3-8 ラリー20回
初めてラケットを触ったという割には、真本さんもこはるちゃんも飲み込みがとても早い。元来の運動神経の良さもあってか、お昼休憩を挟んで四時間くらい練習しただけでも、それなりに様になっている。
「えいっ」
かわいらしい掛け声に反して、こはるちゃんのサーブはダイナミックだ。柔道で鍛えた足腰がしっかりしており、背負い投げのように放たれるサーブは荒削りでコントロールも悪いが、目で追うのがやっと。「サーブと背負投って似ているなって思ったらできちゃいましたっ」とさらりと言ってのける。インターハイまであと一歩だった聖ですら、目をパチクリと見開いて驚いている。絶対に返せないサーブがあれば、負けることはない。もしかしたら、とんでもない才能の持ち主を見つけてしまったのかも。
「こはるちゃん! 俺と勝負だ!」
高速の背負い投げサーブ(仮名)に火が付いたらしく、聖がコートに立つ。初心者相手に勝負だなんて大人気ないよと言おうと思ったが、「サーブを返したら俺の勝ちね」という変速ルールだ。こはるちゃんにとっても、実力者の聖をサーブで圧倒できれば自身に繋がるもんな。
「ええ! 横尾先輩とですかっ? え、えーと……お、お手柔らかに……っ。えいっ」
下からボールを打って、緩やかなサーブがコートに落ちる。「いや、こはるちゃん? 俺は本気のサーブが……」と困惑気味の聖。こはるちゃんは顔を赤くしてモジモジしている。振られてもやっぱり、まだ聖の前では乙女になっちゃうんだな、と真本さんと二人で苦笑いを浮かべる。
「こはる先輩ー! 卑しいメスの顔しないでくださいー!」
「わ、私はそんなのじゃないよっ!?」
萌波も乱入して三角関係ドラマが始まってしまった。出会ったばかりの人に対してなんて言い草だ。
「あっちは盛り上がっているし、僕らはのんびり練習しようか」
「そうですね。私もほんの少しですが、感覚がつかめた気がしますし」
こはるちゃんみたいな派手な技はないものの、運動神経のいい真本さんは卒なくこなしている。パラメーター図を作るならば、尖ったものはない代わりにオールラウンドに平均点以上を取る感じだろうか。少なくとも、テニスを始めたばかりの頃の僕よりも上手だし、うかうかしていると追い抜かれてしまうかも。
「ラリー二〇回、できるまで今日は帰りません」
「あはは……半分でも十分だよ?」
テニスのラリーは見た目よりも難しい。初心者とブランク持ちで二〇回はかなり難しい試練だ。一〇回でもしんどいだろう。
「ちなみに。ミスしたら、その度に小宮くんはスクワット一〇回です。私がミスしてもスクワットですよ」
「理不尽ルールだ!」
「イッツア冗談。そんなことしたら、小宮くんの足がえげつないことになりますよ」
失敗すればするほど、足が動かなる蟻地獄罰ゲームをしようものなら、家からリアカーを持ってきてもらわないと帰れない。冗談でよかった。
「それっ」
「はいっ。ああ、すみません」
「気にしないで気にしないで。今のは僕の返しがよくなかったから」
真本さんが返したボールはネットに当たって自陣に落ちてしまう。ネットを越す打球を打つというのも、初心者には難しい。僕も彼女が返しやすいような打球を心がけているが、さっきのは角度がつきすぎた。それでも間に合って、綺麗な体勢で返せる真本さんにはアッパレと言いたいところだ。
「もう一回、行きましょう」
「うん。じゃあ、僕から行くよ。それっ」
真本さんに優しいボールを打ってあげても、彼女はまだ僕と同じように返せるわけじゃない。最初のうちはどこにボールが飛んでいくか打った本人ですら見当がつかない。
「すみません、大暴投です」
ラケットを持たないで三角関係コントを繰り広げる隣のコートにボールが飛んでいく。さすがにあれは届かない。
「なかなか上手くいきませんね。私と小宮くん、相性がよくないのでしょうか?」
「そういうわけじゃないと思うけど……聖と変わろうか?」
真本さんは首を横に振って、「もう一回お願いします」と言う。でも、そろそろ限界みたいだ。
「今日はここまでにしておこう。真本さん、腕しんどいでしょ?」
相変わらず涼しい顔で、汗もほとんどかいていないが、ラケットを持つ腕は力なく震えている。ラケット自体の重さは三〇〇グラム前後が主流だ。でもそれをブンブン振れば、大きな負荷が腕にくる。こはるちゃんもそろそろきている頃だろうし、今日はお開きにしよう。
「お見通しでしたか。せめてもっとラリーを続けたかったのですが、残念です」
「何事も一日にしてならず、次の練習の課題にしようか……って当たり前みたいに次っていったけれど、どう? 楽しかった?」
ほとんどの時間基礎練習で、コートに立ってボールを打ってみても、うまくいったことよりも、うまくいかなかったことのほうが多い。楽しくなかったと言われても、僕は文句を言えない。
「本当は、こういうのに憧れていたんです」
でも、僕の心配は杞憂だった。ほんのりと赤くなった頬を、少しだけ上げる。
「友達と汗を流して体を動かすの、ちょっとした夢だったんですよ。だから次も、もちろん行きます。なんなら、自分用のシューズを買ってもいいかもしれませんね」
「そっか。それはよかったよ」
なにより、友達だと言ってくれたことが嬉しかった。真本さんは少しずつ、僕らに心を開いてくれている。
「小宮くんには、感謝していますよ。ありがとうございます」
「どういたしまして。こはるちゃんはどうだった?」
「私も、楽しかったですっ! やっぱり私、体動かすの好きだなあ……」
こはるちゃんも、エネルギーを発散できたからか晴れやかな笑顔だ。隣で若干不機嫌モードのお姫様は、「ひーくんは渡さないからね!」と口を尖らせる。
「そうだ。向こうのコンビニでアイスでも買って帰るか。てなわけで……ビリはアイス奢りな!」
「あ、ちょ!」
示し合わせたみたいにみんな走り出す。出遅れた僕は、ソーダアイスを六本買わされるのだった。一本多いって? わがまま姫のご機嫌取りだよ。勝ったアイスを公園のベンチで食べて、『MAGMA』の第一回練習はお開きとなった。こはるちゃんたちと別れて家まで帰るが、なぜか真本さんもついてきていた。彼女の家はこっち側じゃない。むしろ遠回りだ。
「真本さん? うちまで来て、どうしたの?」
「もしかして、お泊り? じゃあ私はお邪魔だね! ひーくんの家に泊まるね! 変なことしちゃダメだからねー!」
「そうじゃないって!」
勝手に解釈して、萌波は聖の家までスキップ混じりで駆け出す。好き放題生きて、人生が楽しそうだ。もう少し落ち着いて欲しいんだけどなあ。
「ラリー二〇回、成功するまで帰らないって言ったじゃないですか」
「ああ、言っていたね。でも腕が限界っぽかったし、それこそ帰るのが何時になるか」
「なので。小宮さんの家に泊まって、ラリーを二〇回成功させるまで帰らないことにします」
「……はい?」
お決まりの「イッツア冗談」はなく、真面目な顔で言ってのけた。