Magic & Dimension 1
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轢き潰されて道路の黒いシミになった子猫の上にも、等しく陽光は降りそそぐ。
神は無慈悲だ。神の大義はおおかた『等しく』ってトコだろう。人が、子猫が、どんな酷い目に遭おうが、生きようが死のうが、知ったこっちゃないんだろ。わかってる。
俺はつっぷした草むらの中で仰向けになった。もういいだろ、と思った。
唇に泥が付いてる。拳で拭った。カルスト台地と言うんだっけ。ここの土は真っ黒だ。仰向けになって見上げる空は、所々エメラルドグリーンの黒い雲。キモい。厄災の日に噴き上がり空を覆い尽くし、広がり続けている。
あいつはどこに行ったんだろう。このまま消えてくれれば助かるのに。
いや。
足音が近づいてくる。地面が揺れる。
もう、勘弁してくれ。このままここに伏せていれば気づかずに通り過ぎないか……、いや……、どう考えても甘いだろ。視界の隅に入ってきた。蛇腹状の長い首の先にある鶏に似た頭部。玉虫色の雲を背景にクネクネとうねっている。しかも最悪だ。目が合った。
俺は腹ばいになって草むらの中を這った。
奴はエリア5の降臨ボス。名前何だっけ? ジェルドゥルドゥ? 名前なんてどうでもいい。運営だってこれが何か分かってない。正体は得体が知れない。問題はそいつがいるって事だ。現実に。俺のすぐ側に。
俺は横目でビーストを見ながら、隠れる場所を探して這った。蛇腹の首の付け根部分は、まるでそう、魚の切り身みたいだ。鱗とヌメる断面。何枚も折り重なっている。鯛のアラの頭部分の切り身みたいだ。眼球付きで超キモい。グロ過ぎ。
大地が激しく揺れる。奴が走り出した。四つ足で。ドスン、ドスンと。
「くそっ」
俺は跳ね起きて必死に駆けた。駆けながらスマホ取り出し、マジックアンドディメンションにログインする。さっき、なんとか逃げ切ったと思ったから、バッテリー温存しようと思ってログアウトしてたんだ。これ、致命的ミスだったかも。まじタヒる。
真上から、グロい突起が無数に突き出た触手が襲ってきた。俺は横っ跳びに転がり避けて、触手は土をえぐった。
土が軟らかいのを幸いに、斜面なのを幸いに、俺はゴロゴロ転がった。スマホは死んでも離さなかった。跳ね起きると、丸っこい岩の陰に飛び込んだ。でも、こんな岩、あいつの触手だったら簡単に砕けちゃうだろう。
キャラクターを選択してタップ、ログイン、即座にコマンドログモードに切りかえる。俺のメインキャラは物理メイジ、370Lv。画面のスキルアイコンをタップ。ウオール。
大地を割って聳え立った石壁。触手の二撃目を阻む。俺は石壁に沿って走りながら、もう一度画面タップ。アローレイン。石壁で見えないけれど、炎属性の無数の矢が奴を襲ったはず。アローレイン、通称アロレのスキルディレイは無対策で6秒。俺はオーブと装備オプションで最短まで短縮している。立て続けに放った。ヘイトが溜まる云々なんて言ってられない。
壁が消えた。ギクッとなった。奴は真横に居た。距離約十メートル。この距離だと、見上げると首が痛くなるほどデカい。三本の蛇腹の首、眼球付きのビラビラの肩、そこから伸びた触手、所々避けて赤黒くヌメヌメしたものがはみ出している胴体と、四本の太い足。アロレで受けた傷から体液が流れ出ている、けど、弱っているどころか猛り狂っている。
俺は体が固まった。全然動けない。秒で死ぬと思った。ところが。
ビーストは凄まじい咆哮を発しクルリと後ろを向いた。えっ、と思った一瞬後、猛然と駆け出した。
豆さんだ。これだけヘイト溜まったMOBから一瞬でタゲ取れるのは豆さんしかいない。豆さん、死んだと思ってた。
俺は連続タップした。無数の矢の雨がビーストを襲う。ヒットする度、ビーストの足は一瞬止まるが、こっちには向かってこない。見えない敵を追っている。アロレは確率で発火状態をもたらす。発火した。「やった!」思わず声がでた。奴は火だるまだ。
駆ける豆さんの姿が見えた。死なせるわけにはいかない。俺はアロレ連発した。これで沈んでくれ、と思ったけれど、堅い。HPいくつあるんだ? 硬化してるのか? コマンドログが滝のように流れていく。目で追えない。
スマホ片手でタップしながら、豆さんが斜面を転げ落ちるようにして逃げている。豆さんには攻撃手段が無い。自分にヒール浴びせてタゲ取ってるんだ。俺は必死に追いかけて、けれど俺に出来ることと言ったらアロレしかない。
「くそ、アロレ非力」もどかしくてそう呟いた時だった。
ビーストの右前足が吹き飛んだ。大地を揺るがしビーストは転倒した。
「ユウキちゃん!」俺は思わず叫んだ。部位破壊はディメンションのスキルだ。ユウキちゃんも生きてたんだ。良かった。