1-4 小春日和と因果応報
初日なので更新は多めです
実際はそんなことはないのだが、お昼休み前と六時間目の授業の終わりを告げるチャイムは普段のそれに比べて明るく聞こえる。そう感じるのは僕だけじゃないと思いたい。
「んー……終わったぁ。なあ海智、今日暇ならもなちゃんも誘ってカラオケに行かね?」
帰る用意をしていると、ルンルンとした足取りで、聖が僕の席までやってくる。「今日はテニス部休みなの?」と尋ねると、「昼休みに今日は休みになるって連絡が来ていたんだ」と部内のグループメッセージを見せてくれた。
「別にいいけどさ。それ、僕邪魔にならない?」
僕もカラオケは好きだ。あまり歌は得意ではないが、聖も萌波も上手い下手よりもワイワイ騒ぐ方が好きなので、マイク片手に日頃のストレス発散しにいくようものだ。しかし交際中二人の間に挟まるのは少々気が引ける。そこまで空気が読めない人間ではないつもりだ。
「家に帰ったら萌波に説教を食らいそうだし、遠慮して……あれ、あの子」
「んお、どした?」
昨日僕にラブレターを託そうとした後輩さんが、顔を赤らめて教室の前に立っている。
「おっ!? こはるちゃんじゃん! へぇ、うちの学校に進学したんだ。久しぶりだね!」
「あ、はひ……お久しぶりでしゅ……っ」
中学時代同じ委員会だった後輩と再会して懐かしそうに笑う。あの様子だと、入学して聖と同じ学校になったはいいものの、なかなか声をかける機会がなくて僕に伝書鳩を頼んだってところだろうか。
「あの子、聖くんのなにかしら? 名前で呼ばれて羨ましいわ」
「もしかして、告白しにきたんじゃ」
クラスの聖女子たちがざわめき出す。それを見て、男子は面白くなさそうに露骨なため息をつく。よく見る光景だ。
「その、ですねっ。先輩に、お話がありましゅ! あのっ、えっと、私!」
「こはるちゃん、ここだと人の目があるから、場所を変えよっか」
慣れている聖はすぐに目的を理解して、みんなの前で告白しかけた彼女をどこかに連れて行く。空き教室にでも向かったのかな。
「あの子は、幸せになってほしいな」
どんなロマンチックなシチュエーションを演出しても、クラスのみんなを巻き込んでフラッシュモブをやったとしても、彼の答えは決まっている。ここに来た時点で、失恋へのカウントダウンは始まってしまった。
彼女にとって、つらい思い出になるはずだ。昨日止めてさえいたら、そんな思いをしなくて済んだのにとも、後悔の気持ちは大きくなる。
せめて、彼女にとっての運命の人が、すぐに現れることを願わざるを得なかった。
「物思いにふけて、どうしましたか。眉間にしわができていますよ」
「わっ! 真本、さん?」
考え込んでいたので、前の席に座った真本さんがこちらを覗いていることに気が付かなかった。握り拳一つ分くらいの近距離だ。窓から差し込む陽光を浴びて、はちみつ色の髪が甘く輝く。それとは対照的に、涼しげな顔に違和感を与える瞳は闇色に染まっており、中に恐ろしい悪魔が潜んでいるんじゃないかとさえ感じてしまう。
よくない噂がつきまとう彼女は、クラスのみんなの奇異の視線を集める。注目されることは、隣に聖がいるときに嫌というほど経験があるが、視線の矢印はいつもあいつに向けられていた。しかし、僕と真本さんは半々くらいの割合だ。
「あの子、前の学校でいじめがバレて追い出されて、うちに来たって聞いたわ」
「彼氏がいるのに浮気してたんだってー。最悪だよね」
「聖くんに相手にされなかったから、小宮くんにちょっかいをかけてるんじゃない?」
「うわー、転校早々お猿さんすぎない?」
「パパ活をやってたって話も聞いたぜ」
「ちょ、やめなよ。そういうの感じ悪いよ」
ざわざわと好き勝手言い合う。出どころの不明な噂の真偽は、さほど重要じゃない。外野から見ていて面白いか、面白くないか。それだけだ。彼らからすると、茶々を入れながら下世話なワイドショーを見ている感覚なのだろう。
「とりあえず、教室を出ようか」
「ですね」
好き勝手に邪推する外野は楽しいのかもしれないが、僕はあまりいい気分ではなかった。巻き込んでしまって、少し申し訳なさそうにしている真本さんと教室を出る。後ろから視線を感じるし、一緒に歩いているだけでヒソヒソ声が聞こえてくるがスルー推奨。聖には用事ができたということにして、カラオケデートを楽しんでもらうことにしよう。
「お昼に私を助けてくれたの、小宮くんですよね。昨日聞いた声と同じだったから。ありがとうございました」
ずっと無口だった真本さんは、校門を出てようやく口を開いた。お昼のことを言っているのだろう。姿を見せなかったのに、声だけで僕が助けたのだと気付いていたらしい。
「連中、高砂部屋にビビって逃げてくれたからよかったよ」
「高砂部屋? 相撲部屋ですか?」
無表情のままどすこいどすこいと小さく張り手をする。
「相撲、好きなの?」
「……別にそういうわけじゃないです」
あっ、そっぽを向いた。今のは恥ずかしかったようだ。
「真本さんは転校してまだ日が浅いから知らないよね。国語の高砂先生。元自衛官で、生徒指導の先生なんだ。で、生徒指導室に連れていかれると、自衛隊仕込みのお説教を食うから高砂部屋って呼んでみんな怖がっているよ」
「その先生ならわかります。私のクラスの授業も見てもらっていますから」
うちの校則は髪型髪色も自由で、アクセサリーも禁止されていないので、ピアスやネックレスをしている生徒も多い。アルバイトについても先生の許可さえもらえたらできるし、近隣の高校と比較すると校則は緩く生徒の自主性を重んじている。
ただ、それでも今後社会に羽ばたくためには必要な常識やルールはあるもの。そこを破ってしまえば恐怖の高砂部屋行き。高砂先生の名前を出すとすぐに逃げていったあたり、何度か高砂部屋送りにされたのだろう。
「私も気をつけないと、怒られるのかな」
「いやぁ、それくらいなら高砂部屋に連行されてしまうことはないと思うよ? もう少し制服はきちんと着なさい、とは言われるかもだけど」
「じゃあ大丈夫ですね」
大丈夫かどうかを判断するのは僕じゃなくて先生方だ。髪を染めたり制服を着崩したりする程度では高砂部屋に送られることはないだろうが、少し気をつけた方がいい気もする。
「でもちゃんとすべきかも。真本さんって、変な噂が流れているし……お昼だって、あいつらを挑発するような真似をして。僕が止めなかったら殴られていたよ」
よくない噂が膨らんで拡散されている原因を挙げるならば、彼女の風貌も一因だろう。髪色と着崩した制服のせいで、パッと見近寄り難い不良だ。しかも、連中に絡まれていたとき、逆に煽るような行動をとっていた。まるで、襲うなら襲ってよと言いたげにも見えたのだ。
「信じているんですか?」
「え? いや、それは……」
言葉に詰まった僕を見て、真本さんは飴を差し出す。髪と同じはちみつ色をしたキャンディーだ。受け取って口に含むと、甘い味が広がった。
「意地悪な質問でしたね。でも、あれは私への罰ですから。流れている噂も半分は事実です」
眼鏡を中指で押し上げて答える。彼氏を裏切った、いじめを行った、痴漢をでっち上げた──どこまでが本当で、どこまでがデマなのか僕にはわからない。萌波をいじめていたクラスメイトたちと同じで、誰かを傷つけてしまった過去があるとしたら。そして、それを後悔し続けてやけっぱちになっていたのだとしたら。僕は、どうするのが正解なのだろう。
「これは理不尽な仕打ちじゃありません。当然の因果応報ですから」
まただ。心ここに在らずで、遠い場所を見ているような諦めの微笑みに、心がズキリと締め付けられる。
「せめてありがとうって言おうと思って、小宮くんのクラスに来たんです。でも、浅はかでしたね。小宮くんまで悪い噂に巻き込んじゃった。ごめんなさい」
「ごめんなさいだなんて、そんな」
「だからもう、私に関わらないことをおすすめします。小宮くんが傷つくだけですから。では、さようなら」
そう言って、真本さんは去っていく。声を掛けようとしても、ヘッドホンで外界の音をシャットダウンした。どことなく寂しげな後ろ姿を、黙って見送ることしかできなかった。