2-6 ビストロ小宮
本日最後の更新です。
テーブルの上に、トルコの家庭料理を並べる。自分で言うのもなんだが、どれも美味しそうにできた。うちの学校でトルコ料理コンテストを行ったならば、僕が一位になる自信がある。そんな限定的な大会に、生徒会や先生の認可が下りるわけないか。
見映えもいい感じだ。写真を撮って、萌波と聖にメッセージを送り、ついでにSNSにもアップする。僕のアカウントは、同級生と交流することはなく、作った料理の写真を載せたり、料理研究家や調理動画配信者のお手軽レシピを集めたりするためのもので、フォローしている人もフォロワーも年上の人が多い。
「真本さーん、できたよー」
「んっ」
不機嫌になって僕を無視していた彼女だったが、美味しい匂いには勝てなかったようで、舐めていた飴を噛み砕いて椅子に座る。
「口の中、甘くなっていない? お茶を飲んでさっぱりさせたらどう?」
「……そうします」
口が寂しいからって、あんなに舐めていたら、何を食べても飴の味がしてしまう。せっかく美味しく作れたのに、それじゃあもったいない。
「どうぞ、召し上がってください」
「いただきます」
トマトスープをスプーンで掬い、音も立てず静かに飲む。一口目が運ばれる瞬間は、何度経験してもドキドキする。毎日僕の料理を食べている萌波や聖を見ても緊張が走るのに、初めて家に来た相手となるとなおさらだ。スープ、ピラフ、キョテフ、サラダの順番で口に入れて、「美味しい」と呟く。表情こそはあまり変わっていないが、満足してくれたみたいだ。テーブルの下で、グッとガッツポーズをする。
「トルコ料理は初めてでしたが、辛さがちょうどいいですね」
香辛料だけじゃなくヨーグルトも多用する傾向があり、意外とマイルドな味わいになるので、繊細な日本人の舌にもよく合う。食材もそこまで奇抜なものは使わないので、レシピさえ見ればある程度は作れる料理だ。僕も彼女を真似して、行儀よくスープからいただく。うん、自画自賛しても許される美味しさだ。
「ネットでレシピを調べても、私にはこんなに美味しく作れません。小宮さん、実はトルコ人だったりしませんか?」
「ワタシニポンジン。トルコゴワカリマセン」
その理屈でいくと、フレンチシェフはみんなフランス人だし、中華料理人は中国人だ。ハンバーガーショップの店員はピエロになってしまう。
「料理の才能があって、羨ましいです」
才能か。いつも幼馴染にあれの才能があるよ、これの才能があるよと言ってきたのに、いざ自分が言われると途端に恥ずかしくなる。こんな照れくさい思いを、あいつはずっと抱いてきたのか。
「小学校の頃、調理実習で失敗したんです。そんなに難しくない料理だったのに、包丁で指を切るし、野菜は生焼けだし、挙げ句の果てには先生がこれは悪い見本です、食べられたものじゃないですって全員の前で晒して。みんなにも笑われました」
「それは……嫌な話だね」
不慣れなりに一生懸命作ったものを、笑い物にされてしまえば、自己肯定感だって低くなってしまう。顔も名前も知らない先生やクラスメイトたちに、不快感が積もった。
「でも、一人だけ……みんなの前で私の失敗作を食べてくれた人がいたんです。美味しくもないのに、笑ってみせて。俺は好きだぜ、今度作ってくれよって、言ってくれました」
その男の子は、彼女にとって大切な人だったのだろう。懐かしそうに、少し嬉しそうに語っていた。
「少しだけ、気は楽になりましたが……それがトラウマになって。家を出てばかりの頃は、インスタント麺を作ったり、近くの牛丼屋で食べたりしていましたが、それも面倒になってきて。気が付くと、三食飴ちゃんだけで生活していました。馬鹿みたいですよね」
自嘲気味に笑う。三食飴じゃ、エネルギー補給にもならない。これまでは空腹を誤魔化せたかもしれないが、そんな生活をしていたら身体が持たない。
「だから、料理が上手い人がいると、良いなぁって思うと同時に、私には無理だって」
「僕だって、最初は失敗ばかりだったよ。砂糖と塩を間違えたこともあるし、下手にアレンジしようとして逆にまずくなったこともある」
それでも、萌波は残さず食べてくれた。まずいなんて言わないで、「次はもっと美味しいのを作ろうね」と、僕を励ましてくれる。そんな妹のために、僕は料理を頑張ってきた。それだけの話だ。才能があるとすれば、継続する力になるのかもしれない。
「トルコのことわざに、こういうのがあるんだ。『神は一つのドアを閉めても、千のドアを開けている』って。一回失敗しても、成功のチャンスはいくらでもあるんだよ」
閉じたドアばかり見ていたとは、僕も同じだ。でも、今はいくつもの扉が開いている。前に伸びる足跡なんてない、誰も知らない未来だ。また失敗してしまうかもしれない。でも、その瞬間またいくつもの扉が開く。そうしている内に、いずれうまくいく扉に出会えるはずだ。
「練習さえすれば、真本さんもすぐに三ツ星シェフになれるし、僕も食べてみたいな」
「私には、できませんよ」
「大丈夫だよ。それに、もし失敗したら、その時僕を呼んでよ。全部食べるからさ」
「じゃあ、愛情と激辛ソースをたっぷり入れてあげますね」
「愛情だけでお願いします!」
うろたえる僕を見て、「あまり期待しないでくださいよ」とわずかに口角を上げる。ほんの少しだけ、スプーンひと匙程度かもしれないが、投げやりだった闇色の瞳に光が見えた気がした。