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邪神さまの玩具  作者: 黒夜沙耶
幼少期編
24/52

事件の後に

またしても間があいて申し訳ありません。

 女神と少女が去った後の室内の空気は最悪と言っていい状態だった。何せ、あれほどの出来事を起こしたのだ。雰囲気が良くなるはずがない。

「女神様を怒らせたのか……?」

 誰かが漏らした言葉がほぼ全員の心情を述べていた。

 空間を裂いて消えるという光景が否応なしに先ほどまで笑っていた少女が女神であるという事実を突きつけてくる。

「……違う。違う! こんなもの偽物に違いないんだ!」

 それを認めようとせず悪あがきを続ける元凶に誰もが怒りを抱いていた。

 女神が口にした「二度と力を貸さない」という言葉の意味。その「二度と」の範囲はどこまでなのか。今の研究だけならば、愚行を見逃した責任として心の整理はつけられる。

 けれど、その意味が二度と人間に力を貸さないという意味であったら。人間が女神に見捨てられる原因を作ったとして糾弾されるのは間違いない。それどころか未来永劫罪人として名が残るかもしれない。

「技術者全ての誇りを踏みにじったどころか、職人としても失格です」

「まあ、穏やかに言ってもそうだな。少なくともここにそのまま居させることはできん」

 上司からの最低評価。それどころか他の技術者でも擁護に回ってくれる人物はいない。

「俺は主席なんだ……。こんな事起きるはずがない……」

 虚栄の心を理解する技術者はいない。座り込む男を気遣う声も一つとしてなかった。



 ラヴィーに連れられてあちらの世界に渡ると、離陸直後の飛行機に乗っているような耳鳴りと、水中に居るかのような違和感に襲われた。

 陸地にいるはずなのに溺れている感覚。息を深く吸い込んでいるのに、息ができない。

 膝から力が抜けて体が崩れおちそうになる。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに私を背後から抱きしめてくれたのはラヴィーだった。目の前と背後に二人のラヴィーが居るということに一瞬混乱しそうになるが、目の前のラヴィーはレプリカであることを思い出した。

「あ……う……」

 声を出そうとしても声が出ない。まだ溺れはじめという感じだけれど、どんどんと体感時間が引き伸ばされる。溺れた時の息ができない恐怖が襲ってくる。

 息が詰まる。視界が歪む。恐怖が体を縛る。

「私の息を吸いなさい!」

 口づけされ、息を吹き込まれる。その息を吸って何とか落ち着くとともに、胸の奥に温かいものが送り込まれたのを感じる。

 私の顔をつかんで息を吹き込んでくれたのはブランだった。

「生身の人間を加護なしで連れてくるなんて、殺す気?」

 唇を離したブランがラヴィーに怒気をぶつける。ラヴィーはおろおろとして役に立たないようだ。

 そして私は肩で息をしながら呼吸できることのありがたさを体感していた。

 ラヴィーの態度に舌打ちすると、ブランは私の背中を撫でながら落ち着くように優しく抱きしめてくれる。

「神域の大気には魔力が地上とは比較にならない位含まれているの。魂だけの存在として引き込んだ時はさほど問題にはならないのだけれど、人間を生身で連れてきたら濃すぎる魔力で息が邪魔されて窒息するわ」

「……お母さん。……いや、違くて」

 ブランの優しさに思わずお母さんと呼んでしまった。学校で先生をお母さんと呼んでしまったような恥ずかしさに襲われるけれど、ブランはただ微笑みを深めるだけだった。

「大丈夫。私の加護を強くしたからちゃんと息できるの。ほら、ね?」

 ブランの言葉に改めて深呼吸をしてみると、息苦しさも消えて普通に振る舞えた。

 けれど、ブランは短時間で大きく力を使ったのか、だるそうにしながら私に笑っていた。

「どうして、そこまでして助けてくれたの?」

「私はお母さんだもの。助けを求める子供のためなら当然よ」

 現代日本のいろんな事件を知っている私からすれば、やさし気にほほ笑むブランはまぶしすぎた。そしてブランが孤児の母として信仰され慕われる理由が分かったような気がした。



 本当はすぐに戻らなければならないらしいけれど、私の調子が悪い状態で戻ってしまうと深刻な障害が生じる可能性があるということで少し休むことになった。いろいろな面倒ごとはブランが遠くにいるはずのアンジュにぶん投げていて、そんな形でもブランの体調を心配して引き受けるアンジュは邪神型超善良女神だった。

 ブランは微笑んでいるものの、辛いのかテーブルに肘をたてて顎を乗せている。いつもなら飲んでいる酒も手のついたボトルが置かれているだけで口に含みすらしない。

 そんな状態のブランに話しかけるのもどうかと思ったので、ラヴィーに疑問をぶつけることにした。断じて、お母さんと呼んで恥ずかしかったわけではない。ちらちら見るのはブランが心配だからだ。

「二度と力を貸さないってのはどこまで?」

「あのブーツについては絶対に協力しません。私が完成させてプレゼントします。それ以外は、対応次第、でしょうか」

 言葉を濁しながらラヴィーは答えてくれた。どう対応するかラヴィーも決めかねているような答えだ。

「やっぱりあんな態度の人に会うのはなかなかない?」

「千年以上前なら稀にいましたが、ここ数百年は見ていないですね。しかも、帝国の公的な技術者が言ったことですから、どうしようかは悩んでいます」

 信仰が確立された後であれほどの事をやる馬鹿は確かに珍しいだろう。しかも国に雇われてるとか面倒くさい。

 しかし、上司のソフィアは悪い人ではなかったのでできるなら落としどころを見つけてあげたい。

「じゃあ、私が皇帝陛下に手紙を書くからその返事次第で決めたらどうかな?」

「そうですね……。ユリアちゃんがそう言うならそうしましょう。私も進んで関係を断ちたい訳ではないですから」

 ラヴィーも信徒を切る決断はしたくなかったらしい。女神は全員とも私にはだだ甘なので、私が言ったことにすれば他の皆も納得してくれるとかそういうことだろうか。

「ところで、技術者の皆に小さいフロレンティアって呼ばれたんだけど、何なの?」

「ああ。それは瑞穂さんが敬意を払う人間の名です。あなたならフローレンスの方が想像しやすいと思いますが」

 医療関係のフローレンスという名前で思いつく有名人なんて一人しかいない。

「……魔法があるこの世界でも居たんだ」

「むしろ魔法があるから遅れていた分を取り戻した感じですかね。魔法が使えないのに死者数を改善すれば当然ともいえますけど。しかも、活躍したのが魔法で治療でき、女性の社会進出も当然な帝国ですから」

 言葉の裏にあることは無視する。私が知っている彼女とこの世界の彼女が同じだとは限らないのだから。何を言えばいいのか分からずに視線を泳がせた。

「うぅん? そろそろ戻っても大丈夫かな」

「戻っても時間が経ってると怒られそうなんだけど」

 舟を漕ぎかけていたブランが寝ぼけたように言った言葉で話の方向が変わった。

「それは大丈夫。アンジュちゃんにお願いしておいたからね。今もどれば数十秒経ったくらいじゃない」

「そういう調整が一番得意なのはあの方ですから」

 二人の言葉に納得できてしまった。

 アンジュが何の女神かは知らないけれど、私の魔法の師匠でその腕前は想像できないほど高い。そうすれば時間を調整して帰してくれるのもできそうだ。

「それに肉体もちでこっちに居すぎると悪いことの方が多いから、早く帰りなさい」

「え、ちょ、雑過ぎない?」

 感慨にふけっている間に、ラヴィーが空間を開いていてブランに突き落とされた。別れの挨拶もなしで扱いが雑な気がする。

「夜には会えるんだから大仰に別れる必要ある?」

「ないですね」

 空間が閉じる前に聞こえた二人の会話は淡々としていて逆に驚いてしまった。


休日出勤とかなくなればいいのに。

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