温泉
遅筆ですが、ノリが良ければ割と筆が進みます。
「さあ、ここですよ」
ユキの声で視線をあげれば、日本で見慣れた温泉マークの暖簾が目の前にかかっていた。
当然ながらピンクっぽい女湯の前にある方の色だったけれど。
「……温泉?」
微かに漂う硫黄のにおいから、ただの浴場ではなく温泉だと直感した。神様のいる場所でも温泉は湧いているんだなどと現実逃避をしている間に、二人によって脱衣場へ連れ込まれてしまう。
「さあ、脱ぎ脱ぎしましょうね」
妙に息の荒いユキに着ているものを脱がされる。抵抗できない状況で他人に服を脱がされるということがこんなに恐怖だとは思わなかった。
まだ性差のほとんどない肉体はぺたんでつるんなのだが、肉食獣の目の前に出された餌の気分である。
「ユキも早く脱いでください」
私が脱がされている間に素っ裸になっていた瑞穂が、ユキと交代するように私を捕まえてきた。しかもご丁寧に下半身を龍にして背後から私に巻き付けて捕獲している。完全に逃げ道がふさがれた。
まあ、同時に抱きしめられてもいるので、後頭部に感じるふかふかクッションに幸福感も感じてしまうのが男としてのサガだろうか。
「……そういうことか」
思わずユキの脱衣をじっと見てしまって、先ほど感じた着ぶくれているという印象の理由が分かった。ユキの胸部装甲はそれはもう御立派なもので、そんなので和服を着ようとしたら詰め物やらなんやらでもこもこになるのも当然というような状態であった。
「……大丈夫。ちゃんと成長したら大きくなるから」
思わず自分の胸をぺたぺたと触ってしまい、瑞穂から優しい声をかけられてしまった。アンジュからいろいろ教わっていた頃は成長後らしい姿で居られたのに、ブランに何かされてから現実と同じ肉体なのである。それを思っていただけなのに、瑞穂に余計な考えを持たせてしまったらしい。
まあ、その時の体もかなり大きな胸だと思ったのにユキには負けるのだけれど。多分、感触からして瑞穂が同じくらいだろうか。
「お待たせしました。さあ、入りましょうか」
ユキも瑞穂同様に体を隠すことなく堂々としていた。手に持った手拭いが唯一の布だが、それで体を隠すという発想はないらしい。
しかし、あれだけの大質量で垂れていないでいて、なおかつ細い胴というのはどんな生活をしていたら実現するのか。まったく女神というのは人の理から外れた存在らしい。
「床は滑りますから気を付けてください」
しかし、瑞穂が世話を焼いてくれるのは非常にうれしい。母に甘やかされているような幸福な気分になる。……体に精神が引きずられているのだろうか。中身はもういい年した大人のはずなのだが。
考えても仕方ないと割り切って、浴場を見回した。和洋折衷というか、ちぐはぐなキメラという感じの浴場だ。
ヒノキのような木材で作られた半露天の風呂に竹垣は非常に和風なのだが、それに白く濁った湯を供給しているのはライオンの頭のレリーフの口と、乙女の像の掲げる水がめである。田舎の温泉街のホテルでもこれほど似合わない組み合わせはないだろう。
少し離れた内湯は大理石らしい石材で作られていてローマ帝国の公衆浴場の風呂に似ているのだけれど、壁にあるのは銭湯にあるペンキ絵である。どこかの技師しか作りそうにないような組み合わせだ。
「最初はかけ湯をして入りますよ」
ユキに促されるままかけ湯をしてヒノキ風呂に入る。少し熱めのお湯が体にしみこむようだ。ざばざばと奥に向かってみる。
「ひゅぎっ」
「危ないですよ」
滑って深いところに倒れかけたところをユキが助けてくれた。温泉に入るのは日本にいた時以来であるから忘れていたけれど、木材もだいぶ滑りやすくなるのだった。
そして、ユキは自然に私を抱えるようにして湯船に身を沈めた。瑞穂を上回るふかふかに包まれながら温泉に入ると、細かいことはどうでもよくなる。いつの間にか下半身を龍から足に戻した瑞穂もゆったりと湯船に浸かっている。
「温泉で生き返るってこんな感じかな」
体の芯から温まってくるような感覚に思わず言葉を発していた。この数時間の間にあまりにも多くのことがありすぎて疲れていたのかもしれないが、生命力がみなぎってくる感じというのはこういうことかもしれない。
「それは当然ですね。この領域に湧く湯ですよ。魂を直接に癒してくれます」
頭の上でユキが優しく囁いた。
魂を癒すというのは、未だに私の魂が傷付いているということなのだろう。瑞穂の治療を受けてもそこまで傷付いているとは、私は随分と無茶をしたのだなとようやく理解した。
そして、この二人の態度からロリコンではないのかという疑いを抱いてしまったことを心の中で謝罪した。あくまでも治療のために温泉に連れてきてくれたなら感謝するべきだった。
「さて、体は温まりましたか?」
「うん。ぽっかぽかになりました」
ユキが白い肌を桜色にしながら私の顔を覗き込んできた。もとが白いからか、桜色になった肌がとても色っぽい。男のままだったら、いろいろとやばいことになってお湯から出られなくなっていただろう。
そんな私の心情には気が付かない様子で、瑞穂も特に隠すことなく立ち上がっている。いろいろとまずい光景を見ている気がするが、ここでなら鼻血が出てしまったとしてものぼせたと言い張れるだろうか。
「それでは、体を洗いましょうか」
「そうですね。体は洗わなきゃ」
お風呂に入って頭と体を洗わないと何となく痒いような気がしてしまう。ユキと瑞穂に急かさせるように洗い場にたどり着くと、スポンジもタオルも持ってきていなかったことに気付いた。ユキと瑞穂は手拭いを持っていたはずだけれど、それを貸してもらえるだろうか。
そんなことを考えて二人に振り向くと、ユキと瑞穂が手でボディソープを泡立てていた。
「な、なにをしているの?」
なんとなく不安を感じて問いかけると、二人とも満面の笑みを向けてきた。
「せっかくですから、女の子の体の洗い方というのを教えて差し上げようかと思いまして」
「男の人の体の洗い方だと、女の子の体には不十分なのです」
両手をわきわきと動かしながら近付いてくる二人に本能的な恐怖を感じて逃げようとするも、足が床に固定されたように動かなかった。
「ここまでやるの……」
足を見れば魔力で編まれた鎖のようなもので足が何重にも床に固定されていた。魔力の感触からして瑞穂とユキの合作だろう。つまり、どちらかに助けを求めることもできない。
「さぁ、楽しく洗いっこしましょうね」
「ひぃっ」
先ほどとは別の意味で頬を赤くしているであろう瑞穂に腕をつかまれた。ユキも獲物を狙う肉食獣のように私の体を見ている。
ここで私は一切の抵抗が無意味であることを察して、二人の女神の玩具になることを受け入れるしかなかった。
「ええ。いいお湯でした」
「久しぶりにいいお風呂だった気がしますね」
気のせいかキラキラしている二人を横目に、私はぐったりと疲れ切っていた。
あんなところやそんなところまで全身の洗い方を身をもって教え込まれた上に、最後はボディソープで泡だらけになりながらのスキンシップだった。日本で見たああゆう映像なら二時間で数十万という垂涎のシチュエーションだったけれど、今の体でやられるとただ疲れて心労がたまっただけだった。
「湯冷めしちゃいますから、ちゃんと服を着ましょうか」
ユキと瑞穂が勝手に服を着させてきて着せ替え人形状態なのも、今の疲れ方だと助かったとしか感じない。
「って何ですか。この服装は」
着せ替えられた服は私がもともと着ていた服ではなかった。黒メインでフリルのついたワンピースという、ピアノか何かの発表会に行くお嬢ちゃんという趣の服だった。
「さすがにさっきまで着ていた服をそのまま着させる訳にはいきませんから」
「とっても似合っていますよ」
悪意のない二人に何も言えずにただ項垂れるしかなかった。地獄への道は善意で舗装されているというのは、きっとこういう人たちの所業なんだろうなと思いながら。
「それじゃあ、戻りましょうか。さすがにこれだけ時間をあげればあれも野菜を食べるくらいできているでしょうし」
どことなく怖いユキに手を引かれながらDの待つ食堂へと歩き始めたのだった。




