。では気を取り直して、デートを再開しましょうか。ちゃんと挽回してくださいよ?」
デコピンを一つもらって、おとり捜査に戻る。和風エリアは他のエリアよりも、芸術性が高い。プロジェクトマッピングで、激しい滝が壁に映し出され、水流に逆らい傷だらけの鯉が登っていく。中国の有名な故事、『登竜門』をモチーフにした映像だ。登り切った鯉は、天井を飛び回る龍となる。ガラス張りの床の下で泳ぐ鯉たちも、いずれは龍になることを願うのだろうか。龍が消えると今度は、月夜に桜吹雪が舞い上がる。ずっと見ていられる映像美だ。『風流』や『雅』の言葉がよく似合う。
「弱い鯉のモンスターが、凶暴な龍みたいなモンスターに進化するじゃないですか。あれ、最初意味がわからなかったんですよね」
「ああ、あれのことか。確かに、はねるしか能のなかったモンスターが、急に怖いモンスターになったのはビックリしたなぁ」
登竜門の映像を見て、彼女はゲームの話を浮かべたようだ。なんの話をしているのか、僕でもわかる。
「弱いモンスターでしたが、あれはあれで愛嬌があってかわいかっただけに、ショックでしたね。……だから、小宮くんは怖い龍にならないでくださいね」
「へ? それ、どういう」
「あれ、見てください。カプセルトイがありますよ」
怖い龍にならないでくださいね――何かの例え話なのかな。意味深なことを呟いた彼女は、はぐらかすように話題を変えてカプセルトイの機械へと向かう。魚のおもちゃが出てくるものじゃなくて、足元を泳ぐ鯉たちの餌が入っているようだ。
「一回二〇〇円ですね。やってみま……あれ? マジですか、困りましたね」
「どうしたの?」
「ええ。小銭が今、五百円玉しかなくて。これ、百円玉じゃないと入らないんです」
「あー、この手の機械ってそうだよね」
カプセルトイの筐体は、大体百円玉しか入らない構造になっている。ゲームセンターとかだと近くに両替機があるが、二階の受付に戻らないと両替ができないらしい。それは少し手間だ。館内には自販機もない。財布の中を見て、残念そうにため息をつく。
「小宮くん。恥を忍んでお聞きしますが……両替ってできますでしょうか?」
「それくらいなら、僕が出すよ。さっきは酷いこともしたし」
二〇〇円で許されるものでもないが、これくらいは僕に出させてほしかった。やはり奢ってもらうことに抵抗があるらしく、やや渋い顔をする。それを見なかったことにして、小銭を入れてレバーを回すと、黒いカプセルが出てきた。中に入っていた鯉の餌を受け取った真本さんは、「ありがとうございます」と頭を下げて餌を撒く。餌に釣られた鯉が、パクパクと口を開ける。大きな鯉がたくさん食べて、小さな鯉は餌の奪い合いにも参加できなかった。
「なんだか、気の毒ですね」
鯉の世界にだって、勝者と敗者がいる。なんとも、世知辛いや。二〇〇円を筐体に入れ、レバーを回して餌を出す。
「それっ」
餌を食べられなかった鯉の前に、投げてやる。大きな鯉がそれに気付いてやってくるが、距離はまだある。しかし小さな鯉は、情けなんかいらないと言いたげに去っていき、大食いな鯉の口の中に餌が消えていった。
「余計なお世話だったのかな」
「敗者にも、誇りがあるんでしょうか?」
「かもね」
不思議と小さな背中が、大きく見えた。こればっかりは、写真に撮っても何も残らないよな。誇り高き敗者が、いつか龍になる日がくると願って。僕たちは次のエリアに向かった。