休日。あるいは治療をする日。
先週は更新できず申し訳ありません。
PC環境が壊れて復旧に時間がかかりました。
神殿を出て空を見上げると、太陽がだいぶ傾いていた。
「何だかんだで結構時間を食ってしまいましたか」
「最後に迷子になったのが致命だったと思うがな。……おお、怖い怖い」
影の中のリリィの言葉に思わず表情が変わっていたらしい。近くにいた女性神官がぎょっとしたのとほとんど同時に、リリィがおどけるようにして口を噤んだ。
これで私が何か口に出せば完全におかしな人なので感情をぐっと飲み込んで歩き出す。
「街を見て回るのもいいけど、どうしようかな」
休日なので一応財布の中身は多めにしている。しかしだ、女性が街を見て回るのは買い物が目的で、そうなると大抵は服飾関係ではないだろうか。この辺はよく分からないので思い込みだけれど、服なんて今は制服で、孤児院時代には買ってこられた物を着ていただけなので服を選ぶセンスなんて持ち合わせていない。
「パス。宮殿に直接行こう。もし買い食いできそうなものがあればそれ位でいいかな」
下手に動くよりは、今度イリス姉さまかベアトと一緒の方が失敗しないだろう。自分で女ものの服飾品を買うことにはまだ抵抗があるけれど、慣れるしかないかな。
助かるのは、自分が甘いものが好きで、こちらに来てもその嗜好が変わっていないことかな。日本ではスーツの男が一人スイーツ買いに行くのは結構空気が辛かったけれど、この姿なら何の問題もないだろうし。
そんなことを考えながら、街角にあるチョコレートショップを横目に進んでいく。何か食べ歩けるようなものがあればいいなと思うけれど、この区画にはそういう店はないようだ。
「流石にお行儀悪いのはね……」
食べ歩きを想定していない物を食べ歩くとぼろぼろこぼれてお行儀が悪いので避けたい。
そんな感じにえり好みしながら歩いていると、宮殿までたどり着いていた。いいお店があれば後で誰かと一緒に行ってみたいと思ったけれど、見つからないからお店探しも次回にしよう。
「すみません。ユリア・フィーニスです」
「ええ。伺っていますよ」
流石に正門を開けてもらう訳にはいかないので、通用口を開けてもらって中に入ることになる。数日前に滞在した時に話をしているので守衛さんも分かっていてスムーズに門を開ける手続きをしてくれた。
門が開けられて通ろうとした時、背後から車のエンジン音が聞こえた。思わず振り向くと、皇帝家仕様の車が近づいてきていた。こちらは流石に通用口ではなく門が開けられるので、邪魔にならないように端に避ける。
けれど、車は私を追い越すことなく横並びで止まった。もしかして、ベアトかな。
「ユリアちゃんじゃない。あの子のために来てくれたのね」
「はい。イザベラ様。最初の休みに来ると約束させていただきましたので」
中から話しかけてきたのはベアトじゃなかった。ベアトのお母様、つまりは皇妃様であるイザベラ様だ。友好的な方なので苦手意識とかはないのだけれど、この場所はまずい。これから先、どうなるか予測がつくけれど逃げられそうにない。
「じゃあ、乗ってちょうだい。行く場所は同じなのだから」
「い、いえ。わ、私は歩けますし……」
「そんなに遠慮しなくていいのよ」
「……はい。お言葉に甘えます」
諦めて車に乗り込んだ。皇妃様の車に乗る士官学校の生徒とか、注目を集めてしまうのは間違いない。ただでさえ士官学校で常識はずれなことになっているので余計な噂が立つようなことしたくないのだけれど、逃げられないんだよね。
「士官学校の訓練課程はどうかしら」
「ええ。いきなり教官役を任されて同期生を指導しています」
「ユリアちゃんなら当然ね。ビーチェの病気を治せた子なんだから」
イザベラ様が笑いながら言ってくださることに曖昧な笑みで答える。
イザベラ様は皇妃様というより、ベアトのお母さんという印象の方が強くてね。孤児院にいらっしゃられた初対面の時から、私に対する距離感が近所の友達のお母さんか親戚のおばちゃんみたいだったし。
でも、子持ちの人妻に見えないほど若々しいんだよね。
お忙しいのか中々お会いする機会はないのだけれど、今回に限っては普段のはつらつとした感じと違って笑顔の奥に疲れが見える。魔力を流さなくても、感覚だけで不調だというのがよく分かった。
「……だいぶお疲れみたいですね。あちこちが歪んでます。よろしければ、施術しましょうか?」
皇妃様の地位が結構疲れるものだというのは想像に難くない。
「やっぱりユリアちゃんには分かっちゃうのね。……お願いしてもいいかしら?」
「ええ。夜、入浴前ごろにしましょうか。すぐにお風呂に入って寝れば疲れが取れるようなマッサージをさせていただきます」
「あの人もいいかしら?」
「ええ。陛下もお疲れでしょうし、問題ありません。ベアトはどうしますか?」
やっぱりいい夫婦なのだなと思いながら、ベアトの事も気に掛けると、イザベラ様の表情が少し陰った。
「ごめんなさいね。ビーチェは今夜いないのよ。急に妹が来て連れて行っちゃって。あの子もユリアちゃんとの約束があると言ったのだけれど、滅多に帰ってこられない子だから……」
「そうですか。……では、私が今日宮殿にお伺いするのは御迷惑ではないでしょうか」
私の言葉にイザベラ様は目を細めて私の頭を撫でながら否定してくれた。
「そんなことはないわ。あなたはビーチェの病を治してくれた。そして、あの子が求めるまま姉として接してくれている。それだけでも私たちはあなたに感謝しかないの。それに加えて宮殿にいる皆の事まで気にかけて助言をしてくれているでしょう? あなたは私達だけでなく、宮殿の皆にとって娘同然なのだから、気にしなくていいの」
「ありがとうございます」
私がお礼を言うのと同じくらいのタイミングで宮殿に到着した。私は先に出て警護の真似事というか、イザベラ様をエスコートする。あくまで主はイザベラ様で自分はおまけだしね。
そこからは、イザベラ様と一緒に陛下のところに行き、挨拶を終わらせたら用意されていた部屋に入って影から着替えなどのいくつかの荷物を取り出した。はっきり言ってベアトが居ないとすることがない。なので、宮殿の中を散歩しつつ、働いている人に病気の人が居ないか見て回ることにした。
なんだかんだと宮殿の中で時間をつぶし、夕食もすませたところでイザベラ様が呼んでいるとメイドさんが教えてくれた。夕食を一緒にとっていないのは、食事というのもお仕事の一部になるときがあるからだ。本当に偉い人は大変だ。
呼ばれた部屋に行くと、イザベラ様と陛下がゆったりと紅茶を楽しみながら待たれていた。
「やっと今日のお仕事が終わったのよ。さっそくで悪いけれど、治療していただけるかしら」
「ええ。お任せください」
日本に居た時には整復をよく受けていた。こちらに来てからは肉体が歪むと魔力の流れも歪むので自己治療で歪まないように予防しつつ、瑞穂の治療術とユキに教わった整体術でこまごまと治していた。それもあって流石にお灸とか針とかは無理だけど、ある程度まではちゃんとした施術ができるのだ。自信がなければ他人にやるなんて言えないしね。
「それでは、動きやすい衣装に着替えていただけますでしょうか? そして、横になれる場所もあるといいのですが」
「それなら、寝室に行きましょう。そこが一番条件にあうわ」
「いいのですか? そういう部屋にはよほどのことがないと……」
「大丈夫だろう。寝室に娘が入ったとして何か問題になるかね? そうでなくとも、医者を入れて問題になるかね?」
あまりに予想外だったけれど、陛下の言葉に頭を下げて承る。まあ、そのまま顔を上げていたら表情が見られて恥ずかしかったからなんだけどさ。イザベラ様には車の中で言われたけれど、実際に陛下にも娘と言っていただくと感情を落ち着けるのに一呼吸必要だ。
移動の間に表情だけでなく、感情も落ち着かせられたのか、着替えたイザベラ様と陛下が戻られても私の表情について何か言われることは無かった。
これで施術に集中すれば大丈夫だろう。
「では、イザベラ様から施術させていただきます。歪みが強い部分は施術した際に痛みがありますが、治療のためですので」
「んっ!」
私が施術を進めていくと、歪みが強い部分に入ってからイザベラ様は小さく声を漏らされるようになった。
イザベラ様、私の精神年齢よりちょっと下くらいだからいろいろとやばいんだよね。いい匂いしてるし、爆乳だし。施術中はそういう方向の感情が意識から切り離されるから大丈夫なんだけどさ。
「次は背中から足までの歪みをとりますね」
「んんっ!」
いくら意識から切り離していてもシーツをくわえて声を出さないようにしている姿とかを見ると色っぽいと思ってしまう。
「はい。これで一通り施術完了です。体のあちこちに溜まっていた悪いものが流れ始めるので疲れると思います。ですので、お風呂に入ってゆっくり眠ってください。明日の朝に目が覚めた時にはだいぶすっきりとしていると思いますよ」
「ありがとう。じゃあ、浴場に行きます」
呼び出したメイドさんにお世話されながらイザベラ様が出て行った。疲れすぎて入浴中に眠ってしまい浴槽で溺死する可能性もわずかながらあるといえばあるので、誰かお世話係がいてくれると安心できる。これでイザベラ様の治療はひとまず頭から消して、陛下の方を見た。
「さあ、次は陛下です。最初に歪みの確認をさせていただきます。……うわぁ」
「どうかしたかね?」
思わず漏れてしまった声に陛下が心配そうにこちらを見た。
デスクワークであまり動いていないのだろう。肩や首などのこりやすい部分がバッキバキになっていた。それにストレスの防御反応か、筋肉がねじれて体の中央線がずれている。多分、本人の思う正面と客観で見た正面の角度が数度ほどずれているな。
これはイザベラ様にしたよりも痛い施術になりそうだ。
「……陛下、大分お体に歪みが生じております。そのため施術の際に強く痛みますので、御覚悟ください」
「うむ。頼んだぞ」
「お任せください」
さっそく体幹の捻じれを矯正するべく筋肉の端、骨との接続部から歪みをとっていく。
次々場所を変えて施術しているのだけれど、陛下は苦痛の声一つ漏らさない。娘にマッサージされて痛いと言えないお父さんってこんな感じなのかなと思ってしまうくらいに陛下が我慢している。施術している感じだと結構痛くて、大人でもうめき声の一つくらい漏れそうなんだけどな。
一時間ほどかけてやっと全身の施術が終わった。この間も陛下はこちらの指示に従って体の向きを動かしていただけたけれど、痛みを訴えることは一度もなかった。
「終わりました。……陛下?」
声をかけても返事がない。慌てて陛下の顔を確認すると、涎を垂らして爆睡していた。一応魔法で状態確認をしたけれど、疾患によるものではなさそうだ。
「よっぽど疲れておいででしたか……。ゆっくりお休みください」
一瞬、起こして差し上げるべきか悩んだけれど、気持ちよさそうに眠っている姿がそのままにしておくことを選ばせた。音を立てないように気を付けて外に出ると、扉の外で待機していたメイドさんに引き継ぎをした。
メイドさんから聞いたところだと、イザベラ様もお風呂でうたた寝をして、そのまま浴室の休憩所でお休みになっているそうだ。やっぱり、国の上に立つ方々は大変なのだなと思いつつ、いい仕事ができたと用意された部屋に戻った。
なお、眠ってからは今日一日私が治療をやたらとしたことで他の女神相手にマウンティングする瑞穂をなだめるという一番大変な仕事が残っていたのだった。
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