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ろーぷれ日記、こぼれ話

かぜをみたい -『風を見た人』を想いながら-

作者: みなはら



蒼空が高い。

風が心地よく感じられてきた。


秋の訪れなのだろう。


ある歌手のうた、その歌詞を思い出す。


あの歌は慈悲の心、魂の回帰、そういったものだとは思う。



世の中は壁にぶつかることが多い。

ぶつかることばかりだ。


そうしてうちひしがれて下を向いてしまう。

けれども、そのままでは居ずに、いつかは俯くことをやめる。


人は出来ないことを、別の手段を想像して見つけ出し、

新しいことを創造して、新たな道筋を歩んでゆくのだ。


人は自力で飛ぶことは出来ないけれど、

新たな道を模索し続ける。


そうして手に入れたもので、蒼空を渡り、星をゆく。

最初の心を、想いの力だけは変わらず持ち続けて。



挿絵(By みてみん)





--(みゆき)は……、

風の中になにかを見ることがあると、みゆき(あいつ)は前のときにそう言っていたことがあった……。


人は、人のままでそうしたものを見てしまうことがある。


こうしたきれいなものが見えることは幸運だと、子どもの頃は一緒になって喜んで、嬉しそうなあいつのことを見ていたけれど……、

それが幸運であるばかりではないということだ。


そう気づいたのは、今の自分だから、

そんな自分となったからなのだけれど……。


皮肉なものだ。

物事というのはだいたいが手遅れになってから気づく。

世の中というのは、どうやらそういうふうに出来ているらしい。



魔女が血で飛び、画家が血で描くと、

その物語世界のなかで語っていたおはなしを観たことがあるけれど、

なにかを成すためには、

血や、目や、何かしらの、そうした受け継ぐものを得ることが、その最低限の資質なのかもと思うことがある。



資質、資格……

そんなものは関係ない!

くそくらえだと思いながら現在(いま)を生きているけれど、

けれども、その境界を破ることはできていない。



かいたものを、みた相手の心に残すことができる資質。


そらを駆け、星の間をつき進み、

まだ誰も至ることのなかった場所へとゆける資質。


自らが欲しくてたまらないものへと、伸ばした手を届かせる資質……。


神へと至ることのできる道へと、やがて気づく資質……。



ひとの枠を越えるには、それを破るには……、

初めの資質(もっていたもの)を歪め、壊す必要がある……。


ひとの、人としての総量というものは、そうは変わらない。

たまにいる、ひとの枠を超えている、かろうじてひとの形をしているなにかといった、そうした存在(ひと)を除けばだ。


そうした人には……、

あらかじめ枷がかけられていることもある。


支払ったものはとても重く、厳しい生い立ちを受けたりしていることが……




早朝、あの飛行機雲を見た同じ日の帰り道、また空を見上げた。


今日は風の強い日だった……。

荒ぶる雲……。

いや……、荒ぶる風の洗礼に翻弄され、千々にされている雲を眺める。


風は見えない。

でも、雲を見ることで風を見ることができる。


……ごまかしだな。

能力の無い、人の身である自分には風が見えない。

能力(ちから)があるなら、力を使えば、全く違う世界の蒼空が見えるのだろう。


薄皮一枚先の世界……。

人は先へ進むと、その世界に気づくのだろうか?

それとも、隣り合う薄皮の先を否定して、背を向け進むのだろうか……。



狭間に住む自分は……、

立ち竦んでいるだけか?


一歩を……、

先への一歩を踏み出せるのだろうか?





○○(つかさ)くん、どうしたの?」


「ああ、こんちは稲荷狐(あやは)さん。風を見ていたんだ」

正しくは、風を見たいと思っていたんだよね。



この辺りの社に住み、稲荷に仕えている彼女きつねと出会う。



「今日わ、良い風の吹く日だものね」

彼女の目が、何もないはずの蒼空を見ている。何かが見えるのではというように、蒼空を、その一点を追いながら。



挿絵(By みてみん)




彼女きつねの目には、きっと風に関わる何かが見えるのだろう。


風を見たい。彼女が感じているものを、自分も感じたい。


今、そんなことを思った。




『らのべ異文 -かぜを見たい-』






できるのなら……、

ぼくは(いま)のままで、いま、(きみ)の見ているかぜがみたいんだ……


挿絵(By みてみん)






-あとがきのようなもの-


『妖精を見るには妖精の目がいる』

ある作家さんのそんな有名な言葉、知る人ぞ知る言葉があります。


見ようと思っても見えないものがある。

あの方はそんなことを伝えたかったのかなと、そう思ったりしております。



人は風を見ることはできません。

けれども風を聞いたり、感じたりはできます。


さだまさしさんは

このタイトルの歌の歌詞のなかで、

かぜも、こころも、見たことはないけれど、

風の音は聞けるし、心は伝えられると言っておりました。


人は見えない、目では感じられないことを、想像でおぎなって、言葉や絵で表現して感じさせたりすることをしてきました。


伝えるということは、それぞれが持つ心のフィルターが違うために、

書く側、読み取る側に不自由な思いと頼りない結果を与えたりするものです。


ですが、だからこそ、それが伝わる人と出会えたとき、思いがけない結果を、その想いや心、魂に出会ったように思えたりすることがあるのではと、そう感じたり思えたりするのですね(笑)



伝えること、伝わることには手間が掛かる。

けれども、それには手間を懸ける価値があるということなのかもしれません。

文章の面白さは、そうした、伝えるということが上手くいったときの嬉しさ、感動に根ざすところがあるのかなと。


そんなことを考えつつ、この文章を書いてみました(^ω^)



さだまさしさんの、『風を見た人』を初めて聞いたときの気持ちを思い出しながら……。


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― 新着の感想 ―
[一言] さださんの歌詞を検索して、一粒の麦って焼酎の名前としか知識が無かったのですが、聖書が由来なのですね。(笑) 最近は紅葉を見つけては青空を眺めていたので、なんとなくその時の感慨が浮かびました…
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