3-12 バーガーショップ小宮
二人してハンバーガーを食べたくなったのは、真本さんがバーガーパーカーを着ているからだろう。しかしノアの方舟の伝説を思わせる大雨の中、ハンバーガーショップにまで行くのは無理がある。かと言って、デリバリーアプリで出前を頼むのは畜生の所業だ。バンズを作るという手段もあるが、それよりもお手軽な方法もある。食パンだ。
食パンをコップなりで丸くくりぬけば、バンズの代わりになる。残った部分はミキサーに入れてパン粉にもできるし、パンの耳はラスクにもなるしで、食パンひとつで色々とできるのだ。
「ロンロン、お手」
真本さんは相変わらず彼バーガーパーカー状態だ。そろそろ着ていた服も乾いた頃だが、気に入ってくれたのかそのままだ。目のやり場に困ると正直に答えても、「もっと恥ずかしいことしたんですから」と笑われてしまった。
ほんの少し前まで、彼女と抱き合っていた。その事実が、僕をドギマギさせる。
ダサパーカーの下の指の感触、女性であることを意識させる二つの果実、萌波と同じシャンプーやボディソープを使ったはずなのに、これまで嗅いだことのない甘い香り、赤ちゃんの寝息みたいに小さな吐息。数え上げればキリがない。変態かよ、僕。そんな僕の葛藤なんて知る由もなく。いや、もしくは知った上でからかっているに違いない。ロンロンと遊びながらもこちらを伺うと、パーカーの裾を掴んでチラリと上げ、肌を見せようとする。扇情的な光景に固まりかけるが、「んんっ!」とわざとらしく大きな咳をしてごまかす。
「ワシントン、アダムズ、ジェファーソン……マディソン……リンカーン?」
気分を落ち着かせるために歴代アメリカ大統領の名前を詠唱してみるが、一気に飛んでしまったような気がする。マディソンの次はリンカーンじゃなくて……モンローだっけ。でもその名前は、マリリン・モンローの方が出てきちゃうよな。僕の両親が生まれるよりも前に亡くなった女優だが、ブロンドヘアーのシンボルで、地下鉄の通気口からふわぁと吹き上がる風邪でスカートがめくれ上がるシーンは、令和の高校生である僕でも知っている。髪色でいうと、真本さんも綺麗な金髪に染めている。頭の中で、マリリン・モンローが真本さんに入れ替わる。強い風で、パーカーがめくれ上がり――。
「3.1415926!」
煩悩を消し去るため、円周率を一〇八桁まで唱えようとするも、さすがに無理があった。八桁まで覚えていたところで、僕の数学の成績は上がらないし、完全なムダ知識だ。真本さんはこの場にいないものとして、牛合挽き肉をこねこね。作った肉だねを、パン粉の中に入れて混ぜ混ぜ。贅沢な気分を味わうために、食パンバンズからはみ出るサイズに成形し、削りチーズを乗せてフライパンの上に乗せる。中火で焼くと、ジュージューと素敵な音が出てくる。世の中、空腹を誘う音はいくつもあるが、お肉が焼ける音に勝るものはない。その間にフライドポテトとラスクの準備をしよう。油を敷いた鍋の中に、短く切ったジャガイモを入れていく。ポテトを揚げるときの音も、おなかがすいてくる。揚げたてのホクホクポテトに、ひんやりとしたソフトクリームをディップして食べるともうたまらない。ソフトクリームとポテトの組み合わせは、人類最大の罪だと僕は考えていた。
「できた! 真本さん、晩ご飯だよーって、いつまでその格好でいるの?」
屋内なのにフードをかぶって頭を隠しても、もっと隠すべき場所が隠れていない。「裸エプロンよりマシですよ」とウインクをする。まるで経験済みですと言いたげな口ぶりだ。顔も知らない彼氏か、浮気相手の趣味だろうか。
「はいどうぞ。ダイナーコミヤのチーズバーガーセットです」
食パンを使ったボリュームたっぷりなチーズバーガーと、ホクホクのフライドポテト。シャキシャキのサラダに、手軽につまめるラスクもつけた、ダイナーコミヤの人気セットだ。
「ハンバーガーにナイフを刺しているのが、雰囲気があっていいですね」
トロットロのチーズが溢れるビッグバーガーの上から、縦にナイフを突き刺している。これも萌波の思いつきリクエストメニューだ。テレビでやっていた、古いアメリカの映画で出てきたハンバーガーを見て作って作ってとごねたので、ハンバーガー捏ねたのもいい思い出だ。
「いただきます」
フォークとナイフを器用に使い、乱雑にも見えるハンバーガーも上品に食べる。箸の使い方も綺麗だったし、テーブルマナーは厳しく躾けられたのかな。目の前でお手本のようなマナーを見せられると、僕も気をつけなくちゃと思ってしまう。
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
「お粗末様でした」
手を合わせる、それだけの日常的な仕草にすら、見惚れてしまう。本当に、ずるい人だ。
「小宮シェフは、頼めばなんでも作れそうですね」
「僕にできるのは、レシピがあるものだけだよ」
ネットで検索すれば、ありとあらゆる料理の作り方が出てくる。それさえわかれば、大抵の料理は作ることができると思う。でも、自分で一から料理のメニューを作ったことはない。地中海風本格インドカレーをオーダーされたときは、本当に困った。そんな矛盾した料理を作る人はまずいない。しかもリクエストした萌波ですら、どんなものなのかわかっていない思いつきの極みだ。地中海風カレーとインドカレーのレシピを見比べながら、なんとかそれっぽいものを作ったが、もう二度と作ることはないと思う。真本さんのお願いでも、遠慮したい。
「いつかは、小宮くんが作った完全オリジナルメニューも食べてみたいですね……そのときは、私は二番目のお客さんになってあげます」
「あはは……一番じゃないと、あいつ機嫌悪くなるもんなあ」
今日一日で、萌波のパーソナルを理解したみたいだ。あいつ、横尾家で迷惑かけてなきゃいいけれど。後で電話を入れておこう。