5-7 まちがいさがし
「んー! 美味しいですっ! 幸せぇ……」
「見ていて気持ちのいい食べっぷりねえ。あなた、フードファイター目指せるんじゃない?」
「よく言われるのですが、私実はお豆腐が苦手で。だから麻婆豆腐とか出てきたらもう白旗上げるしかないので無理ですねっ。あと、甲殻類アレルギーだからカニとかエビもダメで……あ、店員さん! 追加注文良いですか?」
大盛りのパスタとドリアとサラダをペロリと平らげたこはるちゃんに、都丸さんは若干困惑している様子だ。豆タンクこはるちゃんの胃袋は広がり続ける宇宙そのものであり、これくらいじゃまだ物足りないって顔をしている。僕はというと、普通サイズのパスタ一つでお腹いっぱいになった。店員さんを呼んで、追加でピリ辛チキンを頼もうとする彼女を見るだけで、胃もたれしそうだ。
「小宮、奢りなさいと言ったのは私だけど、払うのはパスタとドリンクバー分だけにしときなさいよ? ちびっ子、このままだと全メニュー制覇しかねないから」
「あはは……」
本番のデートは明日なのに、服を買うという思わぬ出費をしてしまったので、財布の中はかなり寂しくなってしまった。でもまあ、二人には付き合って貰った恩があるから、奢るのは安いものだ。こはるちゃんのおかわりは別としてね。
三十分ほど前まで、僕は人生で一番罵倒された時間を過ごしていた。今後社会に出たとしても、ファッション評論家都丸杏奈先生の容赦ないダメ出しを思い出せば生きていけそうな気がするほどだ。
『上から下までダサい! なんでこのお店に来てそんなダサい組み合わせができるの!? 親に服を買ってきてもらう三十代男性でももっとマシな服着るわよ!』
『英字新聞シャツがイケてると本気で思っているわけ!? ウォーターゲート事件の生地を見てテンション上がるわけないでしょ!?』
『パンダのパーカーって小学生か!? サナはパンダが好きだから喜ぶかもって? そんなわけあるかぁ!!』
等々……両手両足で数え切れないほど、ボロクソ言われたのだ。ドン都丸のあまりの剣幕に、こはるちゃんも口出しすることができず「そうですね」と野球選手のヒーローインタビューみたいに相槌を打つことしかできなかった。
しかし、都丸さんのコーディネート力は見事なものだ。やけに慣れているねと聞いてみたら、前に付き合っていた彼氏の竹部くんはお洒落に気を使うタイプじゃなかったらしく、結構口うるさくしていたらしい。「しゅーくんを格好よく見せたいから、口酸っぱく言ってきたけれど……それも、迷惑だったのかしらね……」と涙目になった時はどうなるかと思ったが、こうして彼女の見立てのおかげでなんとか人前に出られる服装になれた。明日のお披露目が楽しみだ。真本さんはどんな格好で来るのだろう。なんだかワクワクしてきたぞ。
お目当ての服選びは午前中で終わったので、付き合ってくれたお礼にと駅前のファミレスに入って今に至るわけだ。都丸さんは六〇〇円で済むドリンクバーつきのランチメニューを頼んだのに、こはるちゃんときたらこの有様。追加で頼んだピリ辛チキンでも足りなかったようで、恐ろしいことにもう一度パスタを頼もうとしていた。
「ちびっ子に一つ耳寄り情報を教えてあげる。頭の体操をしてから食べるパスタは、最高に美味しいのよ! ね、小宮」
都丸さんの視線の先にはメニューボードと重なった間違い探しがある。「うん、そうらしいね」と同意すると、こはるちゃんは呼び出しボタンを押す手を止めて、間違い探しに没頭し始めた。
「あ、見つけましたっ! ここも違いますっ! これくらいなら、五分で終わりますよっ」
得意げに胸を張るこはるちゃんを見て、僕と都丸さんは目を合わせて苦笑いが浮かんでしまう。というのもこの間違い探し、子供向けの絵柄に反して、大人が遊んでも一〇個の間違いを探すのに骨が折れるという、理不尽な難易度を持っていた。昔聖と一緒に解こうとして、二時間以上かかったのもいい思い出だ。最後の一つを見つけた時、映画一本見終わったのと同じくらいの達成感があった。それくらいに手ごたえがある。のだ
「あ、あれ? これはさっき見つけたやつで……んんっ?」
四つ目まではテンポよく間違いを見つけたこはるちゃんだが、徐々に悩む時間が伸びていく。六つ目までを見つけたところで頭を抱え始めたので、「どうする? リタイアする?」と都丸さんが確認する。
「いいえっ! ここで引いたら女が廃ります!」
元柔道女子は負けず嫌いだった。完全攻略するまで、帰るつもりはないらしい。頬をパチンと叩いて集中すると、試合中のように真剣な眼差しで間違い探しのボードを見比べていた。僕らが話しかけても、聞こえていない様子だ。
「で、実際どうなのよ。サナのことどう思っているの?」
「都丸さんもそれを聞くかぁ……」
つい先日も聖に聞かれたばかりの質問だ。みんなそんなに、僕の真本さんの関係が気になるのだろうか。
「生憎だけど、都丸さんが期待しているようなことはないからね?」
「それ、サナにも同じこと言われたのよねぇ。表情も変えないで、なにもないですって」
真本さんの声を真似して、淡々と言うが全く似ていない。自分でもイマイチだった自覚はあるのか、「今のは忘れて頂戴」と顔を赤らめた。
「でもね。少なからず、小宮のことを異性としていいなって思っていないと、おとり捜査とはいえデートをしないわよ」
コーラを飲みほして、「うちにもいい人、出てこないかしらねえ」と、夏の終わりを告げるひぐらしの鳴き声みたいに寂しくつぶやくのだった。
「うーん……あと二つが遠いです……」
こはるちゃんは結局、一〇個の間違いを見つけるのに二時間以上かかってしまった。「こんなの間違い探しとは認めませんっ!」と、右と左でビックリマークの下の部分が丸と四角で違うという、間違いは絵にしかないという先入観を逆手に取った意地悪問題にプンスカ怒っている。わかるよ、その気持ち。僕が前にやった時もそんな感じだったから。
「あっ、若田部先輩っ! 偶然ですね!」
会計を終えてお店を出ようとすると、入れ替わるかのように黒縁眼鏡の男子が入って来た。図書委員会の若田部くんだ。
「石坂! 小宮! 奇遇だな……げっ、杏奈」
「げっ、とはなによげっとは。こんなとこで肇に会うなんて、今日はロクなことにならなさそうね。大体なによその全身黒コーデ。高二病臭くて鼻が曲がりそうよ」
お互い顔を見合わせるなり、露骨に嫌な顔になった。図書室で会った時、彼女にゴリ押しされて蛇蜻蛉繭子シリーズを買わされたと、うんざりしたように言っていたっけ。でも二人とも下の名前で呼んでいるのは、意外な交遊録だ。
「若田部くんと都丸さんって、仲がいいの?」
「ただのいとこだ。小宮が期待するような関係でもないし、これからそうなるつもりもない。俺の人生の邪魔ばかりする疫病神だ」
「かー! そういう斜めに構えたエラそうな態度が気に入らないのよ。同じ空気を吸うだけで気が滅入ってくるわ。行きましょ」
腕を組みそっぽを向いた都丸さんは、わざとらしく大きな足音を立てて店の外に出た。照れ隠しとかそういうのではなくて、心底彼のことが嫌いなようだ。悪態を吐かれることに慣れているのか、やれやれとため息を吐いた。
「いとこって、世間は狭いね」
「あいつの母親が、俺の母さんの妹なんだ。子供の頃はもう少し素直でかわいげがあったんだが……今じゃヒステリーの女王ときた」
「まったく想像が出来ないや」
幼いころの都丸さんは、今みたいに苛烈な性格をしていなかったらしい。それどころか、泣き虫だったとまでいうものだから驚きだ。少し話し込んでいると、同年代の男子が「待たせてゴメン」と謝りながらやって来た。
「さっき外でお前のいとこがスカウトされていたけど……あれ、小宮?」
「上尾くん。なんか、久しぶりだね」
上尾宗大くんは、去年僕と都丸さんと同じクラスだった。聖と成績上位を争っており、スマートな性格をしているので彼もまた女子人気があった。クラスが変わってから、学校で顔を合わしても特に話すこともなかったので、久方ぶりに声を聞いたような気すらしていた。
「足止めして悪かったな。じゃあ、また」
どうやら二人で遊びに来ていたらしい。席に案内されたのを見届けて、僕達もお店を出るのだった。