第五章 来訪者
「だから、なんでお前はいつも!」
それから一週間が経過した。
多少の擦れ違いはありながらも、明はネフィエ帰還の情報収集をしていた。しかし、収穫はゼロであり、ネフィエに苛立ちが見え始めていた。
そんなある日、登校しようと起き上がった明がネフィエに怒気を向けた。
ベッドで寝ているはずの彼女は起きればいつも床で寝ている明の横にいるのだ。しかも、毛布を奪っている。それだけならまだいい。毎度のこと明のせいになるのだ。
「なんであんたが私の横で寝ているのよ!」
「はぁ? お前がここにきてんだろうが! だいたい、どんな寝方したらここに来るんだよ! ベッドから落ちた時点で目が覚めるだろう!」
こんなやり取りを何度も繰り返した結果。ネフィエの寝起きビンタは簡単にいなせるようになった。
振りかぶった手の動きに合わせてスッと体を反らして避ける。この時、相手に手ごたえがあるようにいなすのがコツだ。これがまた難しいのだが、明はそれをさも当然かのようにやってみせていた。
「……ったく、寝相の悪いお姫様だ」
嫌味を言って立ち上がると、明はかけてある制服をとった。
「今日も学校?」
「そうだよ」
見上げるネフィエと目を合わさず答える。
「ちゃんと帰るための情報、集めてくれているの?」
「一応、な……」
口を尖らせるネフィエに、明は投げやりな感じで返した。洗面所に向かいそこで服を着替える。
「お前こそ、変に出歩いたりしてないだろうな?」
「出歩いたりはしてないわよ。この周辺を散歩程度で歩いているくらいよ」
扉の向こうからネフィエの答えが返ってくる。その回答に安堵し明は髪を整える。髪を濡らして押さえつけるものの、跳ね上がっている箇所は治らない。
「それならいいけど……」
治らない寝癖に顔をしかめて明は洗面所を出る。すると、フワッと心地よい風が部屋を駆け抜けた。まだ温かいとは言い切れないが目を覚ますにはちょうど良い風だ。
「あれ、あんたが通ってる学校の?」
ネフィエが窓から顔を出し外を見ている。明も外を見ると、同じブレザー姿の男子生徒が歩いている。ネクタイだけ異なる色をしている。
「あぁ、同じ学校の一つ上の人だな。あっちは……」
視線を横に向けると、チャック柄のスカートに赤いリボンをした女子生徒が歩いている。
「女子生徒だな。同じ学校の」
明の言葉にネフィエは反応を見せない。
「お~い?」
ネフィエの方を見ると、羨望の眼差しで歩く女女子生徒を見ていた。
「もしも~し?」
明が声をかけると、ネフィエはハッとなって視線を向けてきた。
「何?」
「寝ぼけているのか?」
「そんなわけないでしょう? ただ……」
「ただ、なんだよ?」
続きを言うように促す明だが、ネフィエは答えない。「なんでもない」と強く頭をふるうと、ベッドに腰を下ろした。
「変な奴だな。まぁ、いいけど」
明は食パンをトースターにセットして鞄に教科書を詰める。しばらく無言の時間が流れた。テレビをつけると、見慣れたニュースキャスターたちが談笑していた。
「今日はいつ帰ってくるの?」
数分後、会話なき時間に痺れを切らしネフィエが声をかけてきた。
「早めに帰ってくるさ。いい加減探しに行かないと、しびれを切らしたお前に何かされそうで怖いからな」
「ちょっと――」
――カシャン!
ネフィエが反論しようとした時、トースターからパンが飛び出す音がした。明は鞄を肩にかけてパンを咥えた。
「じゃぁ、行ってくるわ」
小走りで玄関に向かった明はネフィエに見送られて玄関から飛び出した。階段を下りて自室の玄関を見上げると、うっすらと太陽光が目に入った。咥えた食パンを手に持ち、走って明は学校を目指した。
□
通勤ラッシュ真っ只中の住宅街は人の出が激しい。別に、道が人で埋まるというわけではないが、視界に人が居ないという現象がまずおきない。明はすれ違ったり追い越したりする人を観察しながら目的地を目指した。
時折姿を見せる信号機。車の量が多いわけではないので信号無視など慣れたものだ。赤信号で止まるとすれば車やバイクが通る時のみだった。
「余裕があるな」
腕時計を確認した明は、進行方向とは別の方へと頭を向けた。
「まぁ、いつもと違う道で面白いものが見れるかもな」
行き交う生徒たちの列から外れた明は、軽い足取りで見慣れない道路へと向かった。
しばらく歩いて見えてきたのは大通りだ。住宅街の細い道とは違い車など多くの乗り物が走っていた。明を横切る様に走ったバスの中には多くのバス通学の生徒が見受けられる。立っている建物も、家より店の方が多い。
(商店街は逆方向にあるからなぁ……。あ、そう言えば消しゴムの取り寄せしなきゃなぁ。デカいヤツを……)
明は視界にとらえた文房具店から目を放した。その後、周囲を見渡しながら学校へと向かった。迷うかと懸念はあったが、さきほど横切ったバスから下車したであろう生徒がいた。
「ねぇ、君」
ついて歩こうとした時、不意に声をかけられた。透き通ったネフィエの声とは違い、芯のある力強い声だった。
振り返ると、赤いパーカーに肌に張り付くような革のズボンをはいている少女が立っていた。フードを深く被っているため顔はよく見えない。チラリと覗く褐色の肌と、綺麗な銀髪が見えた。
(やっべ……外人)
自身の中学校時代の英語の成績を思い出す。スッと血の気が引く感覚を覚え、明はつばを飲み込んだ。
「あ、アイアイ、アイキャントえっと……ジャパニーじゃなかった。イングリッシュ」
ガチガチの片言で言い放った明は、少女の反応を待った。
「いや、あの……私、あなたの国の言語を喋っているはずなのだけれど? 間違ったかしら?」
冷静なツッコミが返ってきた。相手は呆れ顔をし、明に対して「大丈夫?」と心配そうな目を向けている。流暢な日本語に安心した明は咳払いをして少女を見据えた。
「あ、すみません」
少女の姿をマジマジと見つめ、明は警戒の色を顔に浮かべた。
「どうしたの?」
「いえ、その……外国人と話すことないから、言語がね。ハハハ……」
自分の失態を笑ってごまかそうとする明。しかし、少女は笑っていない。
「へぇ、私が“この国”の人間じゃないことを一瞬で理解するなんて、なかなかやるじゃない。少しはできる人間もいるって言うことね」
「え?」
微妙に的の外れた受け答えをする少女に、明は目を点にする。
(な、何だろう……関わっちゃいけない気がする)
直感で悟り明は学校へ視線を移した。その後で腕時計を見る。余裕のあった時間がすでにギリギリの時間になっていた。
(うわ……やっべぇ)
目を見開いた明は少女に「それじゃぁ」と告げて走ろうとした。しかし、彼女に肩を掴まれ体勢を崩す。
「ちょ、ちょっと……何するんですか」
「一つ聞きたいことがあるのだけれど……」
少女が射抜くような視線を明に向けた。見られているだけなのに心を強く握りしめられるような感覚がする。一筋の汗が明の頬を伝った。
「ここら辺で、変わった子をみなかった? 金髪で青い瞳をしているのだけれど」
「い、いや……知らないです」
そう答えると、少女は興味をなくしたような顔をした。
「もういいわ。時間をとらせて悪かったわね」
少女は明に背を向け、歩き始めた。
(な、なんだったんだ?)
取り残された明は一人呟いた。遠くからチャイムの音が聞こえてきた。予鈴の合図だ。
「やっべぇ……」
方向転換した明は学校へ向けて走り始めた。その登校の途中、何人かの生徒が同じく遅刻と戦う姿が見受けられた。