女神とのふれあい
少し前の自分をぶん殴ってやりたい気分でいっぱいです。
クロの可愛がるというのは、今の子供状態ではかなりつらいシゴキだった。何せ、地面に倒れている今の状況が物語っている。
「どうしたの? まだウォームアップだよ!」
私をさんざんに投げ飛ばしたクロは元気いっぱいという状態でぴょこぴょこと飛び跳ねている。
ウォームアップで痣だらけにされても困る。というか、今も体内の魔力循環を意識して注意力が落ちているのに全力の武神を相手にするのは無理過ぎる。
「ま、魔力循環の維持だけで手一杯で他に対応できないんです。有無を言わせず訓練を始めておいて無茶を言わないでください」
「そうなの?」
クロが私の言葉にきょとんとしてアンジュに確認をとると、ブランの笑顔が怖くなった。
「クロちゃん、あなた分かっててやった訳じゃなかったの? 明らかに魔力制御に集中しているのが分かったよね?」
「え、いや、僕魔術系専門じゃないし……」
途端にクロがどもった。ソレに比例するようにブランの表情が険しくなる。
傍から見ていても、先ほどまでほんわかとした緩んだ笑顔を浮かべていた人の表情が吊り上がっていく様というものは恐ろしい。
「しっかりと状況を見て行動しないと大きな失敗をすると教えたばっかりでしょう!」
「ご、ごめんなさい!」
覚えの悪い新人に手を焼く指導役みたいな会話になっている。完全に蚊帳の外になったが、ちょうどいいので休ませてもらおう。
「すまないな。クロは割と新人でな。ブランが指導役なんだが、割と失敗させて覚えさせるやり方をとるのでこうなるんだ」
座り込んでいると、アンジュがため息をつきながら傍らで謝ってきた。中間管理職なのかすり合わせに苦労していそうだ。
「私は別にいいんだけど、この痣だらけの状態はどうしよう」
「あー。この空間についても説明していたんだがな。あの様子では理解していなかったと見える」
「ということは、治療方法とかも考えてないか」
「うへー。ひどい目にあった」
「自業自得でしょう」
アンジュと悩んでいると、説教が一区切りついたのかクロとブランが戻ってきた。そして、クロがこちらの様子に気が付いたようで、首を傾げた。
「どうしたの?」
「どこぞの馬鹿が後先考えず痣だらけにした体をどうするかを考えていたんだよ」
「そんなの、夢から覚めれば何の問題もないじゃん」
クロがあっけらかんと言った瞬間、アンジュとブランの目が吊り上がった。アンジュがあそこまで怒るのを見たのは二回目だ。一回目を起こした経験から超特大の雷が落ちると分かったので、こっそりと離れて耳をふさいだ。
「説明したことを忘れてるんじゃない! そんなんだから零落寸前までいくんだよ!」
耳をふさいでいてもくらくらする大声でアンジュが怒鳴った。当然、何の防護もしていなかったクロは殴られたようにふらついているし、巻き添えを食ったブランも耳を押さえてへたり込んでいる。
「この空間は夢じゃなくて訓練用の空間だから、ある程度まで現実に反映するって言っただろうが!」
そうなのだ。さすがに訓練で得たコツなんかは知識だからいいとして、訓練で多少成長した能力を反映できないともったいないから訓練前後の変化を持ち帰れるのがこの空間らしい。どういう理屈かはまったく分からないが、神様すごいで理解を放棄して受け入れていた。
でも、今回の痣に限っては特に問題にならないだろうから、アンジュの怒りを解こう。
「でも、今回は大丈夫じゃない? 現実だと魔力循環に意識をとられて転びまくってケガだらけだから、痣が増えたところで何ともないしさ」
私の言葉にクロが縋るような目を向けてきた。流石にこの短時間で怒られるのは自業自得とはいえ、辛いのだろう。こっちは怒声ばかり聞かされると気が滅入るという利己的な理由で言っているから、私が許していると思って期待されても困るのだけれど。
「それもあって今回は対応できるんだが、学習させないと失敗を繰り返すからな。零落した瞬間、討伐令が出されそうな奴だし」
「うん? この痣、治せるの?」
「もちろんよ。そのために私が来たようなものだもの」
アンジュの言葉に引っかかるところがあったので聞き返すと、それに答えたのはブランだった。
「私も昔は戦の神だったから、ある程度のケガを治す魔法を教えてあげることぐらいはできるの。……本当は医療神であるあの子が来れればいいんだけど、最近仕事が忙しいみたいだからね」
「私も初歩の治癒魔法は教えられるんだが、現実で治癒魔法が使えるとばれたときにブランに教えてもらったといえばまだ穏当な回答だからな」
まだ神様がいるのは今更だとしても、神様は武闘系が多いのだろうかと一瞬悩んだが、それ以上に気になったのがアンジュの言葉だった。
「どうして? 神様に教えてもらったというなら、誰でも変わらないんじゃ?」
その言葉にアンジュとブランは顔を見合わせた後、納得したようにアンジュが口を開いた。
「ああ、それはだな、この世界では『神はいる』んだよ。私たちが介入する回数も程度も元の地球とは比べ物にならないほど大きい。そんな時に神から教えてもらったとして一番納得されやすいのがブランなんだ。ブランの場合、孤児の母として孤児の救済にあっちこっちに出ているからな。……私だと無駄に騒ぎが大きくなるし」
驚愕の事実だ。少なくとも数年生活していた限りでは、ファンタジー世界よりも現実世界よりの文化であったはずだ。神様が実際に現れて云々という話は聞いたことがない。
「感覚としては、あっちより奇跡が起きる頻度が多いって感じかな? ある程度利益があるから信仰心も篤いし、無神論者がいないってのも違うところになる、かな」
ブランが補足するように口を開いてくれたおかげでなんとなく分かった。神様に救われるとかそういう神秘体験が実際の物として社会的に認知されている世界ということか。
まあ、その程度だったら地球に近いような世界になってもおかしくないか。多分そうなるように意図的な介入もしているだろうし。
「なんとなく分かった。私が孤児だから、ブランが教えてくれたってことにすれば理解されやすいってことね。確かに教えられてもいない魔法を使えるよりは穏当だから納得した」
「分かってくれてうれしいよ」
本心から嬉しいという感じのアンジュに対して、ブランと黙ってこちらを伺っていたクロは何とも言えないような表情になっていた。私の答えに何かおかしいところがあったなら、ふたりだけでなくアンジュもそんな表情になっているはずなので予想がつかない。
「今日は残りの時間でそのお勉強なの?」
「ええと、今日はちょっと時間がないから直接かな。本当はこれだと効率があんまりよくないから、あとでちゃんと勉強してもらうけどね」
私の疑問に教えてくれるブランが答えてくれたが、何か戸惑っているような気配を感じる。しかし、それよりも言っている内容が気になって仕方がない。勉強ではない、直接とはなんぞや。
「ブラン、今は深く考えなくていいから、早くやってやれ」
「分かった。ユリアちゃん、動かないでね」
またしてもブランの豊満な胸に埋まった。しかし、今回は優しく抱きしめられているような感じなので息がつまるようなこともない。されるがままになっていると、続いてブランが私の頬を両手で固定して顔を近づけてきた。
「ちょっ」
「黙っていて」
有無を言わさずに口づけされた。頬とかおでこではない。唇にだ。
「んっ、んんんー!」
驚く間もなくブランの舌に蹂躙される。前の身体でもキスの経験はないが、他人に唇を舐められるのは蹂躙と言っていいと思う。ブランの体温が高いのか、舌の触れている部分がひどく熱く感じる。
「こんなものかな」
主観でいうとかなり長い時間口づけをしてから、ブランに解放された。膝が笑って、すぐにへたり込んでしまう。
「ほら、しっかりしろ。頭の中にケガの治し方が入ってきただろう」
「も、もうちょっと優しくして……」
アンジュに無理矢理立たせられた。膝が震えているが、力を込めて立ってみせる。
「治し方って、あ、これか」
キスされて頭の中に何か入ってくるのかと思いながら記憶をあさってみると、確かに使い方と理屈が分かるようになっていた。
「促成栽培したようなものだから、後でちゃんと勉強しないと一月もしないで忘れちゃうからね」
ブランが説明してくれたが、キスでこれが短期間とはいえ覚えられるなら効率は悪くないような気もする。精神的には真面目に勉強した方が消耗しないのは確実だけど。
それにしても、あれだけ濃厚な口づけをして無反応だとこちらもどう反応すればよいか分からない。特に気にするようなものでないなら、こちらも触れないほうが良いのだろうか。
「ま、今日はソレを覚えたことで終わりだ。ちゃんと明日は痣なんかは治せるようになっているように」
「分かりました。でも、明日は魔力循環をさせてても怪我をしないようになってみせますから。クロお姉ちゃん、ブランさん、さようなら」
アンジュの言葉に目標を伝えて、ふたりの女神に挨拶をすると不思議空間を抜けたのだった。
ユリアが消えてから沈黙が支配した空間を破ったのはブランだった。
「途中で気付いたけど、あの子話し方が完全に女の子になってたじゃない。しかも、それを自分でおかしいと思っていないみたいだったし」
「そうだね。女の子らしく育ってくれて、養育した側としては嬉しいね」
ブランの疑念の籠った言葉にもアンジュは飄々としている。
「ねえ、あれってアンジュの仕込みなの?」
恐る恐る尋ねたクロに対してアンジュは優しく笑った。
「仕込みなんて言い方が悪いな。私がしたのは、加護をあげただけだよ。才能を開花させられるようにね」
「その才能の中に淑女の才能とか、令嬢の才能とかそういうのも含んでいるってことなんでしょ?」
呆れたようなブランの言葉にアンジュの笑みは一層深くなった。
「ああ、楽しみだよ。立派なレディとして育ってくれた後に、自分の言動に気がついたらどんな反応をしてくれるのかな」
恍惚といっていい表情に、ブランもクロも開いた口がふさがらない。
「二人ともこのことは内緒でね。ばらしたら、ちょっと我慢できないかも」
「分かった。分かったから、その表情を向けないで」
その表情を向けられたブランは一瞬で白旗をあげ、クロも無言で頷き続けている。
自称邪神の面目躍如というところだった。