事件の当事者達
本人と周りとで温度差が激しいのはよくあること。主人公が女神と遊んでいる間も、基地の責任者は忙しいのです。
基地中枢の中、医療施設の入院病室の一室。その入り口に歩哨が立つという通常ならありえないほどの厳戒態勢を敷かれた病室では一人の少女、ユリアだけが眠りについていた。
ユリアの傍らでは好々爺という雰囲気の老将と女性秘書官が少女を心配するように付き添っていた。
「で、医師の見立てではどうなっているというのかね」
「はい。肉体的には極度の消耗が見られるものの、内臓機能等に問題はないということです。ただ、手当てを受けていて偶然現場を目撃した魔法使いが言うには、その、魔力を搾りつくしたようだったと」
老将の問いに答える秘書官だったが、後半に行くにしたがって歯切れが悪くなった。それに合わせるように老将の表情が険しくなる。
「魔力を、か。ということは、魔力が回復するまでは眠りについたままか……」
「はい。ユリアちゃんの体は医学的に持たせることはできますが、魔力の回復だけは天に祈るしかありません」
軍という大集団に身を置くものとして魔法使いの理も知っている二人は、最悪の事態を理解しながらも口には出さなかった。口に出せばそれが現実となってしまうように思えたからだ。
生命の根幹と繋がる魔力を使用しつくした人間は衰弱して死に至る。急激に魔力を搾り出した少女がこのまま永遠の眠りについてしまうのではないかという恐れがあった。
「孤児の母たる女神ブランか、東方の医療神か、はたまた主神アンジュ様か分からないが、この幼き命を救ってくださることを祈ろう」
「はい。ユリアちゃんのお母さまのためにも救いの手を差し伸べてくださるはずです」
二人が神に祈りを捧げユリアにかけられた毛布をかけ直していると、控えめに扉がノックされた。
「失礼します。閣下、帝国議会議員のクーラベラント伯がいらっしゃいました。今は応接室にお通ししております」
入ってきた伝令の言葉に二人は小さくため息をついた。
「まだ深夜にもなっていないというのに、随分と急いでこられたようだな」
「伯もお孫さんのこととなると心配なのでしょう」
小さく笑う秘書官につられるように老将もわずかに笑みを浮かべた。
「まあ、今回はどこかで力を借りねばならなかったところだ。ちょうど良かったと思うとしよう」
自分に言い聞かせるような老将と神妙に頷く秘書に首をかしげながら伝令は従卒に役割を引き継いだ。
応接室の中では老人が腰かけることなく待っていた。従卒が開けた扉から入ってきた二人に対して向けられる視線は鋭い。老いてなお気迫のこもった目をした老人が帝国議会の重鎮クーラベラント伯であった。
「基地司令を拝命しておりますオリエンスです。こちらは私の秘書のベレニケです」
「よろしくお願いいたします、閣下」
「オリエンス司令にベレニケ君か……。ルキウス・クーラベラントだ」
老将オリエンスと秘書官の挨拶に帝国の重鎮である老人は権威を笠にした態度をとることなく、重鎮であることが信じられないほど物腰の柔らかい態度をしめした。
「忙しいところ手を煩わせて申し訳ない。議員として権力を使ってなどということはするべきではないのだが、一人きりの孫娘のことであるゆえにな」
「いえ、私も孫のいる身でありますので、そのお気持ちは存分に理解できます」
オリエンスの言葉に表情を緩めると、クーラベラント伯はやっとソファに腰を下ろした。
「……一報を受けて飛び出してきたものの、その後の報告では孫娘は無事であるという。そのことについて説明してもらえるだろうか」
「わかりました。事の起こりは本日早朝のことです。本日に予定されていた訓練の準備として、担当の兵員が弾薬庫に使用する弾薬を持ち出すために向かいました。その兵たちが弾薬庫に近づいた瞬間、何者かによって弾薬庫が爆破されたのです」
そこまでオリエンスが言うと、クーラベラント伯は怒気混じりの声を漏らした。
「誰が爆破を行ったかは分からぬが、誰が爆破を行わせたかは分かっている。我が兄の孫だ。イリスさえ亡き者にすればクーラベラントの権勢を手に入れられると愚かなことを考えたものだ」
「その者は?」
「すでに然るべき者達が取り調べを行っている」
オリエンスもある程度の地位にある者としてクーラベラント伯の言う然るべき者達という存在がいかなるものかを知っていた。国体維持を目的とした特別捜査機関。近年は主に無政府主義者を相手にしていたが、軍施設を狙ったとなれば彼らが動くのも当然であった。
「では、実行犯を見つけるのも時間の問題ですな。それでは話を戻しましょうか。弾薬庫が爆破されたことで近くにいた兵が重軽傷を負いました。そして、一人だけ重体となり生死の境をさまよったのがクーラベラント訓練兵です」
オリエンスの言葉に合わせるように、ベレニケが数枚の書類を差し出した。それはイリス・クーラベラントと名前の記載されたカルテであった。
渡されたカルテに目を通すにつれ、伯の表情は不機嫌に眉が吊り上がる。
「全身に負った裂傷と打撲は数えきれず、折れた骨が肺を貫通し、血液の半分近くを喪失。ここから引き戻せた医者がいるというなら、その医者は神の手と言っていいだろうな」
「いえ。彼女の命を救ったのは医者ではありません。……この基地に併設されている孤児院の唯一の子供が治癒魔法を使って彼女の命を救いました」
「なに? それは……ありえないだろう。治癒魔法など血統に依存する才能の代表であるし、使えるようになるのも専門教育を終えてからだ。孤児院の子供がそんな魔法を使えるなど……」
「はい。普通ならそうでしょう。ですが、それをなした子供の名前はユリア・フィーニスというのです」
信じられないという自身の言葉に割り込むように放たれたオリエンスの言葉にクーラベラント伯は言葉を失った。そして動揺をおさえ込むように視線が床の上を左右に動いた。
その行動を見てもオリエンスはためらうことなく言葉を継ぐ。
「七年前の東方動乱で瑞光帝国へ派兵されたフィーニス伯の長男と瑞光帝国で姫と呼ばれていた神官のスキャンダルは覚えておられるでしょうか。ユリアは両親を相次いで亡くし、天涯孤独の身としてこの基地の孤児院へ入っておりました」
「……あの事件で帝国の調停の使者となったのは私だ。忘れられるはずがない」
クーラベラント伯の記憶にあるのは苦い経験であった。
帝国の両輪とまで言われた盟友フィーニス伯の長男クイントゥスは娘の婿として迎えても良いと思える若者であったが、援軍として派遣された同盟国で龍神の巫女と恋仲となってしまった。動乱の終結で派遣が終わり帰国した彼を追って巫女も帝国に押しかけて来た。これが平時であれば両国の関係を深めることとして手放しで受け入れられたのだろうが、タイミングが悪すぎた。勝ち戦とはいえ犠牲も大きく、権力構造にも大変動が起きていた。その混乱の中で巫女を使って権力を得ようとした愚物が巫女の肉親にまでいたのだ。龍神も自分の巫女のために良縁を運んだと言って人々の説得にあたってくれ、それどころか調停をも申し出てくれた。しかし、龍神の調停を受けても、巫女に同情する世論に押されても、愚物どもは強硬姿勢を崩さず、結論が出ないままに当事者が没してしまった。
クーラベラント伯が二人に最後に会ったのは、調停の使者として瑞光帝国へ向かう直前であった。必ず二人が両国で誰にも憚ることなく祝福されるようにすると約束したとき、二人は笑みを浮かべて、よろしくお願いしますと頭を下げてきた。
それに答えようとうまくいかぬ交渉に四苦八苦していた最中、瑞光帝国で訃報を聞いた時の約束を守れなかったという無力感と、二人の死を悼む瑞光帝国の臣民の涙を見た時の寂寥感は今も忘れることができないでいた。
「二人のことはわが友ガイウスにいくら尋ねても何も言わなかったが、一度だけ酔いに酔った時に孫を守るために離れたところに置いたとこぼしたことがあった。その時クイントゥスの兄弟たちで子を成していた者はいなかったため胸の内にしまっておいたが、まさかこのような巡り合わせになるとはな」
感慨深げに目を閉じたクーラベラント伯は何かを思い出すようにつぶやいた。
「フィーニスといえば帝国創建の時代から国境防衛に大功ある家。現代となって軍の構造が変わっても軍への影響力を考えれば、人ひとりを隠すのも訳はないか……」
「私も赴任するまでここに英雄の遺児がいるなど知りませんでしたからな。軍の孤児院に入る子供は、親族がいないか、引き取りを拒否された子供です。孤児院にいる子供が名家に連なるなど思いもしないでしょう。私もクイントゥスの上官として会ったことがなければ気付かなかったはずです」
ゆっくりと目を開いたクーラベラント伯はオリエンスの目を見つめると、数秒の無言の後に口を開く。
「……歩兵連隊の時か。クイントゥスは良き夫、良き父であっただろうか」
「ええ。奥方を大切にし、子の成長を愛おしげに見守る良き男でありました」
オリエンスの言葉にクーラベラント伯は寂しげに頷くと、わずかに浮かんだ涙を指で拭う。その時、伯の脳裏に子供の頃からのクイントゥスの姿が走馬灯のように映し出されると、一瞬だけ伯の表情が悲しみに耐える老人のものとなった。
しかし、次の瞬間には帝国議員たる堂々とした表情でオリエンスを見つめていた。
「ユリアに会わせてもらおう。我が孫を救いし功績を称え、感謝を伝えねばならん」
「会うことはできましょう。しかしながら、話すことはできぬかと」
オリエンスの言葉に疑問符を浮かべるクーラベラント伯であったが、すぐに納得したというように口を開いた。
「さすがに年端もいかぬ子供が起きているにはいささか遅いか。それに治癒魔法を使っていれば、いかにあの巫女姫の子供といえども疲れはてていよう」
実の孫を思いやる老人そのものの笑顔を浮かべるクーラベラント伯に対して、オリエンスとベレニケの表情は硬い。
「ふむ。それだけではなさそうだな」
老獪な帝国議員として二人の表情から何かを察したクーラベラント伯は、帝国の重鎮としての表情で二人を見た。
「さあ、説明してもらおう」
「なるほどな。確かに魔力を危険なほどに失っている」
ユリアの病室で説明を受けたクーラベラント伯は納得したように、眠るユリアの頭を撫でた。
しかし、オリエンスとベレニケのような憔悴の気配がほとんどなかった。二人は言葉にはしないものの、不満げな気配を漂わせた。
「どうして分かるのかという表情をしているな。フィーニスが武を司る家に対して、クーラベラントは帝国の信仰を司る家。魔力を扱う才を持っていてもおかしくはないだろう」
「いえ、それよりもこの子の状態を確認されても心配とは思われませんのでしょうか」
思わず口を出してしまったという表情のベレニケに対し、クーラベラント伯は怒ることなく優しい表情でユリアの額に張り付いた髪を払いながら口を開いた。
「これならばおそらくは大丈夫だろう。私でも今までに見たことがないくらい強い加護を受けている」
「加護と言われますと、孤児の母であるブランと、母の仕えていた医療神でしょうか」
オリエンスは思いつく神の名をだしたが、クーラベラント伯は首を振る。
「その二柱の加護も確かに強い。だが、この子には強さに差はあれども七柱全ての神の気配が見える。強いのはアンジュ様にブラン、クロ、瑞穂、ユキの五柱か」
「なんと。それだけの加護を受けていれば確かに」
それを聞いてオリエンスとベレニケの表情が明るくなった。クーラベラント伯を通じて治療の手立てを探すことを考えていた二人にとっては朗報であった。
喜ぶ二人を見てクーラベラント伯も笑いながらもう一度ユリアの頭を撫でると、深刻な表情で二人に向き直った。
「今回のことは私が孫娘可愛さに手を回して治療が間に合ったということにしておこう」
「なぜでしょうか。このような少女が懸命に命を救うというのは、叙勲されてもおかしくはないことだと思いますが」
困惑を隠さない二人にクーラベラント伯は政治に関わるものとして冷静な判断を示す。
「確かにそうだ。だが、年端もいかぬ少女が治癒魔法を使え、さらにはその少女があの二人の娘となれば、大きな災厄を招きかねない。……せめて士官学校に入学できる年齢であればまだ何とかなったのだが、今はあまりに幼すぎる」
言われた内容にオリエンスとベレニケも理解したようで、はっとした表情を浮かべた。その変化を見たクーラベラント伯は言葉を継いだ。
「瑞光帝国の内部がどうなっているかは伝わってこないが、最悪の場合ユリアの引き渡しを要求してくるやも知れぬ。士官学校に入学すれば、帝国に留まる意思表示をしたとしてはねつけられる。それまではあまり大げさになることはしない方がよいだろう。なに、孫娘可愛さに権力を使ってしまうというのは褒められたことではないが、時には政敵に弱点を見せてやらねばならぬからな」
鷹揚に笑うクーラベラント伯に対し、二人は真摯に頭を下げた。自身が汚名を被ってでもユリアを守ろうとするその姿に心の底からの敬意を向けるべき相手であると身をもって理解したのだ。
「さて、人の口に戸は立てられぬ。いずれイリスを治療したのが誰かは漏れてしまうだろう。その時にユリアの素性が表に出ないようにするのは任せる」
「はっ。兵たちに孤児院にいる子供は素性を詮索しないように以前から伝えております。今回のことも家族のことを探してユリアが不憫な目に会わぬように、と兵たちには再度厳命しておきましょう」
「それでよいだろう。よろしく頼む」
頷いた後クーラベラント伯は時計で時刻を確認した。かすむ目を細めて文字盤と針を二度見つめた後、悲しげにため息を吐いた。
「もう戻らねばならぬようだな。明日の昼から外せぬ会議があるのだ」
「訓練兵にお会いにならなくてよろしいのですか?」
クーラベラント伯はベレニケの言葉に自分に言い聞かせるように口を開く。
「孫は血の義務として軍務につくものである。死の淵にあるならともかく、任官前どころか士官学校入学前の基礎訓練課程で会っていては笑い者になろう」
「……そう申されるのでしたら。ベレニケ君、伯がお帰りになれるよう手配を」
「分かりました」
伯の言葉を聞いたオリエンスはベレニケに指示を出す。ベレニケはオリエンスの言葉に含まれた意味を理解して、病室を出ると準備を整えるべく走っていた。
「正面玄関に手配をしましたので、まいりましょう」
「うむ。私の車と御者なら直ぐに準備を整えるからちょうど良いだろう」
部屋を出た二人に従おうとした従卒をオリエンスが手で制すると、薄暗い軍施設の廊下をゆっくりと進んでいく。
正面玄関が見える場所に到着した時、すでに車が回されていた。そして、玄関の扉を開けるために兵が待機していた。ただし、本来なら扉を開けるのは二人に従っているはずの従卒の仕事であることを考えれば、不自然な配置であった。
「……お気遣い感謝する」
「何のことでしょうか。私には分かりかねます」
待機していた兵の容貌が分かる距離まで近づいた時、クーラベラント伯はオリエンスに対して小さく感謝の言葉を述べた。それは傍から見ていては気付かないほどの動作であったが、それに気が付いたオリエンスはとぼけることを選んだ。
扉を開くために待機していた兵はイリス・クーラベラントであった。いくら治癒魔法で治療されていたとしても、普通なら重傷を負っている兵をその日の小間使いに使用することはない。それがなされているのだから、何かがあったと思うのは当然であった。
ただし、驚いていたのはイリスも同じであった。不安と病室の早い消灯時間で寝付けずにいたところをベレニケに礼節の理解できる従卒として急いで連れてこられたのだ。無茶な命令に内心の不満を押し殺して立っていれば、近づいてくるのは敬愛する祖父である。むしろ、驚かないほうが無理である。
「……無事で何よりであった。今後とも折れることなく励むとよい。そして、命を賭したあの者への感謝を忘れぬように」
「ありがとうございます。お爺さま」
短い邂逅であった。しかし、それでも二人にとっては十分であった。
イリスの開けた扉から外に出ると、クーラベラント伯はすぐに御者のいる車へ乗り込んでいく。その表情は安心したものであった。
ゆっくりと敷地を出ていく車を見送るイリスの表情からも不安の色は消えていた。
「で、殺せなかったんだ?」
「申し訳ありません。あそこまで傷を負えば苦しんだ上で死ぬと思ったのですが」
夜の闇の中、二人の人間が剣呑な会話をしていた。一人は外套で頭から全身を隠しており、くぐもった声からは性別さえ分からない。もう一人は若い男ではあるが、擦り切れた服に鍛えられた肉体を隠した剣呑な雰囲気のある男だった。
「あれが死ねば邪教の中心に楔を打ち込めるどころか、溺愛している母親を改宗させられると思ったんだけど、仕方ないか」
「はい。この度のことは隠れ蓑の通りに、権力目当ての愚か者とそそのかされた無政府主義者の凶行とするべきかと思います」
「正しき神はただ一人のみ。それを知らしめることができずにふがいないが、仕方ない。繋がりを消さねばならないな」
「はい。万事問題な……く……?」
指示を受けていた男の言葉が歪む。男が自分の体を見下ろすと、胸から短剣が生えていた。それを行った外套姿の人物は害虫を潰した時ほどの感情の動きもなく、ただ淡々と言葉を継ぐ。
「実行した無政府主義者も失敗を咎められて私刑にあって死亡した。これで我々とのつながりはどこにもなくなった」
「ぐぅ、わ、私も捨てい……」
何かを言わんとして崩れ落ちた男の遺体に何の感慨も持たず、外套の人物は夜の闇の中へ消えていった。




