5-9 真本空音の苦手なアレ
淡く光る青に包まれて、サメやエイが飛ぶように泳いでいる。ガラスにお腹と顔を押し付けるようにして、ひらひらと踊るエイの鼻と口が、間抜けな顔に見えてかわいらしい。そういえば特撮番組の敵に、こんな顔をした宇宙人がいたっけ。スマホのカメラで撮影して、若田部くんに送る。
『アトアリウム神部に行くのか? なら、水槽の写真を撮って送ってもらえると嬉しいな。水族館デートを書くときの資料になるかもしれないからな』
と、お願いされていたので写真をメッセージアプリで送っておく。少しすると既読がついて、『宇宙人みたいだな』と返信がきた。考えることはみんな同じらしい。
「地球の住み心地はどうですか? サメと一緒の水槽で気を使わなくちゃいけない? それは大変ですね」
「小宮くん、来てください」
エイのお腹と会話をしていると、真本さんに手を取られて別の水槽に連れていかれる。オレンジ色や黄色の暖かな色をした、手のひらサイズのドラゴンが、ぷかぷかと浮いている。
「タツノオトシゴだ。かわいらしいね」
「はい、本当に愛くるしいフォルムをしています。癒しの化身です」
紹介プレートには、カリビアンシーホースと書かれている。文字通り、カリブ海に生息しているのだろう。でもカリブ海ってどの辺だっけ。キューバとかがカリブの国になるのかな。
「学校から帰ってきて、この子たちがいれば……一日の疲れもストレスも吹き飛んでしまいそうですね……」
やや声色が明るくなって、心からタツノオトシゴを満喫している様子だ。我が家にはうさぎのロンロンが癒し担当をしているが、自分の部屋にタツノオトシゴがいる生活もいいかもしれない。これも取材用の写真をパシャリっと。
「一匹くらい、もらっても」
「ダメに決まっているでしょ」
「やだなぁ。イッツア冗談ですよ」
「反復横跳びくらいに目が泳いで、説得力がないよ」
他の水槽に行っても、ちらりちらりとタツノオトシゴたちに目線をやる。顔を出してくれたチンアナゴたちも、自分達を見ないで別の海に視線を寄せまくる真本さんに困惑していることだろう。
「ほら。お土産コーナーに行けば、タツノオトシゴのぬいぐるみとかキーホルダーもあるだろうし、ね?」
「ね? ではないのです。泳ぐタッちゃんたちがいいのです」
「めちゃくちゃ心奪われているね」
不満げな彼女の手を取り、次のコーナーへと向かう。青々とした海中散歩の次は、霧が立ち込めるような森のコーナー。扉を開けると、ふっと獣の匂いが広がる。
その正体は、ガラス越しじゃなくて、手を伸ばせば触れ合えそうなくらいの距離にいる、ワラビーやゾウガメ。石像のようにじっとしているゾウガメはなかなかの迫力だし、ぴょんぴょんと跳ね回るワラビーはかわいい。水族館とはいうものの、他にもハダカデバネズミやウッドチャックも展示されており、ちょっとお得な気分になれた。ただ、一点を除いて。
「毒々しい色をしていますが、光沢があって美しいですね。どうです? 首に巻いて自撮りを撮ると映えますよ」
エメラルドツリーボアと名付けられるだけあり、エメラルドグリーンの体は美しさを感じさせる。しかし、木に巻き付いているそいつは、全身を伸ばせば僕の身長よりも大きくなりそうだ。プレートには毒がないと書かれているが、ここまでビビッドなカラーリングをしておいて無毒とは信じられない。もし逃げ出したならば、大変なことになる。
事前にどんな生物がいるか、ちゃんと確認しなかった結果がこれだ。蛇に睨まれたカエルのように、僕は硬直してダラダラと嫌な汗が垂れまくる。
「や、やだよ! 僕、蛇は苦手なんだ……」
子どもの頃に噛まれたとか、ネズミが丸呑みされるのを見たのがトラウマになったからとかじゃなくて、特に理由もなく苦手だった。多分生まれたその時から、魂レベルで蛇への恐怖心を抱いてしまったのだろう。蜘蛛やムカデは大丈夫なのに、蛇はダメなのは足の数が原因かもしれない。
「へぇ。それは面白いことを聞きました」
ほんのちょっぴり、いやらしく笑う。ロクでもないことを考えている証拠だ。
「変なこと考えないでよね!? ほら、あっちのカエルの方がかわいいって」
蛇のケースから少し離れたところに、ヤドクガエルのケースがある。ヤドクガエルの体は宝石にも例えられ、極彩色が眩しくもよく映える。名前の通り、小さな体でありながらも、人が死ぬレベルの毒を持っていることで知られるが、それは野生の個体の話。餌としてアリやダニを食べることで、体に毒を溜め込むので、人間の飼育下では毒を持つことはないんだとか。
つぶらな瞳にキュートなフォルム。ロンロンを買う前は、アマガエルを飼っていたこともあった。好きな生き物ランキングをつけるならば、カエルは殿堂入りになる。パシャリパシャリとシャッターを切る指が止まらない。
「真本さん?」
木の間にちょこんと隠れているヤドクガエルに癒される僕とは対照的に、真本さんは怯えるようにして蛇のケージの後ろにいた。
「今日のラッキーアイテムは緑色の蛇なんです。運勢を高めるために、もう少しここにいますので、小宮くんはお気になさらずカエルを愛でていてください。どうぞどうぞ」
目を見開いて、まばたきもせずぎこちなく距離を取っていく。
「足元に、カエルが」
「ひゃあ!」
いもしないカエルにビックリして、ドンっと尻餅をついてしまう。周囲の視線が、真本さんに集まる。
「大丈夫?」
「なわけないでしょう! だ、だって足元に、か、カエルがぁ……すみません、腰が抜けちゃって……手を貸して、くれますか」
「う、うん……」
もしやとは思ったが、まさかここまでカエルが苦手だったとは。僕の手を取り立ち上がった真本さんは、蛇を前にした僕に負けないくらいに、手汗でびっしょりだ。普段の淡々とした立ち振る舞いはどこへやら、怯えきってキョロキョロと周りを気にしている。
「ど、どこに行きましたか?」
いつもからかってくるから、ほんのお返しのつもりだった。それがこうなるとは……。腕時計の針を左に回せるならば、ほんの数秒前の僕を殴ってでも止める。
「あー、えーと、うん……本当に、本当に申し訳ないんだけど……」
「へ?」
「イッツア冗談! ……なんちゃ」
「ばかぁ!」
「だぁ!」
思いっきり、右足の指先を踏まれてしまった。