邪神との遭遇
日本人は無宗教だとか言っているけれど、隣の国よりはよほど宗教と共存していると思う。ただ単に日常に入り込みすぎてわかっていないだけなのだろう。
「ま、そういうのもありかな」
なんとなくそんなことを思ってしまうのも、会社の昼休みにビル街の間の神社に来ると毎日誰かしらがお参りしたり、紙垂を交換したりする姿を見ているからだろう。
そんな自分も毎日お参りに来ている一人だったりする。自分の名前を付けてくれたのが神社の神主さんで、この神社がその神社の分社だからなんとなく縁を感じているから毎日のように運動を兼ねて昼休みに来ているのだけれど。
まあ、ここのところは親が三十近くなって彼女もいないのはどうなのと言ってくるようになったのでその願掛けをしているのだが。
そして手を合わせた瞬間、意識が飛んだ。
「やあ。こんにちは」
朗らかに挨拶をしてくるのは少女。ミルクティー色の髪の毛に、サイズのあっていない大きな服はどんな家庭かを想像するのに十分で、背丈は小学校低学年くらいだが実際はもっと上かもしれない。だが、はっきり言えるのは自分の記憶の中にはこんな子供の知り合いはいない。
「こ、こんにちは」
だが、悲しいかな、こちらは三十近い大人である。下手な対応をすれば待っているのは社会的な死なのだ。ロリコン疑惑で社会から抹殺されて人生真っ暗などごめん被る。
「あ~。社会的に死ぬことを気にしてる? 大丈夫。もうそのままの意味で死んでるから」
少女がぱちりと指を鳴らすと、辺りが切り替わった。神社の境内で自分と少女が宙に浮いていて、下には野次馬と救急車とレスキュー隊がいる。
「ほら、よく見てみ」
「……そうだ。潰されたんだ」
倒れた鳥居に押しつぶされている自分の姿が見えた。医者ではないけれど、助からないのはどこから見てもわかる。胸と胴を潰されて生きていられる人間なんて居ないのだから。
「さて、理解してもらったところで身元確認です。黒川大和、男性、童貞。人生で恋人がいた経験もなし。間違いない?」
「間違いありません」
後半は必要な情報なのか分からなかったが、事実なので頷いておく。死後で個人確認とは、目の前の少女は死神なのかと思い、埒外の存在が見た目相応の年齢であるはずもないことに気付く。
「で、死神に個人確認されたってことは地獄か天国に直行なのか?」
その言葉に相手がきょとんとしたのを見て自分の考えが間違っていたのかと思う。死神でないなら、悪魔か天使あたりなのだろうか。
「死神? 誰が?」
「え?」
お互いの言葉は疑問形だった。そして、何かに気付いたかのように、少女は納得した表情で小さく頷いた。
「私は一般的に邪神とか呼ばれているのよ。で、最近の生活があまりにつまらないから、何かで遊ぼうとなったから、その玩具にあなたが選ばれました。やったね」
子供が昆虫を弄ぶように、人間を玩具にする発言をする。笑顔でソレをいう姿に何も言えないでいると、自称邪神は笑顔でこちらに犬歯を向けた。
「今からあなたには異世界TS転生の上で、世界を変革してもらいます」
「……はい?」
耳がおかしくなったのか、おかしな言葉が聞こえた。具体的にはやらされることの枕言葉あたりに。
ある程度オタ趣味に手を出しているものとして、ここ数年のトレンドの異世界転生も、そこで何かやらされるというのはまあ、わからなくはない。ただ、その余計な一言は700円くらいの薄いのとかによくあるアレのことでいいのだろうか。
「あれ? もう一回言った方がいいかな? 異世界に、転生して、世界を変革してもらいます。……女の子になって」
「その最後の言葉! 転生とかもう最近の業界だとテンプレみたいなものだからわからなくもないけど、どうしてそんなオプション付きなんだよ!」
その言葉に自称邪神は納得したように手を打つと、恍惚とした表情を浮かべた。
「あのね、『俺は男だ』って強がっている子が、『あなたの子ども孕ませて』って完全に墜ちるのを見るのがとっても好きなの」
嫌なカミングアウトもあったものだ。
「ちなみに、拒否権はないから」
「ですよね~」
げんなりとはするが、説明してくれるだけ有情なのだろう。そうなると受け入れた方が楽なのだろう。
「ちなみに、転生にあたって特典とかあります?」
「何も特典なしで転生もあれだから、私たちの加護はあげるね。あと、行く先は魔法がある世界だから魔法使用能力にも下駄履かせてあげる。身体は最高の素材で準備してあげるから、何も心配はいらないね」
邪神の加護。行き先次第では即処刑対象になりそうなものにげんなりとしているのに気付いていないのか、そもそも無視したのか邪神は悪そうな笑みを浮かべた。
「それでは、一名様ご案内~」
再び意識は闇に飲まれた。
「行きましたか」
煙のように邪神の背後に現れたのは、金髪の少女。聖女のイメージを形にすればこのような形になるのではないかという容貌の少女は、邪神に向かってほほ笑んだ。
「お優しいのですね。毎日のように参詣するからといって、事故死した相手にあそこまでして送り出してあげるなんて」
「ちげーし。信心深い奴があそこまでされて宗教を憎まないでいられるか実験する玩具にしただけだし」
「それなら、そういうことにしておいてあげましょう」
一息で言い切った邪神相手に微笑みを強くした後、少女は表情をゆがめた。
「これであの世界に手を出した忌々しい奴をあぶりだせるでしょうか」
「できるかじゃなくて、やるんだよ。私たち7柱に断りもない奴だからな」
それに答える自称邪神の表情も何かに苛ついているような険しいものになる。
「それに、あそこは皆の庭だ。羽を休めるのも、遊び場にするのも自由だ。だけどな、誰かの勝手で塗りつぶしちゃいけねー場所なんだよ。それを自分の色で塗りつぶそうとしてる奴は、こっちの流儀でやり返してやる」
見た目とは違う芯ある言葉。それは確かに神であった。