余波と覚醒
年度末が忙しいでした。しかも寝付いたりしていました。薬種問屋でもないので、勘弁願いたいです。
神々の領域では暇な女神がユリアと狼の邂逅を覗いていた。狼を見てひたすらに笑うアンジュと、いつも通りに紅茶を楽しみながらほほ笑むD。Dに誘われるままにその場にいたラヴィーはどこかぼんやりと紅茶を飲みながら狼を眺めていた。
「おっきー。大人でも問題なく乗れんじゃないの?」
「でも、星辰の向こうというと、間違いなくあの方々のお仲間では?」
「だよなぁ。協定ではここに手を出さないことになってるんだが、事故か?」
狼がユリアの影に跳び込んだ瞬間、ガチャンという陶器の割れる音が響いた。驚いたアンジュとDが音のした方向をみると、真っ青な顔で震えるラヴィーの姿があった。
「ラヴィー? 大丈夫ですか?」
「あれは、私は知っている? っ! 痛い、痛い!」
Dの問いかけに答えることなく痛い痛いと頭を抱えて蹲るラヴィー。
だが、次の瞬間には棒立ちになり目から光が消えた。そこから糸がもつれたマリオネットの様に全身を痙攣させ、見開らかれた瞳はせわしなく動き続ける。
数秒の後、肩を落とすように動きを止めたラヴィーの口からは感情のない機械的な声が漏れた。
「国連地球防衛軍《UN-DE》 R-17a 再起動確認。簡易診断開始。……ファクトリーとのリンク途絶。位相兵器……アクセス不能。エーテルコンバーター……正常。診断完了……再起動。作戦行動を開始します」
ラヴィーの目は焦点を合わせるように瞳孔が動いてから、気が付いたように右手で額を押さえながら首を振った。
「全く気持ち悪いです。記憶喪失の人が記憶を取り戻したらこんな感じなんでしょうか」
「大丈夫なの?」
心配するDに柔らかな微笑みとも苦笑いともとれる表情を向けると、ラヴィーは以前よりも感情の入った声で答えを返した。
「ええ。何とか。正直に言うと、こんな記憶は思い出さない方がマシでしたが」
「へぇ。何を思い出したのさ?」
Dが睨みつけているにも関わらずアンジュが好奇心に突き動かされるように尋ねると、ラヴィーは嘆息するように口を開いた。
「自分が何者であるか。何のために生み出されたのか。それを思い出しました」
「それが問題なのか? 己が何者であるかを思い出すのは悪いこととは思えないが」
基本的に善寄りであるアンジュが、喜ばしいことなのではないかと問うてもラヴィーは苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。
「それが戦争のためであってもですか? しかも、守護神として願われながらも守れなかった欠陥品です」
「何をいまさらというところだな。うちの半分は破壊神や戦神だぞ。……少なくとも守ってほしいと願われたのは確かだろう。信仰を奪われ己が役割も果たせなくなった我らも元は崇められた存在であるしな。人の思いから生まれ、役に立てずに流れたといえば同じであろう」
「……ありがとうございます。少し気が楽になりました」
少し表情を緩めたラヴィーに対して、今度はDが問いかけるように口を開く。
「でも、どうして記憶を思い出したの? あの狼に何か?」
「私が従事した戦争に【猟犬】型と呼称されていた敵がいました。影から影へ飛び移り、死角から襲い掛かってくる厄介な尖兵です。……あれはそれに似ている」
「似ているだけだと思うけれど? この世界に貴女の世界から来られるはずがないもの」
Dの言葉にラヴィーは何も言わずにじっと目を見つめかえした。数秒の後、ため息とともに口を開く。
「ええ。貴女がそう言うのであればそうなのでしょう。それでも、私は尋ねなければいけないのです」
どこか遠くを見るような目で言われた言葉にアンジュもディラエも何も言えなかった。
狼を連れ帰ったことで質問攻めにあって疲れ切ったユリアが眠りに落ちたと思った瞬間、神々の世界に立っていた。げんなりとして肩を落とすと、隣から楽しげな声がした。
「ここはどこだ? 体はあちらにあるままに連れてこられるなど初めてだぞ」
ユリアが視線を動かすと、白狼が尻尾をぶんぶんと振っていた。散歩に連れ出された犬のような反応に頭痛をこらえていると、柱廊のどこかからヒールが床を叩くコツコツという音が聞こえた。
「来ましたね。今日は私が用事があったので呼ばせて貰いました」
「あ、ラヴィー……い?」
背後から聞こえた声にユリアが振り向くと、声の主の名前を読んだはずの声が尻すぼみになった。
ユリアの視線の先には、見たこともない重装備をして女神が立っていた。
浮遊する盾のようなものと、手持ちサイズの長銃身ガトリングを両腕に装備して、周囲には浮遊砲台のようなものが周回している。完全に臨戦状態のラヴィーにユリアも冷や汗が止まらない。
「おお、女神とやらか。ユリアから話は聞いていたが、聞いていたよりも剣呑だな」
リリィの言葉に一瞬だけ視線を走らせると、ラヴィーはユリアの目を見つめて口を開いた。
「貴方とリリィの出会いを眺めていて、より正確に言えばリリィの能力を見て、私の記憶が戻りました」
「お、おめでとうでいいのかな?」
「それでいいと思いますよ。アンジュさんに慰められてもこのざまなのですから」
不意に聞こえた声に振り向くと、ユリアとリリィの退路を断つようにDとアンジュがティータイムに入っていた。前にはラヴィー、後ろにアンジュとDで挟み撃ちの形だ。
「ま、自分が何者かを思い出したんだ。話を聞いてやってくれ」
「私は国連地球防衛軍所属、対侵略者インターセプター、開発コードRシリーズの17号計画、その一号機です。私の存在意義としてリリィに確認しなければならないことがあります」
その言葉に合わせるようにすべての銃口がリリィへと向けられ、トリガーに指がかけられた。そこまでして、ラヴィーは重々しく口を開く。
「貴女はあの星の生命全ての敵ですか?」
「否。敵ではないさ。理由なく襲われれば敵になると思うがな」
森の中と同じように喉の奥で転がすように笑うリリィを数秒見つめて、ラヴィーは肩の力を抜いた。
「その言葉を信じましょう。あなたは滅ぼすべき敵ではない」
「……答えた我が言うのもなんだが、そんなに簡単に信じて良いのか?」
あまりにも簡単に銃を下ろしたラヴィーに対してリリィが戸惑うように言葉を向ける。しかし、ラヴィーは特に気にすることなく武器を仕舞いながら口を開いた。
「ええ。私が戦争していた神々も人それぞれでしたから。死した女神の名を騙って私を助けてくれたお人よしもいますしね」
いたずらっぽくラヴィーが笑った瞬間、Dが紅茶を噴き出した。
けほけほと咽るDに視線が集まるが、声をかけたのは今までに見たことのない小悪魔のような顔のラヴィーだった。
「大丈夫ですか? ゲ、じゃなくて、Dの部屋から着替えでも取ってきましょうか?」
「だ、大丈夫です。大丈夫ですから、何も言わないでください」
他の女神に対するよりも如実に怯えるDに対して、ラヴィーは小悪魔じみた笑顔を深めて恍惚と言って良いような状態だった。
「あのさ、今日の用事ってこれで終わりなの?」
「そうだな。用がなければ居座る必要もなかろう」
漫才のような二人に対してユリアとリリィが口を挟む。すると、忘れていたとばかりにラヴィーがユリアへほほ笑んだ。
「記憶が戻ったので、技術系でも助けられる幅が増えましたよ。あの時代の日本人なら魔力を利用した機械なんて想像もできないと思いますが、私の体に使用されている技術の応用の仕方も思い出したので必要があれば教えてあげますね」
「そっか。魔法のある世界ならそれを使った機械もあるはずなのか。一回も見たことないから頭から抜けてた」
「まだまだ初期の装置ですが、そのうち見ることもあるかもしれませんね」
「その時はよろしくお願いします」
ほほ笑むラヴィーに答えると、ユリアは何も言わずににやにやしているアンジュの視線に気が付いた。
「何か?」
「いや、なに。お前が動物好きと知って瑞穂が尻尾振って待っているということを言おうと思っていただけさ」
「ええぇ? あれはカウントの外に置きたいんですけど」
「まあ、そう言わないで行ってやってくれ」
これから先に起こるだろうことで愉悦を期待するアンジュに対して、ユリアはがっくりと肩を落としながら白旗を揚げるしかなかった。




