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5-9 ピラニアの水槽

 繁華街から海側へと歩き、大きな白い船が泊まっている港の近くに、アトアリウム神部がある。ぱっと見は水族館には見えず、現代アートが展示されている美術館のようだ。近くの工事現場を囲う壁には、展示されているであろう魚や動物の絵が描かれている。


「魚を見る分にはいいんですけどね。食べるのはどうにも好きじゃないんです」

「あ、そうだったね。すっかり忘れていたや」


 ユニークなフォルムをした水族館の人気者、チンアナゴの絵を見ながら呟く。真本さんは、魚料理とロシア料理が苦手だ。しかし水族館を目の前にするまで、すっかり忘れていた。食べるわけじゃないから大丈夫とは言っているが、油断していたな。


「なのでもし、この後回らないお寿司屋さんに行こうと考えていたならば、別案を考えてもらえると嬉しいです」

「うーん、流石にそんなお金はないかな……」


 そもそも水族館を見た後、お寿司を食べようという思考回路には至らない。競馬を見た後、馬刺しを食べようとは思わないのと同じだ。

 入り口で二人分の券を買い入場する。チケット代は大人料金二四〇〇円。子供扱いされるとムッとしてしまう年頃だが、お金が絡むときだけは子供扱いされたいものだ。学生証を見せたら安くなる、ということもなく、樋口一葉さんで支払った。もちろん、二人分だ。昨日結構な出費があって財布が薄くなっているが、それでもここは男を見せるべきだろう。


 財布を出そうとした真本さんは、「おとり捜査なんですから、チケット代くらい自分で出します」と心苦しそうに言ってくれたが、場所を選んだのは僕だし、男子の意地がある。そう説明するも、「私はそういうの苦手なんです」と出したお金をしまおうとしない。

 入り口前で払う、払わなくていい、の攻防を続けること五分。折れたのは僕の方で、野口英世を二枚受け取ることにした。受けとらないと帰るとまで言われたら、さすがに意地を張り続けることはできなかった。小銭を受け取らないのは、せめてものプライドだ。


「そんな罪悪感あふれる顔しないでください。その分、私を楽しませてくれたらオッケーです。期待していますよ」

「うん。任せてほしいな」


 エントランスを抜けた僕たちの前に広がったのは、煌びやかな虹色の光。水族館というと暗い印象があったが、彩に溢れた輝きの下、水槽の中でピラニアやグッピーが泳いでいる。


「ピラニアって、結構大きいですね」


 チラリと見える、ナイフのような鋭い歯が恐怖を煽る。アメリカ軍によって兵器として改良された危険なピラニアが逃げ出し、キャンプ場の客を襲うといったB級映画を昔見た記憶がある。人喰いサメに比べると小さいが、人喰いピラニアは数の暴力で攻撃してくる。人喰いサメのいる海と、人喰いピラニアのいる川。まだ海の方が生き残るチャンスはあるだろう。


「私が中一の頃、家の近くの池でピラニアが泳いでいるって事件があったんです。近くに住んでいた人が、飼っていたピラニアを放流したとかで、大きなニュースになりましたね」

「あ、それ僕も聞いたことあるかも」


 僕が住んでいる町の隣の市にある池の話だ。『池の水を抜く』という番組の撮影に訪れたテレビ局のスタッフがピラニアを捕獲した、ということもあって結構大きな反響があった。僕の通っていた学校でも話題になって、その月の全校集会で校長先生が外来種の放出に絡めて長い話をしていたのも覚えている。


「ピラニア自体は臆病なんだよね」


 映画の影響もあってか、ピラニアは人間を襲い骨になるまで食い尽くすなんてイメージを持たれているが、その実は気弱な生き物だ。一匹だけで飼うと、水槽の物陰に隠れてなかなか出てこないなんて話もあるという。しかし、血の匂いに敏感で興奮しやすく、相手が弱っていると食い荒らしにやってくる。牛のような大きな動物だって、食べ尽くしてしまうのだ。


「一匹一匹は気弱なのに、弱い相手を見つけるとよってたかって襲いかかる。そう考えると、私はピラニアの餌なんでしょうね」


 自嘲的にそう言うと、水槽越しに人差し指をピラニアの前に差す。ビクッとしたピラニアは、真本さんの指から逃げていく。

 噂を真に受けて、真本さんを攻撃する人たちは確かにピラニアそっくりだ。一人だと何も言えないのに、それが何人も揃えば好き勝手に彼女の悪口を言い始める。自分達の歯がどれだけ鋭いのか、気付いていないんだ。そして食い荒らすだけ荒らせば、次の餌が傷つくのを待つ。何度も何度もそれを繰り返して、腹を膨らませるのだ。


「他にも魚はたくさんいるからさ、行こっか」

「……そうですね」


 臆病なギャングたちから逃げるようにして、別の水槽に移る。カラフルなライトに照らされて、グッピーの群れがキラキラと光っている。水槽の中は、彼らにとって広いのか狭いのかはわからない。でもゆらゆらと優雅に泳ぐ姿には心が安らぐ。

 その先に進むと、青い光が差し込む世界が広がっていた。海に住む魚たちのコーナーだ。一際大きな円柱型の水槽には、エイとサメが泳いでいる。「海の中にいるみたいですね」と真本さんがため息混じりに言う。水中でも息ができる不思議な飴を舐めた僕たちは、ふわふわと揺らぐ深い海に迷い込んでいた。

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