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生理食塩水は人間の体液と、ほぼ同じ濃度の食塩水で目などに入れても痛みを感じない……。とはいえ、今は流水で洗い流すことによって傷口を刺激するのだから、この場合は痛くない訳がないだろう。
ヒザの傷口に生理食塩水を流すと幼女は痛みで顔をゆがめたが、何とか涙はこらえてくれた。おかげで傷口と周辺についていた、汚れは綺麗に洗い流せた。
「よし! 砂とかは綺麗に流せたわ」
「ううっ……」
涙目の幼女に明るく声をかけながら手早く傷口をふいて処置を終え、きちんとクツをはかせた。
「よくガマンできたわね……。えらいわ! 最後に痛くないように『おまじない』をするわね!」
「おまじない?」
意味が分からないらしく、小首をかしげる幼女のヒザ上で私は手をかざし、ぐるぐると空中に輪を描いた。
「痛いの痛いの飛んでけ~! どう?」
私が微笑みながら尋ねると、幼女は不思議そうな顔をして包帯がまかれた部分に触れ、次に足を曲げたりのばしたりした後、噴水のフチから降り数歩あるいて目を大きく見開いた。
「あ……。痛くない!」
「うふふ。そうでしょう」
幼女は驚きで目を丸くしているが最後の『おまじない』で痛みがどこかに飛んでいった理由は当然、回復魔法をかけたからだ。
目立ちたくないので普段は極力、回復魔法を使わないように心がけているが、この幼女が転んでケガをした間接的な原因が先ほどの異常気象による物の可能性は高いだろう。
そして、あの大粒のヒョウが降ったのは天災ではなく実質、ケヴィン君によって引き起こされた人災であったことを私は知っている上、そのトリガーを知らずに引いてしまったのも私なのだ。
すり傷の治療くらいはしないと申し訳ない……。そんな私の胸の内を露ほども知らない幼女は、すっかり痛みが無くなったことで一気に表情が明るくなった。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
「もうケガをしないように気をつけるのよ?」
「うん!」
幼女は元気よく返事をしてくれたが、この保護者が行方不明の幼女をどうするべきか……。この周辺でこの子を探しているのなら、もう少しここで様子を見た方が良いのか。
もしくは、自宅が分かるなら幼女を家まで送り届けた方が良いのか。それとも、やはり公共機関に事情を話して幼女を預けた方が良いのか……。判断に迷っていると、幼女が勢いよく手を上げた。
「あ、お母さんだ! お母さーん!」
「えっ」
「お姉ちゃん、またね!」
幼女は走って母親の元へ行った。そして、雲間から差し込む光の中で抱きしめ合う母子の姿を見たことで、私はようやく肩の力を抜いたのだった。




