一晩あけて冷静になる
間があいてすみません。
「まったく、教官としてだけでなく、こんな成果まで出すとはな」
オリエンスはユリアから出された文書を読んで久方ぶりの胃痛を覚えていた。きりきりと痛む胃を右手で押さえて、左手では額に浮かぶ汗をぬぐう。
それを見かねてベレニケが出した胃薬と白湯を勢いよく飲み干すと、一息ついて問いかける。
「あの子は予想以上に成果を出しているのだが、これは実現できると思うかね?」
「できるかできないかで言えば、できるでしょう。あの班は魔法技能でいえば在学生どころか、現役の士官すら追い越しています。それにユリアちゃんはあの基地に居た時に陛下から技術局の航空実験に協力するよう陛下から求められていたそうです。その延長と陛下が判断されれば認められるはずです」
オリエンスは胃の痛みが酷くなるのを自覚しながら聞かない訳にはいかなかった。
「陛下にもこの報告が行っているというのか?」
「……残念ながら。いつもならしっかりと手続きを踏んでいく、あの子にしては極めて異常としか言いようがありませんが、私信のような気軽さで陛下に報告したようです」
ベレニケの言葉でオリエンスは再度胃の痛みが激しくなるのを感じながら、これから先に起こるだろう騒動に考えを巡らせた。
「航空魔導部隊か。利権やら技術局のメンツやらこれからしばらくの間は荒れるな」
「そうですね。ただ、その辺りも陛下のさじ加減次第ですから……」
二人とも陛下に良いようにまとめていただけるよう祈るしかできなかった。
まだ夜も明けきらぬ早朝。ぱちりと目が覚めた。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ。昨日の私はどうしてあんなことをしたっ」
迷惑にならない程度の声で頭をかかえてしまった。まだリリィが寝息をたてているから大声もださないけれど、昼だったら壁にがんがんと頭を打ち付けたい気分だった。
「いくら陛下にダイレクトで話せるからでも、士官学校の生徒とはいえ軍人が口出ししちゃまずい部分ってのはあるだろうに……。コネを使って押し通したように見えるのはまずいし、軍人の思い通りに政治を動かすってのはもっとまずい」
今後の航空技術の発展を思えば、皇帝に近い小娘がねだった技術というレッテルが付くのは後々の技術研究をする時に問題になりそうだ。批判したい側への燃料でしかないし。そして、軍人の意見がそのまま通ったという前例ができてしまって、国家の実力行使機関である軍隊が実力を担保に思い通りに政治を動かそうとか、クーデターを恐れて政治が軍に必要以上に配慮しないといけないとか、そういう事態になると極めてまずい。2.26事件以降の日本近代史を学んでいればはっきりわかりすぎる。
これは大きく失敗してしまった気配がする。ストレスで胃が痛くなりそうだ。
「……体動かそ」
数日ぶりの訓練でもすればちょっとは気がまぎれるかもしれない。そう思うと、リリィを起こさないようにこっそり部屋を出た。
まだ星明りが見えるグラウンドには当然ながら誰もいなかった。これなら鍛錬を無心でできる。きっと心に平穏をくれるはずだ。
「剣舞を通しでやってみるか」
足元の影から朝凪を取り出すと、白刃を確かめるように軽く振るってから両手で構える。
左手を放して右手のみで振るう。その間に足取りを乱さないように、体幹の軸を崩さないようにしながら決められた順序で移動していく。朝凪を左に持ち替えると、その場で型にあわせて振りぬく。型は一つではなく、時にまた右持ちに変えながら決められた順序で次から次へと演じていく。まだ成長期も終えてもいないため、鍛えたりないこの体では朝凪は随分と大きく重く感じられる。だからか、終盤に差し掛かったあたりから腕が震えて額を汗が流れていく。
通しで剣舞を舞い終わると、朝日が顔をだして空が青くなりはじめたところだった。
「はぁっ。やっぱりキツイ」
残心まですませると、肩で息をしながら額の汗を拭って朝凪を納刀した。
訓練が終わってみると、社会人時代に黒歴史を思いだして布団でばたばたした後程度にはメンタルが回復していた。健康的な運動は精神も健全にしてくれるのだ。
「……精神といえば、コレはなんだろうね」
鞘に納めた朝凪を見る。ユキも瑞穂も朝凪の事は知っていたけれど、精神に干渉するような機能はないって話だった。しかも、元は海凪という大太刀だったのを折れた際に朝凪と夕凪という二本に打ち直したものだから、元の神剣より性能は下って話だしね。
「ま、役に立つ分には気にしないでいいか」
後付けで変な改造でもされていない限り安全なものだろうし、神剣なんて大切にされていたものをそうそう改造したりしていないだろうしね。まあ、それ言うと今の所有権で問題になりそうな気もするけれど、神様のお墨付きで押し通そう。
「それにしても汗が気持ち悪い……。お風呂は……無理か」
とりだした銀時計で時間を見ると、今からゆっくりお風呂に入る時間はなさそうだった。かといってシャワーだけ浴びて、また訓練というのはどうも受け入れがたい。濡れタオルで拭くくらいしか対応できないかな。真夏の外回りの合間にデオドラントペーパーで体を拭いてたのと同じだと思えばまだ耐えられるし。
「ん? ああ、今日の担当はあの子だったか」
とりあえず部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、厨房に灯りがついていることに気付いた。そして、今日の朝食担当が誰だったか思いだすと、一声かけようと厨房に足を向ける。そして、厨房を覗きこむと、揺れる黒髪が見えた。
「おはよう。今日も早くからありがとう」
「おはようございます、ユリアさん。私が好きでやってることですから気にしないでください。みんなに美味しいって食べてもらえるのが嬉しいんです」
私の言葉に手を止めて振り向いて笑顔で答えてくれた。日に焼けたような色の地肌と笑顔のせいか、フィクションに出てくる『田舎の中学生』みたいな雰囲気だ。そんな彼女がうちの班の最後の一人、レイラだ。
レイラの手元ではトマトソースが煮込まれて芳醇な香りを漂わせている。レイラが作っているのは、ざく切りのトマトを使ったトマトソースで卵を煮込んだ料理。トマトソースから手作りしているので、この時間から仕込みを始めているとは聞いていた。けれど、実際にこの時間に厨房に来て確認したのは初めてだ。私としては成長期に入るんだからしっかり寝て欲しいのだけど、美味しい料理を食べてもらいたいからです、なんて言われたら少しくらいは許しちゃうけどね。
「レイラ、そう言ってくれるのはとても嬉しいのだけれど、それで訓練に支障が出たりしたら問題だからね?」
「大丈夫です。実家のお店を手伝ってた時よりは楽ですから」
にっこりと笑って答えてくれた。そういえば、レイラの実家は繁盛している食堂だったか。その名声に目をつけた遠い親族がやらかしたんだから不幸としか言いようがないな。でも、そんなことがあっても繁盛しているんだから味は確かなんだろう。レイラの腕前もかなりのものだしね。
「無理はしないように。それを守ってくれるなら、また幾つかレシピを教えてあげるから」
「ユリアさんのレシピは初めて見るのも多いから楽しみです」
話をしながら料理を続けていたレイラに、着替えてくることを伝えて厨房を離れることにした。いつまでも話して注意をそぐわけにもいかないからね。
「しっかし、料理を見ても思うけど、帝国は広いね」
廊下を歩いているとそんな言葉が口から出ていた。
ウチの班員でもオティーリエやラウラの出身は北で、アリサは南。私は血統的には東の果てからだから別枠としても、あちこちの文化が混じり合っている。それでも衝突したりせずに受け入れているのは帝国の懐の深さを感じる。
「ま、そんなことを考えるより、私は自分にできることをやらなきゃね」
部屋に戻った私が体を拭くためのお湯の調達を忘れたことに気付いたのは、そのすぐ後だった。
年度末です。今年も転居込みの異動が発令されないか胃がきりきりとします。
それはそうとして、世の中新型コロナウイルスで大変です。私も予防には気を付けたいと思います。




