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3-9 ハロー濡れ鼠

 真本さなもとさんが家に来たのは二度目だ。あの時は晩御飯を食べないかと僕の方から誘ったが、今日は本当に唐突だった。泊まろうだなんて、そんな素振りを一切見せなかった。


「お泊まりって、冗談だよね?」

「私はいつだって本気ですよ。ラリー二〇回成功するまで帰りません」


 表情も変えず、淡々と答える。家の前で問答していると、かえって怪しい。困った僕は、とりあえず真本さなもとさんを部屋にあげることにした。


「久しぶり、ロンロン。元気していましたか? ふふっ、そうですか。ピッチャーライナーは危険ですもんね」

「なんの会話をしているの?」

「昨今のメジャーリーグについて語っていました。本当ですよ?」


 不思議なトークを繰り広げる真本さなもとさんの声は、普段より弾んでいる。ロンロンも帰ってきた時は寝ていたのに、真本さなもとさんの匂いを憶えていたのか目を覚ましてケージの中ではしゃいでいた。


「真面目に帰らないつもり?」

「ええ。ラリーを成功させるには、互いの息を合わせる必要があると考えたんです。共同生活は、相互理解の一番手っ取り早い手段です。違いますか?」

「違うと思う」


 でも彼女の言わんとしていることはわからなくはない。ラリーじゃなくてダブルスの話だが、中学のテニス部でもダブルスを組んでいた先輩が、大会が近づくと息を合わせるために一緒に暮らすなんて話もあった。OBの中には、四六時中一緒に過ごすため同じ布団で寝たり、トイレも一緒にしたり、なんなら肉体関係もあったとか――そんな噂も囁かれていた。


 でも、僕たちは男女だ。いや、男同士でもそれはどうなんだろうとは思うが、冗談ですまない。真本さなもとさんが帰らない場合、萌波もなみはずっと横尾家のお世話になるつもりなのかな。夕食の時だけ、うちに帰ってくるか。


「もしもだよ? 一年経っても出来なかったら、その間ずっとここにいるわけ?」

「そこまで運動神経が死んでいるとは思いませんが、まあ、そうなりますね。もともと私はひとり暮らしですし、心配する人もいませんから」


 眼鏡のブリッジを押しながらさも当然のように返した。本人は絶縁されたと言っている。両親としては、娘がどんな末路を迎えようとも知ったこっちゃないのだろうか。


「というわけで。ラリー二〇回を目指して、頑張りましょう」

「そう言われてもなあ……あっ」


 ふと、天啓が降りてきた僕は、ゲーム機の電源を付ける。


真本さなもとさんって、ゲームやる?」

「えっ? 昔はしていましたが、最近はさっぱりです。やるとしても、スマホで数独とかクロスワードパズルをやるくらいで。それが、どうかしましたか」

「家の中じゃラケットを振れないけど、ゲームの中だとできるでしょ?」


 先日もひじりとプレイしていた、対戦テニスゲームだ。戸惑う真本さなもとさんに、「これで練習しようよ」とコントローラーを渡す。最近はさっぱりというのは本当のようで、初めて触ったそれはどう持てばいいかも分からないようだ。持ち方と、ボタン操作を簡単に説明するとなんとなく理解してくれたらしい。なんにしても飲み込みの早い子だ。


「なるほど。ゲームで感覚をつかむのですね。どのキャラが初心者向けですか?」

「そうだなあ。このキャラとかどうだろう。尖ったところはない代わりに、全パラメーターは平均的だから使いやすいし、特殊能力で相手が打ったボールがどこに来るかわかるんだ」


 真本さなもとさんにオススメしたキャラは、髪は青色だがその他の部分は彼女に似ている。眼鏡をかけており、あまり感情を表に出さない。それでいて実はかわいい動物が好きというギャップのある子だ。対戦相手のデータを収集して、それに基づいて相手の打球を先読みし弱点を突くプレースタイルを得意とすることもあってか、デフォルトでボールがどこに来るのか予知できるという強力スキルを持っている。ゲームそのものに慣れていない真本さんにもぴったりだろう。

 僕は、ツインテールのキャラクターを選んだ。見た目だけは萌波もなみになんとなく似ているが、性格は正反対。遠慮がちでおとなしい子だ。この子くらい、萌波も落ち着いてくれるといいんだけどなあ。


「初心者だからって、遠慮しないでくださいね」


 彼女はこのゲーム機自体触るのが初めてなのに対して、僕はひじり萌波もなみと度々対戦をしている。手加減は無用と言われても、それはそれで気を使わざるを得ない。それに、僕は別に勝たなくても構わないのだ。


「いくよー、それっ」


 サービスは僕から。ツインテールを揺らして、少し弱めの打球が飛んでいった。どこに落ちるのかは、ゲーム画面に小さなマークが出て分かるようになっている。真本さなもとさんはサーブを返した。バウンドする前に。


「あっ、すみません。これ、ダメでしたね」

「うん。僕に点が入るよ」


 サーブを打ち返すことをレシーブというが、これはワンバウンドした状態じゃないと打ち返しちゃいけないのだ。ボールがコートに落ちる前にラケットが触れてしまった場合、相手にポイントが入る。初心者にはたまにある凡ミスだ。何球も白熱したラリーを繰り広げたあとにやっと取ったポイントと、相手の凡ミスで転がってきたポイントはテニスにおいて同価値だ。平等でもあり、理不尽でもある――と、中学の時の顧問が言っていたっけ。


「それっ」


 今度はちゃんとサーブを返してくれた。できるだけ、返しやすいところに打球を飛ばす。「やっ」、「えいっ」、「そりゃ」。ボールを打つときに掛け声が出るのは僕の癖だ。ゲームをしているときでも、ついつい声を入れてしまう。「お兄ちゃんとゲームをしたらうるさくて集中できないよー」と萌波もなみには不評だが、意識しても出てしまうものは仕方ない。真本さなもとさんも嫌がってやないかと隣を見ると、真剣な眼差しでゲーム画面をじっと見ている。僕の声が聞こえないくらい、集中しているみたいだ。


 二ゲーム続けて僕が取ったが、真本さなもとさんも操作に慣れたようで、広角にボールを打ち込んだり、ボレーを決めようと前に出た僕にロブを打ったり、ここぞのタイミングで必殺技を打ち込んできたりと、いやらしい戦略も組み込んできた。一ゲームを返されて、サーブ権は真本さなもとさんに移る。バウンドした後、ボールに急激な回転がかかって消えたように見える必殺サーブを放つが、僕も必殺技の高速リターンを打ち返す。しかし真本さなもとさんはそれを読んでいたようで、ダッシュで追いつきボールを返した。


「やるね」

「そちらこそ」


 その後も必殺技の応酬が繰り広げられる。真本さなもとさんは顔に出さずともテンションが上がってきたのか、僕みたいにボールを打つたびに「はいっ」と掛け声を入れる。一〇回、一五回とラリーは続く。そして二〇回目のラリーで、僕は絶対にコードボールになる必殺技を放った。ネットの白いテープに当たったボールは、ポトンとコートに落ちた。


「はい。今ので、二〇回ラリーは達成したよ」

「……なるほど、一本取られましたね」


 集中の糸が切れたのか、まだゲームは続いているというのに大きなため息をついた。真本さなもとさんはラリーを二〇回成功させるまで帰らないと僕に宣言したが、テニスのラリーとは一言も言っていなかった。だから、卓球でもゲームでもラリーが続きさえすれば、目標は達成されるのだ。屁理屈だとなじられるかと思ったが、彼女はわざとらしく両手を顔の横に持ってやれやれのポーズをした。


「まあ、お泊りは冗談のつもりでしたよ。でも、小宮くんの面白いリアクションを期待していたのに、一休さんみたいなことをするから。してやられました。でも、不思議と爽快な気分です」

「ラリーが続いたからかな?」

「かもしれませんね」


 ゲームの中とはいえ、何度もラリーが続くと心が弾むものだ。ミスが許されない一進一退の攻防のドキドキは、他のなにかでは代用できない。オーバーな表現をすると、生きるか死ぬか《デッドオアアライブ》の緊張感。それこそが、テニスの醍醐味だと僕は思っていた。なんて、勝手に満足して投げ出した僕が言えたことじゃあないか。


「次は、お互い遠慮なしのラリーをやってみたいものですね。えいっ」


 不敵に口角を上げてラケットを振るまねをする。僕も釣られて、「はいっ」と振り返した。表情は変わっていない、でも笑ってくれている。あの時みたいな、空虚な笑顔ではない。僕も少しは、主人公らしくなれたのかな。


「では、私は帰ります。お邪魔しました、また学校で」

「うん。気をつけて帰ってね」


 先日聖ひじりが感じたという怪しい視線が気がかりで、「家まで送ろうか?」と聞いてみたが、「そこまではいいですよ」とやんわり拒否された。


 真本さなもとさんが家を出たあと、萌波もなみに帰ってくるようメッセージを送る。すると、窓を叩く雨音がポツリポツリ。「天気予報じゃ今日一日は晴れでしょうと言っていたのに」とつぶやくやいなや、窓ガラスを突き破らん勢いで激しい雨が降り注ぐ。この街に住む誰かが、神様にとっての禁句を口にしてしまったのか、あまりにも唐突な豪雨だ。慌てて外に干していた洗濯物を回収する。


真本さなもとさん、大丈夫かな」


 梅雨時期だから折りたたみ傘くらい持っていると思うが、こんなド悪天候じゃ帰るのも大変だ。どこかで雨宿りできればいいのだけれど……。彼女の安否が心配になって、メッセージを送ろうとしたその時、ピンポーンとチャイムが鳴る。萌波もなみが帰ってきたのかなと思ってドアを開けると。


「どうも、濡れ鼠です……クチュウ」


 飴を咥えたまま、ねずみの鳴き声みたいなくしゃみを一つ。びしょ濡れのジャージが張り付いた真本さなもとさんが、気まずそうに立っていた。

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