4-8 ヒステリー杏奈再襲
「はい、そこまで! ペンを机の上に置くように!」
チャイムが鳴り、テスト用紙が回収される。教室に張り巡らされていた緊張の糸が切れて、一気に弛緩した空気になった。そのまま試験監督をしていた担任から連絡事項を告げられると、そのまま解散となった。
「ふぃー……やーっと終わった!」
肩をグルグル回しながら聖が席までやってきた。テストが終わって部活動再開ということもあって、聖のテンションは高めだ。
「で、どうだったよ? 数学は」
「うん。真本さんのノートでちゃんと予習したから、バッチリ……とは言えないけど、平均点は取れたんじゃないかなと思うな」
四日間の勉強合宿の甲斐もあって、今回のテストは総じていい点数が取れそうだ。苦手だとお手上げ状態だった数学も、きちんと計算して解答欄を埋めることができた。これで平均点以下なら真本さんに合わす顔がない。赤点ならもう、腹を切って詫びるしかなかった。
「おっ、こはるちゃんからメッセージが来ている。『やりました!』だとさ」
スマホを確認すると、ピースサインの絵文字と共にメッセージがきていた。勉強合宿の成果がキチンと出ていたみたいでなによりだ。
「部活は昼からだし、今から飯でも食いに行かないか? ファミレスでお疲れ様会をやろうぜ」
「いいね。真本さんとこはるちゃんも誘ってさ……うん、真本さん?」
窓から外を見下ろすと、女子三人が彼女を囲むようにしてプール裏に向かっていく。
「おいあれ、ヒステリック杏奈だよな。なーんか感じ悪かったぞ」
「うん。嫌な予感がする」
胸パッド事件が起きる前から、「クズビッチ」とあんまりな蔑称を使っていたくらいだ。真本さんと都丸さんの関係が良好なものになるわけがない。顔を見合わせた僕らは荷物をまとめてプール裏へと向かう。
「あんたさ、まじでどういうつもりなの? 人の彼氏奪ってさ」
予想どおり、険悪な空気が漂っていた。イライラとして、ドラマーみたいに地面を踏み続けている。都丸の彼氏を奪った? 真本さんが?
「最低すぎでしょ」
「ドン引きなんですけどー」
「……」
残りの二人も都丸さんに同調して責め立てる。しかし真本さんはだからどうしたと言いたげに、飴を舐めている。
「なんとか言いなさいよ! このクズビッチ!」
「おいなにやってるんだ」
無視を決め込む真本さんにカチンときた都丸さんは、唾が飛び出るほどの怒声を浴びせる。このままだと手が出てしまうと思った僕らは、スマホ片手に飛び出した。もちろん、さっきまでのやりとりは全部録画している。カメラに映っている都丸さんはたじろいで冷や汗を流す。
「ちょ、なに撮ってるのよ! あんたらには関係ないでしょ!」
「真本さんは僕の友達なんです。見過ごすことはできません」
「はあ!? 私らはただ、話し合いをしたいだけよ!」
よく言うよ。一方的に殴りかかっていたようなものじゃないか。
「それを判断するのは、映像を見る人だぞ。少なくとも俺と海智は、これから平和的な話し合いをするようには見えなかった。あんたらの間で何があったかは知らないけどさ、頭に血が上りすぎだろ。忘れたか? 真本はお前さんらの弱みを握っているんだぞ?」
そうだ。胸パッド事件の時、真本さんは長瀬くんを口撃する彼女たちの姿をスマホで撮影していた。指一つで全世界中に流れてしまうというのに、怖くないのかな。
「っ! 二人ともそいつに騙されているのよ! そいつは私の彼氏を奪って! 悪いのはそいつよ!」
落ち着くよう諌める聖の言葉も聞かず、綺麗な顔を歪めて金切り声をあげた。動物園のチンパンジーの喧嘩の方が、まだ平和でかわいげがある。
「彼氏を奪ったって。そうなの?」
「知りません。都丸さんの元彼が誰かすら、そもそも知りませんし」
真本さんは表情筋が死んでいるので読み取りにくいが、嘘を吐いているようには感じなかった。身に覚えのない言いがかりをつけられて、困惑しているのは本当だろう。
「嘘よ! しゅーくんが私を裏切るわけないじゃない! そいつがたぶらかしたのよ!」
「会話が通じませんね。お猿さんと会話している気分です。そうだ、バナナチョコの飴ちゃんがありますが、舐めますか?」
「ウッキー!!」
「アン! 落ち着きなって!」
高く振り上げられた拳を、取り巻きコンビが必死で抑える。心なしか怒れる狂戦士と化した都丸さんから、真っ赤なオーラが見えた。殺意の波動って、こういう色をしているんだね。
「真本さんも挑発しないの!」
「挑発したつもりはありません。イライラしたときこそ、飴ちゃんの出番です。気持ちが落ち着きますよ。チェスト」
発情中の猿みたいにキーキー叫んでいる都丸さんの口に、バナナチョコの飴を投げ込む。噛み砕くかと思いきや、意外にもちゃんと舐めており迸っていたオーラも落ち着いてきたようだ。「あなたたちもどうぞ」と、取り巻きたちにも飴を配る。
「落ち着いたかー? とりあえず、話を整理するぞ? 都丸は彼氏を真本に奪われたと考えていて、真本はそんな人知らないと。都丸、彼氏の写真かなんかないか?」
この場所で一番冷静な聖が裁判官役となり、状況を確認していく。飴を口にしてうまく喋れない都丸さんが「ろうろ」とスマホを見せる。遊園地デートに行っていたのか、二人してお揃いの猫耳カチューシャをつけて肩を並べ笑っている。いつもプリプリと怒っている印象の都丸さんだが、同一人物とは思えないくらいに眩しいくらいの笑顔を浮かべていた。彼氏と過ごす時間が、それほど楽しかったのだろう。
「ハンドボール部の竹部収史。正直に答えてくれ、真本。この顔に見覚えは」
声のトーンを少し下げて、指名手配された犯人を探す刑事みたいな口ぶりだ。聖のやつ、この状況を楽しんでいるな。
「同じクラスの竹部くんですね。知っていますよ」
竹部くんは去年隣のクラスで、喋ったことは少ないが、体育や習熟度別で別れる数学や英語の授業を一緒に受けたこともあった。でも都丸さんと付き合っているのは初耳だった。
「ほら、知っているじゃない」
「でも会話したのは、転校したばかりの頃だけです。噂が流れ始めた頃には、近づいてすら来ていませんよ」
「異議あり! だって、証拠があるのよ?」
「都丸さんこの状況を楽しんでない?」
舐めた飴に変な成分でも混じっていたのか、ビシッと指を差し、ノリノリで異議ありと叫んでしまう。
「人に指差さないでください、失礼ですよ」
「うっさい! ほら、見なさいよ! これが動かぬ証拠よ!」
見せつけてきたスマホには、スーパーから出てくる瞬間の真本さんと竹部くんが写っていた。