新しい女神との出会い
全身に魔力を循環させるという訓練の辛さを甘く見ていた。
体の筋肉という筋肉に重りでも付けられたように、何をするでも思い通りに体が動いてくれない。
「これは本当に慣れるものなのだろうか」
女神は寝ている間も循環できるようにと言っていたが、それは意識しなくてもできるようになるということだ。今は意識してやっているけれど、それに注意力をとられていることと体の重さで今日は歩行中の転倒7回、食事中にスプーンを落とすこと5回、階段を滑り落ちること1回という凄まじい事故を起こしている。
今日の世話役だったアンナおばさんに、何かの病気かと心配させてしまった。
「あ、冗談じゃなく眠い……」
一日過ごしただけで疲労困憊、満身創痍の状態で泥のように眠りに落ちた。
「こんにちは~」
「こんにちは」
「は、初めまして」
いつも通り謎空間で目が覚めると、知らない人達がいた。空間としては女神との訓練の場所のはずなので、女神の関係者なのだろうか。
そこまで思い至って、一つの危険性に気が付いた。自称邪神であるあの女神の関係者が言葉通りの邪神であったらどうすればいいのだろうか。
とりあえず、内心を見せないようにして相手を観察する。
一人はにこにこと笑顔を浮かべた二十代位の女性。アイドルのように出るところは出ていて、それを強調するような肩だしドレスを着ている。とりあえず悪意はない、かな。
もう一人は無表情な感じの女の子。多分、十代後半くらい? 動きやすい、それでいて頑丈そうな服装をしている。無表情だけれど、視線に興味を感じるから、こっちも悪意なしでいいのかな。
「そう身構えなくて大丈夫だ。こいつらは基本的にノーテンキだからな」
「……なんかやつれているけど大丈夫?」
背後からの声に振り向けば、妙に疲れた様子の女神がいた。数年の付き合いになるが、こんな女神は初めて見た。
「ちょっと飲まされ過ぎただけ」
外見が少女なので、そういういうことを聞くと通報したくなるが、実年齢不明のため胸の中にしまい込んだ。
「一応紹介しておこう。そっちの露出過多なのがブランで、ちんまいのがクロだ」
雑すぎる紹介にも2柱は特に怒るでもなく自己紹介を始めた。ちょっと関係性が分からない。こういう友達な関係の存在なのだろうか。
「クロ。破壊神。けど、今は商売繁盛の神もやっている」
話しというより単語というのが正しいような自己紹介だ。しかも、破壊神か。無表情っぽいけど怒らせたら危険なのだろうか。
そう思っていると、もう1柱がフォローのように笑いかけてきた。
「クロちゃんは緊張してるだけだから、気にしないでね。私はブラン。私が担当しているのがお酒と孤児と商売だから、何かあったら頼っていいよ」
「あ、ありがとうございます」
ブランという女神はこちらに配慮したようなことを言ってくれる。外見的に大人に見える分、しっかりした神様という感じなのだろうか。
「うん。やっぱり、期間限定で味わえるものは大事よね。えい」
「は?」
あの女神との遭遇の時のような間抜けな声を出してしまった。しかし、それも仕方ないと思う。ブランがこちらに手を伸ばした瞬間、目線の高さが一気に低くなったのだから。
しかも、この高さは現実の子供状態の高さだ。つまり、身体を子供に戻されたということだろうか。
「思った通り、とっても可愛い子なのね。お名前は?」
「く、黒川大和」
ちょっと笑顔が怖くなったブランに聞かれるままに答えたが、その答えが不満だったのかブランは子供を叱る親のような表情になった。
「それはあっちでの名前でしょ。こっちのその体のお名前は何?」
「ユリア。ユリア・フィーニスです」
ユリウス氏族の女性名に、ラテン語ってなんだよとは思うものの、この世界で普通なら何も言うことはない。それにあの両親が名付けてくれたのだから大事にしたい。
「えへへ、ユリアちゃんかぁー。可愛いね」
「んぶっ」
抵抗する間もなく、急に抱きしめられた。豊満な胸に押しつけられる形になって、息が漏れる。この不思議空間で窒息があるのかは知らないけれど、一般人としては息が漏れると苦しく感じる。
元の世界の身体なら喜んでいるのかもしれないが、子供でそんな感情がない今の状態ではただの苦痛だ。
「ブラン、苦しんでいるから放してやれ」
「あら。ごめんなさい」
放されると、咳き込み息が落ち着くまで女神が背中を撫でてくれた。やっぱり自称邪神なのに思いやりにあふれている。
「アンジュちゃんは優しいのよね」
私たちの様子を見て、ブランが笑いながら聞いたことのない名前を口にだした。ここにいる中で名前を知らない相手なんてただ一人である。ゆっくりと女神を見ると、気まずそうに目をそらした。
「あらー。アンジュちゃんってば、名前も教えてなかったの? 気に入ってる割に薄情じゃない?」
「私は邪神なんだ。名前を教える必要があるのかよぅ」
「いや、それはおかしい」
恨めしげにぼやくアンジュに思わず突っ込みを入れてしまった。太平洋に沈んでそうなのとか、狂言回しとか、名前のしられた邪神は多いと思う。
落ち込んでぐずり始めたアンジュをなだめるブランを見て、やっぱり邪神なんて口だけだったなと再確認していると、もう1柱がずっと無言だったことに気付いた。
視線だけ向けてみると、クロは呆けたような表情で立ち尽くしていた。しかし、アンジュとブランが私から離れたと気付くや、足早に近づいてきた。
「ゆ、ユリアちゃん、僕のこと、お姉ちゃんって呼んでみて」
近づいてきた最初の一言がこれである。
しかも、妙に息が荒い。これは見た目が少女だから何とかなっているが、元の自分みたいな成人男性が同じ状況で幼女に迫ったら間違いなく警察沙汰だろうと思う。
でもなんとなく分かってしまったので、できるだけ少女っぽく演じた声を出してみた。
「クロお姉ちゃん? どうしたの?」
その言葉にクロの身体がビクビクと波打った。何かいけない薬物でもやったか、極めてヘブンリーな表情になっている。
「何をやってるんだ、この馬鹿は」
「あら、クロちゃんってば、こういう子だったのね」
さすがに、アンジュとブランもクロの様子に気付いてやってきた。どうやらこの2柱もこれは知らなかったようで、呆れたような表情になっている。
そうこうしているうちに、クロが正気に戻った。
「アンジュ、ブラン、僕もこの子可愛がる! 加護だって超強化しちゃうから!」
「お、おう。元からそういう約束だから、構わないぞ」
「ふふふ。クロちゃんもやる気が出ていいわね」
なんか女神達が意気投合をしていた。アンジュが引き気味なのが気になるが、余計なことに首を突っ込んで藪蛇になってもいけないので傍観者に徹することにする。
しかし、もしかして夜間訓練の先生が増えるということなのだろうか。現在の魔力循環だけでも辛いのに、カリキュラムが増えてやっていけるだろうか。
救いはクロが可愛がるという構い方をしてくれることだろう。ハードがルナティックになったら目も当てられなかった。
とりあえず、初対面の女神とはうまくやっていけそうでよかった。
これがユリアと2柱の顔合わせであったが、クロのいう可愛がるという意味が可愛がる(意味深)で、ルナティック訓練になることはまだ誰も気づいていなかった。