3-6 テニサー始動
高架下のテニスコートのメリットは、雨や日差しを防げるところにある。テニス部員たち最大の悩みはなにかというと、日焼けだと僕は考えていた。燦々《さんさん》と照りつける灼熱の太陽の下で、テニスの練習をすればどうなるか。あっという間に大阪の高校生探偵みたいになってしまう。屋内コートがある学校なんてそう多くはないし、試合は屋外コートで行われることがほとんどだから、日焼け止めを塗らなきゃ大変なことになるのだ。しかし、僕はどうにも日焼け止めの匂いが苦手だった。
そしてもう一つ。高架下、というよりかはここ限定の話だが、目立つところにないので、土曜日のお昼でも僕たち以外のプレーヤーはいない。聖とここでよく練習してきたが、他の人と相席ならぬ相コートになった記憶は片手で数える程度だ。僕たちだけの秘密の穴場なのだ。とはいえ、同じように穴場を利用する人はいるわけで、前に使ったであろうマナーの悪いプレーヤーがポイ捨てしたタバコの吸殻やビールの缶、さらには一足早い花火大会を行ったのか線香花火のゴミまで転がっている。コート場で飲酒喫煙花火だなんて、萌波が想像するテニサーでもやらないと思いたい。
「えー、本日はお日柄もよく。テニスサークル『MAGMA』の体験練習会にお越しいただきありがとうございます。部長の小宮海智です……えーと、テニスはブランクがありますが、よろしくお願いします」
「よっ! 部長!」
聖が大声で茶々を入れると、女子三人も拍手をくれた。リーダーシップなんてもの、僕にはこれっぽっちもないが言いだしっぺの法則というべきか、サークルの部長という立場を手に入れてしまった。ちなみにサークル名の『MAGMA』は、大学のテニサーっぽい英単語を聖と順番に言い合っていくうちに、ビビっときた単語から取られている。一応同名サークルはないかと調べてみたが、今のところテニスサークル『MAGMA』さんはないみたいだ。
メンバーは僕と聖、真本さんとこはるちゃん。そして。
「マネージャーの小宮萌波だよー! 現在絶賛引きこもり中! よろしくねー!」
外に出るのを怖がってデートすらなかなかできない萌波だが、僕が仲良くしているという女の子二人を見てみたいという好奇心が勝ったらしく、影踏み鬼を遊ぶように聖の後ろに隠れつつ、ここまで来てくれた。最初は緊張していた萌波も、真本さんとこはるちゃんは安全だと判断したようで、いつものわがまま姫モードになっている。
僕以上に運動不足ということもあり、マネージャーという形で『MAGMA』五人目の団員となった。敏腕マネージャーという設定らしく、母さんが使っていた眼鏡を掛けている。度の入っていない伊達眼鏡だが、変なところでこだわりの強い萌波としては、度入りの眼鏡が良かったらしい。開口一番、真本さんに交換してほしいと頼むも、やんわりと断られてしまった。初対面の相手にする会話じゃないと思うが、早くも真本さんの心のバリアを溶かしてグイグイ近い距離に来ている。真本さんも満更ではなさそうでさっそく飴で餌付けをした。
ただ、懸念事項もあった。それはこはるちゃんの存在だ。聖の彼女と、聖に告白して振られた子が同じコートにいる状況は、健全かと問われると首を縦に振れない。萌波がサークルに入りたいと言った時点で、こはるちゃんには事情を説明している。『気を遣わないでくださいっ。彼女さんからすると、テニスの練習とはいえほかの女の子と一緒になるのは気分が良くないでしょうし』と言ってくれたが、いざ彼女である萌波が来るとやっぱり複雑な表情を浮かべた。
「この子が横尾先輩の彼女さんなんですねっ。こんなにかわいい子とお付き合いしているんだから、私なんか最初から勝ち目なかったんですね」
本人はもう大丈夫と気丈に振舞っていたものの、そう簡単に割り切れるものでもなかった。かける言葉を頭の中で探していると、萌波がこはるちゃんの口に人差し指を突き立てる。
「シーッ。なんて、なんて言っちゃダメですよ。こはる先輩は空音先輩と同率で、日本で二番目にかわいいんです。ひーくんは日本一かわいい私の彼氏で、お渡しできませんが……男の子なんて星の数ほどいます。だからきっと、素敵な恋ができますよ」
「やはは……それ、萌波ちゃんが言う?」
恋愛勝者が敗者にかける言葉としてはふさわしくないだろう。文字に起こしてみれば、煽っているようにしか聞こえない。でも、萌波が言うとイヤミさがまったくないんだよな。こはるちゃんもおかしそうに苦笑いを浮かべている。得をするキャラクターをしているよ、本当。
「お兄ちゃんとかどうですか? 最近ちょっと太ってきましたが、料理が上手で可愛い義妹とイケメンな旦那様が」
「ごめんねこはるちゃん! うちの妹、神経の代わりにスルメイカが体中に行き渡っているの!」
「ギブギブギブ! 家庭内暴力反対ぃ!」
イヤミに聞こえないからといっても、これ以上無神経な発言を兄として許すわけにいかない。スレンダーな首から下とは対照的に、もちもちな肌を引っ張ってやる。
「兄妹仲、いいんですねっ。私、一人っ子だから、ちょっと羨ましいです」
こはるちゃんはにこやかに僕たち兄妹のじゃれあいを見ている。一人っ子の人からよく、妹が羨ましいと言われるが、そんなにいいものでもない。お兄ちゃんは妹にご奉仕するものだと、本気で思っているもんな。
でもそれが僕たち兄妹の日常だ。いじめられてしおらしくなっていた時の彼女のほうがイレギュラーだった。あの頃の空虚に取り憑かれた萌波を見るくらいなら、いくらでもわがままを聞いてあげたい。どうせいつかは、自立しちゃうわけだし、その日がくるまでは目一杯かわいがってあげなきゃね。
「お兄さんに似て、面白い子ですね。第一声が眼鏡を交換してくださいだなんて」
「ホントごめんね。うちの妹が騒がしくてわがまま三昧でさ。この前だって、アルゼンチン料理を作ってって無茶振りしてきたし……って僕は面白くないでしょ」
面白枠に入れられてしまったことに抗議を入れると、「ネタが飛んでしまった芸人さんの顔くらい面白いですよ」と飴を口に入れてきた。それを面白いと感じるのは、少々サディストの気があるぞ。