4-1 その女、ヒステリックにつき
テスト一週間前を迎えると、多くの部活が休みになる。吹奏楽部や野球部といった、これからが本番ですって部活は例外で短縮練習があったりするらしいが、帰宅部の僕には関係のない話だ。
期末テストの成績次第では、夏休みを補講に費やさなくてはいけなくなるが、僕は数学以外は平均点以上を取っている。苦手な数学も真本さんに見てもらったおかげで、そこまでひどい点数にはならないはずだ。いや、どうせなら平均点以上は取らないとな。真本さんも聖も、テストで躓くことはないだろう。
「あの、一生のお願いなんですっ! 私に、勉強を教えてくださいっ! 私このままじゃ、留年しちゃうかもですっ!」
が、しかし。一学年下に問題児がいた。石坂こはるちゃん――気の弱そうな小動物じみた容姿をしており庇護欲が湧くが、その実は人懐っこい元柔道娘だ。学年が違うものの、僕と真本さんと一緒にテニスサークル『MAGMA』を立ち上げて、テニスの練習をしたり一緒にお昼ご飯を食べたりしていた。イップスで柔道から離れているものの、運動神経がいいこともありテニスもメキメキ上達していく。
だが、それよりも見てあげなきゃいけないものがあった。それが勉強だ。
「中間テスト、全部赤点だったんです……期末で全科目平均点以上取らなきゃ、私の夏休みがなくなっちゃいますっ! だから先輩方、助けてくださいっ!」
「土下座しなくていいから! 頭上げよ? ねっ?」
いつものプール裏に敷いたシートの上で、滑らかな土下座を披露してくれた。もともと綺麗な正座で座っていたこともあってか、屈辱的なはずの土下座にも品があるように見えた。
「私は転校してきたから知らないのですが、一年生のテストはそんなに難しいのですか?」
「まあ中学から高校に進級して、初めて受けるテストだからね。一年一学期の中間は点数が低くなるみたいだよ」
真本さんの疑問に答えると、「そういうものでしょうか」といまいちピンときていない様子だ。とはいえ、授業さえちゃんと聞いていたらそこまで難しいものではない。ただし数学を除いて。
「わかったよ。じゃあ勉強会でも開こうか。聖も誘ってさ」
「よ、横尾先輩もですかっ!? わ、わかりましたっ。どんとこいです! あ、いや! 今のは英語のDon'tこいじゃなくてですねっ!」
「あはは……大丈夫かなぁ?」
と、そんなこんなで期末テストに向けて勉強会を開くことになったのだ。放課後聖にそのことを話すと、「いいけど俺、赤本解いていると思うぞ?」と返ってきた。家でちゃんと予習復習をするタイプなので、テストの前に特別慌てる必要がない。目先のテストよりも、志望している難関私立大の過去問を解いている方が、時間の有効活用なのだろう。聖ならテニスで推薦も貰えそうだが、本人としては大学でも続ける気はないんだとか。なんとももったいない話だ。
四人のスケジュールを鑑みて、木曜日の放課後から勉強合宿を始めることにした。というのも、金曜日は創立記念日でお休みなので、その分ガッツリ勉強ができるのだ。真本さんを家に泊めてからそんなに時間が経っていないのに、また泊めることになるなんてな。
「で、あの件。真本には言わなくていいのか?」
「うん。彼女を不安にさせるのは嫌だからさ。それに、あれから特に連絡がないし」
あの件とは、大雨で真本さんが泊まった翌日、僕のもとにかかってきた脅迫電話だ。ご丁寧にボイスチェンジャーまでして、『これ以上、真本空音に関わるな。お前に彼女は、ふさわしくない』なんて言ってきた。しかし、あれ以降非通知の電話はかかってこない。真本さんにもそれとなく、変なことはなかったかと尋ねてみたが、特におかしなことはなかったという。
「前に俺らをストーカーしていたやつかな」
「かもしれないね」
それよりも前に、二人でテニスの練習をした帰りに誰かにつけられていたと聖は言っていた。その時は気がする程度だったが……多分、気のせいなんかじゃない。警察に連絡しようとも考えたが、ストーカーやいやがらせには腰が重いと聞いたことがある。それを知っているから、向こうも直接電話してきたのだろう。
「しかも歌姫とか呼んでいたんだろ? 気持ち悪いったらありゃしないって。想像するだけで鳥肌が立つわ」
そう言ってわざとらしく体を震えさせた。真本さんのことを歌姫だなんて呼ぶのはどうしてだろうか。真本さん、歌が上手いのかな。なんにせよ気味が悪い。
「真本さんがこれを知ったら……きっと自分を責めると思う。だから、聖も黙っていてくれると嬉しい。もう少し、様子を見よう」
「だな、俺も同意見だ。こういう時、マジで警察動かないからなぁ」
「経験者は語る、だね」
うんざりしたように聖はため息をつく。モテるため女子からストーカーをされた経験も豊富な聖だが、一度だけ本気でピンチになったことがある。血で書かれたラブレターに、毎晩のように電話がかかってきて、警察に相談するもまともに取り合ってもらえなかった。その結果刃物を持ったストーカーさんに誘拐されかけるという、あまりにも恐ろしい目にあったのだ。まさか中学校の事務員さんが犯人だとは、僕も聖も予想だにしていなかった。それ以来、聖は刃物がダメになったのだ。
「あれほんと怖かったんだからな? というか治安悪すぎだろこの町」
「あはは……言えているかも」
漫画に出てくる世紀末な不良校というわけじゃないが、自由な校風ゆえにタチの悪い生徒がいるのも事実だ。真本さんに絡んでいた不良たちだって、何もなかったかのように学校に来ているし。それにもっと怖い人もいる。
「ちょっと! 長瀬いるかしら!?」
ドンドンドン! とわざとらしいほどに大きな足音をたてながら、派手な容姿をした女子五人組が教室に飛び込んで来た。紺色の長髪をたなびかせた切込隊長の顔は、僕も知っている。去年同じクラスだった子だ。
「うげっ、ヒステリック杏奈。厄介なことになるぞこりゃ」
彼女の顔を見るなり、聖はげんなりとした表情を浮かべる。聖も同じクラスだったので、彼女――都丸杏奈さんの苛烈さは知っていた。