5-8 イチャラブ大作戦
「まだわかりませんか? ずーっとアピールしているんですけどね。ダーリンったら鈍感」
「そ、そう言われても」
そんなこんなで、僕は真本さんとおとり捜査デートを始めた。ノリノリで僕のことをダーリンと呼んでいようが、これは振りでしかない。だから変に意識することもないのに、僕の心臓は爆発寸前だった。
彼女、彼氏持ちはよくこんなことができるなと痛感する。こんなドキドキするイベントを、周りのみんなはさも当たり前のようにこなしているなんて、尊敬に値するよ。抱きしめ合ったり、一緒のベッドに寝たりして、それ以上のことをやったといっても、あれは夢幻のようなもの。周囲は当たり前のように手を繋いじゃって、恥ずかしい気持ちに……。チラリと真本さんを見る。小さな左手が、物寂しそうにしていた。ようやく意図を汲み取った僕は、ハンカチで何度も右手をふいて、彼女の手を握る。
「合格です、えらいえらい。サナモンポイント贈呈です」
「あっ、耳元で囁かないでっ!」
「ふっ」
「やぁ、息も吹きかねないでぇ!」
右耳にから入ってきた声と息が、脳をそわりと撫でる。今日一日これが続くというのならば、本当に爆発してしまうかもしれない。
休日の街には、いくつもの音に溢れている。楽しげな家族連れや、カップルの声。怒った彼女と、慌てて追いかける彼氏の急かすような足音。街角でギターを弾き語る、夢見る彼女の歌声。色鮮やかなドレミファソラシドが、あちらこちらにあった。
しかし、そんないくつものメロディをかき消さん勢いで、うるさい音がある。僕の胸にあるそれは、早いテンポでリズムを刻み、耳障りなほどにやかましい。でも、生きている証だから止めることはできない。痛みすら伴う音が、繋いだ手を通して、彼女に聞こえてやいないか気が気でなかった。
「さてさて。ダーリンはどこに連れて行ってくれるのでしょうか。楽しみです」
上目遣いで、挑発するように鼻で笑う。デートについて、僕の知り合いで一番頼れるのは都丸さんだ。聖も彼女持ちだが、基本的に萌波が外に出られないため、家デートばかり。今回は参考にならない。真本さんは……あまり、知りたくなかった。彼女を取り巻く噂には、幼馴染と付き合っていたとか、その彼を裏切って先輩と浮気していたとか、色恋に関して経験豊富なことを匂わせるものもある。真偽はともかくとして、僕よりも経験豊富なのは事実だろう。でも、その先を聞く勇気は今の僕にはない。
となると。残りはただ一人、都丸さんだ。先日振られたばかりとはいえ、毎週のように元彼とデートをしていたという。先生と呼ぶにふさわしかった。
『まずは第一段階。男の子は、右に立ちなさい。いざってとき、右手が空いているとサナを守れるし、あの子もホッとすると思うから』
とは彼女の談。なるほど、言われてみれば周りのカップルの多くは男の方が右に立って、左手で彼女の手を繋いでいる。日本人は右利きが多いし、なにかあったときに守れるからというのは理にかなっている。
しかし、それを思い出したのはついさっきのこと。真本さんがいるのは、僕の右側だ。これじゃあ僕が守ってもらう立場じゃないか。
「どうしましたか? 飴ちゃんがほしいんですか?」
ポケットからメロンソーダ味の飴を取り出す。さっきもらった抹茶の味がまだ残っているので、舐めると口の中で抹茶メロンソーダができあがった。味の大渋滞だ。
「違うよ。その、なんというか……立ち位置、というか。ほら、他のカップルは男の人が右だし? それに、真本さんに怪我させたくないし」
フェイク野郎が、直接攻撃に来ないとは限らない。僕の利き腕は、真本さんと繋がっている状態だ。
「なるほど。頼りなく見えるから、私の右に立ちたいと」
ちょっぴりきつい言葉がくっついたが、今の僕はそう見えているはずだ。僕だって男子なわけで、少しくらいは見栄を張りたい。
「うん。その方がいいかなって」
「知っていますか? 私たちのような立ち位置のカップルの方が、長続きするってデータがあるんです」
ぎゅっと引っ張られ、僕の身体は彼女に密着する。
「むしろ、こうやっている私たちは、他の誰よりもラブラブに見えるんですよ。それに、こみ、ダーリンはどちらかというと庇護欲が湧く子犬系ですから」
「無理にダーリンって言わなくていいんじゃないかな?」
「そうですね。私も結構恥ずかしかったので、普通に小宮くんと呼びますよ」
「最初からそうしておけばよかったのに」
照れくさいのは僕だけじゃなくて、彼女も同じだったらしい。なんだか少し、気が楽になったかも。
「それじゃあ、まずはアトアリウム神部に行きましょう」
「アトアリウム……ああ、最近オープンした水族館ですね」
オープンしたのは去年の一二月なので最近というほど最近でもないが、なかなかタイミングが合わなくて行けなかった場所だ。ア『ク』アリウムじゃなくてア『ト』アリウムなのは、水族館でありながら美術館的な要素もあるからだ。アートとアクアリウムを合体して、アトアリウムというネーミングになったんだとか。
本当ならば、真本さんの好きなパンダがいる神部動物園がデートの候補だった。しかし僕らが生まれる前から、神部のアイドルだったパンダのソンソンは、高齢であまり体調も崩してしまったという。そのため今は展示をしておらず、のんびり過ごしているらしい。せっかく行っても会えないならば、真本さんがガッカリしてしまう。
「いいですね。私も一度、行ってみたいと思っていました」
動物園がダメなら水族館というのも短絡的な考えではあるが、真本さんは興味を持ってくれたらしい。
「……怪しそうな人は、今のところいませんね」
信号待ちをする間、スマホを触るふりをして、画面を鏡にするアプリを使い後ろを確認する。怪しそうな人はいない。
「本当に来るのかな?」
「来ると思いますよ。横尾くんとアンが喧伝してくれましたからね」
おとり捜査をしたところで、犯人が反応しなかったら意味がない。そこで、聖と都丸さんの出番だ。散々振り回された噂を、逆手にとった。
『噂に聞いたんだけど、悪女真本と小宮海智が神部でデートをするんだって』
そんな感じで、噂を流してもらった。学内一のモテ男の聖と、良くも悪くも発信力のある都丸さん。二人がつけた火は、あっという間に広がった。噂が大きくなって、好き勝手尾ひれがついた結果、当事者である僕たちですら笑ってしまうような、おかしな話にもなったのだが、それは置いておく。
若田部くんからは、「小説のネタになりそうなことがあれば教えてほしい」と、取材の協力を頼まれた。心なしか、横を通り過ぎた高砂先生も僕の顔を見てニヤニヤしているように見えたくらいだ。まあ、ここまで来たらなにを言われてもノーダメージではある。言い換えるならば、やけくそとも表現できるか。
「どうせなら、向こうがイラつくくらいにイチャイチャしましょう」
「わわっ!」
繋いだ手を離したかと思うと、腕ごと掴まれた。より密着して、僕の心臓の鼓動がダイレクトに伝わってくる。それに負けじと、彼女の鼓動も早くなっていた。