1-3 噂の彼女
本日三つ目の更新になります。
「飴で思い出した。そういえば。今日のお昼、金髪の女の子がプール裏にいたんだ。眼鏡をかけていて、見たことのない子でさ。僕に飴をくれたんだ。多分同級生じゃないかなって思うけれど、聖は知らない? なんというか、涼やかーな感じの子で……」
一学年に八クラスもあるため、いまだに顔と名前の一致しない同級生もいる。しかし、あの金髪眼鏡さんは人を惹きつける容姿をしていた。学園祭で行われるミスコンに参加すれば一位も狙えただろう。しかし、僕は彼女の顔をその時まで知らなかった。
「飴をくれたの? 女の子が? うーん、 それはどうだろう。恋が始まる予感を感じるような、感じないような……。でも、お兄ちゃんが女の子の話題をするのって初めて聞いたかも! どんな子どんな子? 今度家に連れてきて! 恋愛百段の横尾萌波ちゃんがジャッジしてあげる!」
「無茶言わないでよ。あの子の名前すら知らないんだよ?」
勝手に恋バナと解釈をして、テンション高く小姑ムーブをしている新妻気分の萌波は放っておこう。しかし言われてみると、二人の前で女子の話題をしたのは初めてかもしれない。
「涼やかーかはわかんないが、金髪眼鏡なら心当たりがあるぞ。転校してきたばかりの真本空音じゃない?」
「さかもとくおん?」
「惜しい! 『か』じゃなくて『な』。真田信繁のさなだよ」
さすがインテリ。一般的に知られる幸村じゃなくて、本名で答える。初めて聞いた名前だが、転校生には心当たりがあった。二年に進級したのと同時に、別のクラスに転校生がやってきたとクラスで少し話題になっていたっけ。
「確かに美人だよなあ、あの子」
「むぅ、それは聞き捨てならないよぉ! ひーくん! その人と喋ったらダメだからね!」
萌波が頬を膨らませながら抗議する。聖の視線を独り占めにしたい彼女にとっては、美人という最高評価をもらった真本さんは、危険分子になってしまったらしい。
「でもあの子、あんまりいい噂を聞かねえんだよな」
「うん? どういう意味? 確かにパッと見、不良っぽかったけど」
「いや、そういう意味じゃないんだけどよ……」
チラリ、チラリ。横目で生姜焼きを頬張る恋人を見る。なにやら、萌波に聞かれたくない話のようだ。
「ぶぅ、チラチラ見て。妖怪飴女と私を比較しているんですかー?」
挙句の果てには妖怪扱いときた。本人がいないのをいいことに、言いたい放題だ。
「違う違う。俺の彼女すっげーかわいいなって思っていた。世界一かわいいな?」
「んもー、銀河一かわいいって! 照れるじゃん、にへへ……私たち銀河最強のカップルってことだよ?」
一気にスケールアップして、ミスユニバースになった萌波は、トリップ状態で蕩けている。こうなると、当分帰ってこない。
「あくまで噂の話だから、間に受けるのもバカバカしいけどさ。あの子、前の学校でやらかしたらしい」
「やらかしたって?」
念のためにとヒソヒソ声になる。小指の先くらいの大きさに切ってあげたにんじんを、腹ぺこなロンロンに与えながら、テニス部員から聞いたという噂話を教えてくれた。
「俺が聞いた話だと、付き合っていた幼馴染の彼氏がいるのにタチの悪いやつと浮気してホテルに行ったとか、浮気の原因がその幼馴染にあると嘘をついて陥れていじめたとか、やってもいない痴漢をでっち上げかけたとかパパ活したとか……まぁ、絵に描いたような悪女だな。悪そうなことはあらかたやってるわ」
「ひどいね、それは」
いじめの話が出てくるのならば、萌波に聞かせるわけがいかなかった。テレビで放送している学園ドラマでいじめのシーンが出てくるだけでも、気分が悪くなって吐きそうになるくらいだ。明るく振る舞って幸せですってアピールしても、まだまだ傷は癒えそうにない。
彼女が、そんなことをしていたのか? 一分にも満たないコミュニケーションの中で、判別なんかできるわけがない。
「聖は信じているの?」
「俺は目で見たものしか信じない主義だってこと、お忘れ?」
「それもそうだ。幽霊はいないけど、UFOはいるんだったね」
「イエース」
頼んでもいないのに、ニカっと女子殺しのキラースマイルを無料でくれた。目で見たものしか信じない、と口で言うのは簡単だ。しかし、いつだって僕らは、勝手に膨らむ根も葉もない噂に振り回される。
「噂なんて尾ひれがついてなんぼだからな。真偽はともかく、ゴシップを冷やかし楽しむ連中もいる。中にはまるっと信じて、正義を大義名分に真本を攻撃するやつもいるかもな」
いつになくシリアスな口調だ。萌波のときもそうだった。悪意を持って拡散された噂や嘘は訂正することが難しく、あとで全部デタラメでっち上げだと判明しても、それでも未だに萌波が悪いと信じきっている生徒もいると聞く。人を傷つけるには、刃物なんて必要ない。口と指だけで誰もが簡単に殺し屋になれる。
そして、聖の懸念は早くも回収されてしまう。
「聞いたぜ? 真本って前の学校じゃ、頼めばヤらせてくれたんだろ? こいつ、童貞なんだよ。お前のエグいテクで卒業させてやれよ」
翌日の昼休み。人気のないプール裏で、数人の柄の悪い生徒に真本さんが囲まれていた。別のクラスの、やんちゃな連中だ。
「転校前じゃ穴兄弟が一〇人いたらしいぞ、めっちゃビッチじゃん」
「うわっ、マジかよ。やべーな、興奮してきたわ」
清々しい春の日差しの下で口にするにはふさわしくない、下品な話だ。青春は爽やかなものだと声高に語るドラマは、取材が足りていない。現実はそんなキラキラしたものじゃない。
噂なんて尾ひれがついてなんぼ──聖の言葉が浮かんでくる。尻軽属性まで付与されてしまった真本さんだが、下卑た笑みを浮かべる不良たちを前にして、飴を咥えたまま相変わらずの死んだ目と無言を貫く。それは怯えているからではなくて、心底どうでもいいと思っているから相手にしていないだけ。首にかけているヘッドホンを耳に装着し、つまらなさそうに髪をクルクルと弄っている。
「もしもーし、聞こえてますかー?」
音楽を聴いているので返事はない。それどころか、不良たちにくるりと背を向けると、パシャりと自撮り。完全におちょくっていた。予想外の行動に、囲んでいる不良たちも困惑している。ただ一人、リーダー格の図体のでかいツンツン髪は怒髪天をついて、ヘッドホンを掴んで投げ飛ばすと、顔を真っ赤にして拳を振り上げる。
「舐めてんじゃねぇぞヤリマン!」
「高砂先生! こっちでーす!」
もしここにいるのがあいつならば、格好良く不良たちの前に立ち塞がり、華麗に真本さんを助けるだろう。そして助けられた彼女は自分が助演女優でしかないと、自覚することなく颯爽と現れた王子様に恋をするんだ。
でもそんなご都合主義があるわけない。力不足の助演男優ができたことは、ここにいない先生の名前を叫ぶことだけ。高砂先生は自衛隊出身という異色の経歴を持っていた。鬼みたいに厳しい先生で、この人が教壇に立つと教室内は張り詰めた空気に支配されてしまう。生徒指導も任されており、不良たちの天敵なのだ。
「高砂!? やべっ!」
殴りかけていたツンツン頭も、高砂先生には敵わないようで慌てて逃げていく。一人残された真本さんは、不思議そうに首をかしげた。
「僕の仕事はこれでおしまいだね」
くさいセリフを吐いて真本さんの前に姿を表すような真似はできっこない。脇役は脇役らしく、影の存在に徹するとしよう。