第八章 対峙
(変に噂にならなきゃいいけどさ)
頭を抱える明は下校中、終始腕を組んで険しい表情を作っていた。その後ろをネフィエがトボトボと歩いている。
その姿をチラリと窺うたびに、明の心に罪悪感が顔を覗かせた。
(言いすぎたかな? わからん、年頃の女性の考えが分からん……)
こんなことならギャルゲーの一つでもやっとけばよかったか? などと意味不明な考えが浮かんできた。
アパートにたどり着いた明はようやく組んでいた腕をほどき、ポケットから鍵を取り出した。すると、掃除を終えたアパート管理人の女性が明に気づいて「おかえり」と声をかけてきた。
「ただ今戻りました」
そう答えると小走りで管理人が近づいてきた。
「木之柄君にお客さんが来てたわよ?」
管理人の言葉に明は不思議そうな顔を向けた。警戒心を露わにする明。
対する管理人はというと、男女の地上の縺れを楽しむ中年女性独特の笑みを浮かべている。
(誰だ?)
脳内にいる知り合いを思い浮かべる。
(両親とかじゃないよな……)
尋ねに来る人物に心当たりはない。ましてや、会う約束などしていない。第一、両親であるなら管理人さんが知らないわけもない。
明の心に不安が過る。
「誰です?」
「女性だったけど」
「え?」
ますます警戒心が膨れる。
「女性?」
確認を取るように明が尋ねると、管理人は首を縦に一度振った。遥か彼方で救急車のサイレンの音が聞こえる。明はそれに「縁起でもない」と、いつもは気にしない音にも過剰に反応を見せた。
「木之柄君、あの子何やら思いつめていたようだけど、ちゃんとけじめはつけたの?」
「え? な、何のことですか?」
見えない話に、明は顔をしかめた。
「私は何も言わないけど、いつかひどい目に合うわよ? そう言うのを有耶無耶にしていると……」
明の反応を無視して続ける管理人。思い当たる節のない発言に明は困惑する。そんな明に、ネフィエが「先に入っているわよ」と声をかけてきた。
適当に返事をする明に、管理人は「彼女のためでもあるのよ」と付け加えた。
「な、何か勘違いしてないですか? 何のことを言っているのかはわかりませんけど、けじめも何も、俺悪いことしてないですよ?」
そう言い、明は話を切り上げて自室へと向かった。そして、玄関を潜る前に管理人の方へと体を向ける。
「尋ねてきた人、どんな人だったんですか?」
「褐色肌の女の子だったわよ。銀色の髪の――。外人さんかしらね? 日本語お上手だったけど」
「褐色肌? 銀の髪?」
明は首を傾げ脳内の人物図鑑の検索を始めた。
茶髪なら数名知り合いにいるが、銀髪の知り合いはいない。
「俺にそんな知り合いいないですよ」
検索を終えると管理人に告げる。そして、一礼の後に家に入った。
「ん? そういえばどこかで……」
天井を見上げ電球を視界にとらえる。しばらく考え込んだうち、ネフィエが「何しているの?」と声をかけてきた。
「まぁいいか」
閉じる玄関。敷地の外からその様子を窺う影があったことに、明は気付かなかった。
「話を蒸し返すようで悪いが――」
鞄から紙を取り出した明はそれをネフィエに差し出す。
「何?」
「例の情報」
首をかしげるネフィエは、明から差し出された紙を受け取ろうと手を伸ばした。
「ありがとう。あなたの学校にもそう言う類のものがあるなんてね」
「学校にあるわけないだろう? そういうのが趣味の奴に頼んだんだよ」
そう口にする明は深いため息をついた。
当然のことながら、学校の図書館にそんな怪しい本が置いてあるはずもない。情報はその手の放しに詳しい人物から得た物だ。
本物かどうかはさておき、手掛かりを得たことには変わりない。しかし、それにより明自身が魔術関係に興味があると先方から積極的なアプローチがあったのだ。
とはいえ、ネフィエの事を伝えるわけにもいかず、ここ数日『オカルト研究会』からも追われる日々が続いていた。
「そのまえに――」
しかし、明は寸前でそれを引っ込めた。
「ちょっと!」
「もう、学校には来るなよ」
明の台詞にネフィエは口を尖らせる。ただ、それに対する明確な反論はしてこなかった。少し不機嫌そうに眉を吊り上げたが、俯いて黙り込んだ。
「まぁ、お前にも言い分はあるだろうけどな。あるなら聞くぞ? 何か言いたそうだっただろう?」
明は先生に怒られていた時、何かを言わんとしたネフィエに言葉を重ねたことを思い出す。
「事情があるなら聞く」
「べ、別に……大したことじゃないわ」
鼻を鳴らしネフィエは顔を背けた。そんな彼女の反応に、明は一度引っ込めた紙をネフィエに渡して彼女を見つめた。
「で? 帰る算段ついたのか?」
その問いに対してネフィエの表情が曇った。首を横に振り、しばらく明が手渡したものを読み続けた。だが、よい反応は見られなかった。
「私、帰れるのかな?」
ここに来てから一週間。成果と言えるものは何一つない。吐息をもらすネフィエは湿らせた目元を指でそっと拭った。
「こうしている間も、お母様たちは――」
キュッと唇をかみしめ、体を震わせるネフィエ。明は「大丈夫か?」と声をかけた。
「そんなに帰りたい?」
ふと、籠った声が聞こえてきた。外からだ。
「誰だ?」
玄関へと体を向けて明は言葉を投げかけた。ゆっくりと開く扉の向こうに、褐色肌の少女が立っていた。扉が開くときに生じた風で髪がサラリと靡いた。
「君は……」
明の脳裏に今朝あったことが再生される。話しかけてきたフードをかぶった少女だ。
「ラーニャ。ラーニャ・オルフェルドよ」
ズカズカと遠慮なしに入るラーニャに、明は「ちょっと」と声をかける。しかし、相手は明など空気同様のように無視した。彼女は鋭い視線をネフィエに向ける。まるで、剣の切っ先を向けるかのようだ。
「見つけたわよ。魔族王の娘、ネフィエ・サタナイト・アミュエルド。こんなところに居たなんてね」
不敵な笑みを浮かべるラーニャ。対するネフィエは警戒心を露わに目を細めている。
「どうしてあんたが……」
握り拳をつくりネフィエは今にも掴みかからんとする勢いだ。声は冷静だが温かみはない。
「ずいぶん探したのよ。点在する異世界の中からあなたの痕跡を見つけるのに……。この世界にまだ居てくれて助かったわ」
そう言うと、ラーニャはスッとネフィエに手を差し伸べた。
「ずいぶん帰りたそうにしているじゃない? だったら、私が連れて行ってあげるわよ?」
優しそうな笑顔を向けるラーニャ。
「エルネスタだっけ? 帰れるじゃないか」
明がネフィエの方へと頭を向けた。
しかし、対象の表情を見て唾を飲み込んだ。彼女の顔は和らぐどころか威嚇へと変わっていた。ギリッと歯を噛みしめ、唇から僅かに見える犬歯がその怒り具合を物語っている。
「裏があるんでしょう?」
相手の思惑を探るようにネフィエが尋ねた。ラーニャは「とんでもない」と手の平を上げたが、表情はくえない感じだ。
一見、ラーニャの表情はちゃらけて見える。しかし、ネフィエを見るときの彼女の目は獲物を見る猛獣そのものだ。
「どうしてそんなに警戒するんだ? エルネスタに帰れるんだろう?」
ネフィエに駆け寄り、明はソッと尋ねた。
「早く帰りたいんだろう?」
「そう、だけど……あいつは――」
「あなたも大変だったでしょう?」
ネフィエが何かを言おうとした時、ラーニャが口を挟んできた。急に話を振られ、明は困惑の表情を浮かべた。
「そこのわがままお姫様に顎で使われたりしたんじゃないの? アレをしろ、コレをしろ、って。さっきのやり取り聞いていたけど、ずいぶん苦労しているようじゃない」
ラーニャは撫でるような声を発して明に尋ねる。
「私が責任を持ってエルネスタに連れて帰るわ。これであなたは自由。ネフィエも私と元の世界へ帰る……。双方にとっていい話だと思うけど?」
「それは、そうだけど……」
明はラーニャからネフィエに視線を移した。険しい表情を崩さない彼女に明自身も顔を強張らした。
(なんでこんな顔をするんだ? 帰れるチャンスなのに……なんでだ?)
二人の少女のやり取りを見つめ、明は視線を床へと向けた。エルネスタに帰れるともちかけられたネフィエ。しかし、彼女は頭を縦に振らない。その行動が明の心に引っかかりを作りだす。
(このまま帰してもいいのか? いや、帰れば俺は自由の身だろう? フィギュア集めに専念できるし、床で寝ることもない)
言い聞かせるように呟く。
『双方にとっていい話』
ラーニャの言葉が心地よく聞こえる。しかし――。
(双方って、俺と、あのラーニャってやつのことか? それともここにいる全員に向けられた言葉か? じゃあ……どうしてネフィエは快く返事をしないんだ?)
疑問が膨れ上がり、明の心にポカリと影が浮きあがった。それはじょじょに広がり、疑心へと変わる。なおも牽制しあう二人の少女。明はラーニャを見据え、大きく深呼吸をした。
「なぁ……」
落ち着いた、芯のある声で明は声を発した。二人の目が同時に声の主へと向けられた。
「ネフィエを連れて帰るのはいいとして、ちゃんと帰るべき場所へと連れて行くんだろうな?」
目だけをラーニャへと向ける。
「あ、当たり前でしょう? この子の帰るべき場所はエルネスタ――」
「エルネスタはわかったんだよ」
明は落ち着いた物腰で言い放つ。ラーニャは口を閉じ、明に対して初めて表情を曇らせた。
「こいつの――ネフィエのいるべき場所へ送ってくれるんだろうな?」
牽制などない。明はストレートに相手に疑問をぶつける。対するラーニャは、一度は開いた口を閉じて眉間にしわを作った。それからややあって、ラーニャはため息の後で明を見据えてきた。
「……まぁ、本人は警戒しているようだし、あなたが知ったところで別に支障はないかしらね」
ラーニャの切り出しに明は身構えない。開き直ったラーニャは笑みを浮かべて肩を揺らした。
「そうね、行先はネフィエの帰るべき場所じゃない。ちょっとこの子に用があってね。私たちのところに来てもらおうってわけ」
「なんでだよ?」
間髪入れずに明が尋ねる。「それは――」とラーニャが口を開くと、ネフィエが「やっぱりか」とうんざりした感じで口にした。
「あら、察しが良いのね」
笑みを浮かべる笑みを浮かべるラーニャ。
「鼻に着く笑いを浮かべないで。私を人質にし、けん制する気でしょう? 汚い手を使ってくる」
ネフィエの体からジワリと魔力が滲み出始めた。
「こちらも必死ということよ。あなた達が早く戦いを終わらせたいように、こちらもそうありたい」
ラーニャは勝ち誇った顔を明たちに向けてきた。
「さぁ、ネフィエ王女。こちらに来てもらおうかしら? ここにはあなたに組する者はいない。魔族の軍も、母である魔族王も、ね……」
そう言い、ラーニャは腰から柄だけの“何か”を取り出した。
「閃々と輝け! 空を切り裂く光の刃!」
横に薙ぐように振るえば、光の刃が出現。その後、パン! と弾けるような音がして白銀に輝く物質が出来上がった。そして、その切っ先をネフィエへと向ける。
「ちょっと、待てよ! いきなり物騒なものを……」
明が声を上げた。
「部外者は黙っておいてもらえるかしら? 向こうに帰った後でこの子がどうなろうとあなたには関係がないでしょう?」
有無を言わさずラーニャは明の言葉を一蹴した。ギラリと刃が輝く。その煌めきに、明は体をのけ反らせた。
(ここで、こいつを差し出すと楽にはなるんだろうけど……)
明はチラリとネフィエを窺った。悔しそうに目元を痙攣させている。
(こいつはどうなるんだ? 人質……か……)
苦しそうな息を吐き明は目を泳がせる。自室内の物を眺め考えをまとめようとするが、ラーニャからの重圧で押しつぶされそうになった。そんな時、棚に飾ってあるフィギュアに目が行った。魔法少女がステッキを振りかざしポーズをとっている。
(俺はどうすりゃいいんだ……)
そのまま寝室まで追いやられ逃げ場がなくなった。
苦し紛れにネフィエは掌に魔力を溜め始めた。その挙動を見てラーニャが身構える。腕を突出し魔力の塊を放出しようとするも、出来上がったのは紫色のゲル状物質。重力に抗えず、その場でベチャリと音を立てた。
「何よそれ?」
嘲笑するラーニャ。ネフィエは「く……」と強く歯を噛みしめた。その後、とっさに机に置かれてあったテレビのリモコンを手に取った。電源をつけると子供向けの番組が流れ始めた。
これには、ラーニャもビクリと体を強張らせた。一瞬の隙が生じネフィエが逃げ出そうと動いた。
「あまい!」
鋭い一言。ラーニャが剣の切っ先を素早くむけてきた。
「他愛ないわね。魔族王の娘だからどんな強い魔力を秘めているのかと思えば抵抗もできない。期待外れもいいとこだわ」
嘆息するラーニャは続ける。
「抵抗してもいいのよ? こちらとしても、生きていればいいんだから……。そう、生きていれば……ね? まぁ、同性のよしみで怪我はさせたくはないのだけれど……」
剣を構えるラーニャ。ジワジワと後退する明とネフィエ。
その時、机の上に置いてあったモデルガンが明の目に飛び込んできた。とっさにそれを手にし、明は安全装置を外してフルオートモードに変えた。銃口はラーニャから少し外して斜めに構えた。
「何よそれ?」
ラーニャが顔色一つ変えずに尋ねる。明は黙って相手の行動を窺った。
「これを知らないのか?」
明は僅かに口角を上げる。その返しにラーニャは警戒心を露わにした。顎を若干引いた彼女はジリッと僅かに後退した。
「これはな、この世界の武器だ。一瞬で相手を打ち抜く……」
「強がりはよしなさい……」
一瞬だけ躊躇したもののラーニャは再び剣を構えた。今度はネフィエではなく、明に剣を向けている。明は牽制とばかりに一発をお互いの中間地点付近にある寝間着に向かって放った。
パン! という音とともに着弾。ラーニャは飛びのき明から距離をとった。
「く……」
先程の余裕が消え、ラーニャは再び向けられた銃口に表情を引き締めた。
(さて……ここからどうしたものか……。人には撃ちたくはないんだけど)
緊張の時間が続く。
(人に向かって撃ったことがないことがバレたらどうしよう)
明がそう思った矢先。テレビから「今日は、スーパーボールを跳ねさせてみよう!」とお姉さんの声が聞こえてきた。
気付かれないように視点をテレビへと向ける。
お姉さんが子供たちにやり方を教えるように、壁に向かってスーパーボールを投げていた。壁にあたったそれはバウンドしながら手元に戻ってきていた。
(これだ!)
頭上に豆電球。明はモデルガンを構えなおした。
「いい位置だ」
ゴクリとつばを飲み込み明は口にした。ラーニャはハッとした表情を浮かべて周囲を警戒する。
(いい感じに効いているな……。こうなりゃ、破れかぶれだ!)
高鳴る心臓。高揚する気分を必死に抑え冷静さを装い明は続ける。
「さっきので、コイツの威力は理解できただろう?」
明は相手の出方を待つ。すると、背後からネフィエが心配そうに服の裾を握ってきた。
「あなたも私と同じ人間でしょう?」
ネフィエが握る裾に目を落とすと、ラーニャが尋ねてきた。目をスッと彼女へと向ける。
「人間だな」
「解らないわ。なぜ魔族の味方をするの?」
「俺にとっては、魔族とか人間とか関係ないんだよ」
力強く言い放つ明。
「まぁ確かにこいつが……ネフィエが元の世界に帰るってんならそれに越したことはないさ。あんたが言ったように、大切なモノを守るために帰る方法を探したさ」
明はネフィエと出会った時のことを思い浮かべる。ビンタを喰らって吹っ飛ばされたり、正拳突きを放たれたりだ。後者については自分にも非があるとはいえ、いいことはなかった。
「もし俺がエルネスタの人間なら、喜んで差し出しただろうな。でもな――」
向き直り、明はラーニャをまっすぐに視線で射抜く。
「俺はあいにくと無関係なんだわ。敵も味方もねぇよ。帰るなら送り出すが、それが人質だっていうなら話は別だ。もし俺の大切な人がそんな目に合うって言うなら我慢できねえしな」
明はラーニャの背後にあるフィギュアを視界に入れた。そして、そっと気づかれないように、背後にいるネフィエを気づかう。
「そう言うことだ。出直してきてくれないかな? 同じ人間のよしみだ。撃ちたくはない」
はっきりと「ノー」という回答を突きつけると、ラーニャは怒りで顔を歪めた。震わせる体からはユラユラと魔力がもれだし、陽炎のように周囲を歪めはじめる。
「おのれ、私を愚弄するつもり? 同じ人間と思って甘く見ているんじゃないでしょうね?」
(やべ……怒らせたか……)
全身から鳥肌が立つ。しかし、後には引けないし脱出経路もない。明はモデルガンのグリップを握りしめた。
―-弱気になるな。
自らを奮い立たせ、明は呼吸を整えラーニャを強い意志を込めて見据えた。
「同じ人間? 勘違いするな。俺は、“この世界の人間”だ」
明は力強く言い放ちトリガーに指をかける。さらに、追い打ちをかけるように、銃口をやや上に上げた。
「距離三メートル。発射角度をやく二十度あげる……」
明がわざと相手に聞こえるように声を発した。あさっての方向へと銃口を向ける相手に、ラーニャは嘲笑を浮かべた。
「どこを狙っているの?」
「なにも、直接あんたを狙う必要ないってことさ……。周りを見てみろよ」
明に言われ、警戒そのままにラーニャは周囲を見渡す。周囲は白い壁紙で覆われた壁だ。
「跳弾って技術があってな。弾丸を壁に跳ね返られて獲物をしとめる……。今いった俺の言葉はあんたの後頭部を打ち抜くための角度だ。アレを見てみろ」
テレビを指さす明。
警戒をそのままに、ラーニャはテレビを見た。そこには、子供たちがスーパーボールを地面と壁にぶつけて遊んでいる。どこから見ても和みの一面だ。
「あれは、その技術を会得するための教育番組だ。俺は、その技術を”全て”マスターしている」
そう言うと、ラーニャの顔から笑みが消えた。タラリと汗が流れ落ちたのが見えた。
「何ですって?」
「まだ、あんたを打ち抜く角度はある」
その後、明は銃口を下に構える。
「こうすれば、顎下から――」
続けて、左斜めに銃口を向けた。
「こうすれば、こめかみ。そして……」
最後に、天井に向けた。
「脳天に……弾丸を撃ち込むことができる」
できる限り相手に当たる角度で言い放つ。とどめに、「弾はまだある」と言い、マガジンをラーニャに見せた。
「く……」
後退を始めるラーニャ。「もう一息だ」と明が息を吸い込んだ、その時だった。
「ラーニャとか言ったわね」
ネフィエが口を開いた。緊張したラーニャの視線が、明からネフィエへと移った。
「こいつをただの人間だと思わない方が良いわよ」
「え?」
その言葉に、明がポツリとつぶやいた。対するラーニャは、「なんですって?」声を震わせた。
「こいつは人形遣いなのよ? 後ろを見てみなさいよ」
ネフィエが指を指した。その方向には明の大切にしているフィギュアが飾られている。
「これが何なのよ? ただの人形でしょう? 気持ち悪いわね」
「それはね、こいつが狩った人間の魂を入れるための器よ! 今は、こいつの嫁とやらの魂が入っているのよ……」
不気味な顔をしてネフィエが言い放つ。
(おいおい、何言ってんだ! せっかく追い込んでんだぞ!)
明は焦ってネフィエを黙らせようとする。しかし、彼女は止まらない。
「ねぇ、明。撃っちゃいなさいよ。そして、出てきた魂を、“アレ”に入れたらどう?」
そう言い、ネフィエはテレビの横にある布団を指さした。近くには開封された段ボールが転がっている。
「お、お前。あれを――」
ネフィエの企みを察し、明は「開けたのか?」と目を丸くさせた。
直後、バサッと背後で音がした。そして、同時にラーニャの悲鳴が上がった。振り返ると、ラーニャが腰を砕けさせて震えていた。床にはゴロンと転がった市松人形が笑って彼女を見つめている。
「な、なな、なんなのこの人形……」
猛獣に睨まれた小動物のように怯えきっているラーニャ。
「どうするの? 殺されて魂を奪われたあげく、それに封印されたいの? 封印された後はどうしてくれようかしら?」
追い打ちをかけるネフィエ。先程まで追いつめられていた彼女の健気さは見受けられない。ラーニャは涙を浮かべ、頬に力を込めた顔を向けてきた。
「く……。覚えていなさい……。次は必ず……」
彼女の背後がグニャリと歪んだ。そして、後ろに倒れるように体重を傾けさせ、空間に吸い込まれ消えていった。
残された二人はしばらく呆然としていたがすぐに安堵へと変わった。明はその場に座り込み、ネフィエはベッドに腰を掛けた。
「やっちまった……」
その場の雰囲気とはいえ、異世界の住人に喧嘩を売ってしまった。
「うわぁ」
頭を抱え、明は蹲った。
(これで俺も晴れてブラックリスト入りだな……)
自傷気味に笑う明。手にしたモデルガンにロックをかけ、放り投げた。床を転がっていくそれを眺めてため息をつく。すると、背中に何かがもたれてきた。
「な、なんだよ?」
ネフィエが明の背中に抱きついていた。彼女は無言で明の背中に顔を埋めている。キュッと服を握る手が震えているのがわかる。
「大丈夫だって……」
明はそう声をかけ、彼女に聞こえないよう、「たぶん」と付け加えた。
なおも、明から離れないネフィエ。
握られているその場所に手を添えた。ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
「大丈夫って……あいつが誰か知らないからそんなこと言えるのよ!」
ようやく顔を上げた彼女の目は涙で溢れていた。瞬きをするとそこから大粒の滴が零れ落ちた。
「誰なんだ?」
「あの女は、人間と魔族の戦いで数々の魔族を打ち倒し、“常勝の戦乙女”といわれている魔法戦士よ。まさかここに来るなんて……」
ネフィエは唇を噛んで膝を抱え身を縮めた。
彼女の住む世界の一端を理解し、明は眉間に力を込めた。
(人間と魔族が戦う世界、か……)
再び肩を上下させ始めたネフィエから鼻を啜る音が聞こえた。
「今は助かったんだ。もう泣くなよ。な?」
明の問いかけにネフィエは顔を上げる。しかし、彼女の表情からは不安は消えてはいない。いつもの鋭い目から発せられる存在感はなりを潜めている。
「今は、でしょう? これからどうするの? 私がここにいるってばれたのよ?」
明は恐怖で声を震わせる彼女を無言で見つめる。彼女から視線を反らし、唇を口内に折りたたんで噛んだ。
「もう、ここにはいられない……」
ネフィエはそう言い放ち、明を見上げた。二人はしばらく言葉を交わさず見つめあう。
「じゃぁ、どうするんだ? ここを出た後はどうするんだよ?」
明の問いにネフィエは無言で首を振った。
(ここから出ていったら、こいつはどうなる?)
家から出ていく彼女を想像し自問する。
(一人でいるとき、あいつに出くわしたら? どうやって飢えをしのぐ? たった一人で異世界に放り出されたら、自分ならどうする?)
彼女の状況を自分に置き換える。もちろん、ラーニャ達よりも先に、彼女とゆかりのある人物が接触してきたら御の字だ。しかし、その保証もない。むしろ、ラーニャ側の者たちが接触してくる可能性の方が高い。
「別に……」
明が小さく口にした。ネフィエの反応はない。
「ここにいてもいいんだぞ?」
弱々しく切り出した言葉を徐々に強めていく。その言葉に、彼女は「え?」と僅かに表情を和らげた。
「でも――」
「出ていくって言うけど、この先どうすんだよ?」
ネフィエからの反論はない。
「俺はお前からすれば異世界人で、言っていることは無責任で苛立つかもしれない。お前の言う通り、ここは逃げた方が得策なのかもしれない」
明は目線をネフィエに合わせる。
「まぁ、なんだ……。あの女を追っ払った時点で俺も無関係じゃなくなったようなもんだしなぁ。こうなりゃ、お前をさっさと元の世界に帰す方法を探すさ。あ、無事に帰ったらボディーガードとかつけてくれるか?」
冗談をおり混ぜ、明は「な?」としめて立ち上がった。
「まぁ、それでも出ていくって言うなら仕方ないけど……」
「うぅん……。ありがとう。明……」
笑顔を向けるネフィエ。ほほ笑みで閉じた瞳から最後の、一滴の涙が零れ落ちた。
「そうと決まれば、明日から本腰入れないとな!」
明は緊張をほぐすために大きく伸びをした。
「ねぇ」
声をかけられ、明は緊張させた筋肉から力を抜いた。強く閉じられた目を開き、声の主に視線を向けた。戸惑いの表情を浮かべるネフィエは、視線を合わせたり、外したりしている。
「どうしたんだ?」
明が促すと、ネフィエはそっと口を開いた。
「明がさっき庇ってくれた時に思ったの。もし、もしね……。仲良くできたら――」
そこで口を閉じるネフィエ。
「何言ってんだよ? 仲良くも何も、別に喧嘩してるわけじゃないじゃんかよ。俺ら」
明は心の中で「当初はむかついてはいたけど」と思うも、それは口にはしなかった。
「違うの、そうじゃなくて――。うぅん、やっぱりいい」
「言いたいことがあるなら言ったほうがいいぞ?」
明が一歩前に出て告げる。しかし、ネフィエはひたすら首を振るだけだった。
「まぁ、喋る気になったら言ってくれ」
ネフィエは、そんな明を見上げて静かにうなずいた。