第一章 人質の嫁
チュンチュン――。
ネフィエが高らかに自己紹介を終えたところで雀の鳴き声が聞こえた。
カーテンから陽は差し込んでいないが、電気などつけなくとも辺りを確認することができる明るさだ。
明は大きな欠伸をした上で時間の確認をする。短針は六時前を指していた。
「じゃぁ、次はあんたの番ね」
「何が?」
ジトッとした視線を投げかけ、明はネフィエを視界にとらえた。その返事に彼女は頬を膨らます。
「名前よ、な・ま・え! あんたが名乗れって言ったんだからそうしてあげたのよ? だからあんたも教えなさい!」
前のめりになり、ネフィエが詰め寄った。
対する明は体をのけ反らせて距離をとる。彼女の綺麗な青い瞳が鏡のように明を映し出している。
「嫌だ! 断る! 個人情報だ! こういうのって、名前教えたらいいように利用されて殺されるんだろう? なにも要求しないし、俺はあんたを呼び出した覚えもないんだ。さっさと帰ってくれ」
玄関を指さし、明はさっさと出て行く様に促した。
「こ、このぉ!」
ネフィエは邪険な態度をとる明の胸ぐらを掴んで持ち上げようとする。
しかし、持ち上げることができず、その場で「んー!」と両目を閉じて唸っているだけだ。
疲れたネフィエはその場で肩で息をしつつ、眼前の明をキッと睨みつけた。
「失礼な奴ね。あんたの玄関はエルネスタに繋がっているっていうの?」
ネフィエの問いに、明は「え?」と真顔で返す。
その顔には困惑というより、痛すぎる人間を見る憐みの表情が浮かんでいた。
その反応に察した彼女は「じゃぁ、無理よ」と対照的に冷静な物言いで返した。
「まったく……いい? 私だって来たくて来たわけじゃないの。さっきから迷惑そうに私の事見ているようだけど――」
詰め寄るネフィエ。その距離僅か十センチほど。赤面する明は慌てて彼女と距離をとった。
「近い。近いから……」
両手を突き出し、慌てて明は大きく両腕を振った。対するネフィエはキョトンとした顔をしている。
「別に恥ずかしがることでもないでしょう?」
「恥ずかしいに決まってるだろう! 赤の他人だぞ!」
そんな反応を見せる相手に、ネフィエはクスリとほほ笑んだ。
「何がおかしいんだよ?」
「同性でしょう? 恥ずかしがることないじゃない」
ネフィエの一言に、場の空気が一瞬固まった。
「同性?」
「え?」
上から下へ、下から上へ。ネフィエの視線を一身に受ける明。
「男、なの?」
「俺は男だよ! 女だと思っていたのか?」
眉間にしわを作り明は相手を見据える。ネフィエはというと、何度も目を上下に往復させていた。
「見ればわかるだろう!」
「わからないから間違えたんでしょう? そんなに怒らなくてもいいじゃない!」
売り言葉に買い言葉。明に再び喧嘩熱が沸騰してきた。立ち上がり、「ふん!」とそっぽを向くネフィエに詰め寄った。
「その言葉、そっくり返してやる! ガントレットつけた拳で殴りやがって!」
「そ、それは……えっと……。そう、せ、正当防衛よ!」
赤面するネフィエは、苦し紛れに言い放つ。
「おあいこよ!」
バツが悪そうに付け加えた。
対する明はというと、あきれ返った表情を浮かべていた。
「おあいこ? それに、なんに対しての防衛だよ……」
明は吐き捨てるように言うと、その場にドッと腰を下ろした。疲弊した顔をし、ワザとらしく大きく嘆息してみせる。
「もういいよ……。さっさと帰ってくれ」
「そうさせてもらうわ」
面倒くさそうに言い放つ明。
ネフィエは天に手をかざした。その様子を見つめる明は、ただ少女を見つめ続けた。
「何してんの?」
「見ればわかるでしょう? エルネスタへのゲートを作っているのよ」
そう答えるものの、数分経っても何も起こらず無駄に時間だけが過ぎていく。
明はしばらくその場でバンザイし続ける彼女を見つめ続けた。
さらに数分間の時間が流れた後で、深いため息を明は漏らした。
「な、何よ!」
赤面したネフィエは、明の反応に掲げていた両腕を下ろして目を細めた。
「なにも起こらないようだけど?」
明の真顔からのツッコミに対しネフィエは一度口を開く。
しかし、すぐに閉じられ小さく唇を震えさせた。羞恥からか頬がほんのりと赤い。
「そ、それは……」
彼女は瞬きを無駄に行い、両腕を小さく折りたたんだ。瞳が小刻みに震えるように動いている。
その後もネフィエは何かを言おうとするも、言葉を濁らせ視線を泳がせた。
しかし、しばらくした後にうっすらと空中に文字が浮かび始めた。それらは結露のようにポツポツと実体化してきた。
「ん?」
明は目を凝らしてそれらの様子を観察した。脳内で結露と判断する。しかし、それは液体と言うにはみずみずしさが感じられない。
――ポタリ……。
手の甲に一滴零れ落ちてきた。ゲル状の部室だ。
「なんじゃこりゃ!」
明の言葉を合図にゲル状の何かが次第にボタボタと落ち始めた。そして、その一つが明の首筋に落ちた。
「おわぁ!」
声を上げた明はとっさにそれを掴んだ。グチャァと気持ちの悪い感触。これには全身の毛穴が開くような感覚を味わった。
「うひゃぁあ!」
明は情けない声を上げた。降り注ぐ物体が容赦なく床を汚していく。明は咄嗟に立ち上がり、フィギュアを飾っているラックを庇った。
「ちょっと! 止めろ! 止めてくれ!」
声を上げ、明はネフィエに視線を向けた。彼女は目の前で起こっている事象に対して呆けていた。
「なにこれ……」
「『なにこれ』ってこっちの台詞だ! お前のせいだろう! 何とかしろ!」
鬼気迫る顔で言い放つ明。
ビクリと体を震わせ、ハッとなったネフィエが手をかざした。空中に描かれた魔法陣はゆっくりと消え、それに伴い落下物も収まった。
ゲル状の物体まみれになった床を眺め、明はネフィエを睨んだ。
「どうすんだよこれ!」
忌々しそうにネフィエに言い放つ。彼女はバツが悪そうに言葉を探すように目を泳がせていた。
「調子が。そう、調子が悪いのよ……」
「はぁ?」
白い目を向ける明。
そんな彼の視線に、ネフィエはキュッと唇を噛みしめた。そして、明に顔が見えないように俯く。その様子を見た明は後頭部を掻きながた無言で立ち上がった。
「とりあえず片付けるぞ。ったく……」
ため息交じりに言い放ち、明は洗面所から雑巾とバケツを取り出した。
「あんた、本当に魔族王の娘なのか? 情けなさ過ぎるだろう……」
そう言い、明はさっさと机に向かっていった。そして、そこにある工具箱をあける。彫刻刀と消しゴムを手にして多方面から消しゴムを見つめ始めた。
「私一人で片付けるの?」
目を丸くするネフィエ。その一言に明も同様の反応をみせた。
「は? いやいや当たり前だろう? お前が出したんだから」
ネフィエは頬を膨らませつつ口を尖らせた。
そんな彼女の表情を見て見ぬふりをする明。切り出し刀を手に切り込みを入れた。
「外道ね、あなた。レディに対して接し方がなっていないわね」
「偉そうに言うなよなぁ。なんで俺がお前に配慮しなけりゃならないんだよ。その理由を原稿用紙一枚程度で答えてみろ」
サラリと言い返す明。ネフィエは一瞬その問いかけに答えようと試みた。しかし、反撃の言葉が見つからず歯痒そうな声を漏らしていた。
「グゥの音も出ないだろう? ほれ、さっさと片付けた!」
勝ち誇る明に、ネフィエはゲル状のモノを掴んで投げつけてきた。そして、それが明の足にベチャリとついた。
「うわ! な、投げるなよ!」
手を止めて面倒臭そうに口にする明。目を細めると、ネフィエはベッと舌をだして雑巾を手にした。
しばらく無言の時間が流れた。
明はその間、一度もネフィエに振り向くこともせず消しゴムを削っていた。
「終わったわよ」
不満げなネフィエの声が聞こえた。明は「うん」とそっけなく答えて作業を続けた。目の前には細かい消しゴムの破片。指は粉まみれだ。
(ん?)
ややあって、ふと甘い香りが鼻孔に入ってきた。耳の後ろ側に吐息がかかるような感覚がし、明はとっさに振り返った。
数センチ先にネフィエの顔がある。作業を観察していたようで、そんな彼女と視線があった。
「何しているの?」
「うわぁ!」
とっさに体をのけ反らせ、距離をとろうとする明。しかし、コロ付の椅子のせいで余計に体勢を崩し豪快に転げ落ちた。
「いってぇ……。何って……それはこっちの台詞だっての! ったく、終わったのか?」
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない! あんたに危害を加えるつもりはないわよ。それに、さっき終わったって言ったじゃない!」
腰に手を当てたネフィエは口を尖らせた。その表情も出会ってから何度目か。
明は体を傾けてネフィエの背後を窺った。お世辞にも終わっているとは言えず、拭き残しが目についた。
「……ったく、しょうがねえなぁ……。貸せ!」
ネフィエから雑巾を奪い取り、明は、拭き残しをとり始める。
「半端ものだなお前」
脅かされたお返しに嫌味を口にした。
「仕方ないじゃない。やったことないんだから……それより、あれは何?」
明が顔を上げると、ネフィエが削られた消しゴムを指さしていた。
「消しゴム削って花飾りを作ってたんだよ。ほら、あそこにフィギュアが飾ってあるだろう?」
明は面倒臭そうに棚に飾ってある魔女っ娘のフィギュアを指さした。息を整え、再び席について消しゴムを削る。
花弁を何枚か削り終え、明は疲れを吐き出すように息を吐いた。フワリと、消しゴムの削りカスが机上を転がる。
「ふぃぎゅあ? あの人形のことを言ってんの? ふぅ~ん」
ネフィエは興味津々に棚へと近づこうとした。対する明はそれを阻止するように少し声色を低くして「近づきすぎるなよ」と警笛を鳴らした。
「何でよ?」
「何でもだ! いいな?」
そう言い、明はもう一度「それ以上はダメだ」と釘を刺した。
すると、ネフィエは何かを思いついたように口角を上げた。
「へぇ……そんなに大切なんだ」
その言いぐさに、明は目を細めて彼女を視界にとらえた。すると、ビシッとネフィエが人差し指の先を向けてきた。自信ありげに胸を張り、「フッフッフ……」と不敵に肩を揺らした。
「あんた、私にさっさと帰ってほしいのよね?」
彼女の一言に、明はあきれ果てた視線を向けた。
「お願――」
「嫌だ。断る。面倒くさい」
即答。
ネフィエはピクピクと眉毛を痙攣させた。
「ま、まだ何も言ってないでしょう?」
地団太を踏むネフィエに対して明は冷静な視線を向ける。怒りで顔を赤くさせた彼女は駄々っ子のように両手を振りあげた。そして、もう一度明に指先を向ける。
「話は最後まで聞きなさいって親に教わらなかったの?」
「教わったが、時と場合によるね。俺にはあんたのお願いを聞く義理がない」
「あなたって本当にムカつくわね」
「お褒め頂き光栄です。ほれ、ムカつくならさっさと帰ってお互いにすっきりしようぜ」
間髪入れずに答える明に、ネフィエの顎に力が入るのがわかる。しかし、それも一瞬のことで、すぐに冷静な面持ちに変わった。
「ふ、ふん。いつまでそんな態度がとれるかしらね?」
不敵に笑うネフィエに、明は眉をひそめた。そして、彼女はバケツの中にある物体を指さした。その後、フィギュアを確認した後で明に視線を向けてきた。
「まさか、お前……」
「ふふ……」
ネフィエは、勝利を確信したかのように口角を上げた。
「察しが良いわね」
自身満々に言い放つネフィエ。そして、その後で彼女の視線は再び魔女っ娘のフィギュアへと向けられた。
「あんた、あの子のこと凄く気に入っているのよね?」
明に視線を戻したネフィエは妖しげな表情を浮かべた。その妖艶な表情に、通常なら心を動かされるのだろうがそんな余裕はない。明はフィギュアとネフィエへ視線を何度も往復させた。
「私のお願い聞いてくれる? そうしたら、あの子たちにこれをかけるのをやめてあげる」
強気に鼻息をもらすネフィエは、「まいったか」と言わんばかりに胸を張っている。
「お、お前! 悪魔か!」
「悪魔じゃないわ。魔族よ」
ネフィエの冷静な返しに、戸惑いながら明は「ク……」と声をもらした。暑くもないのに頬に一筋の汗が流れ落ちた。
「この私の優れた洞察力によると、あなたは人間の女の魂を抜いて人形に封じる、人形遣いか何かなんでしょう?」
「え?」
自信満々に語り始めたネフィエに、明は一言発して絶句した。
(に、人形遣い?)
「隠さなくってもわかるわ。人間にしてはいい趣味しているじゃない。でも、それが仇になったわね。フフ……もう一度言うわよ」
勝ち誇った顔をするネフィエは、力の籠った目と動作で、明との距離を縮めた。
「私の言うことを聞いて! でなきゃ、あなたのコレクションを全部デロデロに汚してやるわよ! あ、これを片づけた後で約束をふいにするのは無しよ? これ、出そうと思えばいつでも出せるんだからね!」
ズイッと顔を近づけ、ネフィエは「答えは?」と問う。
「お前……」
「ネフィエよ……。いい加減名前で呼んだらどうなの? せっかく教えてあげているのに」
まじかで見る彼女の瞳は青く綺麗だった。しかし、その瞳の奥の瞳孔からは並々ならぬものを感じられる。
「な、何をすればいいんだよ……」
ゆっくりと離れた明は声を押し殺し尋ねた。
「元の世界に戻るための手がかりを探すのよ。この世界にもあるでしょう? 魔術とか、そう言った類の本とか……。手伝ってくれるわよね?」
満面の笑みを浮かべるネフィエ。
「い……」
明は言いかけた答えを飲み込み、黙って首を縦に振った。満足した彼女は「わかればいいのよ」と、意気揚々と胸を張った。
「ところで……」
明がバケツを持ち上げた時、ネフィエは声をかけてきた。彼女はお腹を押さえていた。
「その……お腹空いたんだけど……」
グゥウ……。
情けない音が響き渡った。
ため息交じりの明は台所から菓子パンを取出した。それをネフィエに渡し、洗面所にむかった。
「ねぇ!」
モノの処理をしている最中に背後からネフィエが声をかけてきた。明は振り返らずに「なんだよ?」と返す。
「あなたは食べないの?」
「いらねぇ……。それは全部やる」
「あ、そう」
しばらくして、処理を終えた明は大きく体を反った。その後、やれやれと振り返るとネフィエがちょこんと立っていた。
「うわ! な、なんだよ? ……脅かすな!」
「名前。いい加減に教えてよ。もう無関係じゃないんだからいいでしょう?」
彼女から無邪気な笑顔が向けられた。
「明。木之柄明だよ……」
ネフィエとすれ違う際、疲れた声で言い放った。
□
「さぁ、探しに行くわよ!」
「わかったからちょっと待てって……」
時間が正午を回ろうとした時、ネフィエが着替えを終えた明を急かすように口にした。パーカーと青のジーンズ姿の明は重そうに腰を持ち上げる。
「早く帰ってほしいのでしょう? 私も早く帰りたい。利害は一致しているじゃない? さ、早くいくわよ!」
「……あのさぁ。仮にもここはあんたにとって異世界なんだろう? 怖いとかって気持ちはないのかよ」
疲れ気味に尋ねる明に、ネフィエは「ふむ」と腕を組んで目を閉じた。
「まぁ、ネフィエの世界がどうなのかは知らないけど……。あと、この世界で魔法とかそう言った類の力は使うなよ? 面倒だからな」
明が「いいな?」と釘を刺すように言い、手にした彫刻刀を器用に回して片付けた。机の端には先程まで掘っていた消しゴムがある。少し荒いが、綺麗な桜を模した飾りが出来上がっていた。
それを見たネフィエは、「へぇ」と目を輝かせた。
「な、なんだよ……」
警戒する明はネフィエの視線の先にある物を察して手を伸ばそうとした。しかし、それより先に彼女がそれを奪うように手にした。
「おい!」
「器用ね。ちょっと雑だけど……花びらが一枚一枚繊細でよくできているわね。さすがは人形遣い……の見習いなのかしら?」
明は首をかしげるネフィエから花の造形を奪い取り、机の上に置いた。
「人形遣い……は置いておいて、まぁ見習いって言うのは間違いないか。作っているわけだしなぁ……」
出かける準備を始めた明は鞄の中に財布を入れる。フィギュア情報の乗った冊子を詰め込んで立ち上がると、ネフィエを見つめた。日差しが彼女の纏っている鎧に反射して輝いている。
「ところで……」
明の目に彼女の纏っている胸当てとガントレットが映る。視線を受けたネフィエが胸を腕で隠すようにした。
「なによ? いやらしい目で見ないでくれる?」
「見てないし。つうか、その恰好で出るつもりか?」
そう言うと、ネフィエは自分の恰好を確認した後で明の服装を確認し始めた。
「おかしいの? 矢とか飛んできたりしたらどうすんのよ?」
「飛んでこねぇよ! あんたんとこの世界はどうなってんだよ……。戦争でもしてんのか?」
冗談を織り交ぜて口にする明だが、その問いに対する回答はネフィエからなかった。
「と、とりあえず……その恰好で行くのはやめてくれ。俺ので悪いが、これを着てくれ」
服を一式クローゼットから取出す。青いカッターシャツに紺の上着。黒いズボンをネフィエに渡した。それを見た彼女は無言で抵抗しようとした。
(まぁ、男物だけど大丈夫だろう……理由を言ったら殴られそうだな)
明後日の方向を見る明。その横顔からネフィエの視線が突き刺さる。何を言いたいのか察しがつき明はそのまま無言を貫いた。
「女物はないの?」
ようやく口にしたネフィエは当然のことながら不満げだ。
「あるわけないだろう? 俺は男だぞ? 女物なんてあったらおかしいだろう? 我慢してくれ」
「うぅ~」
振り返ると、ネフィエがあからさまに嫌そうな顔をしていた。
「その恰好じゃ、町には連れていけない。もちろん、そうなればあんたの目的も達成できないぞ?」
戸惑いの表情を見せる彼女を諭すように明はゆっくりと言い聞かせる。
「わ、わかったわよ……もぅ……」
しばらくして、絞り出すような声で両腕に付けているガントレットを外し始めた。そして、ガシャンと重々しい音と共に落ちた金属装甲の下から、白く華奢な腕が露わになった。
「着替えるから。の、覗かないでよ?」
そう言うと、ネフィエは洗面所へと姿を消した。
「こんな恰好したらますます――」
出てきたネフィエは、どこから見てもイケメンだった。ポニーテールに結っていた後ろ髪もおろし、邪魔にならないように項でくくりつけていた。
「似合ってるって、悪くないと思うけど?」
明がそう言い放つと、ネフィエは喜ぶどころかブスッと表情を歪ませた。
「それ、嫌味?」
睨むネフィエ。
明は慌てて両手を振って否定の意を表す。空気を入れ替えるために僅かにあけた窓から風が吹き込んできた。カーテンがフワリと巻き上がると、同時にネフィエの髪も波打った。差し込む陽ざしに照らされ、髪の毛がキラリと輝いている。
(嫌味じゃないんだけどなぁ)
視線に耐えかねた明は急いでリュックを持ち上げた。それを肩にかけるように背負うと、玄関へと向かった。
「何度も言うけどさ、我慢してくれないか? フィギュアのために協力はする。ただ、俺にもできることの限界はあるんだよ。嫌なら別の人に頼んでくれ。大歓迎だ」
明が玄関で靴を履きかえる。すると、背後から忌々しそうに床を踏みつけるような音が聞こえた。
「わかったわよ!」
ネフィエは狭い玄関で、明を押し退けるように腰を下ろした。下駄箱に肩をぶつけた明は、横目で彼女を見据える。
文句の一つでも浴びせてやろう。そう思い眉間に力を入れた。
しかし、その横顔にドキリと明は心臓を跳ね上がらせた。膨れっ面をするネフィエに対して口を開くものの、そのまま吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。
「なによ? ジロジロ見て」
視線を感じたネフィエはそっと明に顔を向けた。視線が合ってから数秒間の時間が流れた。彼女は未だに納得できないといった感じだ。
「いや、なんでもない……」
「ないならさっさとしなさいよ。早く帰ってほしいんでしょう? 私も帰りたいの」
壁に背をもたれてネフィエは腕を組んだ。
「わかっているよ」
明は脱力気味に応えて腰を上げた。開錠して扉を開けると澄んだ水色の空と流れる雲が視界に入る。飛び交う雀が軽やかに宙を舞い、電信柱にとまった。
「眩しい……」
手で陽の光を遮ったネフィエは顎を引いた。
「そんな眩しいか? お前んとこは暗いのか?」
長い鉄製の渡り廊下の先にある階段手前で明が振り返った。太陽光に渋りつつ、目を細めるネフィエ。
「暗くはないけど、ここまで明るくはないわ」
――カン、カン、カン。
リズムよく音を鳴らして、二人はアパートを後にした。