治癒魔法
朝日が顔に当たって目が覚めた。今日もいい天気のようだ。
「うんっ、痛たたたたたたたたた」
伸びをした瞬間に全身に激痛が走る。クロにいためつけられた体は思ったよりも正直に痛みを訴えている。服を捲ってみれば、少し捲っただけで酷い痣ができていた。
「知らない人が見たら、虐待児童よね」
思わずため息がこぼれた。二度目のため息は無理矢理飲み込んで、治癒魔法を発動させる。
「んん。魔力循環を維持させながらだとちょっと難しい」
自分を対象にする場合は体内を循環する魔力を利用すると効率が良いらしいけれど、魔力循環を意識してしか維持できないビギナーに求めることではないと思う。
「これをこうして……、よし」
効果は劇的だった。体のあちこちから感じていた痛みはスーッと消えていき、痣は痕すら残っていない。
軽く全身を動かしてみたが、筋肉痛も昨日の怪我も残っていない。
「魔法ってすごい……」
実際に効果を体験して分かる超常さ。しかし、思い出してみると一度も魔法で治療を受けた記憶がない。大怪我や大病を患ったことはないので、そういうものだと言われればそうなのかもしれないが、そうなると痣を魔法で治療していることがとても贅沢に思える。
「まあ、自分の勉強だと思うことにしましょうか。うん。それが一番」
自分を欺いているような気がしないでもないけれど、深く考えるとドツボにはまる。流すのが一番だ。
「女神さまから加護をもらってるし、それに答えられるように俺もがんば、おっと、私も頑張らないと」
言葉遣いには気を付けないといけない。言葉遣いと身なり、礼儀作法で相手を判断するのが人間なのだ。孤児だからとか軍の施設育ちだからとか、そんなことを言われてしまってはこちらの両親と育ててくれた人たちに申し訳がない。
少女らしい言葉遣いがどのようなものか分からないけれど、指摘されないからおかしくはないのだろう。もしかしたら女神が加護でフォローしてくれているのかもしれない。
「何はともあれ、身支度からか」
顔を洗い、歯を磨き、服を着替える。たったそれだけのことだけれど、水場と部屋の往復が今の状態では一苦労になる。魔力を循環させながら歩くというのは、どうやって歩くのか足の動かしかたを意識しながら歩くようなものなのだ。
それでも昨日よりマシになっているのはブランのお陰だ。治癒魔法を扱うのに必要なのか、それとも手助けなのかは分からないけれど、貰った知識の中に魔力循環を維持させるコツのようなものが入っていたのだ。そのコツが自分でつかんだものではないのでなかなかうまくいっていないけれど、おそらく十日もかからずに体得できるだろう。
「孤児の母っていってたし、甘やかしてくれてるのかな」
そんなことを思ってしまうくらいありがたい。着替えをしてボタンをうまくとめられることをうれしいと思えるのだから当然かもしれないけれど。
「次は朝ごはんか。今日はこぼさず食べられるといいな」
そんなことを口にしながら部屋から出るべく扉に手をかけた瞬間、轟音と振動が建物を襲った。
「これは……何?」
危険を感じて建物の外に逃げれば、そこにあったのは地獄だった。
堅牢な軍の建築物が半分吹き飛び、周りには血まみれになった兵士が呻いている。記憶が正しければ、吹き飛んだ建物は爆発物と可燃物の保管庫で他の建物より頑丈だったはずだ。それが吹き飛ぶなんて、意図的に爆破しない限りありえないはずだ。
つまり、これは誰かの悪意が生み出した光景なのだ。
「救助班は負傷者の収容を急げ! 医療班は手当! 緊急対応班は二次爆発を防げ!」
あちこちで無事な兵士が割り当てられた役割にそって動いていた。軍隊だけあって対応が早い。声をあげているのは今この場で指揮が取れる人物なのだろう。基地の幹部として会ったことはない人だ。
軍のマンパワーと即応性は特筆に値するといっていいだろう。ただし、それでも状況は良くないのが一目でわかった。
瓦礫の間から助け出された人は医療班のいる建物に運ばれて行くが、治療室に収まりきらずに近くの地面に寝かされている。吹き飛んだ建物からは火の手があがり、残っている物資が誘爆する危険性から決死の放水が開始されている。治療室からはひっきりなしに叫び声が聞こえてくる。
ずっと昔の映画で見た激戦地の野戦病院と、テロで崩れた市街地のニュースが重なって見えた。
「……少しくらいなら、手伝えないかな」
今の自分は子供である。救助作業には役に立たないどころか、足手まといだろう。しかし、魔法なら今朝から使えるようになった治癒魔法がある。軽傷者の気休めくらいはできるのではないかと思ってしまった。もしかしたら、ヒーロー願望だったのかもしれない。
「早く治癒魔法を使える人間をよこしてくれ! それが無理なら移送手段をよこしてくれ! 一人だけここの資材ではどうにもならない患者がいるんだ!」
ふらふらと治療室に近づくと、怒鳴るような声が聞こえた。伝令に叫びながら、軍医の先生が二人がかりで蘇生措置を行っている。この基地にいる軍医は3人のはずなので、その患者がどれだけひどいのか分かってしまう。衛生兵ともう一人の軍医が他の兵の手当てに回っているけれど、そちらは急いでいても慌てている様子はない。出血はしていても命にかかわる負傷をしている人はいないということなのだろう。
そのとき、軍医の一人が立ち位置を変えたために、処置台に乗っている人物の姿が見えた。
一番ひどい怪我をしていたのは、若い女性だった。あっちで死んだ時の自分より若い。
基地内で何度か見かけたことがあるくらいで話したことはないし、名前も知らない。けれど、今年の春先にやってきた士官なのは確かだ。おばさんたちが若くして士官学校に入った優秀な子と言っていたから覚えている。
見かけた時は溌剌として生き生きとした表情だったのが、今は青ざめて虚空を見つめている顔に表情はなかった。
重体だった。もっとはっきり言ってしまえば、半分以上死んでいる。咳をする度に口から血がこぼれ、気道確保が行われていなければすぐにでも窒息死しているだろう。
ただ、それでも生きていたいと縋るように目が訴えていた。
助けるとしたら目立ってしまうけれどいいの? 子供がほとんど死んだ人間を復活させるなんて普通じゃないよ?
心のどこかで疑問を投げてくる自分がいた。でも、それを否定する答えもあった。
自分の命を懸けて誰かの命を助けようとしたのが私の両親だから。私がわが身可愛さで誰かを見殺しにしたら、両親を誇れなくなる。
せわしなく動く大人たちの間をすり抜けて、彼女の手を握った。処置にあたる大人たちは自分にまだ気が付かないのか、追い払われることもなかった。
ブランに教えてもらった治癒魔法は初歩的なもので、死にかけている人間を治すためのものではない。けれど、注ぎ込む魔力の量次第で回復能力が向上する仕様だという。ありったけの魔力を注ぎ込めばこの状態から持ち直すことはできるはずなのだ。
「もう少しだけ、頑張って」
握った手を祈るように抱きしめて、自分が出せる全力で治癒魔法を発動させる。自分の身体から力が抜けていくような感覚とともに、彼女の体内で効果を発揮していくのが理解できた。
周りの大人たちが騒めくのが聞こえるが、言っている内容を聞き取るような余裕はない。注ぎ込んだ魔力が暴走しないように制御しながら魔法を維持しなければならないのだから、それだけでキャパシティがほとんど埋まっている。
握った手に力が戻り、こちらの手を握り返してきたのを感じて峠を越えたことが分かった。血の気を失っていた顔にも赤みが戻ってきたように思う。
「よかった。助けられた……」
気が緩んだ瞬間、意識が遠のいて闇の中に飲まれていった。