移動手段を始めとする世界の違い
不定期に揺れる鉄の箱が今日も俺たちを遠くへと運ぶ。16年生きてきた今となっては、この電車という乗り物も当たり前のように利用している。前世では多くの人間を運ぶ物といったら馬車が精々といった俺にとって、これも驚愕する出来事の一つだったのだが慣れというのは恐ろしい。
その馬車も乗れて4人程度。それより多くの人間を運ぶとなると、大量の肉体労働者が人力で運ぶ大きめの檻なんかが思い当たる。その檻の中に入るのは大抵生贄か奴隷と相場は決まっており、俺も主に後者を運ぶために利用してきた。あれを引き連れて街中を練り歩くのは中々気分が良かったのだが……いかん、また昔を懐かしんでしまっている。
それはともかく、そんな乗り物とカウントしていいのか分からない物すら遙かに上回る人数を載せているのがこの電車である。複数の箱が連結して、人力でも魔法でもない科学なる力で動いている。仕組みはよくわからん。文系科目はともかく理系科目は少し苦手だ。
(ま、利用できるなら何だって良い。用途を分かっている人間が使えば有用なのは前世も今も同じだな)
誕生日パーティーを乗り切った翌日たる今日は月曜日。俺はこのいつもの電車で高校へと向かっている。ラッシュ時なので車内はそこそこ混雑しており、ゆったりと出来ないが仕方あるまい。
じっとしながら何をしているのかは人それぞれである。本を読む者、スマホをいじる者、座席で眠りこける者、多種多様だ。
そして俺はというと、そういった人間を観察することで時間を潰している。同じような時間に同じような場所に立っていると、見覚えのある人間の見分けがついてくる。そいつがどういった人間か、今後何かしらの標的になりうるかを見定めるのだ。
(お、このOL、服が夏仕様に変わったな)
目をつけていたOLに目を向ける。先週まではキッチリとした服だったが今は半袖で生地も薄目。今日は朝から暑いからか胸元も少し開けている。いわゆる肌色成分が増し増しになった状態だ。
(まぁ何だ、女の身になって全く得しなかったと言えばウソになるな)
例えばこういった状態で男が一人の女をジロジロと見ていたら、この女も露骨な嫌悪感を見せてその男を睨んでくるだろう。だがその相手が俺のような女であった場合、その嫌悪感は大幅に減少する。もちろん多少警戒はするが、目が合ったらこちらがすぐさま逸らせば向こうも何もしてこない。
(まぁ俺も何かしようにもできないから安心し……ん?)
気のせいか? 下半身に妙な感触があった。いや股間ではない。その後ろの臀部、つまりケツだ。ケツに手のひらサイズの何かが触れた感触があった。
(いや待て。これはアレか? 手のひらサイズとかそういうのではなく……)
チラリと後ろを見てみる。俺の背後にはスーツを着た脂ぎったオッサンがいた。耳を研ぎ澄ますと呼吸の頻度が高いことが分かるが、これは体調不良によるものではないだろう。……つまり、だ。
「いい趣味してんなぁアンタ……」
気が付けば俺はその男の手首を即座に掴んでいた。すぐに回りがざわめきだし、誰かがこの男の行為の名称を口にしたことで一気に騒ぎとなる。
あぁ、しまった。このまま泳がせた上で別れ際にコイツの財布をスるって手もあった。だが時すでに遅し、既に車内にいる全員の注目の的となった今では不可能なので、このまま話を進めなければ。
しかしこのオッサン、スカートではなくズボンを穿いている俺に対して痴漢とはホント良い趣味してやがるわ。男が男のケツを触っていると思われなかったって理由で、このそこそこ大きい胸に感謝する日が来るとはな……。
『皇橋~皇橋でございます』
「あ、逃げたぞ!」
電車が停車し、扉が開いたと同時にオッサンが俺の手を振りほどいて逃げ出した。
あのオッサンからしたら千載一遇の好機だっただろう。電車のドアが開いた直後、自分の手首をつかむ俺の手の力が緩んだのだから。
そう、まさか意図的に手を緩めたのだとオッサンは思っていまい。
(さて、ちょいと昨日の憂さ晴らしをさせてもらうか)
同じく電車のドアから出た後、慌ててホームから改札へ続く階段へと向かうオッサンを視認する。だが遅い。そんな贅肉のついた足で俺から逃げきれるものか。
俺は盗賊王。目をつけた獲物は全て奪ってきた男。奪ったものが女であればなお良いが、男であっても手を抜くつもりはない。男女の差があるのは戦利品としてであり、獲物に男女の差などありはしないのだ!
階段に到達する前にオッサンに追いつく。回り込むには更に追い抜く必要があるが、そのために左右どちらかに向きを変えるつもりはない。標的に向け、走る方向はひたすら真っ直ぐだ。
だがそのままオッサンに激突し、転ばせて捕まえるつもりもない。刑事物のドラマであれば、犯人にタックルし胴にしがみついて確保するだろうが、こんなオッサンにしがみつくなど全くもって趣味ではない。ならばどうするか。
「うわっ!?」
……跳び越えれば良いのだ。
オッサンの間抜けな反応と、周りの驚愕した反応が共鳴する。オッサンの肩を掴んだと思ったら、跳び箱で言う前方倒立回転でオッサンを跳び越えてみせたのだから無理もあるまい。
しかし周りはともかく、オッサン……アンタは驚愕して固まっている暇はないんだぞ?
貴様はここからが本番だ。目を付けた相手を間違えたことを後悔しながら、己の尊厳を物理的にも社会的にも奪われるがいい!
「ごふっ!!」
……決着はついた。慈悲のない股間への一撃を受け、オッサンは蹲りながら地面に伏せる。相手の弱点を的確に突いて標的を黙らせるのは攻める側の基本だ。我ながら完璧に決まったといえよう。……おし、多少はスッキリした。
その場を去ろうとした直後、周りからの低い歓声が耳に入る。事が事なので大盛り上がりはしにくいのだろうか。しかし全員の視線が俺に向いていることはひしひしと伝わってくる。
(……だが今のうちによく見てくのもありだな。いずれこの国を奪う『盗賊王』の姿をな!)
その後、オッサンは駅員によってどこかに連行された。何か後日に改めて事情聴取があるかもって話らしいが、とりあえず今はこのまま学校へ向かえるようだ。さっきの股間の一撃に関してはとりあえず目を瞑ってくれたらしい。
オッサンを突き出すだめに途中駅で降りてしまったため、俺は次の電車が来るまで待たなければならない。それでも遅刻はしない計算なのでゆっくり待つことにする。
「司馬崎さん。相変わらずカッコよかったです!」
「ん?」
聞き覚えのある声の方向に振り向くと、1人のクラスメイトが羨望の眼差しでこちらを見ていた。
「ああ森嶋か。何、さっきの見てたの?」
「はい! すっかり見入っちゃいました! あ、これドアの前に置いてたカバンです!」
そう言って俺の荷物を手渡す。む、いかんな。あのオッサンに追いつくために無意識とはいえ、ホームの何でもないところに荷物を置くのは不用心だった。どうやらこいつは荷物番を買って出てくれたらしい。野次馬のついでかもしれんが。
「あ~うん。サンキュ」
クラスメイトの森嶋聡里。同い年の俺に対しても敬語を使うタイプの女。性格は控えめで、いわゆる巻き込まれ体質というやつだ。こいつは全身から虐められっ子オーラでも出しているのか、俺と出会うまで学外でしょっちゅう誰かに絡まれていたらしい。
そしてその日も他校の女子生徒にカツアゲされそうになっていたところを、森嶋に気を取られていたそいつの下着(いわゆる紐パン)をスリの練習がてら俺がスッたのだ。そして偶然そのタイミングで強風が吹いてスカートの中身が大公開されてしまい、取り巻き含め一目散に退散したというのが事の発端である。
森嶋は俺がそいつの下着をその場に捨てたところを目ざとく見ていたらしく、以降俺になつくようになってしまった。
その下着をそこらの変態に売りつけてもよかったのだが、そういう知り合いに心当たりがなかったのでその場で捨てたのが仇となった。いやだって皆スカートがめくれて悲鳴を上げているそいつに注目するだろうし、売るつもりもないのにそんな証拠をいつまでも持ち続けるのも危険だし……。
「あの跳び越えも凄かったですけど、パンチの思い切りも凄かったです。あんな躊躇いもなく、しかもあんな所をよく狙えましたね」
「……まぁなんていうか、ムカついただけよ」
先ほどは獲物を狩るのを楽しんではいたものの、俺はあの場において確かにムカついていた。だってそうだろう。他の女ならいざ知らず、よりによって(中身が)男の俺のケツを触るとは何事か!
そういう奴隷市場で品定めする貴族のような男とは恐らく話が合うとは思うが、俺を商品として見るなら話は別だ。ましてやそれでテメェの股間を増長させるなどという『俺が最もやりたいこと』をするなど我慢できるか畜生め!!
「相変わらず男性嫌いなんですね。あ、電車来ましたよ」
……このようなやりとりは1度や2度ではないため、周囲には俺が男嫌いであるという認識が広まっている。まぁ男よりか女の方が好きなのは確かだがな。
ついでに言うとこの森嶋も俺の標的候補である。俺が何らかの方法でかつてのようなチ●コを手に入れた暁には、じっくりと可愛がってやるつもりだ。
因みに、別に女同士で擦りつけあえば良いではないかと思う者もいるだろうが、却下である。俺も女の体の感度というものはその身で理解しているが、俺が欲しいのはあくまで男としての征服感なのだ。
それを味わうためには、やはりチ●コが必要なのである。けど現代医学をもってしても性転換手術で生やしても感覚までは完全再現できないと聞く。どうやら俺の求める物は、今のところ未来の技術進歩にかかっているらしい……。
「はぁ~あ……」
「どうしたんです? ため息なんてついて」
電車の中で思わずため息をついてしまい、隣にいる森嶋が問いかけてくる。いかんな。せっかく気晴らしをしても別の問題が頭を悩ませる。
「いや何ていうかさ、今後の事を考えると憂鬱でさ」
とりあえずぼかしつつ本当のことを言っておく。こういう明確に嘘ではない返答を心がけることも、いざって時の尋問等に対応するための訓練に使える。
「ああ、そういえば先生から聞きました。今後の進路について聞いてみたら『海外で躍進できないかと考えてる』って言ってたって。やっぱり海外に行くってなると色々と不安なことってありますよね」
……そんなこと言ったっけ? あ、思い出した。確か数か月前に俺と親と教師の三者面談で適当にそんなことを答えた気がする。いや、もしかしたら日本より国盗りのチャンスがあるかもしれないから嘘ではない。うん。
「大丈夫ですよ。司馬崎さんならきっと世界を狙えます!」
「へ?」
「さっきの痴漢撃退を見て確信しました。司馬崎さんならどんなものだって狙えばきっと手に入りますよ!」
急に森嶋が俺を持ち上げ始めた。いや待て、何でこいつ俺の野心を知っている? 特にボロを出したつもりはないのだが。そしてそれをなぜ今俺に伝える?
だがしかし、こうして俺のことを理解しかつ応援されるというのは新鮮だ。お前、俺に獲物としてそれこそ狙われているって自覚はあるのかと問いたくなるが、この世辞なんて知らなそうな(汚したくなる)純真な瞳で見られるとどうでもよくなりそうだ。
しかも国どころか世界征服を狙えるとは……俺も期待されたものじゃないか。
「そうかな……私、世界狙えるかな」
「はい! きっと何かの競技で世界1位を狙え……ふぎゃ!?」
そっちかよ……!!
電車の中なのでゲンコツを食らわせるわけにもいかず、せめて神速のデコピンを森嶋の額に食らわせてやった。
「お、さっきの陸上部のホープの子だ。いや~速かったよな彼女の足」
「え、陸上なの? あの痴漢を飛び越えた時の綺麗なフォームからして新体操部じゃない?」
「違う違う。ボクサーだよ彼女は。見たでしょ、あのキレッキレのストレートをさ」
……背後の大学生らしきグループのヒソヒソ話が耳に入ってくる。おいおいおい何だよ、俺は別にアスリートを目指しているわけじゃないんだぞコラ。
「ノンノン! そのどれでもアリマセーン。恐らく彼女の正体は、それらの能力を全て活かす忍者でゴザルよ!」
そこの外人に至っては訳わからん仮説を立ててんじゃねぇ! ……いや待て、建造物に侵入するといった仕事内容の意味ではもしかして一番近いのか?
「さすが、色んな部活に助っ人してるだけ色んな噂が立ちますね……ふぎゃ!? 何でさっきから、そんなガトリング砲みたいな速度でデコピンするんですかぁ!?」
お~ま~え~は~黙ってろ~!!
結局完全に憂さを晴らすことはできないまま、俺は森嶋とともに学校の最寄り駅で降りることとなった……。