治癒から結んだ関係
人間とは慣れる生き物である。
一年もたてば基地の中をでかい狼が歩いていても怯えるようなのはいなくなったし、もこもこを求めてもふりに来るのも出てくる。
そんな長いようで短い期間が一年という期間だった。
「逆に一年たっても慣れていなければ対応能力がなさすぎるってことだろうしね」
「うん? 何か言ったか?」
「べっつに~」
リリィの背中に寝そべりながら廊下を移動している時にふと思いついただけなのである。特に深い訳があるわけもないので、リリィの耳の後ろを撫でてやってごまかした。
心地よさげなリリィに気をよくして耳の後ろをわしゃわしゃと撫でていると、思い出したことがあった。
「一番リリィをもふもふしてたイリスもここ数か月は手紙をくれないね」
「入学して半年経ったあたりからだったか。まあ、忙しいのであろう。この間、尻尾のある女神が言っていただろう。便りがないのは良い便りとな」
訓練期間が終わったイリスは士官学校入学のために基地を離れていた。しばらくは手紙をくれたけれど、今は音沙汰がない。死んだという話も聞かないので多分大丈夫なのだろうけれど、心配だ。
「それはそうかもしれないけどさ……」
リリィに答えかけて、視界の片隅に何かがひっかかった。急いで焦点を合わせると、不可解なものが見えた。
「金髪ロリ?」
通路の端に子供がいた。この姿になって長いけれど、西洋人的な周りの年齢はいまいち読み取れない。それでも子供と分かったのは、明らかに迷子のする挙動不審さと私より低い背丈のおかげだった。
さらに言うと、リリィを見て怯えているのでこの基地の関係者ではない。近づくにつれがくがくと膝を震えさせているのを見ると、リリィが怖いが足がすくんで逃げられないのだろう。
「どうかなさいましたか?」
リリィの背から降りて目の前に立つと淑女的に話しかける。それにびくりとされると少し傷付くけれど、巨狼と一緒にいると仕方ないと思いなおす。
近付いてみて初めて気付いたけれど、服装が明らかに場違いであった。私が着ている服もそれなりに上質なものなのだけれど、この子が着ている服はそれよりも上等で、上流階級の子供であるとはっきり主張していたのだ。
「あの、私、道に迷って、それで、道を教えていただけないでしょうか」
鳶色の瞳に怯えを隠しながらもしっかりと受け答えしようとする姿勢は好ましい。何より、しっかりとした教育を受けている子供は見ていてほほえましいのだ。
「基地の見学に来たのなら、基地司令のところか主計課にでもご案内しますけれど、それでよいかしら?」
オリエンスおじさまとベレニケさんは異動になったけれど、後任のブルーノおじさまも良くしてくれるので迷子の対応をお願いしても怒られないだろう。
「お願いしてよいでしょうか? これでお父様のところに……」
少女がほっとして表情が緩んだ瞬間、少女は苦しそうに自分を抱きしめるとふらふらとしゃがみ込んだ。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「昔から病気で、お医者様も原因が分からないっていう病気なんです。少し休めば楽になりますから」
咳き込みながらも儚げに微笑む少女に私の気持ちはほとんど決まっていた。最後は本人がどうしたいか次第だけれど、瑞穂に教えられたことを使えばおそらくは完治させられる。
「治したい? そう願うなら私は治すよ?」
私の言葉に少女は一瞬悩んだのが分かった。当然だ。医者が無理なのに、子供がそんなことを言ったとして信じられる相手は多くない。けれど、次の瞬間には口を開いていた。
「治したいです。もっと楽しく遊んでみたい」
「分かった。私が治すよ」
頬を伝う一筋の涙に私の覚悟は決まった。後でいろいろな人から怒られるのは間違いないだろうけれど、目の前で苦しんでいるこの子を助けることができるなら安いものだ。
「術式展開。リリィ、邪魔されないように見張ってて」
「よかろう。邪魔はさせぬ。存分に力を使うがよい」
周囲の雑音を切り捨てると、右手に展開させた魔力を少女の胸へと流し込んで検査のための術式を発動させる。
肉体の奥深くまで魔力を浸透させる。臓器の表層を撫でるのではなく、細胞の中まで覗き込むように体を隅から隅まで検査していく。
「見つけた。うまく隠れたことで」
高精度の検査機器のない時代では手遅れになるまで見つからなかっただろう病魔は、ほぼすべてと言っていいほど内臓に広く巣食っていた。
「苦しかったでしょう? その原因は見つけたから、すぐに治してあげる」
私の言葉にもか細い息で頷くだけの少女を見て、治癒魔法に力がこもる。検査のために流れていた魔力が体内で治癒術式へと変化して全ての病巣を消し去り、機能を回復させていく。施術が進むにつれて、顔色が良くなって呼吸が落ち着く様子に安堵する。
「……苦しくない。本当に治ったの?」
「ええ。体の中にあった病巣は見つけたもの全てを治しました。それはわが師である瑞穂の名に懸けて保証します」
こんな子供が保証するより女神の名を使った方が効率的だろうと、師匠の名前を出す。
すると、さすがに神の名は分かるのか、瞳が輝いた。
少女のその反応に気をよくしていると、重要なことを忘れていたことに気が付いた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。私はユリア。貴女のお名前は?」
「私はベアトリーチェです。お父様とお母様はビーチェって呼びます」
そこまで言って、少女は何かに気付いたのか、身だしなみを整えると私に向かって深々と頭を下げた。
「治していただいてありがとうございます」
「どういたしまして」
私に感謝の言葉を伝えてからも少女はもじもじと何か言いたげにしている。笑顔で待っていると、おどおどと口を開いた。
「あの、お姉ちゃんって呼んでもいい、ですか?」
はにかむようにこちらを見つめる少女に私は笑顔で答える。
「いいよ。呼びたいように呼んで」
頭を撫でてあげながら言うと、目を細めて嬉しそうな笑顔を作る。猫っぽくて愛くるしい。
「私はベアトって呼んでもいいかな? 普通じゃない呼び方だと思うけど」
ベアトリーチェの愛称がビーチェというのは知っているけれど、日本時代の記憶が呼びやすい略し方を求めている。
「特別な呼び方ですね」
嬉しそうな表情を浮かべるベアト。これは呼んでもいいということだろう。その反応に私の気もよくなる。
「これからお菓子を食べるところだったんだけど、一緒に来てみる?」
「よろしければ行かせてください」
「うん。リリィ、基地のどこかでこの子の家族が探しているはずだから、おじさまに教えてきてくれる?」
「まったく、人使いの荒い奴め」
リリィは口ではぶつくさ言いながらも、ベアトの匂いを嗅いで出て行った。ベアトの匂いでおじさまより家族を先に探すつもりなのだろう。何だかんだ言って優しいいい奴である。
ベアトと食堂に行くと、お菓子のできた良い匂いが漂っていた。
「ユリアちゃん、ちょうど焼きあがったところだよ。でも、あの時間から料理を始めてよくこの時間にできたもんだね」
顔を出すと、食堂のおばちゃんが声をかけてくれた。焼くところだけお願いしていて部屋に茶葉を取りにいっていただけなのだが、私の料理に時間がかからないことが不思議らしい。その答えは魔力なのだ。
クッキー生地は魔力を熱変換して適温に保つことで発酵に必要な時間を短縮しておいた。料理に魔力を使うなんて魔力の無駄遣いのようなことをできるのも私の魔力量が豊富なおかげだ。ユキが教えてくれた調理法だから当然のように魔力を使わないと再現不能という理由もあるのだけれど。
「うん。いい感じ。おばちゃん、ありがとう」
「いつもおすそ分けありがとね。うちの子たちが喜ぶよ」
ユキのレシピなのでかなり美味しい。おばちゃんにお礼として毎回おすそ分けをしているのだけれど、かなり喜ばれていてそのおかげで料理の手伝いをしてもらえるのだ。
「さ、食べよ。自分で言うのもなんだけど、私の料理はおいしいんだから」
「お姉ちゃんが作ったの? ……おいしい」
「ま、ここでお茶とお菓子を食べているうちに、リリィが家族を連れてきてくれるからゆっくり待とうか」
もきゅもきゅとクッキーを食べるベアトをほほえましく見ていると、頬が緩むのを感じた。
日本では独身だったけれど、親になっていたらこういう気持ちだったのかもしれないなと思いながらベアトのために飲み物を準備するのだった。
「ビーチェ、ここにいたのか!」
食堂でお茶会を楽しんでいると、飛び込むように上品な身なりの男性が飛び込んできた。あけ放たれた扉の向こうにリリィが見えるので、ベアトの家族で間違いない。
おそらく年齢は三十代くらいだろうか。私の魂の年齢より何歳か若いくらいだと思うし、ベアトの父親ならこちらの両親の年齢からしてそれくらいが妥当なところだろう。
しかし、どこかで見たことがあるような気がすると思って思い出そうとしても思い出せない。妙なもどかしさを感じる。
「お父様、勝手に離れてごめんなさい」
「無事だったからいいが、気をつけなさい」
親子の関係は良好なようだ。だけれど、ベアトの父親にはどこかで会ったか、見たかしたことがあるような気がする。久しぶりにテレビに出た役者の名前が出てこない程度だけれど、ちょっとしたもどかしさがある。
「どうかしたかね?」
「どこかでお顔を拝見したことがあるような気がしまして」
「ふふ。子供とはいえ、物怖じしないと言うべきか、知らないことを驚くべきか悩むな。硬貨を持っていたら肖像を見てみなさい」
「え? 分かりました」
ポケットに入れていたお財布から硬貨を取り出すと、言われた通りに打刻された肖像を確認した。
うん。そこには目の前のおじさんにそっくりな横顔が描かれていた。こういう場合にどう反応すればよいのか分からずにフリーズしてしまう。
「七丘帝国皇帝、チェザーレと言えば理解できるかね?」
「こうていへいか?」
予想以上にアッパークラスで思わず片言になってしまう。そして、父親が皇帝陛下ということは、この子は皇女殿下ということで、世界が違う雲上人だわ。
「お父様、お姉ちゃんが病気を全部治してくれたの!」
「ほ、本当に、病気が治ったのか?」
疑うような目で私を見る皇帝陛下。当然だろう。子供のままごとでどうにかなるようなものではないのだから。
「瑞穂からいろいろ教わっている身として見逃せなかったもので」
勝手に治療したからって怒られたりするだろうか。もしくは不敬罪とか。知らずに助けただけなので、情状酌量してもらえると嬉しい。
「医療神の弟子だと?」
「瑞穂だけじゃなくて、アンジュにブラン、クロ、ユキとラヴィーからも教わっています。それがいいことかどうかはよくわかりませんが」
瑞穂だけの弟子と思われると、あっちに行った時に残りのメンツに不機嫌な歓迎を受けることになるので訂正はしておく。
「ろ、六柱もの神の教えを受けているというのか」
しかし、それを聞いた陛下は愕然として口を半開きにしたままで震えていた。
陛下の驚きぶりに考え直してみる。
転生時点から気軽に付き合ってきているから忘れがちだけれど、『神様の降臨があり得る世界で信仰される女神のほぼすべてから手ほどきを受けている』という状況だった。
「あれ、これもしかしてヤバい?」
アンジュが馬鹿笑いしている声が聞こえてしまうくらいには現実逃避しかけていた。良くて飼い殺し。最悪の場合には「事故」が想定されるだけに権力者の前ではもっと気を付けるべきだった。
「ふふふ、実に良い忠臣に恵まれていたのだな」
急に皇帝陛下は何か嬉しそうに笑った。私もベアトも、そしてリリィさえあっけにとられてぽかんとしてしまった。
「いや、すまない。この基地に来た理由はクーラベラント翁に勧められたからなのだが、翁はきっとこうなることを分かっていたのだと思ってね」
「クーラベラント……。ああ、イリスお姉ちゃんの家か」
イリスを治した時は公式には私じゃない人が治療したことになっているんだっけ。でも、イリス本人は私が治したと知っているし、その家族が知っていてもおかしくはないか。
そして、あの時から一年経っているからね。多少の難病なら治せるようになっていると思われても仕方ないか。基地見学を勧めるだけなら治療できなくても責任を問われたりしないだろうし。
孤児の自分が貴族のイリスとは良好な関係を築けていて、さらには姉妹同様に扱ってもらっているので今回のことを怒るとかはしないけれど、こういうことをさせようというなら事前の根回しくらいはしておいて欲しかったな。
「翁から聞いていたこの基地にいる少女の名はユリアということだが、間違いないかね?」
「はい。私はユリア・フィーニスです」
「そうか。今君の力と名を世に出すことは君の身に災厄をもたらすだけだろう。故に暫くの間は君の功績を表に出すことはできない。だが、覚えていてほしい。帝室は君の名誉を忘れないと。然るべき時が来た時に必ず報いよう」
ほほ笑みながら私に語り掛けた皇帝陛下だったけれど、最後の言葉の時だけは子供に向けるような表情ではなかった。言葉の意味その通りとしか言えない表情に私は頷くしかできない。
「ビーチェ、もう帰る時間だ。ご挨拶を」
「お姉ちゃん、今日はありがとうございました。お手紙書きますから……」
「はい。お手紙をいただきましたら、お返事を書かせていただきます」
私の言葉にベアトは口を尖らせた。それがよく分からずに小首をかしげると、陛下からの助け船が出た。
「この子は君に他人行儀に丁寧な言葉を使われるのが嫌なようだ。身分関係なく、親しくしてもらえるだろうか?」
「はい。それでは……ベアト、手紙を貰ったら返事を書くし、何かあったらすぐに治療しに行くから心配しないで」
「はい。約束ですよ」
今度は笑顔になったベアトに私も笑顔を返す。皇帝陛下もどことなく嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
二人が乗った車が見えなくなるまで見送ってから、腹の中から息を吐き出した。
正直に言って元日本人のメンタルが陛下に対して敬意を払うものだと訴えていたのだ。それを無理矢理ねじ伏せてベアトにフレンドリーに接していたのだから、胃が痛いってもんじゃなかった。これからも関係が続くことを考えると、なれない内は胃壁を削ることになりそうだ。
しかし、帝室と超親密になって、皇女殿下からお姉ちゃんと呼んでもらえるようになったのは喜ばしいことだろう。人脈はあって困ることはないし。
そうして心身ともに疲れて眠りに落ちた私は、あちらでアンジュと瑞穂にさんざんからかわれて玩具になったのだった。
急に転居を伴う異動を受けてネットから切断されていました。




