欲求不満と狼さん
転生してからもう年単位で時が経ち、自由に行動できるようになってからも一年以上。
もはや我慢の限界だった。
「もふりたい」
日本にいたときは、賃貸でペット禁止だったが、猫カフェにフクロウカフェ、犬カフェとあらゆる場所で動物を構いに構ってきた。しかし、転生してから一度も動物を可愛がっていない。なお、当然ながら瑞穂のアレはカウントの外だ。
精神衛生上、いい加減に耐えられる限度を過ぎきっている。
「しかし、どうする? 抱きしめてしっくりくるようなのがいるのか?」
軍施設だから生き物がいないということはない。むしろ軍用犬が何匹か警邏にいる。だが、ここで軍用犬に選ばれるような犬種はごつくて、しかも訓練していても危険だからと近づくことすらできない。
今の飢餓感を満たしてくれるのは、しなやかでふかふかした犬種だ。できれば長毛がいい。ニーズに合わない以上無理をしても仕方がない。
「どこかに……どこかにいないのか。基地外に住んでいる人間でレトリバーかシェパードを飼っているようなのとか、どっかにいるはずだろう」
この際、ふかふかしていれば多少でかくても許容範囲だろう。いや、むしろでかくなればその分もふれるからお得か?
自分でも思考がおかしいとは理解できるが、もはやそんなことで我慢できるレベルではない。
「ユリアちゃん、今は大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですけど、何かありましたか?」
ベレニケさんが声をかけてきたため思考を切り替えて身構える。私の治癒魔法が必要な怪我人が出たなら浮ついている訳にもいかないのだ。
「大丈夫なら、基地指令室まで来てもらえますか?」
「えっ。わ、分かりました。すぐ行きます」
予想していたのとは違う展開に虚を突かれてしまったけれど、気を取り直してベレニケさんの背中を追うようにして基地指令室へ向かった。
「なんでしょうか、おじさま」
基地指令室ではおじさまが何かの書類を見ていた。時折お腹に手をやる仕草をしているのを見ると、そのうち胃に治癒魔法が必要になるかもしれない。
「来てくれたか。うん、まあ、座りなさい」
ソファを進められたので、遠慮なく座る。この辺りの子供ムーブは経験故にできるのであって、私が子供っぽくなったからではないと信じたい。
ベレニケさんとおじさまが目配せし合うと、おじさまは重々しく口を開いた。
「ペルノの森に狼が出るようになったらしい。しかも、普通の狼では考えられないほど巨大な白狼で、人を見ても恐れることなく森の闇の中からじっと見つめてくるそうだ」
「それは、とても恐ろしいですね」
口ではそう言ってみても、内心狂喜乱舞である。
狼。しかも、巨大。実にいい。
狼を抱きしめた経験はないが、それなりの毛皮をしているだろう。動物は高緯度地域ほど巨大になることを考えれば、防寒用にもこもこしているかもしれない。
ベストの選択ではないかもしれないが、ベターくらいの選択であるはずだ。
「うむ。状況次第ではこの基地から討伐部隊を派遣しなければならないかもしれん。基地からペルノまではさほど遠くないからな」
おじさまの言葉の裏には、明らかに私に同行してほしいという意図が見える。まあ、子供に頼るのもどうかと思うのだろうが、棺桶に片足を突っ込むような状況の兵が発生した場合に私が居るのと居ないのとでは生存確率が違い過ぎるのだから仕方ないだろう。
「その時は私も連れて行っていただけますか? 大きな狼を見てみたいです」
「そうかそうか。そうなった時は必ず一緒に行こう」
私の答えにおじさまもベレニケさんも露骨にほっとしたような表情を浮かべた。こんな回りくどいことをしなくても、私に来てくれって言ってくれれば済む話なのだけれど、組織としてはいろいろ問題があるのだろうな。
「私は部屋に戻ってご本の続きを読みます。狼を見に行くときは絶対に連れて行ってくださいね?」
「もちろんですよ。ね、指令?」
「そうだとも。今はまだ先の話だけれどな」
おじさまとベレニケさんの冷や汗を浮かべた笑顔に見送られて指令室を辞したのだった。
部屋に戻って最初にしたのは、基地周辺図などを書き写したお手製の地図をはじめとしたお出かけセットを引っ張り出すことだった。
「千載一遇のチャンスをただ見のがすなんてありえないですけどね」
近くの森に出たという巨大狼。もしかしたら猟師が仕留めてしまうかもしれないし、軍が討伐に出るまでのものでもないのかもしれない。そうなれば、せっかくのもふる機会が台無しである。
可及的速やかに狼を補足しなければならない。もしも可能ならペットとして基地に連れてきたい。
万が一狼が急に襲ってきたとしても、魔力による肉体強化と戦闘能力向上で十分に対応できるであろう段階まで達している。拘束用の小技もこれでもかと練習させられた結果、発動まで1秒を切った。これで最悪でも逃走は可能だ。
「さて、悪いことしましょうか?」
部屋に戻るとベッドに誰か寝ているように細工をして内鍵を閉めると、窓から脱出して前から見つけていた脱出スポットへ移動する。
基地の外周の壁の高さは大人三人より高く、四人よりは低いというところだろうか。しかも、上には有刺鉄線がめぐらされ、通常なら子供どころか大人でも超えられるものではない。
しかし、内側からなら超える方法は存在する。多分できるのは私だけだけど。
「二階と三階の間くらいで、踏み切りはここっと」
ある程度目算をつけると、壁に背中を預ける。一度息を整えると、肉体強化を脚部に集中して発動させる。
「いざ、勝負」
強化された脚力で目の前の建物へ走り出す。すぐにトップスピードへ達すると、思い切り跳び上がった。そして二階と三階の間の壁を蹴って再度跳び上がる。
要は三角跳びである。直接乗り越えられない場所でも、さらに上を跳んでしまえば問題はない。
背面跳びのように有刺鉄線をパスすると、壁の上側をけって壁から距離をとる。落下中に壁にぶつかってけがをする可能性を減らすためだ。
次は肉体強化を四肢を中心にしながら全身に張り巡らせる。そうでもしないと未熟な体では着地の衝撃に耐えられないだろうという予測からだ。
「くぅっ」
手も使って四つん這いで着地すると、予想を超える衝撃が全身を貫いた。強化していなければ体のあちこちで骨折と内臓破裂が生じていただろう。子供の身体で無理をすると反動が恐ろしいかもしれない。
しかし、今はそれ以上に価値のあることがある。不可視化して地図を広げると、基地からペルノの森までの経路を確認する。
基地からペルノの森までは、地図でみると今の私の親指半分くらいだから、二キロ強というところだろうか。
「身体強化と不可視化で十分かかるかどうかって距離か。すぐに見つかれば問題なく戻って来れるな」
方向を確認すると見つからないように走り始めた。
それは迷っていた。己が置かれた状況と、何故そうなったかが分からぬまま、見知らぬ場所で戸惑うしかないままに。
ソレの主観では旅の途中にいたはずであった。供回りも連れぬ気ままな放浪。気になるものを見つけては、気が済むまで寄り道をする旅。そこで小さくとも輝く何かを見つけ、近づいた瞬間、ソレは墜ちた。
そして、気が付くと身体さえ変わっていた。どうすればよいのか悩んでも答えは出ない。
「うむ?」
しかし、耳に届いた微かな音がソレを思索から現実へ引き戻す。しかしながら、思索に籠っていたソレが気付いた時には何もかもが遅かった。堅固に編まれた魔力の鎖が四肢をからめとり強制的に地面へと縫いとめる。
魔力の流れの元からふらりと現れた存在は、強靭な生命であるソレを恐れさせる魔力を身にまとっていた。討伐に来たというなら勝ち目はないと判断したそれは、せめてもの抵抗をすべく牙をむく。
「見つけた! もふらせろぉぉぉ!」
しかしながら、予想外の言葉と突進によって、唖然として一切の動きを止めたのだった。
「思ってた以上にもふもふしてる。ふっわふわのもこもこだよ。しかも、私が埋まっちゃうくらいの大きさってなにこれ。包まれてお昼寝だって出来ちゃうよ」
暗がりで動きを止めていた狼に捕縛用の魔法を使って完全に身動き取れなくした。そのうえで飛び込んでみれば、極上の質感だった。
絹のようにすべすべで手触りの良い毛は適度に空気の層を挟んでいてふわふわしている。
これでボルテージが上がらない訳がない。
「……そろそろ気は済んだだろうか」
尻尾まで堪能し終わると、狼の口から呆れたような言葉が向けられた。狼がしゃべって一瞬驚くが、魔法がある世界なのだからと納得した。
「もう最高だった。こんなふわふわもこもこをもふもふできて最高である」
「そうか。我を見てそんな反応をした相手は初めてだ」
狼から戸惑うような気配が伝わってくる。確かに、これほど大きな狼相手に奇襲で捕縛を成功させた上で、逃げるでも戦うでもなく抱き着くという選択をする奴はそうそういないだろう。
「まぁ、意思疎通できたなら拘束はいらなかったね。ごめんなさい」
敵対する気配もなくなったので捕縛を解除して狼を解き放つと、身震いさせてからゆっくりと立ち上がった。
「私はユリア・フィーニス。あなたのお名前は?」
「我に名はない。いや、正しくは人間が発音できるような名ではない」
大体、二メートルくらいの大きさだろうか。大人であっても二人は乗れそうな大きさの狼を目の前にすると、予想以上に恐怖感がある。
「やっぱり狼の名前は人間には発音できないか……」
「否。我は狼ではない。旅の途中で引き寄せられここに墜ちたのだ。そして森に潜み、人間の目を避けているうちにこの姿へと変わってしまった」
忌々しいという感じに吐き捨てる狼はどこか動物よりも人間臭かった、
「元は別な姿だったの?」
「うむ。星辰の彼方にて星々を巡る我にこのような姿は合わぬ」
あっ。これヤバい奴や。
狼の口から出た言葉だけで相手がどんなのか察せられた。一番大人しくて、宇宙生物。逆は、冒涜的ななにか。神話生物程度ならまだましと思えるのは訓練され過ぎだろうか。
正気度判定とかやりたくない。というか、うちの邪神様達の加護でどこまで守ってもらえるのか、邪神大戦で勝てるのかとかが重要だ。
「そうですか。それが狼に変わったのですか。確かに、星々の間で生きる方の名前は発声不能です」
「うむ。森の闇に隠れていたというのに、人間がこちらを見てからこの姿だ」
「住民の森の狩人のイメージ。森の中に潜む何かは狼という恐れの対象と思ったことで、因果の流れで外見が狼に固定されたのかな。そうじゃないと説明がつかないし」
魔法という埒外のある世界である。何が起きても驚きはしない。というか、こういう事象に出会った現実がよほど驚きである。
「我を見ても驚かないのであれば、ともについて行っても良いだろうか? いつまでも森の中にいては何も出来ぬが、人に狩られそうでな」
「ついてくるのはいいですけど、食べ物とか居場所とかは大丈夫ですか?」
当然の疑問に狼は喉の奥を鳴らすように笑った。笑っていると分かるけど、喰われそうでこえーよ。
「居場所については心配ない。影を貸してもらえればよい」
「え? ええええ!」
狼の言葉に疑問を感じるが、それに続く行動に思わず叫んでしまった。狼が小さく跳ねると、私の影の中に潜り込んだのだ。これでこの狼がただの宇宙生物の線は限りなく低くなった。
『こうすれば誰に憚ることなく人の世に出られよう』
頭の中に直接語り掛けてくる声に愕然としながら、こちらの意思を伝えるべく口を開く。
「食べ物はどうするんですか? そんなに大きな体なら食べるものもたくさん必要でしょう?」
『それは魔力を少し分けてもらえればよい。影から覗いたが、そなたの魔力量なら微々たるものだ』
くくと笑う狼に対して、頭の中で損得勘定をしてみた。
こちらが払う労力はほぼ零。得るものはもふもふが近くにいる生活。リスクは自分の正気が削れる可能性があることだが、この人生自体自称邪神に見初められてのものなのだ。いじられている可能性がある以上、それもリスクのうちには入らないだろう。
つまり、得られるのはもふもふ。利益だけじゃないか。
「分かりました。ついてくるのはいいですけど、私の家族として私と仲良くしてくださいね?」
『もちろんだとも。下手をうって狩られるようにはなりたくないからな。この姿の我を撫でたいのであればいくらでも撫でさせてやろう』
喉の奥で転がすように笑う声とともに、楽しんでいるという感情が伝わってきた。思ったより悪い相手ではないようだ。
「でも、名前どうしましょう。いつまでも狼という訳にもいかないし」
『ならば、そなたがつければよい。人の世に慣れた身がつけた名の方がよかろう』
「私がつけるのか。責任重大だ。で、あなたの性別はどっちなのです?」
名前を付けるにあたっての当然の質問だが、これに狼が驚いたように無言になったのが分かった。
『人の男、女という奴か……。多分、元の体では女に相当するものであったような気がする』
たっぷり数分は沈黙した後に口を開いた狼の言葉は予想外過ぎて驚きだった。
「おおう。雌だったのか。狼で雌だと、有名なのはブランカだけど……」
元の意味は白らしいので、毛皮の色味的に問題ないのだけれど、知ってる女神と名前が似過ぎである。せめてもうひとひねりしたいところだ。
何かないかと視線をさまよわせながら考えていると、木々の合間に生える百合の花が見えた。
「百合……。そうだ、リリィって名前はどうかな?」
『リリィか。その花を指した名前であるなら悪くない』
この世界に英語があるのかは知らないが、気に入ってもらえたなら問題ないだろう。
「リリィ、これからよろしくね」
『うむ。こちらも世話になる。ユリアと呼べばよいか?』
「うん。それでいいよ。最初のお願いだけど、私の家族になったって皆に分かってもらうために、私を家まで背中に乗せてくれない?」
『その程度たやすいぞ。だが、しっかりとつかまっておくようにな』
基地の正門にたどり着いたとき、基地を揺るがす大騒動になった。
基地の中にいると思っていた子供が外に出ていて、討伐が検討されていた狼の背に乗ってきており、さらに狼を自分の家族にすると宣言した上で影に隠れさせたのである。
さすがにこれで騒ぐなという方が無理であった。おかげでおじさまの胃に治癒魔法を二度もかけることになってしまった。
しかも、巨大な狼の背に乗る、異国の容貌をした可愛らしい子供の目撃談により神話的な何かが起こったとして地域一帯が恐慌に陥るのは間もなくであった。
さすがに○ロな名前は選べないよね。
最近風邪で絶不調です。丈夫な体が欲しい。




