5-3 ミステリーの女王
僕が学校に着いた時には、既に先生たちが写真を回収していた。しかし、センセーショナルなゴシップは生徒たちの野次馬根性を煽り、一気に拡散されてしまう。
「やっぱパパ活していたんだな、真本」
「しかも一緒にいた子、アンでしょ? ハンド部の彼氏と別れたって聞いていたけど、それでパパ活に手を出すとか、どんだけ寂しがり屋なのよ」
「最近あの子おかしいよね。私、距離おこっと」
「よく言うよ、前からブロックしているくせに」
やはりというべきか、校内では二人の話題で持ちきりだ。もともとパパ活疑惑のあった真本さんに、気が強く他人に攻撃的な性格の都丸さん。彼女たちならやっていてもおかしくない。そう思われているのか、みんな信じ切っている様子だった。
「あー! ほんっとムカつく! 誰がヒステリーの女王よ! 人をミステリーの女王みたいに言っちゃって! こちとらクリスティよりクイーン派だっつーの!」
宥めようと与えた飴を、思いっきり噛み砕く都丸さんは、国語辞典の『怒髪天』の項目に参考写真として掲載したいくらいに怒り猛っている。棒を抜き取り、新しい飴を差し込む真本さんはまるで猛獣使いだ。
お昼休み、いつものプール裏の木の下に、僕たちは集まっていた。僕と真本にプラスで、渦中の人になってしまった都丸さんと、聖も混じっている。もちろん話題は、件の写真だ。
「昨日の放課後、アンと一緒に新刊小説を買いに行ったんです」
そう言ってカバンの中から本を取り出す。赤ワイン……いや、これは血だろうか。ガラスの靴に注がれた赤い液体を飲み、ドレスを赤く染める女性が表紙に描かれている。随分とグロテスクなシンデレラ像だ。タイトルは『探偵女優蛇蜻蛉繭子シリーズⅦ、午前零時の鮮血童話』。
「うちもサナも、このシリーズのファンなのよ。それで意気投合したの」
「へえ。どうりでやけに仲が良くなるのが早かったわけだ」
探偵女優蛇蜻蛉繭子といえば、ミステリーに疎い僕でも知っているシリーズだ。女優というように、超人的な演技力を持つ探偵蛇蜻蛉繭子が、さまざまな変装を駆使して難事件を解決していくという内容で、土曜日の夜にドラマになっていた記憶がある。
「これって、ドラマになっていたやつだろ? 俺も見て」
「キャスティングミスもいいところよ! 繭子はあんなキャラじゃないし、原作だと女刑事なのに、なぜか男にした挙句謎恋愛パートまであって最悪。原作レイプの最低ドラマよ。原作貸してあげるから読みなさい、いかにドラマがカスだったかよくわかるから」
「お、おう……せやな……」
思わぬ地雷を踏んでしまった聖は、都丸さんの剣幕にたじろぐ。原作の中身を知らない僕は毎週楽しめたが、原作ファンからすると酷い実写化だったようだ。またもガリッと飴を噛み砕いた。
「クソドラマのことは一旦置いておきましょう。蛇蜻蛉シリーズの最新刊を買って店を出たのですが、そこでこの写真の男性に、道案内をしてほしいと頼まれました」
「道案内?」
「そっ。モザイク処理されているけど、そのおっさん。目的地がラブホ街の先のビルでさ、一緒に行っただけ。本当よ? 私たち、何もしてないわよ」
真本さんもコクリと頷く。この写真は、単純にホテル街を歩いているだけで、出入りした瞬間を撮ったものじゃない。しかし、たまたま道案内をしただけですという言い訳を通すには、反論材料がない。
「登校するなり高砂部屋に呼び出されて、あれこれ事情聴取されたわ。何もしていないって説明して、先生には分かってもらえた。でも、他の子はダメね。あんなことがあっても一緒にいてくれた子たちは普通に接してくれているけど、内心どうすべきなのかわからないでいると思う」
「杏奈だけに? いや、冗談だからそんな目で見ないでくれよ怖いよ」
今のは聖が悪いよ。しかしさすが元自衛隊員というべきか、高砂先生は不利な状況の二人の言葉を信じてくれたらしい。先生が生徒一人一人に「お前が犯人か」と聞いて回ったら誰の仕業か分かるだろう。とはいえ先生もそこまで暇じゃない。
「しっかし、コイツの狙いはなんなんだ? 海智に真本に近づくな、ふさわしくないだなんて電話しといて、その一方で真本を陥れようとまでする。情緒不安定が過ぎないか?」
ストーカーと嫌がらせ電話の件は、ここまで来ると隠せる話でもなくなる。真本さんにも全部打ち明けた。やはりというべきか、彼女は自分のせいで周囲を巻き込んでしまったことに責任を感じ、罪悪感を抱いていた。
「謝らないでよ。私だって、サナを疑って迷惑かけたのに、お咎めなしで許してもらったんだから。これくらい、因果応報だって受け入れるわよ」
頭を下げる真本さんに、都丸さんは優しい声をかける。味方や友達には優しい人なのだろう。だからこそ、暴走して長瀬くんを攻撃してしまった。彼女もそれは反省しているし、長瀬くんに改めて頭を下げて謝っていた。少なくとも僕の方から、彼女に対するわだかまりはもうない。
「でも、この写真を撮った誰かさんは、痛い目を見てもらわないと。ここまでコケにされて黙っているものですか。絶対に許さない。社会的に抹殺してやるわよ」
社会的抹殺は別として、卑劣なマネをして真本さんを追い詰め、都丸さんも巻き込んだフェイク野郎を許す気にはなれなかった。ここにいる全員の相違だろう。
「しかし、どうやって犯人を見つけるよ? 恐らく男子ってことはわかるけどもさ」
「え? どうしてそう言えるの」
「掲示板に書いていただろ。ヒステリーの女王って。都丸をそう呼ぶのは虐げられてきた男子だけだよ」
「むぅ、納得いかないけどそれが本当ならヒントになりそうね……」
不服そうな顔をしているが、学園生活における彼女を見ていると、そう呼ばれるのも仕方がなかった。でも確かに、これは男子の中で使っている隠語のようなものだ。
「逆に、そう思わせるために、あえて女子が書いたって考えもありますよ?」
でも同時に、真本さんの推理も納得できる。犯人を絞り込むのは、骨が折れそうだ。
「それを言ったら振り出しに戻っちまうんだよなんぁ……容疑者に心当たりはないか?」
「そんなの……ごめんなさい、めちゃくちゃあります、心当たりしかないです……」
申し訳なさそうに、顔を手で隠す。今でこそ、こうやって会話しているが、なにか言われたわけでもない僕でも、都丸さんのことは苦手だった。勝ち気な性格で定期的に周囲と衝突しては、毒舌を超えた暴言を吐いていた都丸さんのことを、恨んでいる人は両手両足では数えきれないだろう。
「ま、まぁこれを機に親しみやすいキャラを目指せばいい、んじゃないかなぁ」
「無茶言わないでよ。一六年生きてきて形作られた私は、そう簡単に変えられるものじゃないっての……努力はするけれど」
都丸さんも都丸さんなりに、現状を変えようとしている。それを邪魔する権利は誰にもないはずだ。
「真本はどうだ?」
「転校してから五人、私に告白してきた人がいました。恋愛する気はなかったので、全員振りましたが、逆恨みして嫌がらせをしたとか……。あんまり、考えたくないですが」
振られた腹いせの復讐か。それはあり得そうだ。
「都丸を恨んでいるやつの名前を挙げてもキリがないから、まずは真本に振られた五人のアリバイを確認するか。名前を教えてくれないか?」
「……怪しいとはいえ、私に告白してくれた人の名前をペラペラ喋るのは申し訳なさがあります」
告白は多分、軽いものじゃない。告白した彼らは、真摯な想いを真本さんに伝えた上で振られてしまった。誰々が告白した、バラエティ番組の暴露コーナーみたいに、気楽に話していいものではなかった。申し訳なさから伏せ目がちになり、視線を合わせようとしない。
「むぅ、俺もその気持ちはよーく理解できるんだが……」
告白されることに関してはプロ級の聖も、そう答えられると返す言葉がなかった。しばしの間、沈黙が続く。
「ま、サナが聞いて回ったところで、犯人は本当のことを言わないでしょ。だからもう、この手しかないんじゃない?」
「何かアイデアがあるの?」
「ええ。現状考えうる、たった一つの冴えたやり方よ」
犯人を追い詰める名探偵のように不敵に笑い、蛇蜻蛉繭子の新刊を僕らに見せるのだった。……なぜに?